トップページ | 2006年4月 »

2006年3月

WBC日本優勝

日本人の心というテーマで

この長い文章を書いたのは 2005年の12月頃だった、

オレがこのブログを通して伝えたいのは、

日本という国に生まれ 育ったならば もっと祖国日本を愛するべきだ。

日本の若者たちには 愛国心がない、そんなことではだめだ、しっかりしろ・・・

ということを訴えたかった。

そしてこの三月、WBCワールドべースボールクラシックの予選で 韓国に負けた、

第二ラウンドでも負けた。

悔しかった、悲しいほど情けないと思った。

日本の将来は もうだめだ、日本の若者たちをこんなにだめにしたのは オレたち熟年世代の責任だろうか・・・?

オレはバカだし 野球狂だから 自棄酒を飲みながら そこまで思いつめた。

松井も井口も城島も・・・大リーグへ行って出場を辞退した選手たちの 自己中心的な行動を怨み、これが今の日本の若者を象徴する姿だと思った。

ロドリゲスやジーターがアメリカ代表で出ているのに 同じヤンキースの松井が なぜ出ないのか、何様だと思っているのか、オレは松井が好きだったのに もう嫌いになった。王という偉大な監督の誘いを平気で断ることのできる、これが日本の現代っ子なのか、

彼らにはみな 義理も人情も愛国心のかけらもないのか・・・。

徴兵制のある国と ニートが平気で生きていける国の違いなのか・・・、

大統領命令でベストメンバーが召集される韓国に 自分勝手な選手ばかりで ベストメンバーが組めない日本が負けても当然なのか・・、

どんなに力が上でも 愛国心で結束したチームには 勝てないのだ。

技術や力だけでなく 人間性も優れていなければ 勝負は勝てない。

野球だけのことではない、こんな体たらくでは 日本はもう何をやっても韓国にも中国にも勝てなくなる・・・なんと嘆かわしいことか。

そんなことを思っているうちに 準決勝で韓国にリベンジして、三月二十一日の決勝ではキューバにも勝って ついに日本はWBCの初代チャンピオンになった。

日本中が沸きかえった、

オレもバカだから 数日前の絶望的な自棄酒から 歓喜の祝い酒になった。

テレビの視聴率が50%を越えた。

日本人が一つの目標に向かって あんなに一丸となったのは何年ぶりなのか 記憶にない。

選手たちや応援する日本人の全てが 韓国やキューバよりも集中力も愛国心も上回っていたのだ。

イチローの愛国心は云うまでもないが、多村は王監督からの召集の手紙を額に入れて自室に飾っていたとか・・・、

選ばれた他の選手たちも みな心はひとつで・・・、

みんなが日の丸のために 一丸の炎となって戦った。

そして何よりも嬉しいのは 若い日本のサポーターたちが 漲る若い体力を爆発させて狂喜乱舞していたことだ。

松井も井口も城島も・・・もう許す、 お前らはイチローを見習え、そして 次の大会には必ず出て来い、世界を力でねじ伏せるには お前らが必要なのだ。

まだまだ大丈夫だ、オレは日本の若者たちを見直した。

みんなちゃんと 心のどこかに 祖国を愛する気持ちを持っていたのだ。

王監督も イチローも、選手たち全員に国民栄誉賞をやればいいんだ、

それがだめなら メンバー全員に報奨金をいっぱいやれよ・・・と云いたい。

こういう時こそ 政府は大盤振舞いすればいい、

北朝鮮など他国に 何億ドルもくれてやる金があるのなら、

無駄な道路や建物を作ったり、公務員を優遇したり、無駄に使う税金を こういうことに使えば誰も文句は言わないのだ。

日本の国を一つにした、国民に愛国心を再認識させた・・・

こんなにみんなが喜んだのは もしかして真珠湾攻撃以来かもしれない。

それに貢献した彼らは 今世紀最大の功労者だ・・・

王さんは偉い、イチローも 松中も 松坂も 上原も、川崎も、西岡も、福留も、多村も・・・みんな偉い、すごい、もう 褒めることばがない、オレたち応援していた日本人も みんなえらい・・・

嬉しいね、良かったよ、ほんと~に、ヨカッタネエ・・・

                            三月二十五日

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

日本人が忘れているもの

社会の平和や安定に比例するように 他人の迷惑を考えない、人の心を傷つけても 罪悪感を感じない・・・、

親が子を殺したり、子が親を殺したり、先生が生徒を殺したり、幼児を虐待したり、年寄りを騙す詐欺、インターネットを利用した詐欺、人の弱みに付け込む詐欺や横領・・・、

利益のためには設計の偽装をしてでもビルを建てたり、企業の買収とか・・・

日本人の正義、倫理、美徳は どこへいってしまったのか・・・

最近はそんな悲しいニュースばかりだ。

このままでは 日本がだめになる。

二十年、三十年後には 世界中から馬鹿にされ、笑われる、だめな国になる。

日本人は 大事なことを忘れているのだ。

“仁・義・忠・孝・悌・礼・智・信”・・・

これらのモラルを、 日本人ならだれでもこの八個の霊玉を 心のどこかに持っていることを 忘れているのだ。

次郎長や吉良常や・・・侠客たちのもつ 義理人情、勇気、友情、信念、優しさ・・・。

日本には こんな素晴らしい伝統や文化や美徳があることを 未来を担う子供や若者たちに教育し、伝えていかなければだめなのだ。

教育を根本から見直さなければ・・・、

郵政民営化、構造改革、年金や税制の改革・・・

政治家も国民も、日本の大人たちに改革という精神があるのなら、

教育の改革こそが基本であるということを認識するべきだ。

オレ一人が こんなことを唱えても 何の力にもならないけど、二十年後には オレはもうこの世にはいないだろうけど、

でもやはり 祖国日本を愛している。

季節があるのは日本だけだ、春夏秋冬の四季が均等に廻ってくるのは 世界中で日本だけなのだ。

こんな素晴らしい国、たまに地震があるけれど、豊かで美しい国、優しさと温かさに溢れた日本を、日本人はもっともっと好きになって、愛さなければ・・・

と思うのであります。2006_040830028_1

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

人生劇場

清水の次郎長とか国定忠治とか・・・有名なヤクザの親分たちが現代でもみんなから慕われ、人気があるのは、彼らに優しさがあったからである。

忠治は高い年貢(税金)で苦しむ百姓たちのために悪い代官と戦った。

次郎長は明治維新の戊辰戦争のときに、官軍に攻撃されて幕府軍の軍艦が沈没し、兵士の死体が 清水の海に累々と浮かんでいた、

弔ってはならぬという官軍の命令を無視して、子分たちと共に死体を引き上げ埋葬した。

『 官軍だか賊軍だか知らねえが、死んでしまえば仏様だ、弔ってやるのが人の道だろう、てめえら文句があるのかい・・・』と啖呵をきった。

官軍の兵士たちは 次郎長の迫力に言葉もなかった。

要するに 忠治も次郎長も 人間的な優しさに溢れていたのである。

だから子分たちも 親分のためなら命を投げ出すほどに 敬愛していた。

吉良の仁吉というヤクザものは 元は次郎長の子分ではなかったが、自分と女房が一番苦しいときに次郎長に助けてもらった、その後 次郎長の人格に感動して、次郎長一家と対立する黒駒の勝蔵一家と 荒神山での最後の戦いに、数で劣勢な次郎長一家に 死ぬ覚悟で助太刀をする、愛する女房の反対を押し切り 女との恋よりも男の友情を選んだ、そして奮闘し、死んだのである。

明治・大正・昭和の時代には この仁吉の生き方、死に方がヤクザのお手本であった。

尾崎士郎の『人生劇場』には 飛車角・吉良常という二人の侠客が登場する。

オレは この長編小説を高校生の頃に読んで 大感動した。

主人公 青成瓢吉の青春と それを取り巻く人々の生き様を描いた 激動の時代の大恋愛小説だと思った。

男の生き方、女の生き方・・・人間はどうあるべきか、愛とは、正義とは、真実とは・・・、

日本人に生まれてよかった、日本人でなければ理解できない、いつまでも心に余韻が響くような 里見八犬伝にも匹敵する後世の人に是非読んでもらいたい 一大傑作だと思う。

古賀政男さんが国民栄誉賞に選ばれたのも、この『人生劇場』の作曲が人々に愛唱されたことが 要因であるといっても過言ではない。

“やるとおもえばどこまでやるさ・・・義理が廃ればこの世は闇だ・・・

あんな女に未練はないが・・俺も行きたや仁吉のように・・・”

この詩は 飛車角と吉良常の詩なのである。

後に 人生劇場は映画で何度も上映された、

生き方、考え方、倫理とか正義感のようなものが日本人にぴったりだからだ。

飛車角や吉良常のような、あんなに素晴らしい男はいない、ヤクザとしても、男としても、理想の日本人として共感を得るのだ。

ヤクザ映画で 鶴田浩二や高倉健にやっつけられるのは 人を裏切り、弱いものをいじめ、私腹を肥やす悪い人間ばかりだ。

義理と人情に欠ける人間だ。

自分の生命や将来を犠牲にしてでも それを倒すのがヤクザの正義であり美学だった。

ヤクザは 社会の必要悪だった。

しかし、悲しいかな 平成の現代になって、本当のヤクザは もういなくなった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

侠客

ヤクザの元祖は 幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべい)という江戸時代の人で、

町奴(まちやっこ)といって 仕事の斡旋業とか 祭のときの元締めのようなことをしていました。 

弱きを助け 強きをくじく・・・という男達(おとこだて)と呼ばれて、江戸市民の人気者でしたが、武士で権力を後ろ盾に 乱暴ばかりする旗本(はたもと=徳川将軍の家来)水野十郎左衛門のグループと対立、町奴と旗本奴の二つのグループの争いが絶えず 町の人たちに迷惑ばかりかけているので、和解をしようとして水野邸に交渉に行ったが 風呂場で水野に殺されてしまった。

長兵衛は 自分が行けば殺されることを覚悟していた。

身分の高い旗本に対して、対等の話をすることは 水野のプライドに関わる、

自分の命を代償にすれば 水野たちが無法な行為をしないように説得できる、

武士の威厳を保つこともできる。

そして、自分の子分や町の人たちも 怪我人や死人がでないで済む・・・

長兵衛は 自分を“頭・親分”などと呼んで慕ってくれた子分たちや町の人たちに感謝して、彼等の自分に対する優しさに報いるために 自分を犠牲にしたのです。

更に、敵対する水野という侍のプライドまで 守ってやろうとした。

味方にも敵にも 優しさを与えたのです。

後に 彼は“侠客”とよばれるようになった。

(きょう)とは おとこという意味である。

水野邸を訪れた 「男の客」である。

勇気と優しさをもった男が 真の男なのである。

仁侠の世界というのは 優しい男の世界という、日本の歴史と文化が生んだ言葉です。

分かりやすく云うと 最近のテレビドラマで「ごくせん」にでてきたヤンクミのおじいちゃんのところの大江戸一家がそれである。

親分のおじいちゃんを筆頭に、上下関係がはっきりして真の男にあこがれている人たちの世界なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

仁義

2006_01040010 仁義(じんぎ)・・という言葉は 最近ではあまり聞かれることのない、若い世代には馴染みの薄い、古い時代の言葉になってきました。

現代日本人が 仁義という言葉に出会うのは、ヤクザの映画や物語から これを知る人がほとんどです。

“仁義なき戦い”とか、“仁義をきる”とか、・・・・

古い時代のヤクザものが 仁義という この言葉を好んで使ったのです。 

ヤクザとは、漢字で書くと八九三、8+9+3=0・・・という意味です。

花札賭博では 三枚まで札(フダ)を引ける・・・

三枚を足し算して末尾の大きい数字で勝負します。

一番強いのが九でカブといいます。 弱いのがゼロで ブタとかブッツリとか云います。

つまりヤクザとは 八+九で七になった(17の1の位は7)、そこでやめてもいいのだけれども、あと一枚引いて2が出れば 最強の9になる、大儲けを狙って もう一枚の勝負に出る・・・、ところが 結果は3が出て、結局 最後はスッカラカンのゼロになるのです。

ヤクザの人生は 最後はゼロになるということを象徴しているのです。

ヤクザは 働かない、博打をしたり喧嘩をしたり、時には悪いこともする・・

社会の秩序を守らない無法者です、  善良な人たちの 嫌われ者なのです。

でも 彼等にとって、唯一 自分の生き方を正当化できる言葉が 仁義なのです。 

仁義という言葉に感動して、任侠の世界(男の世界)を生きようとするのが 彼等の心の支えだったのです。

仁義は、本当はヤクザの世界の言葉ではない、人間全てに通用する 人が最も大切にしなければいけない素晴らしい意味のある言葉なのです。

オレは この仁義という言葉が 日本語の中で一番好きだ。

世界に誇れる 日本人独特の立派な文化なのです。

一言でいえば 仁義とは 『優しさに対して 優しさでお返しする』 という意味です。

言い換えれば 恩返しをする という意味と同じです。

“恩”とは 人からうけた優しさ のことです。

優しくしてもらったから それに報いる心を持つことが 人間性(ヒューマニズム)の原点なのです。

優しさは 人の豊かさであり、強さになるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ラストサムライ

インターネットで “幕末・維新で一番好きな人物”という人気投票をやっていた。

一位は坂本竜馬(15.44%)、同率一位に土方歳三(15.44%)、三位高杉晋作(10.07%)

四位近藤勇(8.05%)、五位松平容保(6.71%)・・・、以下六位西郷隆盛、七位徳川慶喜、

八位勝海舟・・・とつづく。

新撰組のメンバーは 土方・近藤のほかに 永倉新八、山崎丞、沖田総司、斉藤一、藤堂平助、山南敬助、井上源三郎、原田左乃助、松原忠司、伊東甲子太郎、・・・など 殆どが五十位以内にランクインしている。

テレビや映画の影響があるのかもしれないが、現代人は新撰組が好きだ。

新撰組は幕末に 特別に偉いことをした人たちではない、坂本竜馬のように薩摩と長州を同盟させて維新に貢献したとか、西郷隆盛と勝海舟のように 江戸で戦争が起こらないように話し合いをしたとか、世のため人のために尽力した偉い人ではない。

新撰組は 浪人(失業者)の寄せ集めで、京都の治安を守るということで、京都守護職会津藩松平容保(まつだいらかたもり)の預かりとなり、やっとスポンサーができて、不逞浪士を取り締まる名目で殺人を繰り返した、どちらかといえば暴力団と同じである。
剣術が強いというだけで、ほかに何の取り柄もない侍たちである。

それが現代の人に愛されるのは 彼らが 負けると知りながら、幕府という 滅び行くものに義理を尽くし、官軍となった薩摩長州軍に対する反骨と意地だけで 銃や大砲という近代兵器に対して、刀で立ち向かった最後の侍だったからである。

時代の波に乗り遅れ、逆らい、武士らしい死に場所を求める、そのためだけに戦った最後の武士、つまりラストサムライなのである。



| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

日本のロマン

赤穂浪士は 切腹という結末になったから日本人の誰からも愛される存在になったのだ。

悲劇の英雄だから 人気者になるのである。

みんな赦免されて、夫々が 厚遇でどこかの藩に再就職して、幸せに暮らしたのでは、誰も相手しないのである。

現代人は、特に外国人には サムライの切腹について 理解できない。

言葉を交わさずにお互いの気持ちが分かる・・・・、

建前でものを云い、建前の中から本音を探ろうとする。

忠臣蔵には そういう場面が沢山ある。

日本人にしか理解できない 独特の文化だ。

日本の外交が下手だとされるのは そういう日本の伝統的な文化が悪影響を及ぼし、本音でしかものを言わぬ外国人には 理解ができないのだ。

赤穂浪士は“忠義”というテーマによって切腹した。

“仁・義・忠・孝・悌・礼・智・信”・・・

昔の日本人は この八つの文字のためなら死ぬことができた。

現代人は赤穂浪士のように“忠”によって死ぬ人はめったにいない、

でも、例えば、愛する人のためなら 死ぬ事ができるかもしれない。
この八つの文字が意味する美徳は 現代でも通用するのだ。

2006年の現在、イラクやイスラエルでは いまだに自爆テロが頻発している。
彼ら自爆するテロリストたちは 死が怖くないのだろうか、

一言で云えばイラク戦争はイスラムとキリストの戦い、パレスチナの紛争はキリストの聖地を巡る争い・・・、どちらも宗教を根源とする対立である。

神を信ずるが故に 死ねるのだろうか。
彼らが死を恐れないのは、標的に対する憎しみと、それが正義とする信念、夫々の信ずる神への忠誠心なのである。

人が自ら命を絶つには それを正当化させる大儀・美徳が必要なのだ。

浅野家の菩提寺、高輪の泉岳寺に赤穂浪士四十七人の墓がある。

浅野内匠頭長矩と妻揺泉院の大きな墓が並び、その脇に大石内蔵助良雄の墓、そしてそれを輪になって寄り添い、主君を守るように 堀部安部衛、不破数右衛門など四十六人の墓が建ち並び、三百年も経った今でも、人々はこの墓を訪れ、むせかえるほどの線香の煙が絶えることがない。

日本人はみんな この四十七士を愛しているのだ。

忠臣蔵は最も日本的な思想と文化の中で生まれた 日本のロマンだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

忠臣蔵(2)

本懐を遂げた赤穂浪士47人はみな 辛抱し、建前で行動した大人たちであった。

大石は仇討ちを決意し、江戸へ下る前に 最愛の妻理玖(りく)を離縁する、

これから自分は事件を起こし罪を犯す、その危害が家族に及ばないための配慮であった。

理玖もそのことを理解して 子供たちを連れて去っていく。

愛するものを守るため離婚して身軽になった大石は 嫡男主税と共に江戸へ出発するのである。

討ち入りの前日、大石は 別れを告げるため主君浅野内匠頭の正室阿久理の方(揺泉院)を訪ね 主君の仏壇に手を合わせる、揺泉院は大石がいよいよ仇討ちをしてくれるのかと期待していたが、大石はその気はないと答えるので 揺泉院は失望し、大石を罵る。

情報はどこから漏れるとも限らない、大願成就のためには どんなに罵られても本心を明かすわけにはいかないのである。

赤穂浪人赤垣源蔵は 討ち入り前夜兄の長屋を訪れるが不在のため兄の羽織に向かって一人で酒を酌み交わし、鼻水を垂らし、泣きながら 別れを告げる。

その姿を見ていた兄嫁は 職もなく大酒飲みでぐうたらで、どうしようもない厄介物の弟としか思わない。

大高源吾も失業中であったが、討ち入り前夜 俳句の師匠宝井其角に会い、

“年の瀬や水の流れと人の身は”と詠まれ、“あしたまたるる その宝船”と下の句を返す。

其角は 最初は源吾の再就職が決まったのかと解釈するが、後でいよいよ討ち入りするのかと気づく・・・。
赤穂浪士四十七人は討ち入り前、妻や子供や、父母や、友や、師や、恋人などにみな夫々のやりかたで 別れを告げるのである。

四十七人全員が 既に死を覚悟しているが、誰ひとり本当のことは言わない、最後まで辛抱し、建前を貫くのである。
そして、討ち入りを決行して目的を達成した赤穂浪士は 幕府の処分を待つのである。

2006_040830078_1

◆理想の指導者

忠義の士、武士の鏡・・・と、世論は赤穂浪士を絶対的に支持した。

幕府の上層部も 彼等を厚遇して助命嘆願する意見が多かった。

将軍綱吉も彼等を賞賛し、そして、苦慮した・・・、大石の狙いはここにあった。

しかし、彼等は徒党を組んで深夜幕府の高官の家に押し入り、何十人を殺戮した罪人に違いはない、これを赦免したのでは世の中の秩序は保たれぬ、死刑が適当であるが、文武忠孝に励んだ彼等には 士の礼を以て切腹に処すならば 彼等も本懐を遂げたことになる・・・、当時の学者荻生徂徠(おぎゅうそらい)等の進言により 四十七人の切腹が決定したのである。
元禄16年(1703)2月4日、四十七士は次々に切腹、伝説の中で永遠に生きる存在となった。

“あら楽や 思いははるる身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし”・・・

目的を達し 喜びに溢れて死んで行く 大石内蔵助の辞世である。
大石は 世論の支持をバックに 幕府を困らせようと難題を突きつけて、赤穂義士の気骨と信念を顕示して、後に四十七人全員が死ぬことも想定内だったのである。

苦労して本懐を果たし、死なせてしまう部下たちに お詫びと感謝の気持ちを兼ねて、

自分も含め四十七人全員を 歴史に残る英雄にプロデュースしていたのである。

大石は主君に対する“忠”と、妻子や部下への優しさ“仁”と、強大な政権に対する反骨の精神“義”と 策略を巡らす“智”も、真実を貫こうとする“信”も・・・

八個の霊玉を全部持っているような 日本一の武士(もののふ)であると思う。

勇気と信念、礼節と感謝、優しさと人望、知略と合理性、冷静な決断力・・・

リーダーの資質を総て備えた 理想の指導者であろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

忠臣蔵(1)

大石内蔵助良雄 播州赤穂藩浅野家主席家老であった。

元禄14年(1701)主君の浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が江戸城内で吉良上野介(きらこうずけのすけ)を相手に刃傷事件を起こし 即日切腹を命ぜられた。

“風さそふ 花よりもなほ我はまた 春の名残を如何にとかせん”・・・・

無念さに満ちた 内匠頭辞世の句である。

赤穂城は開城となり 大石も家臣たちも みな浪人となり、後に大石は赤穂浅野家の再興運動(藩士たちの再就職活動)を行ったが 果たせなかった。

元禄15年12月14日、主君・浅野内匠頭の仇を報ずるため 46人の元赤穂藩士と共に本所松阪町吉良邸を襲撃して吉良上野介を殺し、自首して 翌年切腹した、享年45歳。

『忠臣蔵』の話は 日本人ならだれでも知っている、大石内蔵助を知らない日本人はいない、おそらく 現代も含め歴史上の人物の中で 大石内蔵助の知名度はNO.1である。

毎年 年末・正月頃になると『忠臣蔵』は映画やテレビで放映される。

内容もストーリーも分かっているのに、何度観ても 同じ場面で感動し、涙する。

『忠臣蔵』は、日本人にしか理解できない 最も日本人的な事件である。

忠臣蔵のポイントは 浅野内匠頭切腹の際、幕府の裁きが 武士の法である“喧嘩両成敗”によらず、一方的に浅野の非を認めて吉良に処罰が一切与えられないことであった。

大石の本心は この不公平さを幕府に認めさせるところにあったのである。
赤穂浪士の中でも 若くて血気旺盛なものは吉良の暗殺を願ったが、大石は彼等の指導者として ただ闇討ちして吉良を殺しても意味がない、集団で正面から堂々と吉良を襲い、これを果たす、そして幕府に是非を問うことを目的としたのである。
吉良は主君の仇だが、大石の真の不満の相手は徳川幕府であった。

幕府もまた この刃傷事件の裁定が不公平であることを認識していた。

将軍綱吉は「失敗したな」と感じていた、でも裁定を覆すようでは幕府の権威が保てない。

江戸城内にあった吉良上野介の居所を 城外の江戸市中松阪町へ移し、隠居させたのは赤穂浪士に対する幕府のせめてもの“埋め合わせ”だった。

“吉良を討つなら今のうちですよ、どうぞおやりなさい・・・”という意味であった。

日本人は“本音”を言わない、形式を重んじ“建前”でものを言う・・・・。
大人は建前の中から本音を探ろうとする辛抱と知恵がある、本音ばかりで行動しようとするのは子供なのである。

この事件の発端になった主君・浅野内匠頭は辛抱が出来ず“ブチ切レテ”吉良に刀で切りつけた、吉良の方も浅野に対して本音ばかりで対応したので喧嘩になった。

この両名が大人でなかったばっかりに、後に浅野家も吉良家の方も 大勢の人が死ななければならない悲劇のものがたりが始まるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

忍者のはなし

戦国時代は忍者の全盛期であった。

忍者は戦争請負人である、諜報活動に秀で 実戦でも超人的な働きをしたといわれる。

猿飛は甲賀の忍者、山中で猿と遊び 戸沢白雲斎の弟子となり、忍者の第一人者となる。

霧隠は伊賀の忍者、百地三太夫に学び、佐助に劣らぬ優れた忍者であった、

伊賀忍者石川の五右衛門は 聚楽第へ忍び込み豊臣秀吉を暗殺しようとするが捕まって 釜茹でにされる話は有名である、五右衛門風呂というのはこの釜茹でをヒントにした風呂である。 飛び加藤は幻術使いで催眠術・目眩ましを得意とするが長尾景虎(後の上杉謙信)に鉄砲で討たれる、風魔の小太郎は関東を縄張りとする風魔一族の頭領で北条氏に仕えた、児雷也は大蝦蟇(おおがま)に変身する妖術使い、なめくじの術を持つ綱手姫(つなてひめ)と力を合わせ 大蛇に変身する悪賊大蛇丸(おろちまる)を倒す、お互い相性の悪い ヘビとカエルとナメクジの三竦みというのはこの話から始まっている・・・など、芝居や小説などでいろいろな忍者が登場するが みんな物語の世界の人物で 実在したのは服部半蔵くらいのものである。
服部半蔵は 徳川家康が織田信長の招きで安土、堺を見聞した際、信長が明智光秀に本能寺で討たれたため、明智の追手を逃れ、難所の伊賀越えをした時に 家康の道案内をして助けた、この功績により家康に仕えた。

半蔵の守った「半蔵門」は現在も皇居に残されている。

そこへ行くには地下鉄半蔵門線に乗っていく。

小説や伝説の中に 忍者が出てくると 面白い話が沢山できる。

日本人にとって 忍者はヒーローでありスーパースターなのである。

外国人に日本の文化を問えば、スシ、ゲイシャ、フジヤマ、サムライ、ニンジャ・・・と言う。

外国まで忍者ブームになったのは、戦国時代に忍者を使った大名たち、特に真田幸村の功績が大である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

サムライの心

歴史が動く時、必ずヒーローが登場する。

源頼朝、足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康・・・・
彼等はみな勝者である、でも日本人にはなぜか人気がない。

人気があるのは敗者の方である、源義経、楠正成、真田幸村、大石内蔵助、新撰組、白虎隊・・・、敢えて滅びゆく者に与し、自らも滅ぶ、という人物である。

義経九郎判官源義経という、判官は義経の官位であって 肩書きのようなもの、

判官贔屓(はんがんびいき)という言葉は 頼朝よりも義経を応援するという意味である。

日本人は本質的に判官びいきである。
強大な力に敢えて立ち向かう、負けると分かっていても戦いを挑む、弱いもの小さいものが強くて大きいものをやっつけることに快感を覚え、弱いものを応援するのである。

義経は軍事の天才であった、強大な勢力の平家と勇敢に戦い、これを倒し一躍ヒーローとなる。   ひよどり越えの坂落とし、壇ノ浦での八艘飛びなど 有名な武勇伝が後世に伝えられている。
ところが義経の功績が兄頼朝に恐れられ 義経討伐の命が下り、弁慶など数人の家来とともに逃亡者となり、奥州衣川で滅びる。 

後に衣川では死なず 大陸に渡ってジンギスカンになったという説もあるが、これも日本人の「判官びいき」の心から生まれた伝説なのだ。

    楠正成は河内の豪族で 後醍醐天皇に忠誠を尽くし、鎌倉時代末期、再び皇親政の世を築くため僅かな軍勢で北条氏と戦う、赤坂城、千早城の攻防戦で

巧みな戦術で幕府軍を翻弄し、足利尊氏・新田義貞らの決起を経て 

ついに鎌倉幕府を滅ぼす。

最後まで後醍醐天皇を守り、足利尊氏軍五万に対し五百騎で立ち向かい 玉砕する。
五万の足利軍の行く手に 楠軍五百騎の「菊水の旗印」が乾坤と翻る場面は『太平記』のクライマックスである。

真田幸村は悲運の名将ということでは 楠正成と共通する。

どちらも知略の限りをつくし劣勢な勢力で大軍を翻弄し、退け、大打撃を与えた。

楠正成は忠義のために戦った智将、幸村は意地と反骨心で戦った闘将であった。

幸村は信州上田城主真田昌幸の次男で 1600年、関ケ原の合戦がおこると石田三成の西軍についた、中仙道を関ケ原へ向かう徳川秀忠軍3万8千を釘付けにして主戦場への到着を遅らせる大成果をあげる。
しかし、関ケ原で西軍が敗北したため所領を没収、紀州九度山へ蟄居させられる。

大阪の陣の時 九度山を脱出、後に真田十勇士といわれた豪傑や忍者たちと大阪城へ入る。

10万を超える徳川の大軍に包囲された大阪城で 幸村は出撃策を提案するが小大名ゆえに発言力はなく却下され、籠城になったので 大阪城の防御の弱い南側に出城(真田丸)を構築し、徳川軍を徹底的に叩き、真田幸村恐るべしの印象を諸将に植えつけた。

大阪夏の陣、最後の決戦のとき、幸村は僅かな手勢を率いて徳川軍本陣に向かって真っ直ぐに突撃を敢行し 徳川家康を三里も敗走させ窮地に追い込むが、結局は全滅して生涯を閉じる。

幸村は豊臣の暗愚な上層部に失望し、幻滅していた。

幸村を戦わせたのは 豊臣への忠誠心ではなかった、徳川家康という巨大な勢力に対する意地であった。

“おのれ一人の天下と思うな”、世の中 力さえあれば思い通りになるとは限らないのだ という反骨心であった。

信長・秀吉・家康の戦国時代に、負けると分かっていながら 己の信条と意地を貫く、

判官ひいきの日本人には こういう人物が後世になって人気者になる。

真田十勇士とは 猿飛佐助・霧隠才蔵・三好清海入道・三好伊三入道・穴山小助・筧十蔵・由利鎌之助・海野六郎・望月六郎・根津甚八・・・である。

実在したのは 真田家家臣 海野六郎と穴山小助くらいなもので、幸村にはこんな家来がいたらカッコいいなと、後世の人によって造られたヒーローで、似たような人物はいたかもしれないが、ほとんどが架空の人物である。

猿飛と霧隠は忍者で、三好兄弟は怪力の豪傑、筧十蔵は鉄砲の名人、鎌之助は元山賊、望月は爆薬のプロ、甚八は元海賊の首領・・・ということになっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

戦いの歴史

壬申の乱、保元・平治の乱、応仁の乱、文永の役、本能寺の変、関が原の戦い、

大阪冬・夏の陣、島原の乱、戊辰戦争、日清・日露戦争、満州事変、太平洋戦争・・・・

日本の歴史年表を大雑把に見ても やたら戦いが多い。
乱、変、役、陣、一揆、戦い、事変、戦争・・・・、これらはみんな『戦い』である。

歴史が動く時、必ず戦いが起こる。

戦いは大事件であり 歴史年表に刻まれる、そして時代が変わり 文化も進化してゆく。

 

日本だけではない、第二次世界大戦の後でも 朝鮮戦争、米ソの冷戦、ベトナム戦争、

キューバ危機、イラン・イラク戦争、ソ連のアフガン進攻、フォークランド紛争、

イスラエルとパレスチナの戦い、湾岸戦争、アフリカや中南米の内乱、インドとパキスタンの紛争、・・・・、数えたらきりがない。

21世紀になった今でも ニューヨークの同時多発テロをきっかけにアメリカのアフガニスタン攻撃とイラク戦争、そしていつまでも続いているパレスチナの問題・・・・、

人類は世界中のどこかで いつでも戦いをしている。

戦争とか紛争とか『争いごと』は人類に与えられた宿命なのだ。

 

人間だけではない、獣も鳥も魚も、昆虫や草木までも、地球上の全ての生物は生存競争という争いごとをしている。

神が あらゆる物をそういうふうに創ったのだ。

弱いものが強いものに食われ、強いものはもっと強いものに食われる。

生物と同じ自然のサイクルの中で 人間も生かされているのだと思う。

 

日本は江戸時代までは内乱の連続であった。

なかなか国がひとつにまとまらなかった。

国が統一されない、国家の秩序が保てないのは後進国である。

後進国を定義するなら、国の中で戦争をしている、治安が悪い、食糧難、などである。

子供たちが教育を受けられなかったり、食べるものがなかったり、病院がなかったり、

弱いものに過酷なのが後進国なのである。

昭和・平成の時代になって、日本が屈指の先進国・経済大国になったのは、世界に誇れる日本民族の優秀さ、資質の高さであろう。

でも、日本にはもう内乱はないけれど、北方領土や竹島、尖閣諸島などの領土問題、そしてなにより北朝鮮の核問題・・・・。

現代は外国との紛争が山積みなのである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

八犬伝から学ぶ

◆ 仁・義・忠・孝・悌・礼・智・信

江戸時代後期、曲亭馬琴によって書かれた物語『南総里見八犬伝』に出てくる八人の剣士が持っている霊玉に記された文字である。

この八つの文字は 人間の本質、美徳、原点、日本人の真髄、・・・・

どう表現したらいいか分からぬほどの 素晴しい言葉なのです。

でも 現代の日本で そのことに気づいている人が何人いるだろうか・・・

この大ロマン小説『南総里見八犬伝』を読んだ日本人が何人いるだろうか・・・

“仁” 優しさ Love    人間性の原点 

“義” 正義  Justice 人として行うべき正しい道、

“忠” 忠誠  Loyalty まごころを尽くすこと、

“孝” 孝行  Dutiful 父母を大切にする、

“悌” 友情  Friendship 友や目上の人を敬う、

“礼” 礼儀  Thanks  感謝の心を表す、

“智” 叡智  Wisdom  知恵、賢いこと、

“信” 真実  Believe まこと、信じること。

自分なりに こう解釈してみた。

生い立ちや 生活環境、思想や生き様によって千差万別であるが、誰もがこの八つの文字が意味することを 心にしまいこんで生きているのです。

日本人なら必ず このどれかの文字が心を支配し、人生を運命づけている。

八人の剣士と同じように 心の中に霊玉を持っているのです。

ただ、多くの人はそれに気づいていない、

自分はどの霊玉なのか・・・それが分かった時、その人の人生の進路が 明確に開けてくるのだと思うのです。

“日本人は 誰もが素晴らしい霊玉を持つ 世界に類をみない選ばれた民族だ、誇りと自信を持って生きよ・・・”

馬琴は二百年以上も昔に 我々現代人に向かって そういうことを提唱しているのだ。

そしてもうひとつ、彼の本意は この八つの文字のためなら 日本人は死ぬこともできるということである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

天皇の存在

日本は神の国である、日本の国土は 神によって授けられたものである、日本人には 神の国の人間であるという誇りがある。

日本人にとって 天皇とは神であった。

なにしろ天皇は 宇宙創生の神(あめのみなかぬしのかみ)の子孫なのだから・・・、
天皇には代々神の血がながれている。
今の時代に それを信じている人なんていない。
でも 明治・大正頃までは、 ほとんどの日本人はそれを信じて疑わなかった。

しかし、平成の現代になっても、日本人にとって 天皇とは特別の存在である。
現在も 天皇を神として崇拝はしないけれど、天皇を嫌いだという人はいない。
税金を使って、皇室を存続させることに反対する人や団体はいるけれど、それは 制度に対しての拒否であって、天皇そのものの存在を否定する日本人はいない。
日本人は心のどこかで 天皇を敬愛する伝統を引きずっているからだ。
天皇に対する日本人の気持ちは、世界中のどんな王国や独裁者の国の比ではない。

エリザベス女王も、ブッシュ大統領も、金正日も、全然問題じゃない。

四千年の歴史の中国は日本文化に大きな影響を与えた 日本にとっては歴史的に兄貴分のような国だけど、帝(みかど)に関して比較すれば、秦の始皇帝も 漢の高祖劉邦も、

魏の曹操も、歴代の中国の王朝の初代は みな一般人である。

劉邦などは もともと愚連隊(ならず者)の親分出身だった。

要するに 神ではないのである。

日本は神武天皇から 延々二千五百年も続いている。

こんな国は 世界中で日本しかない。

天皇は別格なのである。

ところが最近、卒業式などで『国旗掲揚』『国歌斉唱』を拒否する連中がいる。

私は右翼ではないが 彼らの心境が分からない、絶対おかしいと思う。

いくら自由の国だからといっても、強制されるのは嫌だといっても、

これは強制がどうこうの問題ではない。

日本人なら自ら進んで 起立して、国旗と国歌を尊重するのがあたりまえだ。

国旗が嫌だ、国歌が気に食わぬのは よほどのひねくれ者だと思う。

そんなことを問題にしているのは日本くらいのものだ。

世界のどこの国の国民だって、国旗と国歌は尊重している。

アメリカ人なんか 凄いほどの愛国心がある。

自衛隊のイラク派兵を反対するならまだ許せる。

人には色々な考え方、主義主張があるから・・・・、でも、国旗くらいは、国歌くらいは敬意を表する気持ちをもたなければ、自分が生まれて住んでいる国を愛する気持ちを持たなければ・・・・。

国旗を拒否する、国歌を歌わない、そういう連中が大きな顔をして反対意見を述べられるということは、如何に日本が自由で 素晴らしい国になっているかということだ。

そういうありがたみが分からない日本人がいることは 情けないことだ。

2006_040830036_1

◆日本の伝統

神武天皇や卑弥呼の頃から数えれば、 日本の歴史は2500年くらいになる。

現代になって、民主主義の思想の元に 国民が政治を行う(主権在民)時代になってから、まだ たつたの100年くらいしか経っていない。

その前の2400年間は 日本は特定の権力者によって統治されていた。

最初の頃は天皇が国を治めた、平安時代頃から武士が政治を行うようになっていった。

しかし、政治の実権を握る武士も 天皇(朝廷)の代行者としてのものであった。

征夷大将軍とか摂政、関白、太政大臣、右大臣など、武家の棟梁は官命を天皇から拝領して実権を得るのである。

天皇(朝廷・帝)から命じられたという形にしないと 民衆が納得しないのである。

今でも 議会によって選出された内閣総理大臣を任命するのは 天皇の公務である。

これに対して誰も異論をはさまない、日本人が天皇に対する伝統に異議がないからである。

明治維新の時、薩摩・長州の連合軍は天皇の旗印(錦の御旗)を掲げて 数倍も兵力のある幕府軍を破った。

『錦の御旗』は正義の印なのである、それに刃向うものは賊軍になるのである。

日本人は“義”に共感する、義とは“大儀”であり“正義”である。

“正義は必ず勝つ”・・・というのは、日本人の共通の伝統的思想である。

日本人にとって 天皇と正義は一体なのである。

日本は神の国、日本人は世界で一番優秀な民族であると信じて疑わない自負が、自惚れとなり傲慢となって、昭和の時代に 太平洋戦争の敗戦へとつながるのである。

昭和20年、アメリカは広島と長崎に原爆を落とした、これで決着がついた。
でも アメリカは何故、首都東京を狙わなかったのか。
東京には皇居がある、皇居には天皇がいるからである。

天皇を もし殺したら日本は降伏しない、最後の一人まで 日本民族が絶滅するまで戦うことを知っていたからである。

その被害は アメリカにとっても甚大である。

天皇のために 命を捨てることを恐れない・・・、“神風特攻隊”は 母や恋人の名を呼びながら、天皇に万歳を叫びながら、敵艦に突入していった。

愛するものを守るためなら 人は死ぬこともできる、

父母も妻も恋人も、母国も天皇も、

自らの死を以て守るに値する“愛するもの”なのである。

アメリカは日本の伝統を壊すことを恐れたのである。
アメリカは歴史の浅い新しい国である、
アメリカは日本の歴史と伝統に敬意を表し 畏怖を感じたからである。

当時、日本人にとって 天皇とは そういう存在なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

神社のはなし

2006_040830066_3

日本人は祭りが好きである。

神社の数だけ神がいて 祭りもある、神の数だけ神話や伝説がある。
銀座の一丁目から八丁目までのエリアに 大小あわせて三十箇所もの神社があるという。

全国規模でみたら何万・何十万箇所もあることになる。
ちなみにいざなぎ・いざなみは天祖神社、熊野神社などに祀られ、

天照大神は春日神社、すさのおのみことは 須賀神社や氷川神社・八雲神社など、
おおやまづみのかみ は阿夫利神社、 大国主命は出雲大社・・・、

このはなのさくやひめ は浅間神社、やまとたけるのみこと は古峯神社・・・、

15代の応神天皇(品陀和気命ぼんだわけのみこと) は八幡神社・・・・、

調べるときりがないが、ほとんどの神が 日本中のどこかの神社の御祭神となっている。

古代だけではない、明神(神田明神など)平将門、天満宮は菅原道真を祀る神社である。
明治神宮は明治天皇の遺徳を永遠に伝えたいという国民の気運によって創建された。
神社や仏閣というのは、その数が増えることがあっても減ることはない。
昔、神社があった場所にビルを建てる場合、ビルのオーナーは必ずその神社を建物の中とか屋上とかに再現して保存する。

信仰心というよりも、つぶしたらバチが当たるという恐怖心が働くからである。

神を畏怖する気持ちと、英雄を神と同格に祀りたい、そして お祭りがしたい・・・、

地域に密着した 自分達だけの守り神がほしい・・・、と願うのが日本人の気質である。

1998年、 横浜ベイスターズが優勝した時、ファンによって横浜に大魔神社というのが造られた。 MVPのストッパー 佐々木投手の手とボールが御神体である。

2005年、ロッテが日本一になったら 千葉ではバレンタイン監督が祭られた。

それぞれのファンが あまりの喜びに 彼らを英雄として祭りあげて 後世に残したいという 日本人的な発想なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

この世はまぼろし

私は若い頃から 神の存在を信じたくなかった、

母を若くして死なせたり、自分にいろんな病気を背負わせたり、

悲しい、苦しい運命をオレに与えるのは みんな神の意地悪のせいだと思い、神を否定していた。
でも冷静に考えると、いいことだってあったじゃないかと思うようになった。

喜びと悲しみ、幸福と不幸は 長い人生をトータルで考えれば、結局五分なのだ、

悲しみや辛いことばかりが記憶に残っていて、嬉しかったいいことを忘れていたのだ。

神は全ての人間に対して 公平なのだ。

還暦を過ぎて熟年世代となり、神には願い事をするものではないと考えるようになった今、“神”はいると思うようになった。

宇宙のことを考えると、無限大ということの不可思議さを考えると、この世の存在自体が

すでに“まぼろし”なのではないか・・・・と、考えるようになった。

あめのみなかぬしのかみ(宇宙創生の神)がいなければ 宇宙は始まらないと思うのである。

私は毎朝 仏壇に手を合わす、

“家族のみんなを守ってください、今日も一日がんばります、見ていて下さい”

神をおろそかにはしない、でもなにも求めない、自分でやる、だから見守っていてくれればいい・・・・、そういう気持ちで神や仏と付き合っていけばいいのではないだろうか。

どうせこの世は 夢・まぼろしの世界なのだ。

小さなことで がたがたしたってしょうがない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

オレは神を信じない

こうしてみると 古代日本には神様がうじゃうじゃいっぱい居るのです。
生まれたり死んだりするということは、神にも寿命があるのか ?

神は人間の姿になった時に寿命があるのだ、ヤマトタケルのように 死んで白鳥になったりするように、なにか別の生物、または木や山や岩などに姿を替えて、その命は永遠なのではないかと思うのである。

人間は神に祈る、苦しい時 辛い時は 神に助けを求め、幸せな時は神に感謝する。

でも ひとつだけ確かなことは、神様は何の頼りにもならないことである。

人を助けるよりも 人に試練を与えることのほうが多いと思うことである。

大切な人が死にそうな時に 神に祈っても、助けてはくれない。

この勝負、勝たせてくれと祈っても、聞き入れてくれない。

神様は意地が悪い、いつも私の願いを 聞いてくれたためしがない。

神様は優しくないのだ、平気で人に悲しい運命を与えるのだ。

例えば『フランダースの犬』の物語、パトラッシュとネロが何で死ななければならないのか、あんな理不尽なことがあるのか・・・、神様が、本当に神様がいるのなら、なぜ二人を助けてやらないのか・・・、

アニメなのに 大人も子供もみんなが泣いた、こんな悲しいことはないと思った。

可哀そうというよりも 悔しかった、何が神だ、なにがマリア様だ、

ふざけるなと思った。・・・・・

結局、神様というのは人間のことなんか何も考えてないのだ、勝手にやれと言っているのだ。

人は神社へ行くと 誰もがお賽銭の小銭をぽんと投げて 手を合わす、

そして 願い事をする、せいぜい10円玉か100円玉だ、そのわりには ああしてくれ

こうなってほしい・・・と、お願いすることが多すぎる、お賽銭の額が多いほうが 願い事が叶う確立が高いのではないかと考える人もいる。 

神様は 人の願いや望みを叶えてくれる能力を持っていると 人が勝手にきめつけているからだ。

神に願い事をしたり、 頼ろうとするのは、人間の身勝手な愚かさと弱さなのだ。

自分の幸せのためには 自分で努力しなければいけない。

それが “神の教え”なのではないかと思うのである。

| | コメント (1) | トラックバック (1)
|

日本の神話と天皇(2)

『日本書紀』の記述によると、わかみけぬのみことは甲寅の年に日向高千穂宮を出発し、瀬戸内を経て河内に上陸、大和に向かうものの地元の豪族の抵抗に合い、紀伊熊野を迂回してようやく大和地方を征圧、紀元前660年(神武元年)1月1日、太陽暦の2月11日、即位を宣して初代の天皇・神武天皇となった。

このため2月11日は“建国記念の日”として現在の日本の祝日となっている。

日本最古の古典、『古事記』や『日本書紀』には この様な神話や伝説が記されている。

戦前までは この神武東征伝承は史実とされていたが、最近の研究では神武天皇の存在そのものものが疑われている。
でも、本当の話だと思った方が 夢があっていいじゃないか、と思うのである。

このほかにも沢山の伝説がある。

いざなきいざなみは 天照大神の弟、月読命(つきよみのみこと)須佐之男命(すさのおのこと)を生んだ。

父母(いざなきいざなみ)の死後、すさのおのみことは乱暴で お姉さんの天照大神が困り果て、「天の岩戸」に姿を隠してしまうと、天地はすべて真っ暗闇となり 善い神は影をひそめ、かわって悪い神が横行し、不幸や災害が続々と発生した。
困った神々は、天の岩戸の前で神事を執り行うと、そのざわめきを不審に思った天照大神が岩戸を少し開けたところ 怪力の天手力男命(あめのたじからおのみこと)が岩戸をこじあけて天照大神を呼び戻したところ 再び天地は明るさを取り戻した。
すさのおのみことは ついに高天原(たかまがはら)を追放されて出雲へ下り、 八岐大蛇(やまたのおろち=頭が八つある大蛇)を退治して、稲田姫(くしなだひめ)と結婚する。

やがて出雲の国を建国して幸せに暮らし、後に子供たちと新羅(しらぎ)へ渡った。

いなばの白兎の話に出てくる大国主命(おおくにぬしのみこと=大黒様)の父はすさのおのみことである。

魏志倭人伝によれば、239(三国志の時代)邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使者を送ったと書かれている。
邪馬台国が近畿にあったとか九州だとか、卑弥呼は天照大神だったとか、とよたまひめだとか たまよりひめだという説もあって、本当のところは まだ分かっていない。

第12代景行天皇の皇子日本武尊(倭建命=やまとたけるのみこと)は 熊曽健(くまそたける)を討伐し、さらに東征して反逆者や土地神を平定するが、伊吹山で神の毒気にふれ伊勢国で死ぬが 魂は白鳥となって飛翔した。
このヤマトタケル伝説は近年でも小説になったり、歌舞伎で演じられたり、アニメの題材になったりしている。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

日本の神話と天皇(1)

◆スタートから硬いイメージでゴメンネだけど、漢字も難しくて読みにくいけど、

ここから入らないと話が始まらない、チョットの間だけ辛抱して読んでくれ、だんだん面白くなるから・・・

 

 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

 高御産巣日神(たかむすびのかみ)

 神産巣日神(かみむすびのかみ)

 宇麻志阿斯詞備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)

 天之常立神(あめのとこたちのかみ)

 国狭槌尊(くにさづちのみこと)

 国之常立神(くにのとこたちのかみ)

 豊雲野神(とよぐものかみ)

 宇比地爾神(うひじにのかみ)====須比智爾神(すひぢにのかみ)

 つぬぐいのかみ=====いくぐいのかみ

 意富斗能地神(おおとのぢのかみ)====大斗乃弁神(おおとのべのかみ)

 おもだるのかみ====あやかしこねのかみ

 伊邪那岐命(いざなきのみこと)====伊邪那美命(いざなみのみこと)

 

これは 日本の神様の系図である。

むかしむかし、メッチャメチャむかし、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が現れて宇宙を創った、これが初代の神様、宇宙創生の神である。

日本を創った いざなきのみこと と いざなみのみこと は、十三代目の神様になる。

いざなきいざなみは天から長い矛(ほこ=刀のこと)を海にさしこみ かきまわすと 島ができた、九州、四国、本州などの日本列島が誕生したのである。
二人はこの島へ舞い降りた。

いざなきが男、いざなみが女、・・・西洋で言えばアダムといヴである。
神は子供を生むのではなく作るのである、つまり、妊娠して生まれるのではなく 工作して物を作るようにして 造るのである。

ところが、いざなきいざなみは神様の掟を破り、初めてSEXをして、まず四人の子供を生んだ。

大綿津見神(おおわたつみのかみ)=海を司る神、

大山津見神(おおやまづみのかみ)=山を司る神、

鹿屋野比売神(かやぬひめのかみ)=野や草を司る神、

天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)=太陽の神、 の四人である。

 

天照皇大神の孫、ににぎのみこと 大山津見神の孫娘の木花之開耶姫(このはなのさくやひめ) が夫婦となり火遠理尊(ほおでりのみこと)を生んだ。

木花之開耶姫は絶世の美女だったという。

火遠理尊大綿津見神のひ孫 豊玉毘売(とよたまひめ)と夫婦になって、 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)が生まれた。

このうがやふきあえずのみことは、とよたまひめの姪、玉依毘売(たまよりひめ)と夫婦になった。

いとこ同士の結婚である、神様たちはみんな 近親結婚ばかりである。

そして、このうがやふきあえずのみこと と たまよりひめの子供、若御毛沼尊(神日本磐余彦尊)(わかみけぬのみこと)神武天皇となるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

優しさが基本

孔子は 四十にして惑わず、五十にして天命を知る・・・・というが、

オレなんかは六十を過ぎても いまだに煩悩のかたまりだ。

でも ひとつだけ誇れることは、オレは人を裏切ったことはない・・・

悲しく辛いことは 山ほど経験したけれど、人の優しさにも沢山触れることができた。

金八先生の歌のように 人は悲しみが多いほど人には優しくなれるのだから・・・

優しさこそが 人間の基本なのです。

還暦を過ぎて やっとこのことに気がついたのです。

世の中は厳しい、人は信用できない・・・、そんな風に考えてほしくないのです。

確かに人生を生きてゆくことは大変なことです。

でも、人間も社会も 捨てたものではない、

我々は 地球上で人間として生まれてきたことに 感謝しなければいけない。

人間ほど 素晴らしいものはないのです。

あなたが思っているよりも ずっと温かくて、寂しがりやで、優しいのです。

日本の美しさ、日本人の素晴らしさ、人の優しさ・・・

そのへんをテーマにして 豊富な経験をもとに 若い人たちを対象に メッセージを発信していこうと思います。

日本の歴史と伝統、文化、文学、教育、政治や思想・社会問題・・・など、

スポーツ、芸能から料理、園芸、釣りなど趣味のことから、仕事や恋・・・いろんなジャンルから たとえ二人か三人でもいい、読んでくれた人が元気になるような、勇気が出るような言葉を 書き込んでゆく予定です。

決して悟っているからではない、人は死ぬまで悟れない。

オレの場合は ただ開き直っているだけです。

優しさに溢れて 気分の良くなることもあれば、愚かな自己顕示欲による極端で過激な表現があるかもしれない・・・、

それに反論されても オレはたぶん 回答できるほど人生の達人ではない、

これから書き込む文章は 自分が感動しながら書いているだけで、ナルシストのマスターベーションみたいなものですから・・・・・・・ザンネーン・・・。

・・・・このギャグはもう古くなってるけど・・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

泣いてやる

俗に言う 歳のせいでしょうか、最近やたらと涙もろくなりました。

テレビで 悲しいドラマや 懐かしい歌を聞いて 涙が出るし、

スポーツで感動しても涙が出る。

喜んだり、悲しんだり、腹を立てたり 感動したり・・・

ジジイのくせに 感性が豊かになったのだろうか・・・、

何だか分からないけど まぁボケるよりはいいか・・・と思います。

あるドラマの おばあちゃんの台詞で『小さいころに泣きたいのを我慢した子は 大人になってから 沢山涙が出るようになるんだよ・・・』というのがあった。

何の力もないおばあちゃんでも 一生懸命生きてきた年寄りの言葉には 重みがある。

確かにそうかもしれない、私は子供の頃から泣くことはあまりなかった。

ここで自分の生い立ちを発表してもはじまらないから 言わないけど、私が本当に泣いたのは 母が死んだときだけだった。

これまでの人生、泣きたいことばかりだったのに、我慢ばかりしてきたようだ。

少年の頃は親や兄弟を思い、社会人となってからは 妻や子を守るために・・・、

そして、会社という組織の中で、守らなければならないことばかりだったから、

泣きたいときに いつも我慢ばかりしてきたのです。

泣かないということが 頑張ることの証明であると信じていたのだろうか・・・。

でも 仕事を引退し、子育ても終わって、

もうオレには 心配することも我慢することもなくなった。

だからもう我慢しない、妻と二人で自分たちのことだけを考えて、

辛く悲しいときも 嬉しいときも 感動したときも・・・

今まで我慢した分を取り戻すように、赤ちゃんのように泣いてやろう と決めたのです。

そして、どうせいつか死ぬのなら、今のうちに言いたいことをみんな言っておこう、

若い頃から 挫折と失敗を繰り返し、ギャンブルはいつも負けてばかり、

失恋は数えきれないほどだし・・・、

熟年になっても、喘息という持病があるのに タバコを止められず、

肝臓が悪いのに 毎日旨い肴で酒を飲むのが一番の幸せだし、

カラオケへ行けば 翌日のどが痛いほど唄いまくる、

髪の毛が白くなってきたのを気にして 栗色に染めて、

いい女の前では 見栄を張って いいとこを見せたいし、

今でもチャンスさえあれば 妻の目を盗んで不倫のひとつもしてみたい・・・

男とは そういうものだ。

そんな欲望が ステイタスであるかのように 誇りに思っている、

茶髪のチョイ悪おやじどころか、どうしようもない不良おやじだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ブログデビューだ

去年からパソコンをやり始めて、こんなに便利で面白いものはないと思った。

自己流なので、無茶苦茶なことをして何度もぶっ壊しながら その度に少しずつパソコンのことが分かり、失敗が貴重な経験として自分自身の進化の糧になっていることに気がついて、それが喜びとなっているのです。

やればやるほど奥が深い・・・、誰が発明したか知らないけれど、こんなに素晴らしい機械はない・・・。

親しい友人から 「ブログをやったらどうですか・・、インターネットは世界中につながっている、世界中の人に自分の意見や考えを伝えることができますよ・・・」

そうだ、オレには云いたいことがいっぱいあるのだ、

ブログやってみようか・・そろばんの時代に育った人間が コンピューターに挑戦する。

パソコンをろくにマスターもしていないけど、やってるうちになんとかなるだろう、

ハチャメチャスタイルのブログになったっていい、恥をかいたっていいじゃないか、

「青春とは 心の若さである・・・」松下幸之助さんの言葉を想い出した。

これからの人生に 少年の頃の夢のように 目的ができたような気がしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

そろばんからパソコンへ

2006_01040028_1 

今日からブログデビューです。

去年の今頃は ブログなんて言葉も知らなかったし、まだまだパソコンも素人ですが、

現役を引退してからは ヒマをもてあまし、毎日パソコンをいじくるようになりました。

我社の仕事も 数年前から、パソコンで業務をするようになり、営業育ちで 同年代のオレたち古参は 『パソコンなんて、冗談じゃねえ・・・見積書も注文書も・・・企画書や報告書だって、心のこもった自筆で書くのが当たり前だ・・今の若い者はコンピューターなんて機械に頼りやがって、だいたい根性がないのだ、・・・汗水流して働くことの尊さを知らない・・・』なんて、仕事帰りに赤のれんで仲間と一杯やりながら 強がりを言い、

新しいシステムに苦もなく順応してゆく若手社員のフレキシブルな頭脳を認めながらも、素直に彼等を称賛できない 己の頑固さと衰えに 寂しさを感じていたのです。

こんなことを云うと 歳が分かってしまうけれど、その昔、営業で外回りをするときには 

カバンの中には「そろばん」が入っていた、

それが電卓になったときは 目からうろこで、計算機の答えが正しいかどうか そろばんで検算したりして、今ならお笑いだけど 最初は真面目にそうして、やっと計算機が信用できるものだと思ったりしていました。

通信手段だって、よほど緊急の時でないと電話もかけられない、書類は全て郵便で送り、

テレックスというタイプライターのようなもので連絡をとりあっていたのが、FAXになった時は 驚愕であった・・・

それが今ではメールだし、携帯電話だし、往復三日も四日もかけて出張していた北海道も九州も 今は飛行機で日帰りできる。

人間って 凄い・・・現代文明は凄いスピードで進歩している。

要するに その進歩の速さについていけない、自分のペースに合っていないことを自覚したとき、人は現役の引退を考えるのです。

140キロのスピードボールを投げていた投手が、130キロしか投げられなくなったら、速球派から技巧派に転身したとき、彼はもう引退を考えているのと同じことなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

トップページ | 2006年4月 »