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2006年5月

趣味の園芸講座

植物を育てるにはいくつかのポイントがあります。

大きく分けると「環境」「管理」です、

ここでは 家庭で素人が趣味として行う「園芸」の基本的なことだけ簡単に解説します。

オレも素人だから間違っていることもあるかも知れないが、あの大病以来二十余年、草花や観葉植物から始まって 野菜・果実・サボテン・山野草・洋ランまで

種まき・挿し木・株分け・剪定・・・素人だから失敗にも懲りず、何でもかんでも挑戦して研究、習得してきた経験論であります。

良くいえば多趣味だけど、自分でもつくづく「凝り性」だと思う。 

何かにハマルと、もう抜けられない・・・そのくせ「極める」ところまでは到達できないくせに・・・・、これは死ぬまで治らねえな、 困った性分である。

「環境」とは栽培環境のことで、その植物の生育に適した環境におくこと。

「管理」は 水やり、肥料、植替え、支柱立てや誘引、選定や摘心、そして病害虫対策という人の手を使って面倒見ることである。

園芸は 対象の植物を知ることから始まります。

原作地はどこか、どのような環境で育っているか、

  日光の当たる条件とか、気温、湿度、風当たり、成長期と休眠期など一年間の生育サイクル、・・・・などの特性を知ることが大切です。

  例えば 洋ランは殆どが東南アジアや中南米の熱帯雨林や山岳地帯が原産で、

シンビジウムは地面に生えている(地生種)

デンドロビウムやファレノプシス(胡蝶蘭)は大木の幹に張り付いている(着生種)根が空中にむき出しになり(気根)、空気中から湿度や栄養分を摂っている。 高いところに生えているから日光も当たるし風通しもよい、

従って、デンドロビウムに毎日水を与えていたら根腐れして枯れるのです。

 “桜は三月春に咲く、菖蒲は五月、六月牡丹に蝶が飛ぶ、

 七月は萩に猪、九月に菊が青短で 十月の紅葉に鹿が出りゃ・・・、

これで猪鹿蝶(イノシカチョウ)だ・・”

初めは花の開花期について、これくらいの知識しかなかった。 

これではだめだと気がついて、植物図鑑や園芸の本を読み、

森ミドリさんや江尻光一さんのテレビも見た・・・

やっぱり「知らなきゃだめだ」ということです。

今頃は書物を読まなくても鉢を買えば説明書が付いているし、

インターネットという便利なものもある、

お花屋さんでお気に入りの鉢を買って、これから育てようとする人は、

まず その花の特性を調べることが一番ですね、

その花に適した「おき場所」と「水やり」をすれば 失敗することはありません。

ポイント

 基本的にはどんな植物も日光を好む、

南側の窓際、明るく風通しの良い場所を選ぶ、北側の玄関とかトイレの中とか、普段照明のない暗い場所はだめ、(ウドとかモヤシは別だよ・・・家庭でそんなの育てる人いないだろうけど)

室内にある鉢は たまには外へ出して日光浴をさせる。

「光合成」ができる環境におくことです、

昔は「炭酸同化作用」といった、理科の時間で習ったでしょ、

真夏の直射日光に当てると葉焼けを起こすのもあるが、曇空の日から徐々に慣らしていけば大丈夫。

② 用土は水はけの良いもの

草花の場合、鉢底に大粒の軽石(鉢底土)を敷いて、赤玉土5・腐葉土3・パーライト又はバーミキュライト又は軽石のようなもの2くらいの割合で・・・・、

オレの場合は凝り性だから 赤玉の中粒をふるいにかけて微粉を取り除いてから腐葉土などとミックスする・・・・、

水をやると 一瞬でさっと底から流れ出る状態がベストです。

ラン類のような高級なもの、又はポトス、トラカンのように蔓性で 主に室内で観賞したいものは水苔、バーク、軽石などで植えると清潔で水はけも水もちも良い。

鉢は原則として 株のことを考えたら「素焼き鉢」が最適です。

プラスチックのように空気の通らないのはだめ、根も呼吸していると思っていなければだめなのです。

花屋で売られている草花は 鉢の中に黒いプラスチックの育成用のポットが二重になったのがよくあるが、あれはすぐに抜いて植え替えしないとだめ。

贈答用の高価な胡蝶蘭なんかは ゴーシャスな見栄えにするために三本くらいを「寄せ植え」している、これも花が終わったら捨てるならいいけど、

育てようというのなら株を離して一株ずつに植え替えないとだめ。

③ 水やりは鉢底から流れ出るまで

水をやるということは 植物がめしを食うのと一緒ですが、土の中の不要な老廃物を洗い流す、掃除するという意味もあります。

ちょろちょろはだめ、やる時は景気良くどっとやります。

葉にもシャワーしてやるといい、ついたゴミや害虫のタマゴまで洗い流すような感覚で・・・、

根は基本的に「低温での多湿」に弱い

葉は「乾燥」に弱いから、乾燥しやすい室内の観葉植物の葉には霧吹き(シリンジ)をしてやる。 特に冬場には 水やり回数は少なくシリンジを多く・・・です。

素人は水のやりすぎで失敗するケースが殆どです。

肥料もやりすぎてはだめ、肥料がなければ生きていけない植物はないのだから。

水は「定期的に」、冬場は週一回とか、夏場は週三~四回とか・・・・、

特に肥料は成長期だけ、液肥は薄めて、固形肥料は少量やれば充分です。

一般的に花の咲いているときは 肥料はやらない、

花はなるべく早く切って「切り花」にして観賞したほうが良い、

花が咲いているときは株が見栄を張っていい格好しているときだから、

株が体力を消耗させるのです、

人間だってそうだ、男も女も 正装したときや化粧して着飾ってパーテイでいい格好したあとは 疲れるだろ・・・。

    観察してやる

花の命は自分が預かっている、花は自分に命を託している・・・

そういう気持ちで育ててやれば 植物は枯れることはありません。

犬猫や小鳥や金魚や・・・ペット類を飼うのと同じです。

例えば 人が寒いときには植物も寒い、冬の夜は窓辺に置いた鉢を部屋の中へ移動させる、でも暖房機の温風に直接当てたり、夏のクーラーに直接当てたりはだめです。

人間だってクーラーは気持ちいいけど つけっぱなしで寝たら風邪をひく、

とにかく人間が健康でいられる環境と同じ条件にしてやればいい、

水をやらなければ枯れるし、やりすぎても枯れる、

決して甘やかしてはいけない、でもいつも見ていてやらなければいけない、

新芽は出ただろうか、茎が伸びたか、葉は元気か、・・・

とにかく世話がやけるのです。

愛好家は観察して 世話をやく・・・それが楽しいのです。

そして、花が咲いたときの達成感と喜びを味わうのです。

オレは病害虫の対策はあまりしたことがない、

薬は臭いし、使いたくない・・・、虫がついたときは仕方がないけど。

いつも観察してやって健康に育った株は 病気も害虫も寄せ付けないのです。

    花を買うときは

花よりも「葉」を見て、元気なのを選ぶ、

花の茎が伸びすぎていない 背の低い がっしりしたタイプが良い、

鉢花を買うときは 誰でも好みの「花」を見て買いますが、花が開ききったのより

これから咲く「つぼみ」が多いほうを選ぶ、

プロ野球のどこかの名門球団のように 高級品で満開の綺麗な花ばかり買い集め、

お金がなくて これから育つ小さな鉢しか買えなかったチームに なぜ負けるのか・・・・、

それと同じことです。

また 脱線してしまった、野球については 別の機会に書きますが、

カトレア、ファレノプシス、パティオ、デンドロ、オンシジウム、エビデンドラム・・・などの価格の高いラン類は 例えば開花期に一万円で売っている株が 花が終わると半額以下になったりします、展示会などの即売では「苗」の状態だと千円以下で買えるものもあります。

「根」と「バルブ(茎の部分)」と「葉」が元気なら 花芽はなくても翌年は一万円クラスの花が咲きます。 

写真・・・オンシジウムの花芽が伸びてきた、左側が気根です。

毎年4月に咲いていたのに 今年は今頃伸びてきました、

引越しで環境が変わって調子が狂ったか?・・・ でも元気です。

垣根のでっかいバラ(近所の)と 鉢植えのミニバラ。

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園芸は教育

5月20日朝、ベランダに置いてあった観葉植物“ユッカ”の鉢が割れているのを見つけた、ユッケ(焼肉屋のメニュー)ではない、ユッカは食えない。

ドラセナの仲間で「青年の木」ともいう。

昨夜の強い雨風で倒れたからではない、陶器の鉢が内側から押される「根」の力に耐え切れず、割れたのです。(写真)

雫の一滴が岩をも通す・・・というが、雨だれの雫のように 何年もかかって岩に凹みをつけたのではない、この鉢は去年植え替えたばかりなのに・・・、

生命のパワーを感じる。

去年といえば 友人からもらって春に植えた「ウコン」の根が、小指ほどの小さい根っこが秋の収穫期には鉢からはみ出すほどバリバリに張って、20センチの丸いプラスチックの鉢が楕円形にゆがむほど成長していた。

鉢から出してみると でっかい生姜のような根が五十個にも増えていました。

あれでは鉢がゆがむ・・・素焼きの鉢ならとっくに割れていた。

あのゆがんだ鉢を写真にとっておけばよかったと今は後悔している。

ベランダ園芸ではもう手に負えない、今年から息子の家で庭植えにした。2006_04080092_2

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「ポトス」なんかもっと凄いよ・・・

20年前に泉岳寺の花屋で千円で買った一株が、毎年挿し木(水に挿すだけ)で更新して、増えすぎて困り友人にプレゼントしたり事務所のインテリアにしたり・・

古い株は根が張りすぎて植え替え不能なので どんどん処分して、

現在の株は 去年九月に挿し木した我が家の二十代目である。(写真)

十枚くらい葉のついた貧弱なポトスが 花屋で五百円くらいで売られているが、オレが花屋だったら 百円でもできるよ・・・

鉢を割るほどの力強い根が育つ、何十年も若い株を更新できる、

オレは園芸のベテランなのだ・・・ということが言いたいのである。

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道端や荒地に咲く 背丈が10センチほどのタンポポ(漢字で書くと蒲公英)の根は 

掘ってみると短くても30センチ、長いのは1メートルにもなります。

根は水分や栄養分を求めて伸びてゆく。

種が落ち、発芽した場所が荒地であるほど 根は自分の力で成長し、僅かな水分でもゲットするために 地中深くどこまでもはびこるのです。

環境が苛酷であるほど 根はハングリーに逞しく成長してゆきます。

花を育てることは「教育」と同じです。

園芸の場合は 鉢植えだから(庭植えでも同じ)人の手で水をやる。

水分が充分にある用土に毎日水を与え、肥料ばかり与えていると 根は伸びない、

水を求めて伸びる必要がないから、棚からボタ餅の 怠け者になり、

しまいには食いすぎで腹を壊すのと同じで「根腐れ」して枯れてしまう。

水不足が原因で枯れた株は 水を与えれば回復するが、

水をやり過ぎて根腐れした株は 二度と回復しない・・・・

根は植物の土台です、人の身体でいえば骨格や内蔵になります。

葉が手足なら 花は顔ということかな・・・

根という基本が丈夫であれば 葉も茎も健康に成長して、花もきれいに咲く。

教育とは こういうことなのです。

野に咲く花や雑草の強さにヒントを得たのが「スパルタ教育」です。

「園芸」は 良い環境で人の手で管理する「英才教育」だけど、

基本的には「スパルタ」の姿勢が大切だと思います。

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散歩で見つけた花の写真

風薫る五月、ゴールデンウィークはいいですね・・・

オレにはもう 関係ないか・・・、

毎日が日曜日だもんな、

去年までは 連休は有意義に遊びたいと、何かしなければもったいないと、スケジュールが一杯で かえって忙しく、

連休明けになると、 休みはもう終わってしまったと、

なんとなくメランコリーだったのが懐かしい。

でもやっぱり五月が一番いい、

若葉が萌え、花がたくさん咲くから・・・・

命があちこちで 一斉に活動をはじめ、

さあ、今年も行きますか・・・て感じだね。

長い文章で肩が凝ったから、花でも眺めてちょっと休憩です。

ラベンダー、マーガレット、パンジー、チューリップ、花水木、

エビネラン、バラ、ウンチクン、何だこれ?、クレマチス・・・など

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◆◆訂正 「花はいいやね」の記事で、“やはり野に置け桜草”のはなしをしましたが、あれは「スミレ草」または「レンゲ草」の誤りでしたので訂正します。

昨日、いい天気だったので、今度は「山の緑シリーズ」を写そうと 妻と二人で散歩に出かけました。 

クローバーの白い花が沢山咲いている草原で おにぎりを食べました。

良く見るとクローバーのほかにも、青い小さな花、スミレが咲いていました。

それを見て「やはり野におけ・・・」は「スミレ」だ・・・・、

気がつくのが遅いんだよな、

黙ってりゃ誰もわからないだろうから、まあいいか・・・と思ったけど、ブログで公開したからには誰に指摘されるともかぎらないので訂正させていただくことにします。

要は スミレでもレンゲでも桜草でもタンポポでも・・・自然の中で ありのままに咲いているほうが美しい・・・ということなのだ。

三月には 桃と梅を間違えるし・・・、オレは基本的にドジなんだな。

ということで、これからは事前によく調べることにするよ。(5月16日)

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(2)さくら

最近では 森山直太朗くんの「さくら」はいいね、

さすがは良子さんの息子だ。

 さくらさくら 今咲き誇る 刹那に散りゆく定めと知って

 さらば友よ 旅立ちのとき 変わらないその想いを 今・・・

これも名曲だ。

直太朗くんと同じ年代の若者が、涙もろくなったオレのような年頃になったら、

この曲を聴いて 涙するのだろう。

同じ「桜」でも坂本冬美ちゃんの「夜桜お七」になるとテーマも雰囲気も全然違う、

 赤い鼻緒が ぷつりと切れた

 すげてくれる手 ありゃしない

 おいてけぼりを けとばして

 駆け出す 指に血がにじむ

日本の文化というか、江戸時代の情緒にあふれた“粋”“色気”のあるうただね、

最近では下駄を履いた娘なんて あんまり見ないから、

「鼻緒」「すげる」「おいてけぼり」という言葉を知ってる若い人はあまりいないだろう。

(途中略)

 さくらさくら 花吹雪

 燃えて燃やした肌より 白い花

 浴びてわたしは 夜桜お七

 さくらさくら 弥生の空に

  さくら さくら 花吹雪

すごいですねぇ、演歌の魅力だね、

もう「恋」という半端なものより、燃え上がる「女の情念」を感じさせるね。

余談になるが 石川さゆりちゃんの「天城越え」は更に過激だ、

十八歳未満は唄うの禁止・・・みたいなうたですよ。

江戸の大火で焼け出され、そのとき避難先で知り合った男に恋をして、もう一度火事になれば あの人に会える・・・と、江戸の町を大火事にした「八百屋お七」に、大岡越前かだれか知らないが、うら若き乙女の犯行を哀れに思ったお奉行様が、

「お前は十五歳であろう、・・・」彼女に死罪を免れさせてやろうと、年齢を偽るように仕向けたが、(江戸時代も少年法があったのかな?)

「いいえ、あたしは十七です・・・」と本当の歳を答えて 敢えて死を選ぶのである。

自分は子供ではない、あの人と恋をする資格があることを 命を懸けて主張する・・・、

「夜桜お七」の詩は、この「八百屋お七」の愚かにも 一途で炎のような恋心をイメージさせているのは分かるけど、

この詩の一番いいところは 出だしの部分「赤い鼻緒から・・・指に血がにじむ・・まで」、

これを聴いただけで、この女は「いい女だ」という 日本人にしか分からない美意識を表現しているからだ。

鼻緒が切れたり、蹴飛ばしたり、駆け出したり、指に血がにじんだり・・・・

足元だけのアクションで 「いい女」かどうか、わっかるんだな・・・これが。

「いい女でない女」は、原則として鼻緒なんか切れないし、蹴飛ばしたり駆け出したりもしないのだ、血だってにじまないよ・・・。

日本の男子なら そこらへんが理解できるはずだ。

それでも分からない人は、ピザやハンバーガーばかり食ってないで 日本食にしなさい。

そうすれば必ず分かるときが来る。

だいぶ脱線してしまったが、更にもう少し脱線するけど、

先日、信州松本に住む弟のところへ 遊びに行くからと連絡したら、

それでは 夜は最近開拓した小料理屋へ行こう、とメールが来た。

「そこの女将が着物姿で、 歳のころなら四十五~六、小股のきれあがったいい女だ・・・」

そして、そのあと再びメールがきた。

「ところで こまたって、どこのまただ?」

いつかテレビで見たが 結論から言うと小股とは足の親指とひとさし指の間のことらしいが そんなところが切れ上がって、いい女なのかというと 疑問である。

単刀直入に言えば、Tバックを連想させるそのものずばりの股だと 若い頃は思っていた。

でも日本人は奥ゆかしい、伝統的にそんな露骨な表現はしない。

昔は着物だったから、女の体の見える部分は首から上と、足首から下だけなのである。

オレの独自の考察だと、かかとからアキレス腱の下あたり・・・が妥当だと思う。

結局、どうでもいい くだらねえことなのだけど、

そういう 漠然としていても なんとなく分かる美的感覚が 日本人特有のものなのだ。

「夕やけこやけ」とか「小腹がすいた・・・」というのと同じようなことだ。

「夜桜お七」のうたを聴いて、これこそ小股のきれあがったいい女だ・・・という感性があるかどうかということなのである。

ついでにもう少し脱線すると、

日本語は意味深で奥が深い、日本人でも分からない難しいことが多いし、

分からないけど 納得しているようなことが多い。

面白い言葉の使い方も色々あるよね、

例えば、事故や病気で倒れている人を見て、助けようとする人は

必ず「大丈夫ですか?・・・」と言う。

「大丈夫わけねえだろ」・・・・大丈夫なら倒れたりしていない。

「大丈夫ではないですね・・・」と言うのが正しい。

もっとひどいのは、時代劇でよくある台詞で、切られて死にそうな人に

「しっかりしろ、気を確かに・・」とか言うけど、

もう死にそうなのだから 無茶言うなよ・・・である。

お中元やお歳暮持っていって、「つまらないものですが・・・」と言う。

つまらない物なら人にあげるな。

日本語は面白いね。

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(1)秋桜

うす紅の秋桜が秋の日の なにげない陽だまりに揺れている・・・

ではじまる百恵ちゃんの歌・・・

オレはこれが大好き、もう たまんない。

百恵ちゃんも好きだったけど、これを作った さだまさしさんは天才だ。

この頃涙もろくなった母が 庭先でひとつ咳をする

縁側でアルバムを開いては 私の幼い日の思い出を

何度も同じはなし繰り返す 独り言みたいに小さな声で・・・・

そして、ここからが この歌のターニングポイント、

ヒットを決定づけたサビの部分だ、

こんな小春日和の穏やかな日は あなたの優しさがしみてくる

あした嫁ぐ私に苦労はしても 笑い話に時が変えるよ

心配いらないと 笑った・・・・

もう 完璧ですね、

最愛の我が娘の嫁入り前日の 年老いた(涙もろく、同じ話を繰り返すのは年老いた証拠)お母さんの心境と、娘の母に対する感謝の気持ち・・・・

コスモスが揺れる庭先で しんみりとした母と子の情景が 痛いほど伝わってくる。

この詩には 秋桜(コスモス)がぴったりだ、

秋という季節の中で、・・・・茎が細く・長く、淡いうす紅のコスモスの花。

どこかたよりなく、穏やかな風に ゆらゆらと揺れながらも 折れることはない。

子供のために 一生懸命 がんばって生きてきた・・・・・、

このやさしいお母さんの人生を表現するには 秋桜(コスモス)がベストマッチなのです。

これがバラではだめ、チューリップでも シクラメンでも タンポポでもだめ、

このうたの心を支配する花は「秋桜」以外にないのです。

しかも、「うす紅」の色がいい、ピンクとか真っ赤とか黄色ではだめなのです。

オレは この一番が終わるころには もうヤバくなる。

そして二番の最後、 いよいよクライマックスのところ、

ありがとうの言葉をかみしめながら 生きてみます私なりに

こんな小春日和の穏やかな日は 

もうすこしあなたの子供で いさせてください・・・・

ここへ来たときにはいつも 何度聴いても、涙ぼろぼろなのである。

花のうたは 今も昔も たくさんあります。

花を 季節や 時の流れや 恋愛や人生に競合することで 人はなぜか心癒されるのです。

人は花で 人生や心をエスコートしたり、アレンジしたりするのでしょう。

“花の色は移りにけりないたずらに 我が身世に経るながめせし間に”

百人一首で有名なこの歌は 小野小町がいつまでも美しくありたいと願う女心を詠った。

“花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき” 

これは「放浪記」の作家 林芙美子の名句で、人生観そのものである。

“花も嵐も踏み越えて ゆくが男の生きる道・・・” とか

“スミレの花咲くころ 初めて君を知りぬ・・・” とか・・・

作者は知らないけど(オレはそこまで年寄りではない・・・知ってる人いたら教えてくれ)

昭和の初期に歌謡曲や宝塚の舞台で歌われたこれらの曲も「人生」や「恋」のうたである。

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花はいいやね

花には人間のような

かけひきがないからいい

ただ咲いて

ただ散ってゆくからいい

ただになれない 人間のわたし

これは相田みつおさんの詩である。

なにもコメントできない、「ただ そうだよな・・・」と思う。

こういうのもある。

濱口庫之助さんの「花とおじさん」という歌、おぼえてる人いるかな、

小さな花に 口づけをしたら 

小さな声で 僕に言ったよ

おじさんあなたは やさしい人ね 

わたしを摘んで おうちに連れてって

わたしはあなたの お部屋の中で 

一生懸命咲いて なぐさめてあげるわ

どうせ短い わたしの命 

おじさん見てて 終わるまで・・・・

これも わかるよな、

花は 人の心を素直で優しくしてくれる。

赤ちゃんを見ると 誰もがみんな笑顔になると云ったけど、

花にも同じような力があると思います。

オレの娘の嫁いだ家には 高齢で寝たきりのおばあちゃんがいた。

入院中に花を持って見舞いにゆくと「花はいいやね・・・」といって

嬉しそうにいつも眺めていたそうである。

実家(オレのうち)に遊びに来て、マンションの庭に 業者が整備した立派な植え込みのサツキツツジが満開に咲き乱れているのを見て、おばあちゃんが喜ぶからお土産に少し持って帰っていいかしら、でもそんなことしたら怒られるからだめだよね・・・と言う。

かまうことねえ、なんぼでも持っていけ、花なんか切っても次々と咲いてくるんだ・・・

オレはそういって綺麗なところの枝を何本も折って 持たせてやった。

管理人に見つかったらうるさいけど、高い税金と管理費を払っているのだ、これはマンション住民の共有物だからウチの花と同じだ、景観よりもおばあちゃんの心を癒すことのほうが大事だ・・・・と思ったのです。

数ヶ月後、おばあちゃんは天寿を全うした。

棺の中で いっぱいの花に埋まるように眠っていた。

「花はいいやね・・・」 

おばあちゃんの満足そうな声が聞こえてくるようだった。

花はおばあちゃんの友だちだ、

やっぱりあの時、花を折ってよかったと思った。

三歳くらいの小さい子が道端の花をむしろうとしていたので、お花がかわいそうだから

そのまま咲かしておいてあげましょうねと 子供に教えてあげた・・・・。

というような話を聞いたことがある。

“やはり野に置け桜草・・・” という心境なのだろうけども

それは大人に対して教える言葉だ、三歳くらいの わけもわからぬ幼児が 花がきれいだと思い、興味を持ってむしり取ろうとしたのだ、

その子の心に 美しいという意識、きれいなものを手に入れようとする感性が芽生えたのだ、育ち始めた“こどものやさしい心の芽”を 大人がむしりとってはいけない・・・

「お花きれいだね、よかったね・・・」といってこどもを褒めてやったほうがいい。

花や生き物を慈しむ心は ほっといても解るようになるのだ。

花にはやさしいが 肝心なこどもにはやさしくない・・・

花の一本や二本、どうだっていいじゃないか、

環境や自然保護も大切だが、人間の方がもっと大切だと思う。

そういえば、結婚式でも葬式でも・・・人間は「花」に包まれる。

仏壇にも墓参りにも 花を供える。

「よくできました」に花マルつけたり、ラブレターに花のイラストをつけたり・・・

何をするにも、どんなことにも、人は「花」を善意に受け止める。

人と花とは 深い絆があるのではと思うのです。

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いのちを見つめて

オレは41歳の厄年に 大病を患った。

野球の練習中に倒れ、救急車で運ばれ、即入院となった。

劇症肝炎の一歩手前だった。

「 今夜が峠です。 親戚とか、知らせるところがあれば連絡しておいたほうが・・・」

主治医の先生がドアの外側で 妻に話しているのを、オレは個室で点滴を受けながら聞いていた。

ウッソー・・・ゼンゼン平気なのに、そんなに悲観的なこと言われたら困るよな・・・

でもこのくらいの辛さで死ぬのなら楽だな・・・、と変な納得をしながら、点滴の薬が心地よく体内に浸透するのを味わいながらぐっすりと眠った。

幸運と体力に恵まれたのだろうか、めきめきと回復して 一般病棟へ移った頃には 見舞い客の対応で忙しいくらいだった。

友人も、会社の人たちも、野球の子供たちも父母たちも、スナックのママさんも・・・

オレのベッドは「花」でいっぱいになった。

バラにカーネーションにガーベラに・・・赤・ピンク・黄色・紫・・・きれいな色の花ばかりだ。

隣のベッドのおじいさんが、あんたのはきれいな花でいいね、うちのばあさんは菊ばっかり持ってくる、おれは仏さんじゃねえんだよ・・・といいながら笑った。

毎朝 目を覚ますと 目の前に「花」がある。

昨夜のつぼみが 今朝は大きく開花している。

水に挿しているだけなのに、すごい生命力だと思った。

自分の「いのち」という問題に遭遇したのをきっかけに、毎日花瓶の水を取り替え、

花の生命を観察し、しんみりとした素直な気持ちで自分の生命も見つめるような 貴重な時を過ごしていた。

花が開いてゆくのを 観察したことなんて 人生で初めてだった。

オレはガキだった、平日は仕事で、休日は野球で・・・・、この十年もの間、休息をとることもなく無茶苦茶にやっていた、

大切なことを忘れていたのでは?・・・もっと大人にならなければ、

“ゴメンな、好き勝手なことばかりやって、心配ばかりかけて・・・・、

退院したら野球をやめる、これからは家族のために いいパパになる・・・”

心の中で 妻に頭を下げていた。

オレはそのときから 花を育ててみようと、園芸に興味を持ったのです。

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愚美人草

司馬遼太郎の「項羽と劉邦」は、農村の出身で不良少年だった劉邦が 楚の覇王項羽と争って、ついに 漢の高祖として天下を統一した史実をもとに 人間的魅力、“人望”をテーマにした長編歴史小説である。

武勇にも知略にも優れ、劉邦に連戦連勝してきた項羽が最後の決戦に破れ、城を包囲した敵軍の兵が みな自分の故郷「楚」の歌を唄っている。

「四面楚歌」という故事は 項羽のようにどちらを向いても支持者が居なくなった、孤立状態を意味する。

項羽に残されたのは 美しき最愛の虞姫(愚美人)である。

 力は山を抜き 気は世を覆う

 時に利あらずして すい逝かず

 すい逝かざるを 如何にすべき

 虞や虞や 汝を如何にせん

この詩を詠んで 涙とともに虞美人を刺すのです。

(“すい”という字が書けない、さすがは本場中国の漢字だ、読むのも書くのも難しいのがいっぱいあるね、書けないのだから意味も分からないけど、俺は強くて頭もいいが、たまたま運が悪くて うまくいかなかった、虞よ お前のことだけが心残りだ、お前をどうすればいいのか・・・というような意味だと思うけど)

そして、項羽に殺された愚美人の血が浸み込んだ土の中から 花の芽が生えてきたのです。

これが「愚美人草」、現代の「ひなげし」、ポピーの由来です。

項羽は 豪腕で武術に優れ、戦えば右にでる者はない、しかも頭脳明晰にして学問に秀で、

おまけにスタイルも顔も抜群な男前である。

劉邦は 貧しい農家に生まれて 力も弱いし頭もいいとはいえない、何をやってもドジばかり、不良グループに入ってハチャメチャな青春を送る。

今でいえば セレブとニート、住家も六本木ヒルズと上野のカプセルくらい違う。

能力的には項羽のほうがはるかに上であるが 劉邦は優しくて、どこか頼りないけど、憎めない、この人のために何とかしてやろうと 人に好かれる人間的魅力があった。

項羽は家来よりも 自分の方が頭がいいから何でも自分の決断で行動する。

逆らう者、抵抗勢力には 味方であっても冷酷である。

裕福な育ちだから弱者の悲しみや苦しさを知らない、征服した国の民衆に暴虐の限りを尽くし、降伏した何十万の兵を穴に埋めて殺すような まるでヒトラーの東洋版である。

劉邦は大将となってから何事も家来の意見を聞く、自分も貧しい出身だったから 征服した国の民衆を優しく扱う・・・ 

やがて人々は「王にするなら劉邦がいい・・・」ということになってしまうのです。

人間は完璧ではだめなのです、

どこか足りない、ズッコケた部分のある方が「人望」を得ることができるようです。

覇道よりも 王道を進め・・・ということです。

強さ、優秀さだけでは 真の勝利は得られない、

「人間性」のほかに「運」も重要な要素になるのです。

歴史小説は 現代にも通用する人間の大切なことを教えてくれます。

日本の戦国時代に 天下を治めた 信長・秀吉・家康の三人のうち、最後に勝利者となった家康が三百年もの徳川長期政権を確立させたのも、彼が王道を進んだからだと思います。

家康が 駿河の今川家に人質にだされていた少年時代に、腕白な兄貴分の信長と遊び、

二人で「瓜」を採って食う話がある。

二個の瓜の大きいほうを私にくれ と家康が言う、お前は体が小さいのに欲張りだなと信長がいうと、私についてきている二人の家来にも分けて三人で食うから大きいほうでないとだめだ・・・と言うのである。

この時 既に家康の優しさと 王道をゆく片鱗がうかがえるのである。

総理大臣も 村長さんも 社長さんも 店長さんも 院長さんも 監督さんも どんな形ででも 集団や企業のトップに立つ人、人に指示を与える人、リーダーという立場にある人たちが、

向上と人望を願うなら、この「項羽と劉邦」を読むことをお勧めしたいです。

オレは三十歳のころに 司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んでから、司馬遼太郎の大ファンになってしまった。

「竜馬がゆく」「義経」「関が原」「坂の上の雲」・・・・、長編・短編・エッセイまで

もうなんでもかんでも読みあさり、その度に感動し、教えられ、元気になった。

司馬遼太郎を 自分で勝手に先生ということに決めてしまった。

遼太郎文学の真髄は「人間性の追及」である。

オレが このブログを通してテーマにしている「優しさ」「日本の心」も遼太郎先生の影響が大なのである。

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道端のポピー・・・これは借り物ではない、オリジナル画像だ。

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Forgets me nots

忘れな草の伝説、知ってますか。

中世のヨーロッパのお話で、若き騎士(ナイト)ローランと美しい恋人ベルタがドナウ川のほとりを歩いていると、向こう岸にかわいい青い花が咲いているのを見つけた。

ローランはベルタにあの花をプレゼントしようと 川を泳いで花を摘み 戻る途中、急流に飲み込まれ、必死に泳いだが力尽きて、「私を忘れないで・・・」と叫びながら 摘んだ花をベルタに投げ 流れの中に消えていったのです。

ベルタは悲しみ、ローランを想いながらこの青い花を 生涯手放さなかった。・・・・

ロマンチックで純情な少女が好みそうな 悲しい恋物語である。

オレはこの話を 中学の英語の先生に聞いた。

「教育論」のところで書いたが、この話はレディファーストを旨とする西洋人が

「男はどうあるべきか」「女はどう生きるべきか」・・・

男と女の在り方を教えていたのかもしれない。

忘れな草、英語だとForget me nots、

オレはこのお話よりも この花の名づけ方、和英双方の訳し方が気に入っている。

ヨーロッパ原産だけど、野に咲く花だから花屋へ行ったのでは意味がない、そのへんに咲いてるのを見つけなければ感動しないから、何としても自分の画像を貼りたくて探しまくったが どうしても見つからなかった。

止むを得ず今回は 人の写真を拝借しました。

これが「忘れな草」です。 花言葉はもちろん「私を忘れないで」です。

Hana18wasure Wasure

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(9)小人閑居して不善を為す

女が男より優れていることがもう一つあった。

それは 女のほうが寿命が長いということである。

これは「教育」というテーマから外れるけど、その原因を考察してみた。

① 医学的な見地からすれば 女は血液の再生量が多いからである。

人体は失われた分だけ体内の血液を再生するから、生理のある女の血液は

定期的に新しいものに交換されて 細胞の若さが失われない、

つまり 女の血液はサラサラなのである。

そのほかにも コラーゲンの量とか筋肉の柔軟性とか、色々研究されてるそうだけど、

まあ どうでもいいか・・・

②     女のほうが疲れていない、

主婦の仕事は朝から晩まで 炊事・洗濯・掃除・買い物・育児・・・・

働きづめで大変だ、休みの日はお父さんはごろごろしてないで協力してやりなさい、

どこの家庭でも そういうことになっているけど、

お父さんの仕事のストレスに比べたら、ちょろいもんだぜ、

オレなんか 通勤だけでも もうへとへとだったのだ。

③    女のほうが気持ちいい、

男女の営みだってそうだ、リアルな表現は問題になるから云わないけど、

耳がかゆくて掃除をするとき 耳かきで一生懸命ほじくって、気持ちいいのは耳のほうで、疲れるのは指のほうに決まっている。

結局、女のほうが長生きなのは 楽で 気持ちよくて、消耗の少ない人生を送れるからだ。

これは もちろん独断と偏見的な意見だけど、こういうバカなことを考える自分は

小人閑居して不善を為す・・・の類だと思う。

このブログを始めてから「メール」や「コメント」や「トラックバック」がいくつか入ってきました。

お褒めやお叱りの言葉も頂いて・・・・・、

読んでくれる人がいることは とても嬉しくて 有り難いことです。

中国の蘇州で働く旧友からメールが来たり、ニューヨークに住む人が「WBC日本優勝」の記事に対してコメントしてくれたり・・・インターネットが世界につながっているのが実感できて感動しています。

「コメント」は相手の名前もアドレスも判るから対応できるが、

「トラックバック」にはろくなのがなくて マイッタヨ・・・

もう 削除するのが大変だから どこのだれとも判らぬ「トラックバック」は

受け付けないように設定した。

中には真面目で立派なホームページを送ってくれるのもあるけれど、

広告が多くてウザイし、先月も今月も

「主人の浮気に悩む三十三歳の人妻です・・・」とか、

「誘ってくれる勇気のある日本人はいないかしら・・・」とか・・・

若い主婦が ヒマにまかせてホームページを作って、

早いはなしが 浮気相手の募集をしているのです。

オレがこのブログの中で、話を面白くしようと、時々エッチなことを書き込むものだから、何を勘違いしたか知らんけど、シャレの解らない 文章の意味も理解できない、

SEXしか興味の無いようなバカな女が 世の中には沢山いるんですね・・・。

今更ながら いい勉強になったよ。

小さい子供までいるのに、旦那が浮気してるから自分もしたい・・・

なんてこと考える女房だから 旦那も浮気したくなるのだ。 

何も知らずに仕事へ行ってる旦那がかわいそうだよ。

これこそ「小人閑居して不善を為す・・・」ということだ。

どうせこの女には この言葉の意味だって解らないだろうけど。

こんなバカ母に育てられた子供が将来どうなっていくのか・・・・、

これだから「横浜の不良おやじ」は 日本の若者たちに「渇」を入れたくなるのだ。

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◆◆◆◆教育論は次回もまだ続くよ・・・

 

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(8)日本のお母さん

◆男の子と女の子の教育

現代の日本は 若者の「食」が欧米化してしまった。

ファストフードの店先で、ハンバーガーにピザにフライドポテト、プリンやケーキを子供たちと一緒に食べるお母さんの多いこと、

確かに マックもケンタッキーも美味しいよ、

でも 毎日それではだめですよ。

ワカメと豆腐の味噌汁に あじの干物を焼いて、納豆にタマゴ焼き、それからお新香、

夜は ぶり大根や肉ジャガを作り、サトイモの煮物も作る、・・・

それが日本のお母さんだ。

そうすりゃ旦那も 早く帰ってくるんだよ。

そういうお母さんになるように・・・・

それが女の子に対する教育だ。

男の子に家庭科を教える必要は無い。

家庭科は 女の子専用の授業でいいのだ。

こういう意見は暴論だとして

婦人団体や女性代議士先生たちの逆鱗に触れるかもしれないが、

良否は別として、男女同権の思想が戦後の教育の大きな分岐点となったのは確かだ。

これは「差別」ではない、男女同権や民主主義を否定しているのではない。

男と女を 同じ土俵に立たせようとすることに無理があるのではないだろうか・・・、

料理、洗濯、掃除、裁縫・・それに育児、

女としての心得を教える家庭科は立派な女の学問だ。

男の子が育児や洗濯を習う必要はない、そんなことに興味を持つ子はろくな男にならない。

男は家事・育児に素人でいいのだ。

女房が出産や病気で入院中に 慣れない家事で苦労する、

そのほうが女房のありがたさが分かるのだ。

女房の出産に立ち会って、手を握り、一緒になって「ヒーヒーフーフー」と、なんとかいう呼吸法をやってるような男は見ちゃいられねえ、引っ叩いてやりたい。

病院の廊下で うろたえておろおろと落ち着かない男のほうが ずっとかわいい。

だいたい、女性の出産現場に旦那を立ち合わせるようなことをだれが考えたのか、

男に そんな情けないことをさせるな・・・

当事者の女も甘えるんじゃねえ、自分の力で堂々と赤ちゃんが生めるようでなければ 

立派なお母さんにはなれないぞ。

男と女は 構造も本質も違うのだ。

体力は当然だが、知恵も技も あらゆるジャンルに於いて、人間はなにをやったって、

女は男の能力に勝ることはない。

だから女はかわいいのだ・・・、

だから男は 女を優しく愛することができる。

男は 命を賭けてでも 愛する女を守ることができるのだ。

女ができて 男にできないことは、子供を産むことだけだ、

それは、女が男に劣っている全ての部分を逆転するに足りるほどの スゴイことなのだ。

女は 男が及びもつかない偉大なるファイナルカードを持っているのです。

「 男の子はお母さんの言うことなんか聞かなくてもいい・・・ただし、お母さんは女だ、女は弱いものなのだ、だから お母さんの作ったものを何でも食べて、大きくなり 強くなって、お母さんを守ってやらなければいけない・・・」

テレビで細木和子さんが男の子たちに言っていたが、オレも同じようなことを昔から思っていた。

オレは細木さんの支持者ではないし、占いなんて信じたこともないし、先に公表されたことが むしろ残念だけど、・・・・・・

男の子には そういう教育をしてゆくべきなのです。

男と女、それぞれが どうあるべきか、生き方の違いを教育するべきなのです。

少子化対策の一助にもなるのだ。

子供たちに好き嫌いをなくそう、加工食品ばかりではだめ、もっと旬の素材を食べなければ 今の子供たちが高齢者となる頃には 長寿世界一のタイトルは もうどこか他の国に取られることになる。

お母さんが子供に「勉強しなさい・・・」と叱るよりも、

「何でも食べなさい・・・」と指導することのほうが大事なのだ。

そのためにはお母さんたちも好き嫌いをいってはいけない・・・

◆赤ちゃんにはおっぱい

赤ちゃんが生まれて、最初にする「教育」はおっぱいをあげることです。

母乳を飲ませることが 教育のスタートなのです。

赤ちゃんを見るとき 人はみんな優しい笑顔になります。

お母さんが赤ちゃんにおっぱいを飲ませている姿こそ 

女性が 最も偉大で、荘厳で、美しい姿なのだと思います。

赤ちゃんが天使なら お母さんはまるで観音様です。

赤ちゃんとお母さんが 神秘の光に包まれた神の領域にいるからです。

こんなにノーブルでグレイトでビューティフルな光景は他にない、

男はそれに 近寄ることもできない、

そして ほほ笑みを浮かべ、優しく見守るしかないのです。

哺乳瓶でミルクを飲ませるのが 今は一般的だけど、

母乳が出るのにスタイルが悪くなるとか言ってミルクにしているお母さんは、

スタートから教育方針が誤っているのです。

子供を母乳で育てた女性は 高齢になってから骨密度が減少して、「骨粗しょう症」になる割合が多いそうです。

おっぱいをやるので カルシウムが不足するのが原因の一つだといわれている。

“キンさんギンさん”は百歳以上長生きして、腰の曲がったおばあちゃんだけど、死ぬ直前までマグロの刺身でビールを飲んで・・・・、あれほど幸せな晩年はない。

明治の人だから、ミルクなんかない時代だから 子供たちはみな母乳で育てた。

粗食でも美味しく食べ、働きながら主婦の仕事も育児も みんなやって、それが苦労と思わなかったのだろう。

代表的な日本のお母さんだ。   そして、理想的な日本のおばあちゃんになったのだ。

女は おばあちゃんになったら、腰が曲がったっていいじゃないか・・・

腰の曲がったおばあちゃんは 母乳で子供を育てた証明なのだ。

そっくり返って歩くより ずっと自然だ。

カルシウム不足という 医学的な心配があるのなら、

お母さんのほうが 牛乳をいっぱい飲めばいい。

ミルクは赤ちゃんに与えるものではなくて、お母さんが飲むものだ。

現代の育児は 母子両方の健康を考えるなら、

赤ちゃんにおっぱいをやりながら、お母さんが哺乳瓶のミルクを飲めばいいんだ。

科学的な根拠はどうか知らんけど、母乳は栄養分の他に 免疫力とか 母の愛情とか、家の伝統や 先祖の魂までも ダイレクトに吸収しているはずです。

栄養バランスもへったくれもない・・・

やっぱり赤ちゃんは お母さんのおっぱいでしょ。

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(7)食育

◆食育

教育には「知育」、「徳育」、「体育」、「食育」があるということで、

「食育基本法」という法律が去年(平成17)国会で成立したそうである。

オレはそんなこと なんにも知らなかったけど、

要するに、「食」という教育の観点を 家庭や学校だけでなく、国民運動として推進し、

安全でバランスのとれた良い食事をして、郷土や生産者に感謝する心を養い、健全な人に育てていこう・・・という趣旨を法律で制定したのです。

「健全な精神は 健全な肉体に宿る・・・」というのを昔の子供たちは習ったけど、

同じようなことである。 

現代日本人は みんなグルメである、

今は 食べるものが何でもあるから、選択肢が沢山あるから 美味しいものを選ぶ、

だれだって美味しくないと思うものは食いたくない・・・・

子供たちが 野菜を食べない、魚がきらいだ・・・というのはザラである。

子供は好きなものしか食べない、お母さんも子供に合わせて 好きなものしか作らない・・・

子供は食べないものの味を知らない・・・、

本当は 嫌いではなく「食わず嫌い」なのだ。

食育とは “好き嫌いをいわずに何でも食う”ことです。

とは云っても、現代は 食品添加物だとか、アレルギーだとか、BSEや鳥インフルエンザとか、わけの分からぬ化学物質など・・・食品の危険性が問題になったりして、

「食」に対して 国をあげて取り組まなければならない時代になっているのです。

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◆日本の食

日本人の平均寿命は世界一位だという。

これは 海に囲まれた島国日本が「魚」中心のおかずで、春夏秋冬の季節が三ヶ月ずつ平均に巡り、米を主食とする季節の野菜や果物という「旬のもの」、新鮮なものを食べられるという日本の国土が生んだ伝統的な食文化に起因しているからだと思います。

肉食を主体とした 欧米にはないヘルシーな食文化なのです。 

フィリピンやキューバだって島国だけど、彼らには季節がないから、夏にしか獲れない野菜、暑い海にしか生息しない魚しか食っていない・・・、

日本のように夏はナス・キュウリ、トマト、冬は白菜・大根・・・というように色々な種類のものを食べられる条件がないのです。

魚を刺身で食うのは 世界中で日本にしかない 日本の最も特長的な食文化なのだ。

それともう一つ、「日本の食」は手作りが多いということ。

日本人の 勤勉で器用で技術に優れた 資質と国民性がなければ作り得ない 素材の良さを生かした「ブランド」の食品が多いこと。

味噌も醤油も、米も野菜も、魚介類や肉だって、国産品のほうが旨いし高級品として扱われる。

例えば「牛肉」、日本には但馬牛・月島牛・松阪牛・米沢牛・・・など「ブランド品」が目白押しである。 

牛の飼料から 環境や健康管理までして、生産者の繊細な技術と真心のこもった手作りで美味しい安全な牛肉が作られる。

元祖アメリカの牛肉は、日本とは気候風土も歴史も違うから比較するのは間違いだろうけど、ローハイドの映画で見たカウボーイたちが 一人で何千頭もの牛を追い、勝手に草を食わせ、移動してゆく育て方が伝統である。

つまり、大量生産のシステムだから 今になってずさんな管理に起因するBSE問題が表面化して、安くて美味しい吉野家の牛丼が 食えなくなっているのだ。

松阪牛のすきやきは 美味しいのはわかっているけど、高いから庶民はなかなか食う機会がない、庶民は 本当は早く吉野家の牛丼が食いたいのに・・・・。

日本人が牛肉を食い始めたのは日露戦争の頃だったという。

日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破った日本海軍の司令長官、東郷平八郎さんが

体格の優勢な欧米列強と戦うには 日本国民も彼らのように牛肉を食うべし・・・

ということで、軍隊から肉食を推進していったのが始まりだそうだ。

太平洋戦争のときの山本五十六元帥も 若いころアメリカへ留学して、アメリカ人の陽気で自由な国民性と 肉食のパワーを知り、「この国と戦ってはならぬ、お茶漬けやおにぎりを食う我が国の兵はステーキを平らげる米兵には勝てぬ・・・」

という考えの反戦論者であった。

そして、山本さんの予言通り 日本はコテンパンに負けた。

パワーでは肉食に及ばないことが立証されたのです。

ところが戦後半世紀以上過ぎた今、日本人は世界で一番長生きできる強い民族になった。

パワーでは肉に負けるが、生命の持続性に於いては 米や魚のほうが優れていることが証明されたのです。

「食」は教育の原点、国家の命運にも影響する大きな問題になるのです。

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