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(11)腕白伝

◆伊乃おばあちゃん

オレは典型的な「おばあちゃん子」だった。

おばあちゃんの名は“伊乃”

深川の大工の女房で、オレの母の育ての親だ・・・。

早くして旦那を亡くし、女手ひとつで母を育てた。

気丈で 喧嘩早くて、近所では 怖いおばあちゃんとして評判だった。

母の出生と 伊乃おばあちゃんとの縁については ここでは省略するが、

伊乃おばあちゃんにとっては オレは初孫だし 可愛かったのだろう、

どこの家でもそうであったが 父と母は生活で忙しいこともあって、

何をするにも どこへ行くにも オレは伊乃おばあちゃんと一緒だった。

空襲の時には いつも伊乃おばあちゃんに背負われていたらしいし、

防空壕に非難して、ランプの明かりで父母や近所の大人たちと「花札賭博」をやりながら 空襲警報が解除されるのを待っていたとか・・・、

そのときオレはいつも伊乃おばあちゃんの膝の上にいたそうである。

伊乃おばあちゃんは明治の女で深川育ち、博打は打つし 喧嘩もする・・・・、

あれで 背中に緋牡丹の刺青があったりしたら、まるで「極道の妻」だ。

小学校低学年の頃、オレはおばあちゃんに連れられて 

ヤミ米の買出しに何度か行った。

当時 米は配給制で、配給米だけでは足りないので農家へ直接買いに行く・・・

販売を許可されていない米のことを「ヤミ米」という、

もちろん不法行為である。

買った米を担いで帰る途中で おまわりさんに見つかったこともあった。

おまわりさんと 何だかわからないがやりとりをしたあと、

大丈夫、さあ帰ろう・・・と言って、

オレの手をとり そのまま米を担いで しゃあしゃあと帰った。

おまわりさんを言いくるめたのか、それとも袖の下(賄賂)でも使ったのか?・・・・

ある時 千葉の方の農家へ買出しに行った。

おばあちゃんが農家の人と話をしている間、オレは庭先に干してある乾燥芋を見つけた。

大人たちが話しに夢中になっている隙に、ズボンのポケットに左右一枚ずつ、

その乾燥芋を入れた。

帰りの電車の中で、おばあちゃんと並んで座りながら その芋を出して食った。

おばあちゃんはそれを見て、

「お前 そういうことしたらいけないだろ、・・・・」

そのあとに、

「内緒にしておいてやるから 一枚おくれ・・・」

結局、二人で一枚ずつ食べた。

オレもワルだが おばあちゃんも なかなかである。

立浪梅五郎?だか 菊五郎だか忘れたが・・・

とにかく「立浪一座」という旅周りの芝居小屋が 年に数回、定期的にやってきた。

おばあちゃんは それを見に行くのが楽しみで、いつしか常連になっていた。

今でいう「ヨン様の追っかけ」のように入れ込んでいた。

おばあちゃんが病気で寝込んでいたときに 座長夫婦がチョンまげに刀を差して、国定忠治の舞台衣装のままで 見舞いに駆けつけたくらいだった。

おばあちゃんは この芝居見物だけは 何故かいつも一人で行っていたが、

オレも行って見たい・・・とオネダリして 縁日の時に一度だけ連れていってもらった。

ゴザを敷いた客席の一番前に座って、(カブリツキという)

目の前で繰り広げられる 芝居やチャンバラに熱狂している。

国定忠治が「赤城の山も今宵限り・・・」の台詞をいって大見得をきったとき、

おばあちゃんはお金を紙に包んで舞台に投げた・・・(オヒネリという)

「父ちゃんと母ちゃんに内緒だよ・・・」

これでオレもおばあちゃんに貸しができた。

乾燥芋の件と相殺して 対等になったのである。

一緒にサーカスも観に行ったし、浅草の観音様にも行った。

おばあちゃんとオレは 良き相棒だった。

伊乃おばあちゃんは オレの人生経験の 最初の師匠である。

伊乃おばあちゃんが死んだのは 

春なのに冷たい雪が降る 寒い四月の朝だった。

◆スズメと勝負

昭和20年代、戦後の復興期の子供たちは みんな外で遊ぶ、

かくれんぼ・鬼ごっこ・相撲・チャンバラ・縄跳び・缶けり・野球・・・

そういう体育系の遊びから 夏場はトンボやセミを追いかけ、

ザリガニ釣りやメダカを捕りに行く・・・

東京でも川はきれいだったし、森も田畑も・・・自然がいっぱいあった。

今のようにゲームやパソコンで 家にこもった子供はいない、

食べ物の好き嫌いをいう子もいない・・・

現代よりも ずっと恵まれた幸せな環境だったのです。

メンコにビー玉、ベーゴマにケン玉に・・・

オレは何をやらせても オールラウンドプレーヤーだった。

中でも最も自信のあるのがパチンコだった。

Y字型の木の枝に バネの強いゴムを結んで小石の弾で標的を狙う・・・、

努力と研究を重ね、名人の域に達した。

パチンコに夢中になったのには スズメを撃つという壮大な?目的があったからだ。

ここでもまた伊乃おばあちゃんが関わってくるのだが、

伊乃おばあちゃんと浅草へ行ったとき ヤキトリ屋でスズメを食べた。

ウマイ!・・・と思った。

ホルモンやレバーではない、正真正銘の焼き鳥だ。

子供たちは 甘いものに飢えていたと同様に、「肉」も貴重品だったのです。

スキヤキなんかは月に一度食えればいいほうだった、

池で捕って来たザリガニや カエルの肉まで食べていた時代だったから・・・

スズメなら そのへんにいくらでもいるし、自分で獲ればいい・・・と思った。

パチンコはもともと得意だったが、明確な目標ができるとプレッシャーになるのだろうか、

最初のころは 全然当たらない・・・、

たまに当たってもダメージを与えるほどでなく 逃げられてしまう。

愛用のパチンコに改良を重ね、左右の枝の太さとバランス、ゴムの強さと長さ・・・、そして 射程距離は15mで充分、

更に 最も重要なのは弾が一直線に飛ぶこと、

そのためには弾にする石の形が球状であること・・・・、

大きさと重量も吟味して 限りなく丸い石を何発も集めた。

練習も欠かさない、

毎朝学校へ行く途中、畑の「ねぎぼうず」が最適の練習相手だった、

気持ちいいほど百発百中だった。

「努力に優る天才なし・・・」小学校の先生に教えられた言葉を自分に当てはめて 

自信満々で 納得していた。

ある夏休みの午後、多摩川の河原で いつもの草むらに潜んでスズメの群れを待った。

そしてついに 10mほどに近づいてきた一羽に照準を合わせ 見事に命中したのである。

ヤッタゾ・・・、

大喜びで 倒れているスズメのところへ走った。

弾はスズメの頭に当たり 目玉が飛び出して 死んでいた。

無残なスズメの死骸を見たとき オレは足が竦んだ。

スズメを撃つのが夢だったのに、死んだスズメに触ることもできなかった。

死骸の上に草を何枚も山盛りに被せて、墓にした。

何だか悲しくて 空しくて、泣きそうな気分だった。

オレはそれから パチンコで遊ぶのをやめた。

腕白時代の 淡く切ない想い出だ。

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