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(10)戦争とこども

またまた“昔のはなし”になってしまうけど、

自分の子供のころは戦後の食糧難の時代だったから、「食うもの」がなかった。

子供たちの遊びは ほとんどが「食うこと」に関連していました。

今回は「戦争と子供たち」のはなしをします。

(教育論のタイトルがもう10個目になってしまった)

オレは東京生まれ、三歳のときに「東京大空襲」があって、防空頭巾という布でできたヘルメット代わりのものを被り、おばあちゃんの背中におんぶされて逃げ回ったそうだ。

三歳のことだから憶えているはずもないが、

花火が上がるように ドンドンパチパチと響く音と、夜空全体が明るく輝いている光景だけが夢の中の幻影のように 今でも脳裏に残っている。

夜空が明るかったのは 米軍の爆撃機(B-29)が照明弾を落とし、焼夷弾(現在のナパーム弾のようなもの)や大型の1トン爆弾を何万個単位で落としてくる、

ドンドン鳴る音は それの爆発音と僅かに抵抗する日本軍の高射砲の音だった。

幼いオレは花火と思ったのだろう、キャッキャとはしゃいで手を叩き、

おやじに「バカヤロ」と叱られたそうだ。

あれから六十年も経ったのに、今でもあの光景が夢にでてくることがある。

暗黒の夜空にUFOかインベーダーか、得体の知れぬ動きの遅い飛行物体が何百も現れて攻撃の準備をしている・・・。

自分にとっては すごく怖い夢だ。

オレのおぼろげな記憶の中で あの時の光景が今は「恐怖」に変わったのだろうか、昭和20年3月の東京大空襲では100万人が家を失い、死者は10万人だという。

戦争は 軍事力とか民族の資質や根性だけで勝てるものではない、

科学水準、資源や経済力、国際的な支持や協力がなければ勝てないのだ。

戦争は 地球上で最も優れた生物である人間がする 最も愚かな行為だ。

自らの驕りと愚行に気がついて 戦争の残酷さを知り、

「我が国は二度と戦争をしない・・・」

日本国憲法で「戦争の放棄」を定めたのは、余程懲りたからだろう。

戦争は残酷だ、破壊と悲劇以外の何ものも生み出すことはない・・・

日本の未来を担う若い人たちは このことをよく認識しなければいけない。

歴史を学ぶということは そのためにあるのだと思います。

小学生のころ、家は多摩川の近くにあった。

同級生の中には 空襲で親や兄弟を亡くした子が何人もいた。

片腕がない子もいた。

多摩川の河原で 落ちていた不発弾をいじって遊んでいたら 突然破裂して片方の腕が吹き飛ばされたという。

戦争は何も知らない子供たちにも悲劇の爪痕を沢山残していたのです。

それでも みんな明るかった。

自分の 子供の目から見て、暗い悲惨な記憶はあまりなかったような気がする。

日本中が復興しようとする 逞しいエネルギーで満ち溢れていた、

誰もが その日を生きること、自分のことだけで精一杯だったから、

悲しいだの可哀想だのと そんなことを考えるヒマがなかったのかもしれない。

子供たちにとっては そのほうが都合が良かった、

今のように 大人に介入されることもなく自由に伸び伸びと遊んでいた。

悪戯すれば 親や近所の大人に叱られることはあったけど、

どうってことはなかった。

ただひとつ辛かったのは 食うものが不足していたことだった。

どこの家庭も ごはんは麦飯、

我が家の庭には葡萄の木を植えて、ナスやキュウリ、イチゴを植えたりして・・・・観賞用ではない、食べる目的だった。

チャボという鶏を一羽飼っていた、

チャボは毎日一個のタマゴを生んだ、

一個のタマゴで オレはご飯を二杯食べた。

「一杯のご飯に タマゴ一個をかけられたらいいのにね・・・」

いつもそう言いながら・・・・。

現代では聞くことのない食卓の会話だ。

どこの家の子も好き嫌いをいう子はいない、

食べられるものは何でもおいしく食べた。

子供たちはみんな いつも腹を空かして、

特に子供には必需品の「甘いもの」に飢えていた。

砂糖が貴重品で、サッカリンとかいう化学物質?を甘味料として代用していた。

トウモロコシかサトウキビか定かでないが、近所の畑に忍び込み、背の高い茎を折ってかじり付き、中から出てくる甘い汁をチュウチュウと吸ったりしていた。

隣の家に二人のお姉ちゃんがいて、オレは随分可愛がってもらった。

大きいお姉ちゃんが仕事をしていて(姉の方をオレは大きいお姉ちゃんと呼んでいた) 時々チョコレートをお土産に持ってきてくれた。

板チョコとかチューブに入った練りチョコとか・・・

子供には 忘れられない 感動的な味だった。

世の中に こんなに甘くておいしいものがあるのか・・・、と思った。

あとで知ったが、大きいお姉ちゃんは「パンパン」だと周囲から後ろ指をさされていたという。 パンパンとは売春婦のこと、進駐軍の米兵を相手に金を稼ぎ、チョコレートをお土産に貰ってきていたのだ。

それでもオレにとっては 今でも忘れることのできない

優しくて素晴らしいお姉ちゃんだ。      

  ◆◆次回につづく◆◆

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