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(12)独断偏見的教育論

「教育論」というテーマの中で、突然思いついて戦後の子供たちの話をしましたが

戦争が終わって半世紀も過ぎているのに、自分も含めて年寄りたちは みんな誇らしげに子供のころの話をしたがるのです。

戦後の混乱期に 大人たちの苦労は別として、どこの家でも食うものが満足になく、 生活水準が低いからこそ 子供たちは伸び伸びと天衣無縫に遊びまわることができた。

「子供は風の子」という言葉は あの時代の言葉だ。

子供たちのだれもが ある時は「風の又三郎」であり、「東京キッド」であり、「瀬戸内少年野球団」であった。

「いじめ」という言葉なんてなかった、

どこのクラスにも番長はいたけれど、番長は「正義の味方」も兼用していた。

大人が教えてくれないから 自分たちでルールを作って遊ぶ・・・

自分たちで作るルールは みんなが守る。

あのころの 栄養不足で小柄だけど 逞しい精神を持った子供たちと 

現代の子供を比較するのは間違いだろうか・・・

日本人は 第二次世界大戦で 大きな犠牲を代償にしたけれど、

「愛国心」とか「天皇」とか、侠気か狂気?か分からないが、

それを大儀として一丸となった国民が 敗戦によって「理性」を取り戻し、挫折を復興への糧として 繁栄に転化させた。

国を愛する心よりも 人を愛する心が優先するようになった。

日本人はやっぱ凄いよ、賢くて優秀な民族だよ。

戦争に負けたから、生きることの喜びや 平和の素晴らしさ、

働くことの尊さ、へこたれない強さ・・・

色々な大切なことを学んだのかもしれない。

人は 自分が痛い経験をすることで 人の痛みが分かるようになる。

人に優しくしなければ 自分も優しくしてもらえない・・・

敗戦後の 過酷な社会事情や生活環境があったからこそ、 

日本人は ヒューマニズムに目覚め、先進国としての発展を勝ち得たのではないか・・・?

戦後六十年も経った今、日本人は豊かな暮らしに恵まれて、

悪く言えば ぬるま湯につかってしまった我々は ヒューマニズムという「優しさ」の部分を忘れてしまったのではないだろうか?・・・・・

前述したこととだぶってしまうけれど、

最近 ふと考えたことだが、極端で過激な思想かもしれないが、

人類は 「戦争」という殺戮の歴史を繰り返し、

多くの犠牲と悲劇を代償にしながら発展をしてきた。

戦い、傷付け合うことによって文明がグレードアップして、

それと同時に 人の心も「戦争」という行為を反省することによって、

より優しい方向へバージョンアップしてゆくのではないか。

それも 教科書で学んだり 先人から教わる形の反省ではだめなのだ、

身をもって体験する、自分たちが酷い目に逢って 初めて身に沁みることだとしたら、

それならば、“日本は百年に一度くらい、定期的に「戦争」をやったほうがいいのではないか?”という論理にまで 到達してしまうのである。

これは憶測であるが、

国を治めようとする人、歴史的にみれば神武天皇から始まって 頼朝も尊氏も、信長・秀吉・家康も・・、国の主権を握る人物は みな戦いをして多くの犠牲を払ってきたが、

その目的はみな共通で「平和な国を造りたいから・・・」なのである。

人と人が殺しあうようなことのない国にしたいから 戦って人を殺す。

矛盾した理屈だけど、それしか平和への道がないところが 

愚かではあるけれど避けることのできない人間の宿命なのかもしれない。

明治維新後、新政府の要人の中には

「日本を焦土にして新しい国家を建て直す・・」

という思想の人がいたということを 何かの書物で読んだことがある。

それが西郷さんだったか 木戸さんだったか 詳しい内容は忘れたが、

要するに 例えが軽薄だが マージャンなら九種九牌、トランプなら全取替えをするように、日本全体を一度焼け野原にして 貧困も格差社会も暴力も汚職も、すべての毒を洗い流してゼロからやり直し、平和で美しい国につくり直そう・・・

というのである。

今の政治家にも そういう考え方を心の奥に封印している人は少なくないはずである。

“北朝鮮がミサイルを撃つというのなら、日本も核武装をすればいい、

北朝鮮が一発打つなら、日本がその気になれば百発反撃するくらいの力はあるのだ。

だいたい核武装をしていないから 拉致問題にしても竹島にしても、中国の日本大使館の事件や潜水艦の領海侵犯など 近隣諸国から なめられたことばかりされるのだ・・・”

なんてことを発言したいのが本音なのだが、それを言ったらみんなに叱られて、選挙にも負けることが見えているから 冷静を装い我慢しているのだ。

小泉さんの靖国神社参拝問題が賛否両論であるが、

結論から言えば オレは反対だ。

確かに小泉さんの言うように中国や韓国がガタガタ反発する問題ではない、自分の家の仏壇にお線香をあげたら隣の家が文句つけるようなことである。

そんなことで信念を曲げるような総理大臣では 一国の指導者とはいえない。

小泉さんの政治は 始めから国民に高い支持を得てきた。

「公約が分かりやすい」からである。

靖国も北朝鮮にしても、外交は常に「冷静に対話」を強調する。

靖国に関しては、「日本人の心の問題」だというが、

もう一歩踏み込んでみれば、中国や韓国の人にとっても「心の問題」はあると思う。

中国サイドからすれば 靖国参拝批判をひとつの外交カードとしているうちに、それが積み重ねによって 本当に不快なことになってしまう。

納豆を嫌いな亭主が、匂いを嗅ぐのもいやだと訴えているのに、女房が毎朝の食卓に納豆ばかり出してきたら、本気で離婚してもいい・・・というはなしもある。

国の指導者として 平和と国益を目的とするならば、相手が「いやだ・いやだ」と不快感を露骨に表しているのなら、それじゃあ止めてやろうか・・・

というのも「冷静なおもいやり」である。

そんな簡単な配慮で 少しでも仲良くなれるなら それでもいいじゃん、

simple is best だと思うけど・・・、

それこそ素人考えで そんなに簡単なことではないのだろうか?・・・、

でも、小泉さんの政治は シンプルが売りだったはずだ。

また野球の例えになるが、投球術では 打者の内角をえぐるボールは必要だが、最後に決めるのは やはりアウトコースの低めでしょ。

それをしないで、相手が嫌がるビーンボールばかり投げれば 打者もしまいには怒るよ。

イスラム諸国の人たちがメッカの巡礼をするように、

日本国民全員が靖国をお参りするというのが「国民総意」の信念なら、

それを国民の代表者として参拝するのは当然だが、

小泉さんの場合は個人的な信条なのだから、

それも総理大臣になってからのことだから・・・

指導者というのは 己の信念を貫くのは立派なことだが、

自分の言動が 国民の生命や国益に重大な影響を及ぼす立場にいるのだ。

国の平和と安定を守るためなら 例え本意でなくても、

信念の柔軟性を示すというのも 冷静な大局観だと思うが・・。

靖国が原因のひとつになって、万が一にも中国と戦争になったとしたら、

小泉さんは 自分がA級戦犯としてどう責任をとるつもりなのだろうか・・・

それとも、更にもしかして、小泉さんの頭の中に 

“日本の総てをチャラにして 真っ白で新しい日本を造り直そう・・・”

というところまで想定内であるとしたら、これはまた 信長や家康以来の ドエリャア歴史的人物ということになるけど、たぶん そこまでは考えてないだろな、

ただの頑固おやじなのだから、誰に何を言われたって総理大臣であるうちは今年も絶対に行くに決まっている。

ひとつ提案だけど、小泉さんがそんなに靖国神社が好きなら、

年に一度参拝などしないで

元旦から大晦日まで、出勤前に毎日行けばいいんだよ、

たまに行くから刺激を与え、敢えて喧嘩を売っているように解釈されるのだ、

はじめから毎日行っていれば、中国も何も文句言わないと思うけどね。

何だかんだと能書きたれたけど、「戦争」が人間性再生の特効薬になり得るとしても、

やっぱり戦争をしないのが一番だね。

これからの日本は その特効薬を使わずに病気を治す努力をしなければ・・・、

そして、その努力は みんな気づいていないけれども、既に始まっている。

現在の ぬるま湯に浸かってしまった日本人の未来を危惧して、大人たちが何とかしようとする動きがあるのは確かだ。

例えば「愛国心」・・・、

これを法令で文書化して 若い人たちに植え付けようと努力している。

だれだって自分が生まれ育った「母国」を愛する心は持っている、

「住めば都」という言葉があるように、自分の故郷や現在暮らしている地域や町が好きになるのが普通なのだ。

「愛国心」という言葉が 戦前の軍国主義を連想させるからといって、

「郷土を愛する心・・・云々」とか言葉を置き換えたりして気を遣う必要はないのだ、意味が同じなのだから、堂々と「愛国心」という言葉を使えばいいのに・・・

主義・思想は人に押し付けるものではないが、

“国を愛する心”は 教えたり、押し付けたりする性格のものではない。

愛国心は人の心に自然と芽生え、盛り上がっていくものなのだ。

サッカーのワールドカップで日本を応援する、

三月にはWBCの野球で日本中が沸き返る、

オリンピックで日本選手を応援する・・・・、

これらはみんな「愛国心」以外の何ものでもない。

そして、戦争回避の努力にも関わらず、もしも他の国が我が郷土日本を侵略してくるようなことがあれば、

その時こそ戦えばいいじゃないか、

「憲法」もへったくれもない、愛する家族や恋人や郷土を守るために、

愛国心に燃えて一丸となって戦えばいい。

国家というのは「有事」に備える能力を持って、はじめて国家としての資格がある。

国民も心のどこかに いざという時の「心構え」だけは持っておくべきだと思います。

世界中の国の憲法が みんな「戦争放棄」ならば一番いいけれど、

現実は「戦争放棄」を唱えているのは 我が日本国だけなのだから。

そういえば 徴兵制がないのも 日本だけだ。

昔から中立国といわれたスイスだって兵役があるのに。

極端に言えば 日本に徴兵制度があっても世界的視野から見れば何の違和感もない。

例えば、戦争のための訓練という目的の兵役でなくても 「育成期間」とでも称して

若者が社会へ出る前に 必須と選択科目を設定してある一定の期間勉強を義務づける、規律のある集団生活をしながら 社会秩序や法律の基礎を学び、科学や医療の技術を身につけたり、農業や漁業の経験とか 礼儀作法とか、読書やスポーツ、音楽や芸術をさせたり、もちろん武器の使い方も教えたり・・・・、

国が面倒見ながらそういうようなことをやれるような

いい方法はないもんかねぇ。

そうすればニートもフリーターもなくなるし、税金も年金もみんなちゃんと納めるようになると思うけどなあ・・・、

これは オレたち年長者の夢のような考えであるが、

たぶん、この様なことを考えている政治家は沢山いるはずである。

ということは 将来、何十年先か分からないが、

日本も徴兵制度のある国になるかもしれないし、戦争が本当におこるかもしれない・・・

でも 現実に今、日本は徴兵制度のない国だ。

こんなに素晴らしいことはない、日本は世界で一番幸せな国だ。

オレが云いたいのは、

こんなに幸せな国に生まれ、今を生きている若者たちは世界一幸せな環境にいるのだということを認識して、感謝して、がんばれ・・・

ということだ。

世界一強い国アメリカの若者たちを見てみろ、

嫌でもイラクへ送られて、何千人も死んでいる。

日本の若者は、遊ぶことも、労働も、勉強も、恋も・・・

なんでもできる。

チャンスはいくらでもあるし、自分の道を自分で決められる。

腹がへったら 夜中でもコンビニが開いている・・・、

こんなに自由でラッキーなことはないのだ。

洋々たる社会の入り口に立って、自分をどう生かしてゆくか・・・

まあ・何事も本人次第だけどね・・・

「教育論」は もうこのへんでやめようかな、

言いたいことも だいたい言ったし・・・・

自分でも分からないのに 難しい論文書いてるみたいで 疲れるばっかりだし、

これからは「エッセイ」をメインにして 

オモロイはなしを集めてみることにしよう・・・

やっぱり「こまた」の研究みたいなはなしの方が オレには向いてるわ。

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