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さよならだけが人生

この盃をうけてくれ

どうぞなみなみつがせておくれ

花に嵐のたとえもあるぞ

さよならだけが人生だ

この詩は直木賞作家の井伏鱒二さんが 漢詩を日本語に訳したものです。

親しい友人と酒を酌み交わし、しんみりと人生をふりかえる・・・

そんな情景を連想させる 大好きな詩のひとつです。

「勧酒 」干武陵

勧君金屈巵(君に勧む金屈の巵)
満酌不須辞(満酌辞するを須いざれ)
花発多風雨(花発いて風雨多し)
人生足別離(人生別離足る)

これが原文です。

井伏鱒二さんは 上品で温かみのある言葉でこれを翻訳し、中国人の詩の中に

日本の「一期一会」に通じるものがあることを表現しています。

酒を酌み交わすこの二人が だいぶ出来上がってきて、

更にボルテージが上がった状況でこの詩を書き換えると

“花は咲いても 嵐がきたらおしまいだ

人生あしたはどうなるか分からない

ガタガタしたってしょうがねえだろ、 

さあ飲もうぜ・・・  

俺の酒が飲めねぇのか・・・コノヤロ ”   (自分訳)

まあ・自分たちのレベルだと このような意味になります。

むかし読んだ「三国志」の中に、詳細は忘れたが、主人公の劉備玄徳が魏の曹操に

「美味しい梅が手に入ったから 二人だけで梅を肴に酒を飲みませんか・・・」

と誘われる場面がある。

関羽と趙飛の二人の忠臣は「策略に決まっている、行ってはなりませぬ」と止めるが

「私は彼を信じる・・・」劉備は単身 宿敵曹操に逢いにゆくのである。

覇権を争って互いに憎しみ合い、戦い続けてきた永遠のライバルが かけひきも何もなしに 現実を離れて僅かな時間心解け合わせ、互いの力を認め合い、

「一期一会」の時を共有したのである。

水の畔の静かな佇まいの庵の中で、梅の実をさかなに酒を酌み交わす・・・・

たぶん原作者干武陵も 水墨画のような幽玄の世界をイメージしたのだろう。

これが現代のオレたちのスタイルになると、 

回りの客の声がガヤガヤうるさくて、

自然と自分たちの会話の声もでかくなる居酒屋で、

枝豆とヤキトリをさかなに酒を飲む・・・、

たいして変わりはないよな、梅よりはヤキトリのほうがうまいと思うけどね。

* 七月七日、久々に東京へ行き、会社の古い仲間と現役の若手も集まって

現役時代に世話になった上司の八十七歳の誕生日を祝い 酒を飲んだ。

高齢で病気療養中であるが 何とかいつまでもお元気でいてほしい・・・

みんな同じ気持ちで・・・、

自分的には(みんなもそうだと思うが) 仕事の先生であり 人生の師匠でもある上司に

親孝行のまね事ができたこと、そういう環境で育ってきたことが何より嬉しく、

幸せなひと時であった。

OBはみんな還暦や古希を過ぎた爺さんばかりで、

筋肉隆々でスマートだった肉体も 今は中年太りの腹となり、頭髪は白くなり、

白でもまだ有れば工夫もできるが、略全滅で もはや手遅れの人もいるけれど・・・、

そのかわり口だけはみな達者になって、活躍した現役時代をふりかえる、

「有朋自遠方来、不亦楽乎」

(とも)有り遠方より来る、また楽しからずや・・・ 

この詩がぴったりの楽しい宴なのだ。

朋とは同じ目的のために学ぶ友のこと、

昔のチームメイトが久々に会うことは楽しいことであるという意味だ、

「興志一来 可狂起耳 侠情一往 可乱酔耳」

興志(こうし)ひとたび来たらば 狂起すべきのみ 

侠情ひとたび往()かば 乱酔すべきのみ

目的ができたら狂ったようにやれ、そしてそれが終ったら乱れるほど酔えばいい・・・

侠情が往くとは“おとこ心がふれあう”という意味だ。

得難きは時、会い難きは友・・・というのもある、

何れも同じようなシチュエーションの名句である。

そして、毎年先輩たちがひとり またひとりと欠けていく現実を知りながら、

“みんなに逢えるのも これが最後になるかもしれない・・・”

心のどこかに そういう自分自身に対する心構えというか 

覚悟のような感情がちらついたのは 大病を抱えた経験のある自分だけだろうか?

ナンチャッテ・・・、

「侠情と乱酔」の言葉を忠実に実行し、飲みたい放題飲んで、散々大騒ぎしたあとで、

一人になると ヘロヘロに疲れ果て、息も絶え絶えでタクシー乗り場にたどり着く

己の体力の衰えを痛感したからだろうか。

翌日は「あ゛~ぎもち悪り~・・・、あっだま痛ぇ~・・・」と嘆く、あの懐かしい症状を久しぶりに満喫?していたが、

ともあれ 東京さ行って無事に戻ってこれたのである。

人生は 結局別離の連続なのだ。

出会いの数だけ 必ず別れがある。

だからこれからは、一日一日を 楽しく大切に生きてゆこう・・・

みんながんばれよ、元気でまた会おうぜ、オレもがんばるから・・・

ということだ。

そのときに ふと思い出したのが「さよならだけが人生・・・」の詩だった。

この詩の意味が 分かるような歳になったということだね。

 

この詩に反論するかのように こういうのもある。

さよならだけが人生ならば  

    また来る春は何だろう

はるかなる地の果てに咲いている 

    野の百合は何だろう

さよならだけが人生ならば  

    めぐり会う日は何だろう

やさしい やさしい夕焼けと  

    ふたりの愛は何だろう

さよならだけが人生ならば 

    建てた我が家 なんだろう

さみしい さみしい平原に  

    ともす灯りは何だろう

さよならだけが人生ならば 

    人生なんか いりません

劇作家で 演出家で 詩人で 競馬評論家の寺山修二の詩です。 

寺山さんは 本当は「勧酒」の詩が大好きなのである。

酒飲みで「俺はいつか肝硬変で死ぬ・・・」そんなことを冗談まじりに言いながら

さよならだけが人生なんて思うのは十年早いよ・・・

前向きに生きようとする 自分への応援歌のように 

「さよならだけが人生」の意味が分かっているくせに、敢えてそれを否定する。

1970年代、オレは毎週末になると競馬場通いをしていた、

スポーツ誌や競馬新聞で 寺山さんのコラムやあまり当たらない予想欄はよく読んだが、

彼がこんなに味のある詩人だったというのを知ったのは

怪物ハイセイコーが引退した頃だった。

そして、サラブレッドの走る姿を人生に例え、競馬はロマンだ・・・と、

頑なまでに主張する彼の考え方に共感を覚えたのも 

ハイセイコーをこよなく愛した彼の晩年の詩「さらばハイセイコー」

出逢ったからである。

「さよならだけが人生」は、人生をふりかえるうただ。

“ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない・・・”

そう訴えつづけた彼が 最後には人生をふりかえる詩を 延々と書いたのである。

増沢騎手のヒット曲じゃないよ、長いけど 素敵な詩を次に紹介します。

  

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コメント

コメントありがとうございます。
そーですねぇ、はるかなはるかな・・・と続けたほうが整合性はとれているでしょうね。 下の段が「やさしい やさしい」とか「さみしい さみしい」だから・・・、多分「地の果てに咲いている」の文字数が多いから 「はるかなはるかな」にすると 俳句や短歌でいう「字あまり」になるのかもしれませんね。 本当のところは寺山さんに聞くしかないですね。
自分としては どちらでもOKですけど。
  

投稿: myway | 2008年1月 9日 (水) 18時15分

この寺山の詩。

二段目
「はるかなる地の果てに咲いている」  の部分が、
「はるかなはるかな地の果てに咲いてる」

と引用しているものが多数派で、しかし前者も少なくはない。
後者の方が、他の段落との整合性が撮れていると思うが、
正解はどちらなのか?

投稿: TTT | 2008年1月 9日 (水) 17時12分

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