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2006年9月

千曲川旅情

カワセミと信天翁さん

9月12日、朝から雨、ハヤブサ号は犀川沿いに国道19号線を北上、

安曇野を抜け長野へ向かう。

Photo_162 犀川・山・雲・蜘蛛

Posiのブログで知り合った長野の信天翁(あほうどり)さんに会いにいくのだ。

Posiと信天翁さんとは7月頃からブログで交流があった、

そのころオラが“渓流で釣りがしたいだの カワセミに逢いたいだの・・・”

贅沢な夢の話をコメントしたら、posiからそれを聞いた信天翁さんが カワセミの巣へ案内してくれるというのである。

Posiと信天翁さんはもちろん初対面だ、オラはそれに輪をかけて初対面だ。

Photo_35 カワセミ(図鑑)

お互い「ポジさん」「信天翁さん」とブログのニックネームで呼び合う、

オラも入って「mywayさん」ということになる。

ネット初心者のオラには 不思議な初体験だ。

価値観を共有するものに本名は必要ないのだ、

でも、ずっと昔からの友人のような親近感がある。

インターネットを使った現代ならではの出逢いだけど、

その出会いをプロデュースしたのは 渓流・カワセミ・昆虫・千曲川の自然・・・・、

詩や音楽や絵画、歴史のロマンやふるさとへの郷愁・・・、

自らの心を癒そうとする人間の本質的な部分なのだ。

「信天翁さん」は立派な紳士で 素敵な団塊オヤジだった。

第一印象だけで こんなにフィーリングの会う人はオラの人生で始めてだ。

インターネットは こんなに素晴らしいこともあるのだ。

現役時代に同じ行動範囲の中で出逢っていたら きっと大親友になっていたと思う。

彼のブログをリンクしたから これからはブログの中で会いにいくことになるだろう。

 

おみやげまでもらってしまった、自家製の杏のジャムに白瓜の粕漬け、それに持ちきれないほどの信州の林檎、

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白瓜の粕漬け  信天翁さんの車 犀川の河原で

 

オラは食いしん坊だから、杏ジャムは次の日には空になって写真に撮るのを忘れた、大失敗じゃ。

せめてものお返しに オラの栽培する「ウコン」を収穫したら送りたい。

「信天翁さん」本当にありがとう。

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カワセミの棲む茂み   川中島

 

カワセミの巣は犀川と千曲川の合流地点、広い河原の端の茂みの中にある。

一日中定点カメラを据えて待っていれば 飛来して枝にとまる姿が見られるかもしれないが、一日中待っているわけにもゆかないので 暫し茂みを眺めてから引き上げた。

犀川と千曲川の合流地点にできた三角州が「川中島」だ。

この川は新潟県に入ると 信濃川と名前を変えて日本海へ注ぐ

全長367km日本一の大河だ。

実際の川中島の古戦場はここから少し離れた場所にあるのだが、

川の流れは生き物と同じ、年月と共に常に形を変え 流れる場所も変化する。

四百年も昔の古戦場が別のところにあるとしても、今現在、ここは紛れも無く二つの川が合流する地点、「川中島」なのだ。 

自分的にはここが川中島だということにしよう。

それでなけりゃ面白くない。

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この日は雨のために増水しているので分かりにくいが、 

画面中央の右手から流れこむのが千曲川、手前が犀川だ。

そして、川中島の戦いで最も激戦だった四度目の合戦が910日だったということは 今日は12日だから およそ四百年前の一昨日のことだ、今オラたちが立っているこの雄大な河原に死傷者がごろごろ倒れ、川の水は血の色で染まっていたのだ。

なんちゃって、得意な分野になると すぐにうんちくを傾けたくなるのが オラたちオヤジ世代の悪い癖だけれど、オラはこんなことを知っていると偉そうに自慢したいのが本音だけど、若い人たちに歴史のロマンを伝え、教えてやりたいのも事実だから、次回はもう少し詳しく 信玄と謙信の名勝負、川中島の戦いのお話をすることにしよう。

T_noike001 オオムラサキ(図鑑)

川中島を後にして 千曲川の河川敷に国蝶オオムラサキの繁殖する榎(えのき)の群生地へ案内してもらった。

オオムラサキは榎の葉にたまごを生み、幼虫は榎の葉を食べてサナギに成長してゆくということだ。 蚕(かいこ)が桑の葉を食べるのと一緒で、オオムラサキも榎の葉しか食わないのだ。

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榎の群生        榎の葉

 

千曲川のうた

千曲川といえば オラの世代は 先ず島崎藤村の詩を思い浮かべる。

小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ
   緑なすハコベは萌えず 若草の籍くによしなし
   しろがねの衾(ふすま)の岡辺 日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど 野に満つる香りも知らず

浅くのみ春は霞みて  麦の色わずかに青し

旅人の群れはいくつか 畠中の道を急ぎぬ

暮行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛

千曲川いざよう波の  岸近き宿にのぼりつ

濁り酒濁れる飲みて  草枕しばし慰む

昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ

この命なにをあくせく  明日をのみ思ひわずらふ

いくたびか栄枯の夢の  消え残る谷に下りて

河波のいざよふ見れば  砂まじり水巻き帰る

嗚呼古城なにをか語り  岸の波なにをか答ふ

過ぎし世を静かに思へ  百年もきのふのごとし

千曲川柳霞みて     春浅く水流れたり

たゝ゛ひとり岩をめぐりて この岸に愁を繋ぐ

だからどうした・・・と言われてもオレには返す言葉はない。

でもこれは 難しい。

正直なところ よく解らない、雰囲気はなんとなく理解できるけど、

やっぱり難しい、第一 字が読めないよ。

文豪と呼ばれる人の詩や小説は レベルが高すぎるのか 

オラたち現代人には難解なものが多い。

特に明治の文豪は難しい、オラも若いころ随分挑戦してみたが、

藤村の「夜明け前」は10頁くらいでギブアップしたし、

森鴎外の全集に到っては 読めない漢字ばかり出てきて、1頁で撤退した。

字が読めない、意味が分からないのに頑張って読破する根性なんてなかったもんな。

漱石・芥川さんあたりは 面白く読めたけどね。

文学の世界でも 古典は貴重なものだろうけど、

時代に合ったものでないと理解が難しいということかね。

同じ千曲川なら 五木ひろしの歌のほうが オラには親しみやすい、

水の流れに 花びらを 

そっと浮かべて 泣いた人

忘れな草に 帰らぬ初恋を

想い出させる 信濃の旅路を

これは山口洋子さんの作詞だけど、藤村の千曲川の現代版かもね。

少年のころに出逢った歌や詩は チンプンカンプンでもいいのだ。

誰でも色々なことがあって、良いことも悪いことも 経験を積み重ね、

やっと大人になって 始めてその詩の心が解ったり味わうことができるようになるのだろう。 

藤村の詩で一箇所、 現在のオラには大好きなところがある。

昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ

このいのちなにをあくせく 明日をのみおもいわずらふ

ここはいいね、こんな心境になりたいね・・・、

藤村はやっぱ凄いよ、

藤村の「千曲川旅情のうた」は 日本の近代文学の原点かもしれない。

いつの時代も 優しい詩の題材となる千曲川は日本人の心のふるさとだ。

美しさと、長閑(のどか)さと、悠久のロマンをのせて、

この川は あくせくなんかしていない、今日もゆったりと流れている。

今回のオラの旅は 人生で初めて旅情という言葉を味わったようだ。

あれがしたい、これが見たい・・・とりあえず欲望というものが叶えられた。

林昌寺の住職は 父の位牌へ経をあげてくれた、

Posiは 渓流へ・里山辺や温泉にも連れて行ってくれた、

久美ちゃんは釣った魚を美味しく食わせてくれた、

信天翁さんという素敵な人物に出逢い、カワセミの棲む犀川の河原で雄大な川中島を眺望できた、千曲川オオムラサキの生息場所も案内してくれた、

そしてハヤブサ号もよくがんばって走ってくれた・・・

猫のネ子(猫の名前)も一緒に寝てくれた・・・、

でも こいつはオラたちがおみやげに持って帰った魚を食わなかった、

オラたちは 猫が食わない魚を喜んで食っていたことになる、

「ネ子」はキャットフードしか食わない猫の現代っ子だ。

ま・いいか・・・、猫の教育問題まで悩むことはない。

兎に角 みんなに「ありがとう」だ。

今日まで元気に生きてきて本当に良かった、もう思い残すことはない・・・、

なんてこと云ったら 死んでしまうと困るから、次の目標に向かわなければいけない、次は何にするかまだ決まっていないが、とりあえず腰痛と膝痛治したい。

Photo_37 ネ子

蛇足

ところで この猫の名付け親はオラだ。

数ヶ月前、弟の家に若いメス猫が住み着いてしまった、

名前をどうしようとメールがあった。

猫なら「ネ子」に決まってるべ・・・一発で決定した。

意外といい名前だと自負している。

これが仮に「馬」だったらどうか?

やはり「ウマ」でOK牧場だろう

もしもその「ウマ」が競走馬だったとしたら、実況のアナウンサーは困るだろうな、

「四コーナーを回って直線、大外からいい脚で伸びてくる馬は?・・・

ウマです・・・!・・・ウマ・ウマです!・・・?

他の馬を差しきって・・・ウマが一着でゴールイン・・・!!!」

競馬場が笑いで包まれると思うけど、

オラが馬主なら 絶対「ウマ」と命名したい、

こんなSimple is best はないと思うけど・・・、

せっかく千曲川旅情のいい雰囲気できていたのに 

また オヤジギャグになってしまった。

やっぱりバカだねオラは・・・長生できるといいけどね。

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信州松本すすき川

Photo_133 9月11日、オラの弟でブログの先生「Posi」とすすき川の上流へ向かった、久々の渓流釣りだ。 

松本へ行くと なぜか“オラ”になってしまう、

“私”というのが最善だけど、“不良おやじ”と宣言している手前、ずっと“オレ”で通してしまったが 

今回は特別に“オラ”にしよう。

ま・そんなくだらんことは どうでもいいのだが・・・

Posiの愛車は「ハヤブサ号」ナンバーは8823、信州の田舎道を走るには最適の車だ、 しかもチョー遅い。

ところが、翌12日に千曲川へ行ったとき 国道19号線で なんと90キロの自己ベストを記録した、これ以上出したら空中分解しそうなくらいスピード感も充分に味わえた。

よくがんばりました「ハヤブサ号」ありがとう。

8823

朝、おにぎりを作る、中身は自家製の梅干し「お梅ばあちゃん」だ。

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製作中      包装紙      完成品

 

上州屋でぶどう虫とサシを買って・・・

すすき川沿いを上流へ向かう、さすがは信州、道端にはコスモスが満開、

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これぞ本場の「うす紅の秋桜」だ、Photo_135

             秋の日のなにげない陽だまりに揺れている。

 

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夢にまで見た渓流

絶好のポイントが沢山あったけど、山道から川へ降りられない・・・!

急坂の難所ばかりで、しかも最近 オラは腰痛や変形性膝関節症で病院通いだ、

松本へ来る前日も注射を打って来たし、岩肌を登り降りする自信がない、

第一、胴付き長靴もない軽装だ。

若いころは こんなとこ平気で降りたのに・・・体力の衰えを痛感する。

まあいい、こんな渓流へ来られただけでも幸せだ・・・。

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なんちゃって 負け惜しみを言いながら、流れのそばでおにぎりを食って、

マイナスイオンの中で充分に深呼吸してから 麓へ戻ることにした。

山へ登る途中で 比較的川幅の広いところで フライの釣り人に出会った。

あのへんでやるべえ、釣れればいいのだ、フライフィッシングをしているくらいだから 大物もいるべ・・・・

ということで 足場の安全なところへ戻ってきた。

Photo_145 ここで安全な釣りをした。

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釣れたけどウグイばかり、ウグイなら餌はサシで充分だ。 二人で一時間20匹、小さいがこんなもんでも楽しめたから満足だ。

リリースしようとしたが、久美ちゃん(小料理屋の女将)に釣りに行くと宣言していたので、証拠品を持っていくことにした。

美味いかどうか、オラは自分で釣った魚は鮎以外食ったことがないし、ましてやウグイなんて川魚が美味いとは思えなかったが・・・

小さいのは唐揚げに、一つだけ大きいのは山椒味噌で焼き魚になった。

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ところがこれが美味いのだ、

流石は小料理屋だ、素材が新鮮ならどんな魚でも料理の仕方で美味しく食えるということだ。 隣に座った大阪弁まるだしのオッチャンたちも美味いと云ってくれた。 松本で大阪弁を聞くとは思いがけないことだ、オッチャンの持っていた携帯はやっぱり阪神タイガースのデザインだった。

 

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夕方 松本市郊外の里山辺あたりを散策、のどかな田園風景を眺めて歩いた。

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こうべを垂れる稲穂

Photo_161 蕎麦の畑

 

Photo_155 畑の中に古墳がある

Photo_156 Photo_157 針塚古墳

これこそ田園だ、横浜のオラの家の近所にも田畑はあるけれど、“田園都市線”も走っているけれど(カンケーないか?)、やっぱり田舎の田園には負ける。

空気がちがう、水がちがう、静けさがちがう・・・何もかも違う。

このあと温泉に入って、夜は久美ちゃんの店へ行ったのだ、もちろんハヤブサ号はお休みだ、「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」だべ。

つづく・・・次の日は千曲川へ

 

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思い出の曲(2)

The Five Pennies

そういえば オレはあの頃好きだった外国語の曲は 

みんなそらで口ずさむことができる。

歌詞の意味を問われても困るけどね、

ビングクロスビー、プレスリー、ポールアンカに ドリスデイに、

それからプラターズやサッチモおじさんのも・・・・、

カラオケのメニューにあれば 今でも唄ってみたいと思う。

たぶん、バイトばかりやっていて授業に出なかったのが良かったのだろう・・・?

社会人になってからは 好きな曲をゆっくり鑑賞するヒマもなくなってしまったが、ダニー・ケイの「五つの銅貨・The Five Pennies」の映画に感動してサントラ盤のレコードを手に入れた。

そのアルバムの中の「ラグタイムの子守唄・Lullaby in Ragtime」にしびれて、丸暗記で口ずさむほど 繰り返し聴いた。

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娘が三歳のころだった、

オレの膝の上で なんと英語でそのララバイを唄うのだ、

いつもオレが聴いている曲を そばにいた彼女が暗記してしまったのだ。

たどたどしく唄うその声が カワユクテ・カワユクテ・・・?!

映画の中でレッドと娘のドロシーが歌った あの設定とおんなじで、

しまいには 記念にとっておこうと二人でデュエットしてテープに録音した。

幸せだったね・・・、

いい曲というのは 幸せな思い出を作ってくれる、

そんなこというと 今は幸せじゃないみたいだけど、

今は今で まぁ それなりだけどね。

男親には 娘というのは特別の存在なのだ、

娘は 物心ついてから音楽に興味を持って、

中学から高校までは吹奏楽部でラッパを吹いて

ピアノは幼児のころから習い、大学はピアノ調律の専門学校へ進んだ。

ラッパもピアノもなかなかの腕前で・・・、親バカかな?

彼女が音楽を愛した原点は、

赤ちゃんのときに耳に入ったあのジャズの一曲、Lullaby in Ragtimeだったのかもしれない。

現在はもう 子育てに奮闘する二児の母だけどね。

Photo_29  彼女がLullaby in Ragtimeを憶えたのは

音を耳から脳へ ダイレクトに取り込む感性だ。

子供だから出来る能力なのだ。

オレも 子供のころに百人一首を全部暗記したことがあったが、

若いときは 聴覚も視覚も、五感の全ての機能が絶好調で、

脳細胞も それを処理する性能に優れていたのであろう。

それが今では 

かみさんと二人でテレビを見ていて タレントの名前が出てこない、

「この人 誰だっけ、ほら、あれに出てた人・・・」

「あれって何よ?」

「あれって、あれよ・・、この前も出てたじゃない・・・、

あ~! 思い出せないと気持ち悪い、あんた早く言いなさいよ・・・」

“キミマロさん”がいうように、

夫婦二人で中高年漫才をやるようになってしまった。

桂歌丸さんの落語CMにあったが

「お婆さん、頂き物は山形屋の海苔かい?」

「いいえお爺さん、頂いたのは 山形屋の海苔ですよ・・!」

「なあんだ、わしゃ 山形屋の海苔かと思ったよ・・・!」

あと十年もすると オレもかみさんも、こうなるのかしら?

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ところで「五つの銅貨」のはなしであった。

これはオレが観た映画の中で №1の素晴らしい映画だ。

レッド・ニコルスと彼のバンド「ファイブペニーズ」の伝記だが、

デキシーランドジャズという アメリカにはこんなにも素晴らしい文化がある、

明るさ、笑うことの大切さ、忍耐、家族の絆、友情、優しさ・・・、人の作った格言を全て集約したくらいに この映画はいろいろなことを教えてくれる。

全編を微笑みながら見ているくせに 涙が溢れるのである。

そして パパに見せるものがあるといって 小児麻痺の娘が車椅子から自力で立ち上がって歩きだす、その部屋にサッチモおじさんやバンドの仲間たちがラッパを吹きながらお祝いにやってくるラストシーンは もう涙が止まらない。

フィナーレは「リパプリック賛歌The Battle Hymn of the Republic

これこそフィナーレという曲だ。

日本人に唄わすと「オタマジャクシはカエルの子・・・」の曲だ。

ダニー・ケイとサッチモおじさん(ルイ・アームストロング)の掛け合いにこういうのがある。

「さっきと同じ風に吹けってか?」

「おまえさん、ウグイスにさっきと同じように鳴けっていうのかい?・・・」

トランペット奏者としてのアームストロングが 楽譜というマニュアルに頼らず、いかに感性豊かなアーティストであるかを物語る名言である。

ルイ・アームストロングLouis Armstrongは 二十世紀のアーティストのカリスマだ。

今 ロックが好きな日本の若者たちも、まだ聴いていない人がいたら、

彼の「聖者の行進」「この素晴らしき世界What a Wonderful World

「ハロードーリー」など、一度でいいから聴いてもらいたいよ、

そして、「五つの銅貨」の映画をみせてやりたいよ・・・

サッチモおじさんもレッドも、今やジャズミュージックの英霊や御神体のようなものだ。 神社へお参りするような気持ちで 謹んで拝聴するといい。

五十年も前の作品だからもう映画館で観る機会はないが、CD探せばいいべさ。

ちなみに 前記事で卒業式の夜に「エクストラ」で聴いた

On the sunny side of the street の演奏はトミー・ドーシー楽団で、

トミーはレッドの楽団「ファイブペニーズRed Nichols and his Five Pennies」でトロンボーンを吹いていた。 更に後で分かったことだが、トミーはオレが大好きになった「My way」を唄うシナトラの先生だったそうである。

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六十年前、日本はアメリカと戦争してコテンパンに負けた。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」

昭和天皇の玉音を 日本人はみな無念の涙で聴いた。

そして、進駐軍が日本に持ち込んできたのは、

「民主主義」という自由と、

「チョコレート」という甘いお菓子と、

「ジャズ」というエンターテインメントだった。

米軍の爆撃で東京は焼け野原になった、

東京だけじゃない、横浜も大阪も神戸も、そして広島、長崎も・・・

アメリカが憎い、悔しい、悲しい・・・

大人たちはみんな断腸の思いで焼け野原を見つめ、

残虐非道な敵国アメリカを怨んだ、

そして悲しく辛いなかで、誰の心にも やっと戦争が終わったという安堵感で満たされていたのだ。

やがて その焼け野原になった街に ジャズの音楽が流れた。

それを聞いて育った子供たちは(オレもその一人だが)、 

いつの間にか 憎いはずのアメリカが大好きになってしまった。

   

映画「瀬戸内少年野球団」のメインテーマは

“ブキウキだけが俺のララバイ いい夢見るぜ・・・” 

グレン・ミラーの「イン・ザ・ムードIn The Mood」だ。

In The Mood On the sunny side of the street も、

日本人に明るい笑顔を与えてくれた。

戦後の日本が驚異的な復興を果たし 世界トップクラスの豊かな国に発展したのは

悲しいことを良い方向に転化させる 柔軟性と民族の資質の高さがあったからだ。

これが戦後から現在に至る 日米の友好と同盟の構図である。

よくよく考えてみれば、直立不動で整列する部下を上官が殴り倒す日本軍は、ジャズを口ずさみ、葉巻をくわえた部下が上官と笑って会話している米軍に勝てるわけねぇんだよ・・・と、「コンバット」に出てくるサンダース軍曹たちを観ながら思ったのである。

日米を比較すると 伝統・文化は日本が上であっても、

「明るさ・笑顔」という国民性に於いてはアメリカのほうが何枚も上手だったのだ。

大リーグで活躍するイチローや松井が いいプレーをすれば観客はみな拍手で褒め称える、

スポーツばかりではない、芸能やその他の分野でもアメリカ人は 良いもの・優れたもの・素晴らしいものを素直に受け入れて、スタンディングオベーションだ。

外国人であろうがなかろうが関係ないのだ。

我ら日本人は そこのところがイマイチなのだ、

例えば 最近の大相撲は外人力士ばかりが強くて・・・、

それがなんか悔しくて 素直に賞賛できないのは自分だけだろうか?

根性が狭いのか 伝統に対するプライドが高すぎるのか、日本人が反省すべきところかも知れない。

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戦後 日本の音楽、芸能などを志す人たちは、

米英のアーティストに影響を受ける人が少なくない。

萩本欣ちゃんは無名の若いころ 敬愛する喜劇王チャップリンの家の前で 会ってくれるまで待っていたそうである。

「笑点」で林家木久ちゃんが“イヤンバカン・・・”と唄う曲は「セント・ルイス・ブルース」だ、昭和のストリップ劇場のメインテーマ曲になってしまったから、木久ちゃんもそれをネタに使っているが、

本来はルイ・アームストロングの名演で有名な不朽の名作だ。

ストリップショウにジャズの曲が使われるということは、

ジャズが庶民的で大衆に親しまれているという証拠だ、

ストリップ劇場にモーツアルトは場違いだということだ。

トロンボーン奏者の谷敬さんはダニー・ケイに憧れてつけた名前だし、

ボードビリアン益田キートンはバスター・キートンだし・・・、

芸名を調べればもっと面白いのが沢山あると思うけどね。

またまた余談であるが 後でわかったことだが、

オレが持っていた何枚かのレコードの中に「ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ」の西部劇の主題曲を集めたLPがあって、そのジャケットの写真に あの「いかりや長介さん」がベースを抱えて立っていた。 

クレージーキャッツもドリフターズも ジャズバンドであることは知っていたが、

長介さんは ドリフターズの前はここでやっていたのだ・・・!

ということが分かったのである。

(写真はレッド・ニコルス)

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The Five Pennies

   This little penny is to wish on and make your wishes come true.

This little penny is to dream on and dream of all you can do.

This little penny is dancing penny,

See how it glitters and it grows,

As bright as a whistle, light as a thistle,

Quick, quick as a wink, up on it` s twinkling toes.

Oh, this little penny is laugh on To see that tears never fall.

This little penny is the last little penny and most important of all.

For this penny is to love on, and where love is heaven is there,

So with just five pennies if they’re these five pennies

You’ll be a millionaire.

        これは願い事の銅貨 願いをかなえてくれる

        これは希望の銅貨 夢を見せてくれる

    これは踊る銅貨 キラキラ輝いている

    口笛のように軽く 花のように明るく

    まばたきのように ほんの一瞬だけ

                                   

    これは笑いの銅貨 涙から守ってくれる

    これは最後の銅貨 何より大切なもの

    愛を教えてくれる 天国のある場所を

    五つの銅貨があれば 君は百万長者さ

    

                                                                                                                                     

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思い出の曲(1)

Johnny Guitar

Play the guitar, play it again, my Johnny

Maybe you’re cold, but you’re so warm inside

I was always a fool for my Johnny

For the one they call Johnny Guitar

Play it again, Johnny Guitar.

What if you go, What if you stay, I love you.

What if you’re cruel, you can be kind, I know

There was never a man like my Johnny

Like the one they call, Johnny Guitar.

西部劇映画「大砂塵」の主題曲で 

ペギー・リーの歌う「ジャニーギター」

この曲を初めて聴いたのは高校生のころだった、

うら悲しいというか もの寂しいというのか・・・、

一句一句を噛み締めるように歌うペキー・リーの歌声とそのメロディーが 何だか分からないけど切なくて、聴きながら涙がでそうになる自分がそこにあった。

あの頃はなぜか 世の中や 学校や 家のことや・・・・、

自分を取り巻く何から何までが

やたらと腹が立ったり、悲しくなったり・・・、

どっちを向けばいいか、どうすればいいかも分からず、

今になって思えば、あれは何だったのだろう・・・?

ケイシーリンデンの唄う「悲しき16Heartaches At Sweet Sixteen」がヒットしていたころで、自分も同じ16か17歳の多感な時期だったから、

青春の入り口というか、思春期というのは ああいうものなのだろうか。

そして、好きなジャズ系のレコードを集め、部屋でひとり聴きながら 

ブルーな心を癒していたのだ。

音楽に対して感情が敏感に反応するのも思春期の特長なのかもしれない。

ギターを弾いてよ もう一度 私のジャニー、

冷たい人にみえるけど 本当はとても温かい

私はいつも あなたに夢中

ジャニーギターと呼ばれる男に・・・

もう一度弾いて・・・ジャニーギター

あなたが行こうと行くまいと 愛しているわ

冷たくされても 優しい人だと分かっているわ

私のジャニーみたいな男は ほかに誰もいない

ジャニーギターと呼ばれる あなたのような男は・・・

日本語に直してみれば なんてこたぁない、くっだらねえ内容の詩だ。

でも、詩の意味なんかどうでもよかった、

大人になってからは詩の内容に共感して好きな歌を選ぶようになったが、あのころは曲の流れというか、歌声やムードに酔っていたのかな?

要するに“音”を受け止める聴覚が 感性に直接影響を及ぼすのだ、

現代の若者がロックのリズムに反応するように、

とにかくあの頃は このジャニーギターにシビレていたのだ。

今になって考えると これはアメリカの演歌だ。

ペギー・リーは どこか松尾和子に似ている、

ジャニーギターの もの悲しさは  

“みんなは悪い人だというが あたしにゃいつもいい人だった”と唄う「再会」に どこか似ている。

八代亜紀の“お酒はぬるめの燗がいい・・”「舟唄」の雰囲気にも似ているのである。

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My funny Valentine

大学生になっても オレの音楽に対する嗜好は変わらなかった。

今度は「マイ ファニィ ヴァレンタインMy funny Valentine」とか

行ったこともないのに「想い出のサンフランシスコ」とか、岸洋子「夜明けのうた」、越路吹雪「愛の賛歌・・・」、

まだいろいろあったけど、傾向としては バラード調というのだろうか、

“大人の恋”を唄った曲にシビレていたのだ。

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渋谷に“エクストラ”というバーがあった。

地下への階段を下りると、フロアは広く 落ち着いた雰囲気のお洒落な店で、卒業間近のころには いつしか常連となっていた。 

カウンターで静かに流れるジャズを聴きながら、バーテンのブンちゃんと時々会話を交わしながら、ウィスキーのダブル一杯で 一時間も粘って、

一人で格好つけて・・・早く大人になりたかったのかな・・・?

My funny Valentine, sweet comic Valentine

You make me smile with my heart・・・・・”

うす暗い灯りの中で タバコの煙をゆっくりと くゆらせながら

「マイ ファニイ ヴァレンタイン」を静かに聴く・・・

この曲には 強い酒が似合っている、

ジンフィーズとかハイボールとか そんな軽い飲み物ではだめなのだ、

ビールじゃもっと似合わない。

自分なりに そういうこだわりを持って、

本当はヘネシーのブランデーあたりならカッコいいのだが、

高い酒は注文できないから いつもサントリーの角だったけど、

それはそれでまたカッコいいのだと思っていた。

千円もあれば 映画を観てから喫茶店にいける時代だったが、

アルバイトで金を稼いでは この店に通ったり、仲間と旅行したり、

LP盤のレコードを買ったりしていた。

阿川泰子のアルバムの中で この“My funny Valentine”を何度も繰り返し聴いて、 そらで唄えるようになるほど 憶えてしまった。

阿川さんの あの頼りないような歌声がとても魅力的で、

大人の女の色気を感じさせるようで・・・・、

あれ以来 オレは阿川泰子さんのファンになった。日本のジャズシンガーで あれほど英語を英語らしく唄えるのは彼女が一番だ。

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 On the sunny side of the street

この店で ある時カナダ人の留学生が隣に座った、青山学院?だという。

なんか分からんが、ややこしいカクテルを注文して、グラスに入ったマーブルチョコの小粒みたいなものをつまみにして、オレにも食えと勧めるのだ。

そして、達者な日本語で ああだこうだと話しかけてくる、

カナダという国は国土の面積の半分以上は湖だ・・・とか、

トロントでフィアンセが僕を待っている、

卒業して早く彼女に会いたい、愛しているから・・・とか、

そんなこと聞いてねえよ!!!

「君は我が運命You Are My Destiny」の曲が流れると、

ポールアンカはカナダの出身だ・・・とか、カナダのお国自慢を三十分ほど喋りまくって、一杯のカクテルを飲み終えると、バッグから参考書であろうか 分厚い本を出して、本のページの間に挿んであった千円札を出して ちゃんとおつりを貰い、530円(だったかな?そこまで憶えてないが)領収書を要求して、さっさと帰ってゆく、

「フィアンセによろしくネ!」

「アリガトウ、君もお元気で、バイバイ・・・」

頭の上で手を振り ご機嫌で出ていった。

それから、一分もしないうちにドタバタと足音を立てながら血相変えて戻ってきた。

本だけ持って、足元に置いたショルダーバッグを忘れたのである。

彼が再び消えたあと やっと静寂が戻った。

バーテンのブンちゃんと二人で顔を見合わせ、同時にふき出した。

「何じゃ あれ?・・・トンモロコシの毛みたいな頭して、騒々しい奴だな、あの領収書は何なの?理解できないな・・・、」

「酔ってるんですよ・・・」バーテンのブンちゃんがいう。

「口から先に生まれてきたみたい、あいつオチ研(落語研究会)じゃないの?大丈夫なのか、卒業できるのかな?」

残していったチョコの粒を つまみながら云ってみたが、

だがまてよ、他人事ではない、卒業の件はオレも不安でいっぱいだ、なにしろ授業は出てないし、入学した時以来、教科書を買ったこともないのだ。

「オレ、卒業できなかったら どうしよう・・・、」自身の深刻な話題に変わってしまった。

「大丈夫、何とかなりますよ・・・」ブンちゃんは明るい笑顔だ。

そして三月、単位ぎりぎりで、なんとかセーフで卒業式のあと、

仲間四人で祝杯を挙げに「エクストラ」へ行った、

ブンちゃんに卒業証書を見せたかったのだ。

お祝いだと云って みんなにジョッキ一杯の生ビールをご馳走してくれた。

「よかったね、エライ!スゴイネ・・・」

オレの卒業証書を広げてみながら ブンちゃんが大げさに褒める。

勉強もしてないのに、エラかないよ・・・というと、

普段勉強している人が卒業できるのは当たり前だ、

勉強しなかったのに卒業できたのだからあんたは偉い・・・とブンちゃんはいう。

オレの心に何時までも残った ブンちゃんの嬉しい名言である。

そして、「この曲 知ってるよね?」といいながら一枚のレコードを流してくれた。 ジャズのスタンダード、「明るい表通りでOn the sunny side of the street」だった。

“どこの街にも明るい陽が当たる表通りと、蔭の場所がある、

物事には 良いことも悪いこともあるさ、

俺たちはいつも笑顔で 良いことを見つけて歩いてゆこうよ・・・”

この曲にはそういう意味がある。

あれから四十年も過ぎた今、その意味が分かったのである。

ブンちゃんは これから社会へ出て行くオレたち若者にエールを送っていたのだ。 

彼とは長い付き合いだったのに、ジャズが大好きで、いつも笑顔で・・・、

彼のことはそれしか知らない、 自分のことを語ったことがないのだ。

いつもオレの話の聞き役だったし、バーテンダーとはそういう商売なのだ。

そして、オレが学生で金がないことも知っていたけど、 

ダブル一杯で一時間座っていても 嫌な顔ひとつしたこともない、

余談になるが、 一度だけブンちゃんがバーテンダーの心得を語ったことがある。

それは“お客様のプライドを気遣うこと” だそうである。

例えば 酒飲みはだれでも 俺は酒が飲めるというプライドがある、

バーテンが相手するようなところへ来る客は 特別プライドが高い、

この客はもう限界だと思っても水を出したら客のプライドを傷つけることになる、

客が水をくれといわない限り 決して水は出さない、

カクテルを作るにも 強い酒の割合を手加減する、

つまり アルコール度が高い酒の分量を少なくするのだ。

どの程度から手加減を始めるかは 客を見ていれば分かるのだそうである。

それでもメニュー通りの勘定はとるが、それがお客様に対する気遣いなのだという。

「へぇ~、そうなんだ・・・なるほどね」彼はみんなお見通しなのだ。

そして最後に「でも やっぱり笑顔が一番ですけどね・・・」

今になって思えば ブンちゃんの言葉はどんな商売にも通じる格言だ。

 大丈夫、何とかなる、勉強しないのに卒業できたのはエライ、

・・・これは自信を持てということだ。

 On the sunny side of the street・・・良いことを見ようよ、

 お客様のプライド・・・これは優しい心のことだ、

 そして やっぱり「笑顔が一番」なのだ。

あのころブンちゃんの年齢は三十くらいだろうか、まだ若くオレたちとたいして変らないのに、オレたちのような半端な大学生よりも 遙かに大人で教養人だと思うのである。

オレは学校で勉強しなかったかわりに この「エクストラ」という教室で楽しく勉強していたのかもしれない。

On the sunny side of the streetは 今でもこれを聴くと 足の先がいつの間にかリズムに乗ってくる、あの時ブンちゃんがこの曲を聴かせてくれたおかげだ。

「大丈夫、何とかなるよ、明るい笑顔で 陽の当たるところを見ようよ・・・」ブンちゃんの言葉が聞こえてくるようで、「エクストラ」と共にオレの青春の一番明るい想い出だ。

   サイドバーの「マイリスト」にこの曲をリンクした、無料で聴けるジャズのHPだ、Homeに戻れば他にも沢山聴ける、でも音量注意だ、仕事中は叱られても知らないよ・・・、弟のHP「エンジェルレコード」にもオリジナル曲が沢山あるよ、オレのブログはシロウトの暇つぶしだけど、マイリストのホームページはみなプロフェッショナルだ、寄り道して楽しんでね・・・

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 One rainy night in Tokyo

ちなみに 妻と初めてデートしたのも この「エクストラ」だった、

One rainy night in Tokyo. 濡れた舗道には 揺れる灯火がなぜか切なくて、なんにも要らない二人だけの夜 交わす瞳が 囁くI love you ”

ブレンダ・リーが日本語で歌う「ワン レィニィナイト イン トーキョー」これがチョーかっこいかったのだ。

若い恋人たちを その気にさせる歌なのだ。

東京でオリンピックがあった年、これがウチの夫婦の思い出の曲だが、

ここでは女房の話をしたいのではない、

聞かれてもいないのに 女房の話をするのは野暮というものだ、

あのころは 男が気障(キザ)でいられた時代だった。

恋した女の 一人ひとりに それぞれの“思い出の曲”があった、

恋人に そういう思い出を作ってやるのが男のスタイルであるかのように・・・

そんなことを云うと 自分は相当カッコいい軟派みたいだが、

現実は 常に誠実で必死で、そして かなりずっこけていた。

また聞かれてもないのに 何を今更弁明しているのか、

だから私はアホヤネン・・・なのである。

ある時 晴海の自動車ショーで一緒にバイトしていた女子大生と銀座でデートした、ヨーコちゃんという横須賀の良家の娘で、彼女はオレにとっての「港のヨーコ」だった。

ミートソースとナポリタンの違いを教えてくれたのは彼女だ。

築地のあたりで 映画館が二軒並んでいた、

左側は ギターのメロディーで有名な「禁じられた遊び」、

右の映画館は「世界残酷物語」というのをやっていた。 

彼女は「禁じられ・・」が観たかったようだが、

オレは「世界残酷・・・」が面白そうだといって右のほうへ入った。

ヤコペッティ監督、動物の生存競争のドキュメンタリーで、本当に残酷な場面がいろいろあった。  そして、中国の市場で食肉用の犬の死骸が並んでいるシーンを見ているうちに ついにオレは気持ち悪くなってトイレに駆け込みゲロを吐いた。

彼女はケロッとして 平然と最後まで映画を鑑賞していたのに。

その映画のラストシーン More than the greatest love the world has knownこの世が知っている最大の愛よりも大きな愛を・・・

「モアMore」というアンディ・ウィリアムスの曲が流れた、

映画の内容とは全然違う 美しい地球の景色と 素晴らしいメロディーだった。

ずっこけたデートだったが この曲は彼女との思い出だ。

彼女はたぶん 忘れているだろうけどな、

残酷シーンを見て気持ちわるくなったり、モアのメロディーが忘れられなかったり、これは一般論ではないが、基本的には女の子の方が度胸があって、現実的で、男の子のほうが 本当はずっと弱虫でロマンチックだ。

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何年か後に 沢田研二が「カサブランカダンディ」という曲を歌った。

“ボギー ボギー、あんたの時代は良かった、男がピカピカのキザでいられた”

今オレが云いたいことを あの時彼が唄っていたのだ。

これは阿久悠の作詞、阿久悠さんも キザな振る舞いで女を口説くことがダンディといわれた時代の男のこだわりや心情を伝えたかったのだろう。 ボキーとは映画「カサブランカ」の名優ハンフリー・ボガードのことである。

ホントにあの時代は良かったよ、

自分も思い切り青春したし、ウエストもスマートだった、

今じゃ 女どころかハエも寄りつかねえよ・・・

孫娘は遊んでくれるし

最近 プールで顔見知りになったバアサンと

お友達になっちゃいそうだけど、

六十歳以上十歳未満限定じゃ 話にもなんねぇ、

その中間層が希望なんだけどな、

最後に一句、オリジナルだ、

音楽には 心を癒す力がある

美しい曲は 遠い昔の恋の涙を 

温かい思い出に アレンジしてくれる

歩いた道が 優しい曲で溢れていれば

思い出の数だけ 心は豊かになれる

明るい笑顔と 人を肯定する心があれば

これからのマイウェイは 無敵だと信じたい

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8月お散歩カメラ

Photo_101 8月11日

このへんは一日で回りきれないほど沢山の公園があって、それがみな緑の小径でつながっている。

“ささふねのみち”“ゆうばえのみち”“せきれいのみち”、

なかなか洒落た名前がついている。

豊かな自然の山や池をそのまま利用して、どれも人が手を加え

計画的に整備されたきれいな公園だ。

いつ歩いても人影が少なくて、すれ違うのは年寄りばかり・・・

仕事を引退して もう一年半も経ったが、

一番感じることは 世の中には年寄りが沢山いるということだ。

爺さん婆さんがこんなに沢山いたとは知らなかったよ。

そういう年寄りの沢山いる環境の中に いつの間にか自分も居るのだ。

なんか やだねぇ、

基本的に オレは年寄りがきらいだ、

うるさいし、自分勝手で 偉そうなことばかりいうし・・・、

若いころから年寄りには随分苦労させられたから・・・・。

でも、しょうがないのかな、

誰でもいつかはそうなるのだ・・・、いや、既にオレはそうなっている。

それが証拠に このブログでも偉そうに好き勝手なこと書いている。

せめて子供や孫たちに、いいお爺ちゃんだと思われるようにしたいけどな・・・。

そんなことを思いながら “ささぶねのみち”をゆっくり歩く。

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大きなカラスアゲハが水辺にとまっている、

そっと近づいて地面に膝をつき、

四つん這いになってカメラを向けた、

散歩の老夫婦が向こうから近づいてくる、

ヤバイ・・・!

早く撮らなければ 彼らの足音で蝶が逃げてしまう、

慌てて何枚もシャッターを押した。

老夫婦は五メートルくらいのところで立ち止まった。

オレの格好を見て 状況が分かったのだ。

オレと一緒になって息を凝らして じっとしている。

幸い蝶は逃げなかった、10枚くらい撮ってから立ち上がると彼らも歩きだした。

「アゲハですか? 撮れました?・・・」

「はい、ありがとうございます・・・」

いい人たちだ、こういう年寄りなら好きだな、

本当に“ありがとう”の言葉が素直に出た。

Photo_112

◆◆◆◆

8月12日

家から歩いて15分のところに鴨の住む池がある。

大きな池に鴨が沢山泳いでいる。

森の上から大きな鳥が飛んできて対岸の枝にとまった。

羽を伸ばすと 1mくらいありそうな猛禽類だ。

鷲がここらにいるはずないし・・・、

町田にいたころ 山にフクロウやハヤブサがいるというのを聞いたことはあるが、たぶんこれは「トビ」だろう。

Photo_113 Photo_114 ズームにしたが満足な画像ではない、カメラもボロだし、腕も悪い。

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(セミ)      (シルエット)

セミはカメラに撮るのは簡単だが 木の幹に同化して画像にすると見分けずらい、

Photo_119 Photo_120 Photo_121

(さなぎ)     (さなぎ)    (ヌケガラ)  

セミのさなぎがいた、これから羽化がはじまるところだ、

触ったらグニャっとして気持ち悪いよ・・・・

◆◆◆◆

Photo_123

トンボが一番難しい、でっかいヤンマに何度も出くわしたが なかなかとまってくれないし、スピードについていけない。

黄色と黒のツートンカラー、まるで阪神タイガースのようなオニヤンマは別格だが、

子供のころ、ヤンマは 銀色のオスを“ギン”、茶色のメスを“チャン”と呼んでいた、

水辺で“チャン”の胴体を糸で結び、2メーターくらい糸を伸ばして

「ギンよ来い、チャンがいるぞ・・・」と唄いながら

頭上でクルクル回しながらチャンを飛ばす。

そうすると♂のギンヤンマが ♀のチャンに絡むように空中で飛びついてくるのだ。 そのガチャガチャという音と共に ギンヤンマが掛かったときの手ごたえが釣りで魚がヒットした時のような 何ともいえない快感なのだ・・・。

獲ったギンヤンマの羽根を合わせて 左手の指の間に挟む、

大漁のときには口にまで羽根をくわえて・・・

こんなトンボの採りかたは 現代の子供たちは知らない、

第一 ヤンマの存在すら知らないだろうな。

トリモチや、蜘蛛の巣で作った網でセミを捕まえたり・・・、

今の子供たちに そういうことを教えてやりたいね。

その前に トンボや蝶が沢山飛び回れる自然環境を守るのが大切だ。

◆◆◆◆

Photo_124 8月19日

同じ水辺の同じ場所にカラスアゲハのカップルがいた。絡み合いながらその辺を飛び回り、何度も同じ場所に戻ってきてとまる。いつもここに蝶が来ているということは何か美味い食いものでもあるのかな?

ところで 蝶の夫婦は「つがい」という、

基本的に昆虫は一匹、鳥は一羽というが、オスとメスをセットにした場合は「つがい」というのはみんな知っている。

つまり、状況が変わると呼び方や数え方も変わってくるのだ。

漢字では「番」と書いて「つがい」と読む。

ドアや建具の扉の開閉に使う留金のことを「ちょうつがい」というが、

これはチョウチョが羽をパタパタさせる形から「蝶番」というようになったということを知っている人は少ない。

人間を“つがい”とは言わない、人間のカップルは一組という。

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ものの呼び方数え方でも 日本語の奥深さが味わえる、

箪笥(タンス)は一棹(さお)

イカや蛸は一杯・・・・、

このへんは昔の人(年配者)ならみな知っている。

タラコは一腹(はら)、ならイクラや数の子は何ていうのかな?

一腹買うと高いからパック入りだもんな。

スイカ、キャベツ、玉ねぎのような丸い野菜は一玉(たま)

ほうれん草は1把、大根・ごぼうの一本というのも理解できる、

寿司は一貫・・・、一個とか一皿とかいうと回転寿司のイメージになる、

弁当は一折、でもプラスチック容器などの弁当を「一折」と呼ぶのは抵抗あるな、やっぱ一個とか一食でしょ・・・、

高級感を求めるなら「一折」のほうだな。

ウサギを「一羽()」というのは耳が長いから鳥の羽に見立てたのだろうか?

それならディズニーのダンボだって象なのに一羽ということになる。

刀や薙刀を「一振り」というが、それなら野球のバットやゴルフクラブは何故“一振り”といわないのか?

動作するときは“バットを一振り”というが 数えるときは「一本」だ。 どちらも「振る」ものだけど、「切る」と「打つ」では目的が違うからだろうか?

同じものでも大きさや用途によって呼び名を変えるのもある、

例えば「船」の場合、タンカーや大型船は「一隻(せき)」、

船頭さんが艪でこぐ小型は「一艘(そう)」、

しかも「船」と書くと大きなふねで、「舟」となると小さいふねになる、

平和島でレースをしているボートは「艇(てい)」という。

ギターやトランペットは一本で、三味線は一棹(さお)、

碁盤は一面、テニスコートも一面・・・

鉄砲は一丁、大砲は一門、ミサイルになると一基になる・・・

クイズ番組のネタになりそうだね、調べればもっと面白いのが沢山あるだろうけど、きりがないから もうやめた。

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このへんは 農協の直売で野菜を買うと、カブトムシの“つがい”をサービスしてくれる。

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