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三方ヶ原

不良オヤジの歴史うんちく・・・その二

◆三方ヶ原の戦い

元亀三年(1572)武田信玄52歳、上洛を果たすため三万の大軍を率いて甲府を出発し遠江国を悠々と西進してゆきました。 

徳川家康は当時31歳、自分の浜松城を攻めてくるかと思ったら 

信玄軍はシカトしてゆく・・・、問題にされてないのである。

若い家康はアタマにきた、

俺の領地を挨拶なしで通るのは枕元を土足で歩いてゆくようなものだ、

なめんじゃねえぞ・・・と云ったかどうかは知らないが、

同盟関係で仲良しの織田信長から二千の兵を借りている手前もあるし、家来たちや近隣の武将たちにも いいところを見せたいという思惑もあるし、 信玄軍が通り過ぎるのを手をこまねいて見ているのではプライドが許さない。

ということで、浜松の近く三方ヶ原付近で信玄軍を待ち伏せ合戦を挑んだ。

無視して行軍したのは家康がアタマにくることを計算にいれて 家康の軍勢を外へ誘い出し一気に片付けようとする信玄の策だった、

城を攻めると時間もかかるし面倒なのである。

信長の援軍を合わせても一万にも足りない家康の軍勢は 当時最強といわれた信玄軍の敵ではなかった。

家康軍はコテンパンに負けて総崩れになった、

家来たちを大量に失い、信玄軍の騎馬隊に追われ、必死の思いで浜松城へ逃げ戻った。

逃げる途中でも家康の身代わりになった忠実な家臣が何人も討ち死にした。

城へ戻った家康の馬の鞍に“ウンコ”がついている、

恐怖のあまり馬上でウンコをもらしてしまったのである。

これを見た側近の本多忠勝らが

「殿は恐ろしくて糞(クソ)をもらしたのか?」というと、

家康は「バカ者、これは味噌じゃ、クソとミソの区別もつかんのか・・・」

「クソも味噌も一緒でござるな・・・」

「此度(こたび)の戦(いくさ)はクソミソのボロ負けじゃ・・・!」

家康と一緒に生き残った家来たちは大爆笑した。

自分の恥ずかしい姿を笑ってごまかす家康の“親近感”が

「この情けないわが殿をほってはおけぬ」という三河家臣団の結束力となり、後に家康を戦国レースの最終的勝利者へ導く原動力になったのではないかと考えられるのです。

    

三方ヶ原の合戦は徳川家康にとって人生最大の敗北だった。

家康は城へ戻ったあと 自らの情けない姿を肖像画にして、

このときの負けを胆に銘じ、慢心への自戒とするために 生涯その絵を座右から離さなかったそうです。

Photo_42

徳川家康がションボリルドルフになった絵

        

笑ってごまかしてはみたものの、自分を守るために命を捨ててくれた家来たちへ 詫びの心、感謝の心、祈る心、そして自戒の心を持ったのです。

「皆と一緒に死にたいが、俺は戦(いくさ)のない平和な国を造る頭領にならなければいけない、その俺のために死んでくれる家来たちのためにも必ず目的を達成して 俺もあとから皆のところへ行くから、すまないが待っていてくれ・・・」

家康は心に誓ったのです。

「厭離穢土 欣求浄土」おんりえど ごんぐじょうど・・・・

以来 この文字が合戦のときの家康の旗印になった。

仏教用語で 娑婆(この世)は穢(けが)れたところ、

阿弥陀仏の作った清らかな極楽世界浄土への往生を切望する・・・、

という意味である。

「クソミソ」という日本語は「最悪でどうしようもないこと」の意味で使われるが、この三方ヶ原の話が語源である。

これがほんとの 不良オヤジの“うんちく”だ。

                   

家康が なぜ咄嗟にこれは味噌じゃと云ったかというと、

戦国武者が戦に出るときは 乾飯(ほしいい・・・乾燥させためし)、梅干、鰹節、味噌など、それぞれが工夫して保存食を携行していた、

家康の場合は“ほしいい”と三河名産の“味噌”を腰の袋にいつも持ち歩いていました。

家康にとってラッキーだったのは、この直後に信玄が病に倒れたため武田軍は浜松城を攻めることなく甲府へ引き返してしまったことです。

家康は 鞍に「ウン」が付いていたと共に、“運”にも恵まれていたのです。

“運が味方する”という言葉があるが、

スポーツ競技や 仕事上の自由競争でも、人間のあらゆる人生ゲームの中で

勝利を左右するのは 実力以外に“運”や“タイミング”というような「偶然性」が大きなウェイトを占めていることを肯定せざるを得ないのです。

もしも信玄が死んでいなかったら、そのまま浜松城を攻撃していたら、日本の歴史教科書は間違いなく変わっていた。

関が原のときも同じことが言える、

小早川秀秋の軍勢が 寝返っていなかったら・・・、

それだけが原因ではないとしても、勝敗はどうなっていたか判らない。

もしかして徳川家康という人は 日本の歴史上最もツイていた人だったのかもしれない。

      

信長・秀吉・家康・・・、戦国時代のヒーローとして 

この三人は何かにつけて比較されるが、

だれが一番偉かったかといえば、やっぱり家康になるのだろうね、

三百年も政権を維持できたのは史上最長だし 半端なことではない、

才能やリーダーシップだけで比べられる問題ではないからです。

信長「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす・・・」

秀吉「鳴かぬなら 鳴かしてみせよう ほととぎす・・・」

家康「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす・・・」

後世の人が この三人の性格を比較して詠った句(川柳?)です。

オレの考察では、

信長は独創性に優れたアイディアマンで、古い考え方にとらわれず行動する改革の人だ、

武士でない足軽に 合戦のときの恐怖心をなくすため三間槍(長さが三間5.4メートル)を持たせることを考案した、

たしかにシロウトが喧嘩するときには 短い棒よりも長いほうが有利だ。

鉄砲を実用化して 長篠の戦いではその足軽たちの持つ鉄砲で武田騎馬軍団を破り、武器の工夫で 弱い者(足軽)でも戦いのプロ(武士)に勝てることを証明したのだ、

でも、才能あるが故に人の意見を聴くことはなかった、

基本的に 仕事のできない奴、バカな奴、言うことを聞かない奴は嫌いだった、排除するのに躊躇はなかった、

比較の対象にはならないが、小泉さんが信長に憧れたのは似ているところがあると自覚していたからだろうね・・・、

秀吉はチャンスを活かす天才だ、

知略に優れ 勝負どころを的確に掴み 即行動に移して成功した。

権力者になってからは 小田原城攻めに象徴されるように 力の違いを見せ付けて圧倒する「大寄せ」にこだわった、でもこれは秀吉本来のスタイルではない、若い頃に苦労ばかりしたから楽して勝てる「大寄せ」が彼の理想だったのだ。

家康はどうか・・・、特筆すべきことは何もない、

信長・秀吉、この二人の才能あふれる革命児に比べたら、

能力的には一歩も二歩も譲っていた、

この二人より優れていたところは、

「優しさと平和な国を造ろうとする志」くらいなものだった。

山岡荘八の長編歴史小説「徳川家康」によると、

家康の特徴は 家来に対して気を遣い、論功行賞には特に頭を悩ませ、何かにつけて家臣と相談してから最終的決断をしている。

かといって 家臣に特別優秀な人材がいたわけでもない、みんなで知恵を出し合う合議制というか 三河家臣団は忠誠心と結束力だけは抜群であった。

オレは三十代の頃、通勤電車の中で「徳川家康」全26巻を半年かかって読んだ。

家康の生涯とこの時代の流れが興味深く、面白かった。

家康の「優しさ」をテーマにして、戦国時代を駆け抜けた信長・秀吉・その他武将たちの人間性を追及しているように思えた。

そして、この26冊の本の中に頻繁に出てくる「逡巡」という漢字の読み方と意味を始めて知った・・・、この本を読むまで「しゅんじゅん」という言葉を知らなかったのです。

辞書を開かなくても 物語の内容から「しゅんじゅん」というのはためらうこと、躊躇する意味であることが解った。

つまり、家康も家臣も 他の登場人物も、言葉や行動を起こす前に 自分と相手の関係や状況を気遣い「逡巡」することが多いのである。

三人のタイプをオレ流に結論づけると

信長と秀吉は大穴単勝馬券一本を財布の中身全部つぎ込む勝負師タイプ、

家康は本命の複勝馬券を 少しだけ買うタイプである。

オレの場合は信長・秀吉タイプの勝負をしたいけれど、 

大穴の連勝単式を少ししか買えないタイプである。

それも 資金が少ないので かなり逡巡しながら・・・・

やっぱりオレは中途半端で偉い人にはなれないタイプだということか。

(自分のことはどうでもよかったのだ、また 脱線しそうになった・・・)

司馬遼太郎「覇王の家」によれば

この小集団(三河家臣団)の結束が 強固な徳川政権を樹立させた、

その権力の基本的性格は家康自身の個人的性格から出ていて、徳川家という極端に自己保存の神経に過敏な性格となり、その家が運のめぐりで天下をとり 三百年間も日本国を支配したため、日本人そのものの後天的性格にさまざまな影響をのこすはめになった、

悪く言えば 日本の民族性を 奥歯に物が挟まったような

閉鎖的でケチ臭いものに歪めてしまった・・・

要するに 信長・秀吉タイプが天下を取っていたら、

現代日本人の性格は もっと陽気で開放的になっていたのではないだろうか?

と分析しています。

さすがはオラの敬愛する遼太郎先生だと思った、

今更 暴れん坊将軍がマツケンサンバを踊っても 手遅れだ・・・、

と嘆いているのです。

     ・・・・・・・ つづく

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