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川中島の戦い

不良オヤジの歴史うんちく(その一)

◆川中島

千曲川と犀川、二つの大きな川が合流し 流れの衝突する地点に土砂が堆積してできた三角形の中州が川中島である。

世界地図をみると、アマゾン川の河口に流れが分流して地球最大の三角州マラジョ島というのがある。 メコン川が海に流れ出る河口付近にできた広大な中洲をメコンデルタ地帯という、デルタとは三角のことじゃ、(小学校で教わったべ)

アマゾンやメコンの規模にはちょっと負けるが、流れの力で島ができるという理屈からいえば同じだ。

この川中島を舞台にして 甲斐・武田信玄と越後・上杉謙信が信濃の領土問題を巡って戦ったのが「川中島の戦い」である。

このブログの最初のころに「戦いの歴史」の記事で 歴史は数々の“戦い”によって動いてきた・・・、というようなことを書いたが、どの戦いも必ず勝者と敗者が存在するが「川中島」だけは 戦国合戦史上最大の激戦にも関わらず 最後まで勝負がつかない引き分けに終わったことが、日本史を代表する名勝負ともいわれる所以であろう。

歴史事実というのは 残された文献などをたよりに検証し 解明されてゆくものだが、時代の流れとともに 認証が代ったり 諸説があるのは仕方がない、

なにしろ実際に現場を目撃した人はいないのだから、あくまでも現代人の推測の域はでられないからである。

従って オラはここで独自の解釈で薀蓄(うんちく)を傾けることになるけど、

「不良オヤジ」のうんちくだから かなりいい加減なところもあるが、若い人たちが知っておいて損にはならないはずだ。

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 川中島の戦い(天と地と)

川中島の合戦は 天文22年1553~永禄7年1564まで、 

十二年で計五回戦われたが、損害の大小を勝敗の基準にすれば 一勝一敗三引き分け、結局引き分けであるが、結果的には後に信濃を支配したのは甲斐の国だから信玄の勝ちと判定する人もいるが、この戦いによって国力を消耗させたことが 後に武田家滅亡の原因にもなったし、謙信のほうは信濃を支配出来なくても何の不利益もなく、信濃の大名たちに助けを求められ、信玄のような悪いやつを倒してやるという いわば義侠心とボランティア精神を燃やした意地の戦いであった。 

謙信も甲斐の国まで攻められなかったし、

信玄も越後を攻撃することはできなかった。

越後は冬になると雪に埋まる、戦いはいつも雪のない夏場の季節に行われ 冬が近づくと謙信はさっさと越後へ引き上げてしまう、

信玄も雪国越後まで兵を進めるのは得策ではないし・・・、

そういう地理的気候的な条件も長期戦にさせた原因なのである。

更に 信玄には“上洛”という大目標がある。

甲州から京へ上るには東海道コースを通る、東海コースには徳川家康や織田信長等の列強がいる、それを排除することが先決で、信濃・越後を経由する北陸コースを予定するなら何がなんでも謙信と決着をつける必要があるのだが、

わざわざ遠回りはしたくないのである。 

黒沢明の映画「影武者」でもやっていたが、

信玄は上洛途中に病死して目的を果たせずに終わる、

その後、息子勝頼が 織田・徳川の連合軍に長篠の戦いで破れ、

ついに甲斐武田家は滅亡してゆくことになる。

信玄は野心家であり政治的才能もあった、

謙信のほうは実際に北陸コースをとって京へ上り 力の衰えた足利将軍を擁護し、幕府の高官上杉憲政から「上杉」姓を引き継いで 室町幕府最後の関東管領になるが、天下を取ろうという野心はまるでない、

自分が軍神毘沙門天の転生(生まれ変わり)だと信じて、

妻もとらず 純粋な正義感のみで一生を貫いた。

謙信のシンボルマーク(旗印)は毘沙門天の“毘”である。

上杉の姓を引き継いだから上杉謙信で、本名は越後の守護代「長尾景虎」である。

信玄も出家前は「武田晴信」、

シンゲンvsケンシン・・・・名前まで逆で相容れぬこの二人は

晴信と景虎のころから紛争を繰り返していたのである。

どちらかいうと 文献も少なく歴史の表舞台にあまり出てこない越後の謙信よりも

現代人には“風林火山”の旗印で有名な信玄の方がメジャーであるが、

謙信を主人公にした歴史小説、海音寺潮五郎の「天と地と」を読んでから 自分的には謙信のほうが好きになってしまった。

川中島の戦いの特徴は

①十年以上も戦って引き分けたこと

②第四ラウンドは死者一万人以上の激戦になったこと、

③大将同志が一騎打ちしたこと、

それほど入り乱れたスッチャカメッチャカな戦いだったのである。

 

天下分け目といわれる関が原でも 動員数には諸説があるが、東軍七万五千、西軍八万二千、双方で十五万を超える規模だが、どちらも多国籍軍同士の戦いだから 

互いにけん制したり、小競り合いや数千人規模の戦いはあったが、

両軍が同時に全面的な規模で激突したわけではない。

推測だが、戦っている人よりも それを見ている大勢の人を「野次馬」というが、これは関が原で他人の戦いを馬上で見ている武将たちのことをいうのだ。

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川中島最大の激戦は 永禄四年第四回目の戦い、武田二万、上杉一万三千、

9月9日から10日にかけて、双方で一万人以上の死傷者を出した。

前半は先制攻撃をかけた上杉軍が優勢、後半は援軍が参戦した武田軍が優勢だった。

この戦で信玄は自分のブレーン(頭脳)として、最も信頼していた軍師山本勘助まで失うことになる、

勘助は己の提案した戦法が謙信に見破られ 武田軍が苦境に陥った責任をとるために敵中へ突入し壮絶に討ち死にした。      

 

萌黄(もえぎ)の胴肩衣に 頭を白い布で包んだ騎馬武者がひとり、信玄本陣前方に忽然と現れ、 太刀を振りかざし疾風の如く突進してくる・・・・、

なんと その騎馬武者は敵の大将 謙信ではないか!

しかも 唯一騎で・・・!

信玄からすれば「ウッソー、ほんまでっか!???」という状況であったろう。

大将同士が遭遇して一騎打ちになったのは戦国合戦史上 川中島をおいて他にない。

大混乱の中で たまたま旗本が無人になった信玄の本陣、

その一瞬をついて謙信が襲いかかったのである。

謙信は床几に腰かけた信玄めがけて三度太刀を振り下ろす、

信玄は刀を抜く暇もなく軍配で受け止める、

慌てて本陣に戻った信玄の家来が謙信の馬を槍で突いた、

驚いた馬が暴走して駆け戻ってしまったため 間一髪のところで謙信は信玄を打ちとることはできなかったが、

「えかった、これでえかったのじゃ、一太刀浴びせた、オラの勝ちだ・・・」

馬上で達成感に満ちた謙信が嬉しそうにつぶやくところで「天と地と」の物語は終わる。  

三十年も昔に読んだ小説なので 記憶が正確でないが、

例えば「だすけさ・・(ですからの意味)」、「そらて・・(なのだ)」など、

謙信の家来たちの会話は 全て越後の言葉(方言)である。

海音寺さんは そこまでよく調べたものだと感心するのである。

Uesugi_kenshin (上杉謙信像)

鞭静粛々夜過河  暁見千兵擁大牙 

遺恨十年磨一剣  流星光底逸長蛇

べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる

あかつきにみるせんぺいの たいがをようするを

いこんじゅうねん いっけんをみがき 

りゅうせいこうてい ちょうだをいっす

江戸時代に 頼山陽の詠んだ「鞭静粛々」の詩は

川中島の第四ラウンド、武田の戦法の裏をかき、松明を焚いて妻女山の本陣に上杉軍がいるように見せかけ、それを追い落としにかかる武田の別動隊一万二千を妻女山へ誘い込み、夜陰にまぎれて河を渡り、夜明けと同時に武田軍八千の本隊側面へ先制攻撃をしに行く謙信の高揚する心を描いた詩である。 

漢詩はやっぱり難しいけどね・・・、

鞭静粛々とは「馬を騒がせないように、全軍が静かに進むこと」である。 遺恨十年磨一剣、「憎いあの野郎を倒すために十年も剣を磨いてきた」ということであろう。

流星光底逸長蛇・・・?何だか分からないけどここが一番カッコいい。

男が喧嘩しにいく時は こういう気概でいきたいね。

Photo_172 15

テレビの大河ドラマ「風林火山」で中井貴一演ずる武田晴信が

千曲川を挟んで 初めて長尾景虎の一隊と遭遇する場面がある。

対岸で音もなく 整然とこちらを見つめる長尾景虎の軍勢、

「静かだ・・・・!」

「静かな軍勢は強い・・・我らは心して掛からねばならぬ・・・」

晴信の台詞である。

敵は只者ではない、今まで戦ってきた中で 一番強いかもしれない、

音を立てない静かな軍勢とは、訓練され、規律正しく統制の行き届いた兵だ、侮ってはならない・・・、

後に信玄となる武田晴信が肌で感じたのである。

歴史に「if・・もしも」を云ってもしかたがないが、

戦国制覇の本命といえる信玄が謙信と争わず 同盟でもしていれば、

歴史の教科書は違う内容になっていただろう。

力関係で予想屋をするなら 信玄が◎、信長が○で、謙信は▲、

家康は△くらいか?・・・秀吉はその頃信長の家来だから対象外だね。

(つづく・・・次は徳川家康の「くそ味噌」のはなし・・その他)

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