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2006年11月

もみじ・その二

A もみじという日本語は 万葉集の時代に葉の色が紅や黄に変色することを「もみずる」と言ったのが語源です。

もみじの代表選手カエデは 葉の形が蛙の手に似ていることから「カエルテ」→「カエデ」といわれるようになったそうです。 

カエデにも種類があり 葉の大きさや形も色々で、

紅葉するのも黄葉するのもあるそうです。

和歌・短歌・俳句・・・日本の古典的な歌の世界では 風土・習慣・・など、

その季節特有のものを歌の中に挿入するというルールがあって、

これを「季語」といいます。

「花鳥風月」というのでしょうか、日本人特有の感覚領域「ワビ・サビ」の心に触れるには「季節」が不可欠になります。

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季語を調べたらきりがないほどありますが、

例えば「もみじ」は秋の季語の代表選手ですが、

 秋刀魚、柿、すすき、いわし雲、虫の声、十五夜、・・・・など、

 熱燗、湯豆腐、焼き芋、北風、大根、師走、・・・などは 

いかにも冬と分かりますが、

日本語の味わい深さを求めれば 

小春日和は冬(晩秋~初冬)、春を待つというのも冬、

ところが同じ雪でも 粉雪、吹雪は冬ですが 

牡丹雪、淡雪、残雪、雪解け、なごり雪・・・というと春になります。

現代風にマフラー、クリスマスはもちろん冬だけど、

オレ的には有馬記念も冬の代表的季語です。

 桜、花見、白魚、初鰹、水温む、春一番、卒業、・・・など、

 うなぎ、梅雨、入道雲、冷奴、ひまわり、金魚・・・など、

俳句の巨匠松尾芭蕉が奥の細道で詠んだ「静けさや 岩に染み入る 蝉の声」は

山形の立石寺が舞台ですが「セミ」が出てくるから夏に詠まれたということです。

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現代の歌謡曲・演歌の世界でも 作詞者が意識していなくても「季語」がちゃん反映されていて、その歌の季節感が味わえるものはヒットする傾向があると思います。

♪曇りガラスを手で拭いて あなた明日が見えますか・・・

「山茶花の宿」は 曇りガラス 山茶花も 冬の季語です。

  

  ♪お酒は温めの燗がいい 肴は炙ったイカでいい

   女は無口なひとがいい 灯りはぼんやりともりゃいい・・・

「舟唄」は

 お酒も、温めの燗も、炙ったイカも、ぼんやり灯るあかりも、無口な女も、

みんな寒さをあらわす冬の季語です、

小さな港町の 客のいない居酒屋で、寒い心を癒そうと一人しみじみ酒を飲む情景です。

女が無口だと季語になるか?・・・

静かになって暗く寒い感じがするから やはり冬の季語になる、

女がうるさいと暑くなるからね、でも、女は統計的に冬でもうるさい?

どうでもいいが、難しい問題だ、

♪知床の岬にハマナスの咲くころ・・・

「知床旅情」のハマナスは夏に咲く花だけど

 知床岬だからそんなに暑い夏とは感じない、

♪水にきらめくかがり火は 誰に想いを燃やすやら

 あなた あなたやさしい旅の人 

 逢うたひと夜の情けをのせて こころまかせの鵜飼い舟・・・

「長良川艶歌」は 水・かがり火・鵜飼い舟が夏の季語です、

ひと夜の情け・・・も どちらか云えば夏だね、

薄着で過ごす夏は ひと夜の情けは燃えやすい、

でも、くそ暑いのにそんなことやってられるか、

布団の中で温めあうなら冬がいい・・

という意見もあるけどね。

(きわどいこと云うとまたアダルトなトラックバックがくるからやめとこ・・)

ということで、季節を連想させる文字が入ると「詩」に深みや味わいが出てくる、

「季語」は詩の調味料のようなもの・・・かな?

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11月19日、妹ヒーちゃんの法事で信州松本へ行きました。

晩秋とはいえ 朝から寒い雨が降り、信州はもう初冬だ。

たっちゃん、えっちゃん、オラと、みよこちゃんと、林昌寺の住職と・・・、

雨の中 頑張って納骨した。

夜は美ヶ原温泉「桃山」でヒーちゃんの位牌を囲み 旨い酒を飲んだ。

住職のことを「先生」と呼んでいたら、

「先生」と呼ぶのは相応しくない・・・という。

「方丈」と呼ぶのが正しい・・・のだそうである。

方丈とは一畳四方の面積のことで、一畳四方の狭い部屋にいるのが僧侶なのだ。

そういえば鴨長明「方丈記」っていうのがあったな。

ひとつ勉強になった、これからは坊さんを「方丈様」と呼ぶことにしよう。

その方丈様から出された「なぞなぞ」の問題と答え、

秦の始皇帝の息子は 悪い子であった・・・「シコウ少年」、

アダムがイブにプロポーズをした場所は・・・指宿温泉「イブ好き・・」、

         

オラは俗物なのに かなり理屈っぽいが、問答ではやはり方丈様には負ける。

オラのブログは長くて理屈っぽいとポジ先生や子供たちにも指摘されているので

これからは シンプル路線に変更する予定だけどね。

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もみじの庭

       

翌朝も雨が止まない・・・・

山も雲の中で紅葉も景色も 見えない・・・、

午前十時、帰りのバスの時間まであと二時間、

景色は諦めようかなと思っていたら

突然 明るい陽が射して、青空が見えた、

弘法山に登ると 北アルプスに「虹」が架かっている・・・

「虹の彼方に・・・Somewhere, over the rainbow, way up high・・・,

が聞こえるような感動的な眺望が広がった、

これはヒーちゃんだ、

ヒーちゃんが雨で苦労しているオラたちを見て、

笑いながら雲の扉を開けてくれたのだ・・・

ヒーちゃんはオズの魔法使いだ。

              

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よ~く見ると中央に虹

           

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弘法山

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弘法山入り口、便所の横のドウダンツツジ

                      

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もみじと関係ないが

中央ハイウェイから見える

ときめきのホームグランド東京競馬場、

(絶望のオケラ街道もあるが・・・・)

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もみじ

「おくやまに もみじふみわけ鳴く鹿の 声聞くときぞ秋はかなしき」

百人一首・猿丸太夫

この歌の「もみじ」は萩の黄葉(もみじ)だそうです。

花札十月の「もみじ」はカエデの絵になっているが、

鹿をもみじと一緒に登場させたのは 

この歌がヒントになっていると思います。

鹿の肉を「もみじ」と呼び「もみじ鍋」とかいうのもこの花札からきています。

ちなみに無視することを「シカト」と言うのは

花札の鹿がそっぽを向いているから 鹿の十月(シカのトウ)です。

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猪の肉を牡丹と呼び「ぼたん鍋」というが 

猪(いのしし)の場合は花札とは関係ない、

猪を煮込むとちぢれた形が牡丹の花に似ているからとか、

大皿に牡丹の花の形に肉を並べて出てくるからとかいわれています。

花札の猪は七月の萩で、牡丹の六月は蝶だから・・・・、

チョウチョは食えない。

馬肉のことを「桜肉」というのも馬刺し肉を切ると桜色をしているからです。

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チビ犬ムールちゃん

    

大根おろしに唐辛子を混ぜて赤い色をつけたのを「もみじおろし」、

ニンジンでも「もみじおろし」という。

爪楊枝(つまようじ)のことを「くろもじ」というが、

これは黒文字という木から作られた楊枝のことである。

醤油を「むらさき」というのは醤油の色が紫だから・・・、

箸のことを「おてもと」というのは手に持つ箸だから・・・・、

日本料理の盛り鉢にはふつう取り箸が添えられる、

取り箸に対して各自が使う箸のことである。

「おしぼり」の目的は手を拭くことだけど、

お手拭用の清潔な布を絞って客の手元に出す・・・・、

手を拭く前の段階だから「おしぼり」なのである。

手を拭く行為を促すのではなく お役に立ててください・・・と言っているのです。

寿司は手で食うもの、箸で食うのは野暮である、

指についた醤油や寿司のカスをちょっと拭くのが おしぼり本来の使い方だと思うけど、

でも、客はそこまで気をつかわないけどね、

おしぼりが出ると オレは手も拭くし、顔も拭く・・・、

友人の飲み仲間N氏は つる禿げの頭まで拭くというよりも磨いてる、

スダチか穴子のタレでもつければ もっとツヤがでると思うけど?

要するに 客の心得として、顔も手もきれいにして

清潔な身なりでお席につきましょうということです。

料亭や寿司屋、日本料理の店でこういう言い方をするのは 

日本の文化「ワビ・サビ」の伝統を守ることで 高級感を演出しているのです。

日本人は単刀直入な物言いをしない、

関連性のあるものを遠まわしに出して「品のよさ」を表現したいのです。

「鹿の肉のなべ」というより「もみじ鍋」といったほうが 風流で美味しい感じがするし、少々お勘定が高くなっても、ま・仕方がないかと 客も納得するのです。

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横浜のもみじも色がついてきました、

11月3日、孫のななこちゃんの七五三だ、

可愛くて・・・、チョーかわゆくて・・・、孫は宝物です。

七五三とは・・・彼女のためにあるようなものだ、

なにしろ ななこちゃんを数字に変換すると753だからな、

典型的な爺バカだな。

彼女がお嫁に行くとき オラは元気に酒が飲めているだろうか・・?

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来週はまた信州松本へ行きます。 

こんどは かわいい妹ヒーちゃんの法事です。

すすき川や北アルプス・・・、

本場の紅葉を堪能したいね、

美味しい蕎麦も食いたいね、

信州信濃の蕎麦よりも あたしゃあなたのそばがいい・・

ナンチャッテネ。

ヒーちゃんが素晴らしい景観に きっと逢わせてくれるでしょう。

    ・・・・つづく

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11月9日横浜川和富士公園からみえる富士と夕陽です。

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座右の銘

「人生は重き荷を背負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからす゛」

家康が座右の銘として この言葉を詠んだのは晩年のことである。

三方ヶ原の敗北が大きな教訓となっているのだ。

この言葉にはなかなか味がある、

確かに「失敗」するというのは ものごとを「急いで」「あわてて」いる時です。

天下を取った徳川家康だって失敗している、

失敗のない人なんていない、

誰にだって一度や二度の失敗や挫折が必ずあるのです。

大切なのは 失敗を素直に受け入れて反省し

自らの教訓として生かすことができるかどうか・・・だろうね、

「人生は糾える縄の如し・・・」

不運があれば ラッキーなこともある、

悪いこと悲しいことの数だけ 良いこと嬉しいことも必ずある、

ちゃんとバランスが取れるように 人間は生かされているのだ・・・

人生は50・50(フィフティ・フィフティ)、

そう信じて生きてゆければ 人は幸せだと思います。

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ホトトギス(ユリ科)の花

            

ところでオレには座右の銘がない、

あまり改まって考えたこともない、

ガッツ石松が“座右の銘”を問われたときに

右1.2 左1.5(左右の眼?)と答えた・・・・、

今までに聞いた 色々な座右の銘の中でこれが一番気に入ったね、

ガッツは偉い・・・、こんなに頭のいい男だとは知らなかった。

子供のころから苦労して やっと世界チャンプという頂点へ登りつめたのにひとつも偉そうな顔しないでボケまくっている・・・、

これこそスポーツマン、真のチャンピオンだ。

ボクサーは大体アホだ、体育会系の中では特にボクサーはアホが多い、

考える余裕の無いほど過酷なスポーツなのかもしれないが

ワジマもグシケンも トカチャンも ヤクシジも 浪速のジョーも、

そしてガッツも・・・、みんなアホだし天然ボケだ。

チャンピオンというのは基本的にアホでなければなれないのかもしれないが、

みんな苦労したね、

辛い挫折を何度も経験して喜びも悲しみも知っている純粋な男たちだ。

それに比べたら最近のチャンピオン・亀田兄弟はダメだね、

あれはオヤジのバカを強制的に引き継がされて 

ガキより知能指数の低い真のバカだ。

ボクシングしか教えられないバカな親が、

ボクシングしかやりたがらないバカな息子に 

好きなことをやらせてるだけのことで、一口で言えば極端な「過保護」だ。

強いだけの理由で ちやほやとスター扱いするマスコミやファンもいけないけど、

彼らのトレーニングは獣と同じで脳みそが空っぽだから鍛錬や努力ではない、犬が散歩へ行くと喜んで何時間でも遊び 走り回っても疲れないのと同じだ、

おすわり・お手・待て・・・、

その程度の躾(しつけ)も教わったことのない犬と一緒だ。

今のままでは 仮に勝っても世界チャンピオンの品格を汚し日本の恥を晒すだけだ、引退してもまともな社会人にはなれない、暴力団の用心棒くらいしか進む道がない。

ここまで「くそみそ」に云ったら可哀想だけど 

彼らはまだ若い、これからだ。

人を敬い 礼節をわきまえることの尊さを学んでもらいたいね、

親にばかり甘えていてはだめだ、どうせオヤジはそんなこと教えてくれない、

戦う相手から学ぶのだ・・・、

親の言うことばかり聞く子は 絶対に親を超えられない、

ガッツやグシケンたちのように 引退しても立派にやっていける世界に誇れる真のチャンピオンになってもらいたいからね。

昔、西鉄ライオンズに稲尾という鉄腕投手がいた。

後に落合(現中日監督)を育てた元ロッテの監督だ。

稲尾が二十歳のころ、

西鉄は巨人との日本シリーズで三連敗のあと彼の四連投で四連勝した。

神様・仏様・稲尾様と流行語になるほどファンやマスコミに騒がれた、

でも若い稲尾は謙虚だった、慢心することはなかった。

彼には父から教わった言葉があった、

稲尾という名前の「稲」という字は 米のなる稲穂だ、

稲の穂先は まだ若く小さい芽のときは真直ぐにピンと立っているが

稲の穂が大きく実る秋になると 充実した実の重さで茎が曲がり頭を低く垂れる、

人間も同じこと、未熟な人ほど頭を高く偉そうにしている、

力がつくほど頭を低く下げるのが立派な人間だ・・・、

「実るほど 頭を垂れる稲穂かな・・・」である。

父親が子供に教えることとは かく在りたいものである。

いつの間にか話が逸れてしまったけれど、

オレも座右の銘くらい持たなければいけない、

オレの一番好きな言葉は「青春」と「若さ」だ、

座右の銘は 自分の好きな言葉を並べればいいのかなと思う、

だから「青春 若さ 明るく 優しく」ということにしようかな・・・

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また脱線になるけど、オレが23歳のときだった、

営業の仕事で東北を担当して山形市の得意先を初めて訪問した時だった。先方の社長と商談するため応接室に通されて茶を飲みながら少しの間待たされた。

応接室の正面に松下幸之助の言葉が飾られていた。

「青春」

青春とは 心の若さである

信念と希望にあふれ勇気にみちて

日に新たな活動を続けるかぎり

青春は永遠にその人のものである

それを見て ウワー!・・・スッゲエー! と思った。

青春真只中の自分に ガツンとくる感動的な言葉だった。

青春て いいなー、なんて素晴らしい言葉だ と思った。

オレもガンバラナクッチャ・・・!

と思ったのを 今でも憶えている。

それ以来オレは 「青春」という言葉が大好きになったのです。

「青春」という言葉には、 明るさと 若さと 希望がある、

労働の厳しさや 人生の苦悩があっても、

それに立ち向かう勇気やパワーが漲っている、

そして、心の若さがあれば 青春は永遠だ・・・

あの頃 「明るいナショナル・・」が松下電器CMのキャッチフレーズだった、

「明るい」というのはナショナルの電気は他社よりも「明るい」ということを歌っているのかと思っていた、(ガッツ石松さんもそう思っていたはずだ)今になって あの「明るい」は「永遠の青春」を歌っているということが解ったのだ。

ナショナルの製品はどこの家にも一つや二つあるけれど、オレはナショナルの関係者ではないが さすがは松下幸之助さんだと思う。

松下幸之助さんの語録には まだいいのがあるよ

「道」

自分には 自分に与えられた道がある

広いときもある 狭いときもある

のぼりもあれば くだりもある

思案にあまる 時もあろう

しかし 心を定め 希望をもって歩むならば

必ず道はひらけてくる 

深い喜びも そこから生まれてくる

「素直」

素直な心とは 単に人に逆らわず

従順であるということではありません

何ものにもとらわれず 物事の真実と

何が正しいかを見きわめて これに従うことです

素直な心になりましょう

素直な心は あなたを強く正しく聡明にいたします

松下幸之助さんは“厳しさ”と“優しさ”と“心の若さ”を持った

いつも「前向き」な人だったのでしょう。

徳川家康は日光東照宮に「東照大権現」として祀られている、

後の徳川幕府は 家康を「神様」にしてしまったのです。

松下電器という会社からみれば 

創業者の幸之助さんは徳川家康のような存在なのであろう、

昭和初期、松下幸之助さんが二股ソケットを発明したという話を

子供のころに聞いたことがある。

売り上げが伸びなかった「味の素」の社員が 容器の穴の数を増やせばいいと提案して「味の素」が大手に躍進したという。

日常の単純なことから 素晴らしいアイディアが生まれるのも

「心の若さ」があるからだと思います。

          

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この街に来て もう八ヶ月になった、

プールの監視員や 常連のおばちゃんたちと 

ついに挨拶して会話するお友達になってしまった、

病院の先生も看護婦さんたちも皆優しくて、薬剤師の姉ちゃんとも馴染みになった、みんな明るくていい人たちばかりだ。  尖っていた現役時代に比べたら 今、オレの周りは味方ばかりになった。 ちっとは丸くなったのかしら?  

なんか いかにも年寄りみたいで 寂しいけどね。

十月三十日、秋も深まったので そろそろ紅葉の写真でも撮れるかと朝から歩いてみたが、まだちょっと早すぎた。

紅葉前線は関東では まだ日光、奥多摩、箱根・・・あたりかな、

都心や横浜は11月中~下旬だ。

でも 気の早い楓(カエデ)はチョイ赤に色づいていたし、イチョウ並木もぼちぼち黄色くなっている。

その気になって観察すれば 都会でも秋を感じさせるものが見つかるものですね、

春は「桜前線」、秋は「紅葉前線」・・・、

忍び寄る季節の移り変わりを 桜や紅葉を使って表現するのは

日本人特有の感覚領域「ワビ・サビの心」なのだろう。

ワビ・サビが理解できるようではダメだよな・・・

ワビ・サビに萌えているようじゃ 完璧にオヤジになったということだからな、

木の葉が紅葉して やがて木枯らしの中で枯れ葉となって散ってゆく、

枯葉は人生の「最終章」にも似て・・・

若い人でもシャンソンの定番「枯葉Autumn Leaves」や

五輪真弓の「恋人よ」を聴いて切なくなるのは「ワビ・サビ」を理解する素質があるということになるけどね。

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♪恋人よ  枯葉散る夕暮れは 来る日の寒さをものがたり 

      雨に壊れたベンチには 愛をささやく歌もない   

      恋人よそばにいて 凍える私のそばにいてよ 

      そして一言この別れ話が 冗談だよと笑ってほしい

アー、なんか切なくなるね、やだねー、早く正月来ネエかな。

              

ところで、一般にみんなが「もみじ」というのは赤く紅葉するカエデのことですが

紅葉も黄葉もどちらも「こうよう又はもみじ」と読みます。秋になって葉が色づくことを昔(万葉集)は「もみずる」といったそうです。

だから カエデのもみじ(紅葉)イチョウのもみじ(黄葉)というのが正しい、色の変わる葉は 結局みんな「もみじ」なのです。

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