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2006年12月

白菜漬けた

十二月初旬、

朝市で 安くてでかい新鮮な赤カブを買った、

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一口サイズに切ってから 軽く塩もみして食べた、

柔らかいのに歯ごたえがパリッとジューシー・・・これがウマイ。

赤蕪の浅漬け・・・ていうか、生をかじっているだけだけど、

新鮮なものには ちゃんと爽やかな味がある。

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写真は地元生産者の直売所です、若い人たちが主導なので野菜が販売用にきれいに洗って並べられている。

大根もカブも白菜も・・収穫したばかりのものだ、

横浜でもこんなに美味そうな野菜ができるのだ。

同じ大根でも 畑の南側の日当たりの良いところは大きくなるという、

植物の生育には 太陽の恵みが重要だということの証明だ。

別の場所で日曜日の早朝、五~六軒の農家の爺ちゃん婆ちゃんたちの朝市もある。

こちらの野菜はほとんど泥つきのままで 

見た目は汚いが これほどの新鮮はないかもしれない。

農家のお爺ちゃんと腰の曲がったお婆ちゃんが 

今朝 自分で採ってきたばかりの野菜をシートの上に並べて、

木箱に腰をかけて客を待っている。

客のおばさんが

「これは どうやって食べたらおいしいの?」と尋ねても、

「どうやったってうまいよ・・・」

爺ちゃんはタバコを吹かしながら無愛想に答えている。

新鮮なものは美味いに決まっている、

好きなようにして食え・・・ということだ。

師走は漬物のシーズンだ、

オラはなぜか自称「漬物名人」だ。

会社にいたころは「ひとりだけの漬物実行委員会」の会長だった。

早いはなしが 昼休みにチャリンコに乗ってスーパー行って、 

白菜一把と昆布と柚子と鷹の爪買って、

洗って、一晩乾して、塩ふって、重しを乗せて・・・。

熟成三日~四日、

最初に包丁を入れたときの美味いこと・・・・、

昼飯どきにみんなで食うのが楽しみだった。

食品関係でもないのに 都心で白菜漬ける会社は今どきないだろうな。

いい想い出だね。

後継者がいないから、オラの引退とともに古風な漬物の伝統は途絶えたけど、後輩たちが別のジャンルで 新たなアットホームの伝統を築いてゆくでしょう。

気候と旬の素材と・・・冬場こそ漬物には絶好の季節だ。

漬物するなら12月、今しかねぇんだ・・・

そう思って先週 今期第一号の白菜を漬けた・・・

これが チョー・ウマかった。

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漬物のポイントは 素材と塩加減だ、

白菜一把に対して 塩何グラム・・・とか、

そういうマニュアルはいらない、

持ったときの手に伝わる重さ、洗っているときのツヤ、その日の天候とか、何だか分からないが そのときのフィーリングで塩加減をする。

それが「いい塩梅(あんばい)」になったときに成功する・・・、

何度も失敗しながら経験を積むことだ。

たかが漬物だけど、素材に対して なんとしても美味く食べてやろうとする 誠実さのようなものが大切なのでしょう。

オラは食いしん坊だけど 料理を作ることにも興味はある。

料理好きな先輩から「料理は挑戦だ」という言葉を聞いたことがある、

料理は無限だ、どんなに美味く出来てもそれがベストの味ではない、もっと美味くしようとするチャレンジ精神が大切なのだ。

美味い料理は 手間ヒマがかかる、

手間ヒマとは素材の良さを引き出そうとする料理人の誠意と情熱だ。

要するに「手塩にかけて」作ったものを

手塩にかけて料理してやるということかな、

最近は朝市で「素材」をじっくり選ぶことができるようになった、

新鮮な白菜は 葉の先も中心部の黄色いところも、

茎の付け根の白い部分も・・・ぜ~んぶ生で食える、

新しいのは 塩をふると水分の上がりも早いから二~三日ですぐにしんなりする。

野菜も果物も時期のものを生で食うのが一番美味い食べ方なのかもね。

魚だって 釣ったその場で刺身にして食うのが一番うまいし・・・、

美味しいものとは 採れたての「旬」のものを食うことなのだ。

         

ところで 最近は白菜やキャベツが獲れすぎて 市場価格が崩れるからということで廃棄処分している。

運賃かけて出荷すると赤字になるし、処分すれば国から金が出るのかどうか詳しいことは知らないが、 

もったいないね・・・何とかならないのかね、

素人考えかもしれないが、学校や施設に寄付するとか、

出荷の費用が大変なら放ったらかして好きなだけ持って帰ってくださいとか、義侠心のあるお金持ちがトラックをチャーターして積んで帰って無料で配るとか・・

そういうこと考える人 いないのかね、

せっかく育てた自然の恵みを処分することが罪悪のような気がする、

野菜だってひとつの命だ、人に食われるために成長してきたのに・・・

「いただきます・・・」とは、

「あなたの命を 私の命にさせていただきます・・・」ということだ。

食べてやらなけりゃ かわいそうだよ。

悲しくなるような バチが当たるような気がするのは 

戦後の食糧難の時期に 毎日おなかの空いた少年時代を経験してきた

オラたちの世代だけだろうか。

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南無阿弥陀仏

12月11日

満足院へご先祖の納骨に行きました。

満足院は 世田谷梅丘の閑静な住宅地にある真宗の由緒正しい名刹だ。

(サイドバーのマイリストに満足院のHPがあります)

わが家には 信州松本に先祖代々の墓があるのに、

自分が入る墓をこの寺に決めたのは 二十年ほど前だった。

満足院の住職とは縁があって、長い付き合いをさせてもらっている。

若いころは お互い「二條さん・・・、ヤナさん・・・」と呼び合い、

碁敵であり 飲み仲間でもあった。

住職のほうが七歳ほど先輩であるが 

いつも対等に会話できる友のように接してくれる、

ありがたいことだ。

オラには 若い頃から腹を割って話をしたり、

意見が行き違うときは なんだコノヤロ・・といって喧嘩もできる友が沢山いる。

その友達の中で 住職は一番健康で 一番優しい人だ。

(住職がオラを友達としてカウントしてくれればのことだが)

オラは住職の口から 未だに人の悪口を聞いたことがない、

上品で、穏やかで、和やかで、優しくて・・・不思議な人だ。

この人だけは 喧嘩にならないのだ。

人を憎むことがないから 人から憎まれることもないのだろうか、

オラみたいに 憎い奴はいるが自分は憎まれたくないのと大分違うのだ。

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そして法事の度に いつも聞かされる法話、

仏様の教えというのは

“「南無阿弥陀仏」を念じていれば 誰でも幸せになれる、悲しいことも 辛いことも 悪いことも・・・みんな水に流して楽になれる、かけひきも代償も なにも要らない、こんな単純なことはない・・・、”

要約すれば 多分こういうことだ。

ところがオラは信心深くない、

いつも神妙なふりして聞いてはいるが、

そんな美味い話があるはずないと思っていた。

若いときに 母(享年46歳)を亡くして

悲しさと悔しさで 行き場のない憤りを オラは敢えて神仏に向けた、

助けてくれと神仏に祈っても何の役にもたたない、

母の死も、自分の病気や挫折や失敗や(自慢にはならぬが)、

神や仏は いつも意地悪ばかりしやがる・・・

この世には 神も仏も そんな非科学的なものはないのだ・・・・、

神仏を否定することが 母への仁義だと決めつけて己を勇気づけ、

それを生きるパワーにしてきた。

苦労ばかりかけた母の肩を 揉んでやったこともないし、母の日に人並みにカーネーションをプレゼントすることもできなかった、

孝行できなかったことと、もっと甘えたかったのと、そんな想いを何十年も引きずって・・・、

今でも、この瞬間でも、母の死がたまらなく悔しいことなのだ。

(六月の記事「紫陽花」でも同じようなこと書いたが、オラは相当なマザコンだ)

それが最近、神仏へ喧嘩売るのに疲れちゃったのだろうか、

俗に言う丸くなったというか、どうでもよくなってしまった。

母が仏様なら

“お前にも いいことだってあったじゃないか、

だれを怨んだり 憎んだりしてはいけないよ、

大丈夫だよ、私は幸せだったよ・・・”

仏壇に手を合わせると 仏様の母がそう言っているような気がするのだ。

今年は満足院へ二回、松本の林昌寺へ三回・・・

親父の法事・墓参り・妹の納骨、そして先祖の骨まで東京へ旅をさせて、何だかんだと年に五回もお寺へ行ってしまった、

オラとしては画期的なことだ。

住職が言うように 

南無阿弥陀仏と念じれば全ての罪が許されて安心できるなら、

まぁいいか・・・

と・思うようになってしまった。

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昔「おテテのシワとシワを合わせて、シアワセ~、ナームー・・・」

小さい女の子が合掌して微笑むCMがあった。

あれを見て、かわいいな・・・と思った、

南無阿弥陀仏・・・とは、

そんな程度の ほのぼのとした かわいいことだと思えばいいのかな、

赤ちゃんを見て 微笑まない人はいないもんね、それと同じで 理屈も解説も何も要らない、かわいいな・・・と思って微笑むことで 

心がニュートラル(ギアの入っていない状態)になる、

心が新鮮なら 悲しいことも、わだかまりも、拘りも 何もない、

だから さっぱりして幸せになれる・・・、そう解釈すればいいのかな?

住職の法話の意味が いい歳こいてやっと少し解ったかな?

そして最後に 南無阿弥陀仏を一言念じて 

ご苦労様、けっこう面白く楽しい人生だった、よかったね・・・

と思いながらここの墓で眠ればいい。

でも、こんなこと考えるのは十年早いね、

オラはせっかちな性分だから自分の方針は早めに決めておくほうが安心できるけど、もう一度でもいいから万馬券取れるようなことがなければまだ逝くわけにはいかない。

結論として「がんばらなくっちゃ・・・」である。

この墓は 骨があるわけでないし、管理費さえ納めておけば 自分の来世の宿を予約しているようなつもりで「ほっと家代々の墓」だったけれど、ご先祖様の骨を収めてしまったから 放ってはおけなくなってしまった。

来年から たまにはお参りして 心をニュートラルにしようかな。

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やるなら今しかねぇ

同じアルバムの中に もう一曲泣けるのがあった。

「西新宿のオヤジの唄」

  (途中から)

♪古いか新しいかなんて 間抜けなものたちの言い草だった

俺か俺じゃねえかで ただ命がけだった

酒の飲めないオレに 無理やり徳利傾けて

男なら髪の毛くらい短く切れよって また怒鳴った

西新宿の飲み屋の親父に別れを告げて 

オレは通いなれた路地を いつもよりゆっくりと歩いている

すすけた畳屋の割れたガラスに映っていた 

暮らしにまみれたオレが ひとり映っていた

「やるなら今しかねぇ、やるなら今しかねぇ・・・」

六十六の親父の口癖は 

やるなら今しかねぇ~

 

これは長淵がまだ売れない下積み時代に 通っていた西新宿の飲み屋のオヤジが死んで、出世払いでいいからとめしを食わせてくれたり、男としての生き方を教えてくれたり、

世話になったオヤジへの葬送曲(レクイエム)だ。

古いか新しいかなんて 間抜けなものたちの云い草だった,俺か俺じゃねえかで 唯命懸けだつた・・・・ 

このフレーズが好きで俺自身の人生訓になりそうで この曲が好きになった。  

俺の生き方、オレの死に方でいいのだと思った。 例えばオレなら 周りの者を笑わせながら 冗談云いながら 明るく死んでやろうと思った。 

「やるなら今しかねえ~」・・・いい言葉だね。

オヤジは病気に侵され もう自分には時間がないことを悟って

「やるなら今しかねぇ」が口癖になったと思われるが、

これは 未来のある若者にも通用する言葉だ。

何事も「やるなら今」なのだ、

今日の仕事を 明日に伸ばしてはいけないということだ、

明日があるからこそ、今という瞬間にベストをつくさなければ 

明日になっても最善は尽くせない。

古風な言い方をすれば「刹那を最善に生きよ・・・」

英語にすればTry your best now, for the best tomorrow, 

(自己流英訳・・自信はないが)・・なのである。

彼は この言葉を「座右の銘」として自分を磨き

一流のミュージシャンに成長したのかもしれない。

 

長渕はジーンズにスニーカーで、ギターひとつで路上ライブをしている今頃の音楽好きの若者と同じ部類だったのだろう。

外見は 東京の繁華街をそぞろ歩く軟派でも

心にゃ硬派の血が通う・・・「東京流れ者」だ、

彼の本質は・・・「硬派」だ、

日本人の古風な心を知る 今どき貴重な若者だ。

音楽への情熱が己の生き様だと信じているから 

下積み時代に受けた恩を忘れず、弱いものへの優しさと 

我慢できねぇときには強いものへの反骨もある。

古風な心情を尊重できるから斬新な作詞作曲の才能も磨かれるようになる。

彼はもうおっさんだけど、こういう日本の若者がオレは好きだな。

 

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西新宿一丁目 11月の朝

 

義理や人情の話をすると 現代人は“古い”という、

“古い”・・? 古くて上等じゃねぇか、

ピタゴラス・ガリレオ・ニュートン・アインシュタインもフレミングも・・・現代人を進化に導く あらゆる公式・法則・定理・理論は みな古いものだ、

古いものの中に正しいことがあり、それを学ぶのが「学問」というものだ。

それは覆すことのできない ものごとの基本となり永遠の真理になる。

義理人情という「日本人の美徳」も 我々にとって永遠のものだ・・・

それに気づかなければだめだ、

古いことを理解してこそ 初めて未来への道が開けてくる、

今の日本人は“古い・尊い”ことを軽視するから「くらげ」になるのだ。

 

もうすぐクリスマスだけど、日本人ならクリスマスよりも正月だろ、

キリスト信者でもないのに何を大騒ぎするか、

(そういうオレも大騒ぎしてるけどさ・・・)

バレンタインデーなんかは チョコレート会社の販売戦略に乗せられているだけだ、(最近チョコレートもらえなくなったから言うんだけどね・・・)

それから 11月頃にカボチャの提灯みたいなの作って、

ハロウィーンだかなんだか知らねぇが・・・

それを嬉々としてやっている日本人がチャンチャラ可笑しいわ。

 

まぁ・人それぞれだから 何をやろうと自由だけどさ、

日本人ならお正月・節分・節句・彼岸やお盆や郷土のお祭りや・・・、

日本古来の伝統に誇りを持って もっと大切にしなさい・・・と言いたいね。

キリストさんの命日は知らなくてもいいから 

親の命日や 妻や子供の誕生日を忘れてはいけない。

 

そういえば オレがブログに挑戦したのも「やるなら今しかねぇ・・」と思ったからだ。 西新宿のオヤジみたいに 残された時間が少ないような気がしてならねぇからだ。

 

オレのブログのスタイルは評論家だ、

人の詩に点数をつけて ついでに説教がましく能書きたれる

嫌なオヤジになってしまった。

オレも人を泣かせるような詩を書いてみたいけど、

才能がないから なかなかうまくいかない。

人の心は 動かそうとして動くものではない、

やっていることに最善を尽くす姿に 人は心を動かし感動するのかもしれない、

日々誠実であれば いつかは共感してくれる人もいるだろう。

結局、今やれることを 今全力でやるしかねぇんだ・・・

「やるなら今しかねぇ」と思えば、いい仕事が出来るはずだと思って

今やるしかねぇ・・・のかな?

何だか また わけ分かんなくなってきたぜ・・・

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男たちの大和

ひとこと言わせて

先月 長渕剛のCDを手に入れた。

久しぶりに ジ~ンとくる歌に出逢った。

            

「男たちの大和/YAMATO」の主題曲「Close your eyes

♪それでもこの国を たまらなく愛しているから

もう一度生まれ変わったら 私の名を呼んでください

寒さに震える夜も 流れる涙つむぐ夜も

もう一度生まれ変わったら あなたを決して離しはしない

私の胸の中へ帰っておいで 気高いあなたの勇気を抱きしめたい

ひそやかな海に咲いた白い花たちが 今私のからだに折り重なる

Close your eyes 瞳を閉じれば

希望へ駆け昇る あなたが永久(とわ)に生きている・・・

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泣けるね・・・、これが「愛国心」だね。

オレは右翼ではないが(どちらかいうと右寄り思考かな?)

最近は「愛国心」という言葉がどうのこうのと議論の対象になっているが、

そんなことを議論するのは情けないね、

今の日本は“とうふ”や“くらげ”になってしまったのか。

自分の生まれ育った国、日本を愛さない日本人がいるのだろうか?

            

教育論の記事で同じようなことを書いたけど、

“君が代”や“日の丸”に反発し、戦争はしないから軍隊は要らない、

子供に「愛国心」を教えてはいけない・・・、

どこかの野党の女性党首みたいに 文句ばかり言う人がいる。

戦争反対は だれでも同じ考えだ、

でも 思想や言論がいくら自由であっても

「愛国心」まで気に入らない奴は みんな日本から出て行けばいい、

カンボジヤとかアフリカにでも行って“平和と福祉”のボランティアでもやればいい。  大人たちがそんなレベルの低い議論をするから 子供たちの成長が歪んでしまうのだ。

健全な子供は 放っておいても自分の育った郷土や国を愛する心を持つのだ。

         

「いじめ」が社会問題になっている。

学校でいじめに遭った子供たちに 自殺の連鎖反応まで起きている、

いじめる子供は悪いが(中には本当に悪いやつもいるけど)

大半は 自分が意識しないで相手を傷つけている、

子供の世界はそんなものだ。

子供というのは みんな自己中心で エゴの塊だ。

相手の心を気遣うことが出来ないから子供なのだ。

(大人にもそういう人はいるけど・・・)

              

相手の心を気遣うようでは子供らしくないということだ。

いつの時代にも いじめっ子はいるし いじめられる子もいる。

子供が集団になるところに いじめは絶対になくならない。

       

教育の目的は 勉強じゃねぇんだ。

勉強して 知識を身につければ 人を理解できるようになる、

勉強を通して 人の痛みが判るような大人に育てることだ。

いじめる子を無くすことを考えるよりも、

いじめられても死んだりしない子を育てることが先だ。

いじめる子はいけないが、それで死ぬ子もいけない・・・

いじめられたくらいで自殺するような「くらげ」になったらだめだ。

         

教育論はもうやめようと思っていたが、

最近の「いじめ」のニュースを見るたびに むかつくのだ。

子供の世界まで「くらげ」にしたのは 

愛国心がどうのこうのと問題にする「くらげ」のような大人たちの責任だ。

人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞむかしの香ににほひける (紀貫之)

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日本というふるさとはこんなに美しく、

日本人の心はこんなに優しいのに・・・

この歌を知らない、意味もわからない日本人が沢山いる、

美しき国、美しきふるさとを愛する心、 

ふるさとや愛する人を守ろうとする心が 

欠如してしまったのだろうか、

   

Close your eyes  を聴いても 

心が動かない大人が増えたのだろうか・・?

だからオラは ひとこと言いたくなるのだ、

“それでもこの国を たまらなく愛しているから”・・・・だ。

Sunset

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