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山岡鉄舟(その一)

◆赤胴鈴之介

赤胴鈴之介という人気漫画があった、

♪剣をとっては日本一に 夢は大きい少年剣士

  親はいないが元気な笑顔 弱い人には味方する

  がんばれ強いぞ 僕らの仲間 赤胴鈴之介・・・

昭和三十年代頃だったかな・・? テレビアニメにもなって、このテーマソングを知らない子供はいなかった。

秩父の山奥で生まれた鈴之介は 幕府転覆を企てる鬼面党の首領銀髪鬼に両親を殺される、父の形見の赤胴をつけて日本一の剣士になる夢を持って江戸へ・・・

千葉周作道場で修業の末、秘剣「真空斬り」を完成させる。

江戸市民を恐怖に陥れる悪逆非道な鬼面党が送り出す怪人を次々に倒し、最後は親の仇銀髪鬼を討って、江戸の街に平和が戻る・・というようなストーリーです。

ウルトラマンが毎週怪獣を倒し、仮面ライダーがショッカーの怪人と戦うのと同じようなパターンだけど これが当時の子供たちに大人気であった。

登場人物は 千葉道場のライバル「稲妻斬り」の竜巻雷之進、

恩師千葉周作とその娘さゆり、鈴之介を指導する剣の達人浪野十三、

鈴之介の親友で幕府の隠密柳生一太郎・・・など、

作者の武内つなよしさんに聞いたわけではないが、

この赤胴鈴之介のモデルになったのが山岡鉄舟である・・

な~んでか?

山岡鉄舟・・・幼名は小野鉄太郎、天保七年(1836)飛騨郡代小野朝右衛門高副(おのあさえもんたかとみ)の五男として生まれた。 

郡代とは 幕府が直接支配する領地(天領)へ中央から派遣される役人のことで、

時代劇でよく出てくる代官は六万石平均を差配するが 飛騨一国は十一万石の天領だから 事実上は大名と同クラスであった。

鉄太郎はここで少年時代を過ごし 大好きな剣術の稽古に励む。

17歳のとき両親が相次いで他界、剣で身を立てる決心をして江戸へ・・・。

北辰一刀流千葉周作の神田お玉ケ池玄武官道場の門弟として鍛錬の日々を重ねる。

剣術は天才的に強かった、若手では右に出るものはいない。

鉄太郎の夢は日本一の剣士、彼の青春は「剣術」しかなかった。

鉄太郎は 千葉道場へときどき稽古にくる山岡紀一精山という侍を尊敬した、

無敵の鉄太郎が どうしても精山だけには勝てなかったのである。

鉄太郎は精山の弟子になるため 山岡家の居候になった。

山岡家には 精山の弟で槍の名人精一(後の高橋泥舟)、精山の妹お英とお桂がいた。

鉄太郎は姉のお英さんと恋をして 精山の死後山岡家の養子としてお英さんと結婚、「山岡鉄太朗」と改名したのである。

小野家は大名クラスの名門で 山岡家は武士ではあるが身分が低く釣り合いが取れぬ・・、周囲の反対を押し切って婿養子になったのは 剣を志す鉄太郎にとって精山は敬愛する師匠であったことと お英との恋の両方だった。

鉄太郎は 武家の古い因習に目もくれない進歩的な考えを持っていた、

お高くとまったり 見栄を張ったりしない、

町人とも気さくに付き合ったから 清水の次郎長との交流も始まったのである。

ホントのところは知らないよ、お英さんが好きになったから精山先生のところへ押しかけたのかもしれないし・・・オレだったらそうなるけど 

そういう考えでは日本一の剣士は無理か?

京へ上る浪士隊(のちの新撰組)の世話役になり、

戊辰戦争のときには 徳川の使者として単身官軍の本陣へ乗り込み 勝海舟と西郷隆盛会見による江戸城無血開城を実現させて江戸市民を戦火から救った。

後にはついに剣の道を究め「無刀流」の開祖となる。

明治になってからは静岡県知事、明治天皇の侍従などを歴任・・・

波乱万丈の生涯であった。

鉄舟は剣・禅・書の達人として知られ、

勝海舟・高橋泥舟と共に「維新の三舟」と呼ばれる。

鉄舟は「号」である。

鉄太郎と鈴之介の共通点

一、山奥に生まれ、両親を早く亡くし、日本一の剣士を志して江戸の千葉周作道場で修業する。

二、鉄太郎の「無刀流」がどんな剣法か知らないが、刀を使わないという意味だとすれば 気合で相手を倒す鈴之介の「真空斬り」は これこそ無刀流である。

三、山岡精山は鈴之介を教えた浪野十三で、お英さんは鈴之介に恋をするさゆり?

四、鉄舟は官軍の江戸総攻撃から市民を救う、                鈴之介は鬼面党から江戸市民を救う。

五、町人と気さくに付き合う鉄舟の明るさは 元気な笑顔の少年剣士鈴之介だ。

・・・ということで、山岡鉄舟のストーリーをマンガにすると やはり赤胴鈴之介になるのだ、マチガイナイ・・・!

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ところで、北辰一刀流の創始者千葉周作は 稽古で相手を傷つけないための竹刀を考案、江戸時代まで人を斬るための剣術を スポーツとしての「剣道」に発展させた人です。

柔術を柔道にした講道館の創始者加納治五郎のような人だと思います。

玄武館道場は 幕末の超一流名門道場として全国からの門人も多く、

山岡鉄太郎、清河八郎、山南敬助(新撰組幹部)などのほかに 坂本龍馬もここで習ったことがあるそうです。

物語の世界では丹下左膳や平手造酒も千葉道場出身ということになっています。

片目片腕の丹下左膳に 結核の平手造酒・・・重度の障害者と重症患者、二人ともボロボロの人生だが 若き頃は千葉道場という由緒正しい名門に学ぶエリートであったということを原作者は伝えたかったのであろう。

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コメント

山岡鉄舟と赤胴鈴乃助の話
おもしろかったよ
続きが楽しみだ〜

投稿: ポジ | 2007年5月12日 (土) 10時51分

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