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2007年6月

迷犬ゴン

ゴンとオカンと今年もまたあじさいと・・ちょっとだけオトン

ゴンという犬がいた。

メス犬なのに なぜかゴンだった。 

名無しのごんべえのゴンだった。

私が大学生の頃だった、父が事業に失敗して 東京の大田区安方町にあった大きな家から池上本門寺近くの小さな家に引越しを余儀なくされた。

家を担保に負債を清算して 文字通り父はスッカラカンになった。  

そして、新しい職場で再スタ-トする決心をしたころだった。

今まで社長だった父が 毎日荷造りの仕事で手を真っ赤に腫らしているのを見て、

私は父を尊敬した。

子供達のために、家族のために いい汗かいてる父の姿を見たからだ。

社長で金回りの良かったころの父を 私は尊敬した記憶がない。

毎晩だらしなく酔っ払い、大ものをたれ、大声で唄い、プライド高くて、意見の合わない人とは喧嘩ばかりして・・・、その分母が苦労して・・・、そんな父の日常を私は尊敬していなかった。

オレも酒飲みになったのは父の遺伝だが 小さい頃から そんなとこしか見ていなかったから オレは基本的に酔っ払いが嫌いなのだ。

ナンチャッテ、オレも酔うとだらしないけどね。

皮肉なものだ、貧乏になったとき 初めてなりふり構わず家族のために働くカッコいい父の姿を見ることができた。

やっぱりオヤジは男だぜ・・嬉しかった。

               

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ゴンは野良犬だ、テレビの人気者マサオくんによく似た大型の雑種である。

池上の家の玄関前で いつも昼寝していた。

餌を与えた、パンの耳とか ごはんのあまり物とか・・・

いつも同じところで寝ているので、なんとなく なにか食べるものをやってしまった。

この犬を飼っているという感覚はなかったのだが、 

ゴンは ついに我が家からはなれなくなった、

よほど居心地が良かったのか、食う時とうんこをする時以外は 朝から晩までいつも玄関で寝ているのである。

完全な野良犬のくせに我が家に居座っていた。

発情期になると、どこかで恋をしてきてから縁の下で出産する、それも毎年平均三~四匹も・・・仔犬の処分にこまった。

知らない人が来ても吠えることもないし、何の芸もない。

寝ることと、食うことと、子供を作るしか能がない。

なんの役にもたたないから家族の評判はよくなかったが なぜか憎めなかった。

数年後、我が家は池上から川崎市高津区の宮内へ引越しすることになった。

引越しの荷物を車に積んで いざ出発の時がきた。

ゴンはどうしよう・・・ ということになった。

彼女は玄関の前で、よだれを垂らして相変わらず寝ている。

あんな どうしようもないバカ犬は置いていこう・・・ということになった。

車は ゴンを置き去りにして走り出した。

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一週間が過ぎた。

引越しの荷物もかたづいて 生活も落ち着いてきたころだった。

母が 表で大きな声を出した。

「ゴンじゃないの! お前、どうしたの・・・・」

みんなびっくりして外に出た。

痩せて疲れ果て、ふらふらになったゴンが尻尾を振っていた。

すぐにめしを食わせた、・・・・・、

みんな 感動していた。

それからのゴンは・・・首輪を買ってもらった、犬小屋も建てた。

晴れて 正式に我が家の飼い犬としてデビュ-することになったのである。

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動物には 人間に解明できない驚異的な本能がある・・という。

犬の嗅覚は人間の何千倍とか聞くが、まさにゴンは超能力犬である。

東京大田区から川崎高津区まで 何キロあるかしらないが

しかも こっちは全員車で移動したのに、

どうやって来たのだろう・・・・・?

車は第二京浜を通り、多摩川を渡り、府中街道を走ってきた。

ゴンも同じコ-スを 臭いだけをたよりに 来たのだろうか。

道路に臭いが付くとも思えない、風に臭いが漂っていたのだろうか?

ゴンは 食うものも食わず 一週間もかけて旅をしてきたのだ。

私は今でも このことが不思議でならない。

もうひとつ感動なのは、

よほどの冒険をしてきたのだろう、よほど辛い経験をしてきたことは

ゴンのボロボロに疲れ果てた姿を見ればひと目でわかったのだが、そんな思いをしてまで 何で遥々やってくる必要があったのだろう?

ということであった。

わざわざ苦労して遠い道のりを来なくたって、今までと同じようにどこかの家に居座っていれば楽に暮らせるのに・・・・・、

それでも ゴンは来た。

ゴンにとっては 我が家でなければ だめだったのだ。

一宿一飯の恩という言葉があるが、

ゴンは 我が家族に対する恩義を 忘れていなかった。

最近では 恩を知らぬ人間が多い、義理も人情もないのが普通なくらいなのに、

あんなだめ犬が、突然奮起して死ぬほどの苦難を乗り越える大冒険をした。

能無しでも、ものすごい能力を発揮することがあるのだ。

遥々辿り着いたゴンを見て、彼女の想いを裏切り置き去りにした我々のほうが自責の心を味わうことになってしまったのである。

でも ゴンは、やっぱりゴンだった。

宮内に来てからも、相変わらず 喰って寝てばかりだった。

そしてある時 ゴンは裏の畑で 落ちていた毒まんじゅうを喰って死んだ。

(毒まんじゅうとは 昭和の時代のネズミや野良犬の誘引駆除剤)

ゴンのご遺体は 母が大好きで育てていた あじさいの花の下に埋めてやった。

あじさいの花が大好きだった母は この宮内の家で亡くなったのです。

(母のことは何度も何度も書いてきたから省略するが)

               

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四十年も昔のことなのに 今あじさいの花を見て ふと思うことがある、

ゴンは もしかして 母のあとを追ったのではないか?

毒と知りながらまんじゅうを喰って、家族の悲しみを代表して母に殉じたのか?

ソンナワケネェダロ・・・とみんなに笑われそうだけど、

ゴンならそれができるかもしれない、 あんな驚異的なことができたのだから。

私だけでもいい・・・ゴンの想いを信じよう、

ゴンの「ありがとう」を受け止めて、ゴンに「こちらこそありがとう」を云いたい。

            

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宮内のあじさいは、毎年紫の大輪を咲かせた。

ゴンの肉体があじさいの栄養に代わり、驚くほど見事な株に成長していた。

あじさいの咲くころになると、紫のあじさいの花を見ると、

あじさい柄の着物をきた母を想い出すのは毎年のことである。

そして なぜか、ゴンのことも想いだしてしまうのである。

            

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今年の梅雨は 毎日暑くてマイッタネ・・・

今日は雨の日曜日、久しぶりにプールのお風呂へのんびりしに行こう、

父と母の仏壇へ あじさいの花をお供えしよう、

それから名犬ゴンのためにも お線香を一本余分にあげよう。

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石油のはなし

不良オヤジの雑学 幕末編

 

Photo_142  山岡鉄舟に関わるおはなしがまだあります。

文久三年、朝廷から攘夷実行を促されていた徳川幕府は“尽忠報国の志あるもの来たれ” と関東一円に浪士を募集しました。

攘夷とは前述の“外国の圧力から日本を守ろう”という思想のことです。

 

力に陰りが出始めていた徳川幕府は 武士の失業対策を実行すれば世論の支持を回復し、浪士の雇用なら人件費もコストダウンできる・・・という思惑で、当初は五十人くらいを予定していたのに なんとそれが二百人以上も集まってしまった。 

それほど失業者が多かったかということですが 朝廷や世論への手前 多すぎる浪士を追い返すことはパフォーマンが逆効果になってしまうので具体的な仕事の内容も決まらず賃金支払いのあてもないまま とりあえず“上洛する将軍を警護し京の治安を守る”という名目にして京都へ向かわせました。 

幕末の行政が いかにずさんでだらしなかったかということです。 年金のデーター失くした社会保険庁みたいだね。

この募集案は庄内(山形県)の浪士清河八郎によるもので、これに応募してきたのが近藤勇・土方歳三ら多摩の天然理心流試衛館グループと水戸の芹沢鴨・新見錦、その他諸々で 彼等が後に「新撰組」になるのです。(いきさつや政治的背景が複雑で 検証が面倒だから この先はオレ流解釈でポイントだけのおはなしになります)

新撰組は 京都守護職会津藩松平容保預かり(アルバイト)ということで落ち着いたので、結果的に中央(幕府)の尻拭いを地方(会津藩)に押し付けてしまったようなものです。 そして この浪士隊の取締役に山岡鉄太郎等が任命されました。山岡はこの浪士隊を京へ連れてゆく世話役をやっただけで ここでは特別な活躍をしたわけではないのだが・・・

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才能豊かで過激な尊皇攘夷の思想家であった清河八郎は 浪士隊のスポンサーが徳川幕府なのに これを朝廷の兵にする計画を持っていました。 それが“尽忠報国の志”を貫く彼自身の信念だった。

浪士たちを集め弁舌巧みに理想的な国家の在り方や尊王攘夷の理念を説いた、 判りやすくいえば 我々を採用したこの会社(徳川幕府)は将来性がないから 真に国のために尽くそうとするならば 伝統も将来性も確実な会社(朝廷)に転職しようではないか・・・というのです。  かき集めの浪人たちは どうせ無学で主義主張を持たぬアホばかりだと舐めてかかっていたのかもしれないが 彼等を洗脳し同調させる自信があったのです。

清河の情熱に賛同する者も多くいたが、「俺たちにはそういう難しいことは分からぬが その話は筋が通らぬ・・・朝廷を敬う気持ちに異論はないがまだ働いてもいないうちに 臨時とはいえ拾ってくれた徳川に背いては武士の一分がたたぬ・・・」

純粋な近藤や芹沢たちは反対であった。 

正しいか否かの問題ではなく 清河の態度が小生意気で横柄で、少しばかり学問が有るからとエラそうにしやがって、何だこいつは・・・と、近藤たちの気に障ったのです。 要するに自分の意見を一方的に演説する清河のトークが下手だったということになる。 このことが後に 幕府への忠節を誓う新撰組という武装集団の結束を固める結果になってしまうのです。

そして 清河は策略を企てる不忠で悪い奴だ・・・ということになり、佐々木只三郎らに麻布一の橋で斬られてしまったのです。

アタマが良くて勉強ができて 合理主義的な理論を展開することが出来ても 人の心に宿る素朴な正義感や価値観まで気配り出来ない者の悲しいところである。

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山岡鉄太郎は清河八郎とは千葉道場で修業する同門であった。 山岡は清河が描く“報国の志”を評価して 彼の本質を理解できる一人だったから、清河の死を聞いたとき「嗚呼、天は奇傑を滅ぼした(日本は有能な人材を失った)」と嘆いたそうです。   幕臣である立場上、清河の計画に直接加担はしなかっただろうが、仮にそれを知っていたとしても そういうユニークなのもありかな?くらいの考えはあったのです。

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同じ千葉道場に 山岡・清河と仲良し三人組の石坂周造という男がいた。      石坂は清河と意気投合する完全な同志であった。 二人は浪士隊を朝廷の兵にした後の具体的なことまで相談していました。

戦国の昔から 武田氏の山県昌景隊、徳川四天王の井伊直政隊、そして闘将真田幸村の部隊も、みな「赤備え」と呼ばれ最強と恐れられた、それにあやかって外国人と戦うときの陣羽織(ユニフォーム)を赤にしよう、全ての武具を赤色で統一したら なんとカッコいいではないか・・・、二人の夢は無邪気な少年のように限りなく広がり、その資金繰りを石坂が担当することになった。

 

石坂は以前から「石油」に興味があった・・・、当時は石油という言葉は日本にはない、「燃える水」とか「石炭あぶら」とか呼ばれて、火をつければ燃えることはわかっていたが世間の関心も低かったのです。

石坂はこれに目をつけていた、

越後あたりには燃える水が湧き出しているところもある(新潟油田)、これを利用して商品化すれば必ず需要があり金儲けができる、研究すれば武器にもなる・・、

燃える水に 未知の魅力を察知していました。

凄い先見である、石油の重要性を日本で最初に気づいた人だったのです。

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ところが 清河が暗殺されたことを知りビビッてしまった。

自分は清河の同志だ、このままでは佐々木や近藤たちに狙われる、

これは相当ヤバイ・・・!

彼はサムライを辞める決心をして江戸を離れました。 

越後へ燃える水を見学にいったり その他の地方でも採掘できる場所を探したり、

もう尊皇攘夷・尽忠報国どころではない、以後は石油の研究に没頭してしまった。

 

そしてついに明治になってから 静岡県で手掘りによる日本最初の石油採掘事業の会社を創設し、後に日本石油株式会社による機械でのボーリングに代って、石坂没後も昭和になるまでこの事業は続いていたそうです。 

しかし日本は元々石油の産出量が少ないから事業は次第に衰退し、昭和三十年ころには全ての井戸が閉じられ 現在日本では 石油は百パーセント輸入になっているのです。

採油されたあぶらは 当時「石坂油」と呼ばれ日本中に広まりました。       現在日本語で石油というのは 石坂の“石”と“油”を組み合わせて「石油」という言葉になりました。

 

このネタは子母沢寛の「新撰組始末記」で拾ったはなしである(記憶が曖昧だけど)、そして石坂周造の妻は山岡精山の次女桂子(お桂)、鉄舟の妻英子さんの妹です。   山岡鉄舟と石坂周造は親戚関係になります。  

明治初期の静岡県知事山岡鉄舟が 静岡県相良町で事業を興した石坂の大きな力になったということが想像できます。

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5月26日 横浜市営地下鉄センター南駅「さつき盆栽展」

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泉岳寺界隈(その三)

高輪泉岳寺界隈は神社仏閣が多く路地裏の思いがけないところに寺を見つけたりする。 昭和四十年入社当時は建物も少なく 事務所の屋上からは完成したばかりの東京タワーが見えるし東海道線の電車も東京湾も視界の中にあった。  前の国道15号線には銀座方面へ向かう都電(チンチン電車)が走る、夏は窓が開いているから(クーラーがないのじゃ)それがうるさくて電話の声が聞こえない。                     

寮生活のころよく通った白金の「来々軒」、オラのメニューはヤキソバにライス、このやわらかヤキソバがごはんのおかずにぴったりなのじゃ。  泉岳寺信号の角でお婆ちゃん姉妹が店番をするパン屋「山茂登」へ毎朝パンを食いにいく、 パン屋の向いが寿司屋の「山茂登」、ここの大将はお婆ちゃんの倅だ。                   出前のついでに人の囲碁を覗き下手な能書きをたれる蕎麦処「伊勢久」の長谷川さん、吾郎ちゃんのうなぎ屋「かわむら」は 勝ち馬検討と競馬情報交換の場、         その隣がやきとり屋の「昭ちゃん」、おばさん姉妹が経営する居酒屋「くるま」・・・この辺は車町だったからね、

毎日自転車にビール箱を積んで走りまわる加藤屋酒店の番頭さん、 我社の倉庫であぶらを売り、気が向くとたまにはスピード違反をパクリにいく白バイのオマワリ佐藤さん・・・冷蔵庫の修理をしながら日本刀の刀鍛冶になった小林のおじさん、それに車町のベン・ケーシー 窪田内科の先生・・・、 みんな同じ町内の馴染みというより家族のように、地理的には山の手なのに東京の古き良き時代を思わせる下町のような人情のある のどかな雰囲気の街であった。                                              

Photo_131泉岳寺山門から

前方突き当たりが15号線泉岳寺信号、手前の信号の左側に「かわむら」があった。

オレが急性肝炎で入院したとき「くるま」からお見舞いをもらった。         退院後お礼に行くと 酒を注文してもトマトジュースしか飲ませてくれない !   「かわむら」でも吾郎ちゃんのカアチャンがお酒はダメという、           でも吾郎ちゃんだけは酒をだしてくれた(^.^)  「ウチで出さなく本人が飲みたけりゃ他所いって飲むだろ・・」カアチャンとケンカしながら熱燗をだしてくれた。     さすがは吾郎ちゃん! 毎週銀座のウインズで馬券を買いその足で築地へ仕入れに行くのは伊達ではない・・・人間ができている??

更に内科の窪田先生は 大威張りで酒が飲めるようになりたいと訴えたら毎回のように栄養剤だかなんだか知らないが 静脈注射をしてくれた。

現在は 肝機能の検査数値も正常になり元気に酒が飲めているのも 窪田先生はじめ車町飲食店の皆様のお蔭なのだろうか・・・?

ア~ア・・・#☆¥◇?×∞・・・・                        歩きながらいろんなこと思い出してしまったね、これも青春の一頁だね。

歴史の散歩道・史跡めぐりは 高輪の飲食店を主体とした“プライベート史跡めぐり”になってしまった。

吾朗ちゃんも くるまの女将も 山茂登のお婆ちゃんも 刀剣師小林のおじさんも・・・ もうこの世にいない。

昔のままに店の暖簾が残っていたのは蕎麦「伊勢久」と寿司処「山茂登」だけだ。窪田先生は?・・・まだ注射器片手に待っているかもしれない。

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テイケンビル1Fのフラワーショップ ジャングルジャックの花、(ポトス・ペラルゴニゥム・ガクアジサイ・カーネーション)母の日の前日だったから店長は出荷の梱包で忙しい・・・エントランスホールが花の香りで包まれていた。 クリックしてみて・・・いい花だよ、新鮮で品質がいい、価格も高くない。

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母の日の本命は やはりカーネーションだが、ランやブーケも人気、いつも笑顔の長内店長と園芸談義をする・・・、やさしくて健康そうないい人だよ、頭髪は枯れて新芽が出ないけど・・ツヤはある、敢えて写真は出さないけどね。

どこの街でも発展するから仕方のないことだが 変わってしまったね、見渡せば東海道線も東京湾も東京タワーも 何にも見えない、でっかいビルがぞろぞろと建って 高輪・白金・六本木・・・なんていえば今どきは日本一お洒落でセレブな街になってしまった。

そして夜は OBの爺さんたちが集まって楽しい宴。 

相変わらずオラも含めて口だけは皆達者だ・・・次回もみんな元気でまた飲もうね。

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フレンチレストラン イル・フィーロ

この度は旧細川藩邸までだったが、ここから魚藍坂・麻布方面へ更に足を伸ばせば 「麻布一の橋」は幕末に尊皇攘夷の思想家清河八郎が暗殺されたところ、清河を斬った佐々木只三郎(京都見廻組)は 後に坂本竜馬も暗殺した実行犯であるという説もある。  更に六本木ヒルズまで行けば すぐそばの「専称寺」には二十六年の生涯で二十六人を斬った(本当かどうかは謎)新撰組一番隊長天才剣士沖田総司の墓がある。

 

沖田総司は日本のビリー・ザ・キッドBilly the Kidだ、 ビリーは アメリカ西部開拓時代に 二十一歳で二十一人を殺した無法者、最後は名保安官パット・ギャレットに撃たれる伝説の早撃ちガンマンだ。

そういえば最近 西部劇やらなくなったね、OK牧場のワイアット・アープ、カスター将軍の第七騎兵隊、アラモの砦デビー・クロケットとか、バッファロービルとか・・・アメリカ西部開拓史にも面白い話が沢山あるのに。  

ララミー牧場のジェス・ハーパー、ローハイドのロディ(クリント・イーストウッド)、拳銃無宿のジョッシュ・ランダル(スティーヴ・マックゥィーン)・・・みんなテレビの人気者で面白かったのに、

ハリウッドで西部劇を作らなくなったのは 最近のアメリカ人が西部劇に興味がないということなのか? 荒唐無稽なSF映画ばかり作りやがって、アメリカ人のこういうところが理解できないのだ。

カウボーイ・保安官・騎兵隊は 日本のサムライに相当すると思うけど、民族性の違いか伝統に対する価値観が違うのかね・・・

話が逸れてしまったが 次は沖田総司の墓をお参りしてみたい。

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ダービー

5月27日、第74回東京優駿(日本ダービー)は 紅一点ウォッカが勝った。

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牝馬がダービーを制したのは1943年クリフジ以来64年ぶりの快挙である。

弟のposiが ダービーは毎年東京競馬場へゆくので、彼に頼んで久しぶりに馬券を買った、ただし 熱く燃えたのも四コーナーまでだったけど・・・。かすりもしなかったが 勝馬検討を楽しんで歴史的瞬間を目撃できたから満足だ。

オラの競馬歴は長い、社会人になったと同時に競馬を始めていた。

初めてダービーを観たのが1969年、不良馬場でダイシンボルガードが勝ったときだ。  一番人気のタカツバキ(嶋田功)が1コーナー手前で落馬してスタンドが騒然となり、ゴール前ダイシンボルガード(大崎昭一)が抜け出したとき 厩務員が万歳しながら芝コースへ飛び出して話題になった。  二着は朝日杯三歳Sの勝ち馬ミノル、ダイシンボルガードが人気薄だったから枠連で3600円?くらいだったかな・・・そこまで憶えていないが。  因みにオラは タカツバキとダイシンボルガードを買っていた、オラのダービーデビュー戦は 落馬する馬で勝負していた。

宿命のライバル アローエクスプレスとタニノムーティエ、距離の壁があるとわかっていながら 関東馬アローエクスプレスを応援したが、ムーティエには勝てなかった(二着ダテテンリュウ)。

オラが痔の手術で入院中、ヒカルイマイが直線最後方の27番手から一気に追い込み(二着ハーバーローヤルの馬主は野添ひとみさん)枠連5-5で大穴になった。馬券は獲れなかったが 26頭を直線だけでゴボウ抜きしたヒカルイマイの末脚に感動と興奮が冷めやらず 夜中に熱を出した、 「先生考えこんじゃってるわよ、競馬に興奮してお熱が出たなんていえないでしょ・・」と看護婦に叱られた。  あんな凄いダービーは未だに見たことが無い。

タケホープとハイセイコーの対決も、ミスターシービーも、トウカイテイオーのときも、ナリタブライアンのときも・・・・語りだしたらきりがないが、(そのうち競馬のカテゴリーで名馬のはなしでもやるべかな)

ダービーというレースは あの時自分がなにをしていた・・・とか、人生の想い出と重なって、♪古いアルバムめくり ありがとうって呟いた・・の気持ちになる特別なレースなのだ。

馬券的な成績は良くないが ダービーだけは何故か時の流れを爽やかに感じさせてくれるのです。

結果論になるが 競馬の格言に「ダービー馬はダービー馬から生まれる」というのがある、シンボリルドルフの仔トウカイテイオーが勝ったように・・・。

有馬記念を連覇したあのシンボリクリスエスを ダービで差し切ったタニノギムレットの仔ウォッカが 牝馬とはいえこのレースを勝っても何の不思議もないのだ。

◆Posiのカメラ

P1070673スタート

P1070675 ウィニングラン

P1070677 表彰式

翌日 後輩の競馬友達K君から「ウォッカはいい女なんですね・・・」と レース回顧のメールがきた、 そうだ、ウォッカが余りにいい女だったから 牡馬たちが興奮状態で力を出せなかったということは充分考えられる!?   ヒラボクロイヤルはパドックで既に大汗かいて、本命フサイチホウオーもゲート前ではイレ込んでいたし、先行するはずのヴィクトリーに至っては後方でウォッカの尻を見ながら走っていた・・・・??

ウォッカはエライ! 男たちをみんなまとめて酔わせてしまった。 

メジロラモーヌ、トウメイ、ダンスパートナー、ホクトベガ、ヒシアマゾン、エアグルーヴ・・・

牡馬を蹴散らし歴史に残る名牝は 馬から見ると皆「いい女」だったのかも、

馬の「いい女」がわかれば もっと馬券が獲れるようになる。

馬のいい女って どうすりゃわかるだ?  そこまで考えるK君もオラも・・・バカだけど、やっぱり競馬は楽しいね。 

    

◆ウコンの芽が伸びてきた(5月26日)

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Photo_130 アッツ桜

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