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2007年9月

読書のすすめ その三

◆だから本を読みなさい

いつの時代でもバカは氾濫している、

踊る阿呆に見る阿呆・・・人は基本的に皆バカなのかもしないが

現代社会の情報過多や娯楽に溢れた環境が要因か、個人の先天的資質か?

最近では大人でも小学生レベルの漢字を読めないのが多すぎる。

テレビタレントたちが バカを競う番組まである。

バカさ加減を笑う番組で バカキャラを売りにしているならまだましだが、

それがみな本物のバカで本人がそれを自覚していないからコワイ。

読み書きだけではない、子供でも分かる常識問題をマジで知らないバカもいる。

世界地図を見て イタリヤやイギリスがどこか知らないならまだ許せるが

日本がどこか指差せない言語道断のバカもいる・・・。

二十歳前後のガキならともかく、三十も過ぎた女が「ワカンナ~イ!」と可愛い子ぶって・・・、特にそういうのに天然バカが多い。 

(インテリを自認した高慢な女よりは確かに可愛いけどね・・・オジサンとしては)

日本の若者レベルがこんなものかと思うと 嘆かわしいことだ。

子供のころ勉強が嫌いだから、できなかったから・・・という問題ではない、

大人になっても本を読まないから こういうバカが増えてゆくのです。

昔、中曽根首相がアフリカ・メキシコ・プエルトリコなど多様な民族で構成された米国民の知的水準が低いと発言して米当局に反発されたことがあったが、これじゃぁ我が国の知的水準も似たようなものだ。

原因は やはり日本人が本を読まなくなったからだ。

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「教えてもらってない・・・」または「習ったことがない・・・」

昨今の若者から耳にするこのことば・・・オレは嫌いだ。

新入社員に仕事の指導をしていたころに何度か聞いたが このセリフを云う人は 長く続かなかった。

自分の無能を指導や環境へ責任転嫁しているようで・・・日本人がクラゲになったとはこういうところだ。

どんな仕事でも同じだ、一から十まで教えなければならない人に向上はない。

例えば職人の世界なら「技」の全てを教えてくれる親方や師匠はいない、

弟子は掃除をさせられたり炊事をしたり・・・本職と関係ないことをしながら先生の技を盗む、一を教わったら残りの九は自分で習得するものだ。 

門前の小僧習わぬ経を詠む・・・、下積み経験の尊さを認識しなければいけない。

これをやると決めたら 己の心に「熱いもの」を燃やさなければ一人前にはなれないということだ。

ナンチャッテ・・・エラそうに能書き言える自分だって、青春時代の真ん中は あっちへフラフラこっちへフワフワと道に迷ってばかりだったけどね。

でも仕事に関しては 教えてくれる先輩などはいなかった、

あの時代には「教えてもらってない・・・」というようなセリフもなかった、    上司や周りの先輩の中から良き手本を選び 意地でも自分で仕事を習得していったような気がする。

昔はどうだこうだのと 恵まれない環境でも頑張ったと自己主張するのが年寄りのパターンだけど、自分が若いころにも同じようなパターンで年寄りの話を聞かされていた。

人間社会の世代交代とは そういうことの繰り返しなのだろう。

子供は親を越えなければいけない・・・が、

親もまた「身長は仕方がないとしても 生きている間は子供に越されてたまるか」と、今の若者たちがそういう気概を持った年寄りになれるのだろうか?

その頃には オラはもういないからどうでもいいことだが、

結局、まぁ何とかなってるだろうけどね。  

最近は子供にも「習ってない」の傾向はある。

例えば 読めない漢字に出逢ったときに 小学生は「まだ習ってないも~ん」という。

子供はこれでもいいのだ、まだ習ってないならばその場で教えてやればいい。

昨今は 大人になってもこれを言うやつばかりだからダメなのだ。

Aosujiagehakyumitsu04

オレはガキのころ 教科書を読む勉強が嫌いだった、

(勉強が好きな子なんて普通はあまりいないけど・・・・、)

ところが 小説を読むのは好きだった。

面白いと興味のあることが好きなのだから 読書は自分的には「遊び」と同じ、

PCやゲームのない時代だから読書がゲームのような領域だったのかもしれない。

大人になって少しは物事がわかるようになると 

物語にはテーマがある、心がある、夢がある、感動することもある・・・、

知識を得るというよりも もっと違った無限に広がる何かがある・・・

と思うようになって、読書は更に興味深いものになっていったのです。

過去形になるのは 若い頃しか本を読まなかったからだ、

なぜなら 五十を過ぎ老眼の兆候が出はじめると活字を眼で追うのが苦痛になるからだ。

若いうちだから本も読めたということです。

Kuroagehakyumitsu14

若い頃は 年寄りの話を聞くのがきらいだった(今でも嫌いだけどね)、

長くて同じことを何度も聞かされるし こちらの意見はなかなか伝わらない。

そういう自分も最近は年寄りのグループに入って会話する機会が増えてしまった。

プールでも病院の待合室やアルバイト先でも 話しかけられればシカトするわけにもいかない、話しかけてくるということは相手がオレを同レベルだと思っているからだ。

しかも困ったことに いつの間にか自分が会話の中心になっている。

これが姉ちゃんたちなら大歓迎なのにね・・・

余談になるが十年ほど前だった、まだ五十代で現役のころだ。

朝冷蔵庫を開けると 中にシャンプーとリンスが入っている、

何で麦茶と牛乳の間にシャンプーとリンスの容器があるの?

家には自分と女房の二人きりだ、

頼むよ、ボケるのはまだ早い・・・女房を疑ったが敵もさすがだ、一歩も引かない。

冗談じゃない 私ではない・・お父さん大丈夫か? しっかりしてくれよ・・と云う、

オレだって天地神明に誓って 最高裁へもつれ込んでも絶対に潔白だ・・・!

どちらかが犯人に違いないのだが お互いが入れた記憶もなければ 絶対自分は入れてないと断言できる確証もないところが問題なのだ。 

絶対と絶対(Never Never)が激突すると 互いの名誉のためには曖昧(about)という結論で収めるしかない。

四十年以上も夫婦をしていると それなりに幾多の紛争は勃発するが

その都度何れかが妥協し又は歩み寄り 平和的合意に到達するのだが、

この件に関しては双方とも記憶に確信がないまま いまだに平行線なのだ。

はなしを聞いた子供たちは腹を抱えて立ち直れないほど笑いころげ、

それにつられて自分たちも笑いが止まらなくなった。

娘は「シャンプーは 冷やしたほうがいいの?・・・」と真顔になるし、

ついに本件は笑ってごまかす迷宮入り、我が家の永遠の謎になったのです。

なんてこともあったから

オレにも爺さん婆さんたちに話かけられてもおかしくない素質は充分なのかも。

未練がましいがあれは絶対オレではない(その自信も最近は100%ではないが)

Kichoukyumitsu01

年寄りは若い人の意見を聴こうとしない傾向がある、これを頑固という。

若い人が年寄りの話を聞きたがらないのは 年寄りが若者の会話(ことば)やメールの絵文字についてゆけないのと同じことなのだ。

だから年寄りにも 若い人の文化を理解しようと努力する謙虚さと柔軟性が必要だ、

それが無くなってしまうから「年寄り」なんだけどね。

年寄りの話というのは 自分が年寄りになったとき初めて共感できるのかもしれない。

読書も同じだ、

興味のあるジャンルだけでもいい、そのときは意味が分からなくてもいいのだ、

経験を積んだあとで 昔読んだ物語のテーマや心が理解できたとき

凄~く感動することもある。

視力が1.5のうちに沢山読むといい、目さえよければどこでも読める、

自分の場合は通勤電車の中という最悪の環境だったが・・・。

忙しいときだからこそ読書ができる、二日酔いでも睡眠不足でも関係ない、

若さというパワーが読書をさせてくれるのです。

第二の人生を迎え ゆとりある時間を利用してゆっくり読書でもしようか・・・

なんて思ったら大間違いなのです。

これは自分の経験論だが 年寄りはパソコンのマニュアル読むのも面倒で携帯電話だってろくに使いこなせない。

個人差はあるが 人はみな加齢と共に確実にアホへの道へ向かってゆくのだ。

だから本を読みなさい、

騙されたと思って アタマが回転する若いうちに読んでおきなさい・・・

一冊の小説を読破したときの達成感と感動の余韻が 経験のメニューに追加されて

やがて心の調味料となり 一味ちがう粋な味付けをしてくれることもあるのです。

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読書のすすめ その二

◆今どきの日本語

①「ホントですか」=「分かりました」の意味で使うが 会話中にホントですか・・と云われると嘘云ってどうするといいたくなるが・・、

 

②「ウソ!」=これも意外な事実を聞かされビックリしたときに使われる、本当!と思ったときに嘘!というのだ・・・否定の言葉が肯定を意味している。 これとセットで使う「信じられない」や「マジで!?」も、あまりに頻繁なので最近は抵抗なく自分も使うようになってしまった、

 

③ 例えば予約や注文を申し込むとき受付係りが

「こちらに○○を記入してもらっていいですか?」などの言い方をする。 当たり前だろ、そのために来ている。 May I ナンタラカンタラ・・を丁寧な言葉遣いとして直訳し、やたらにマニュアル化するとこうなる。

 

④ 例えば居酒屋で

メニューを持ってきて「こちらメニューになりま~す」

生ビールとヤキトリをたのんだとする、それを運んでくると 「こちら生ビールになりま~す!」「ヤキトリになりま~す」・・・ナンジャそれ?そんなの見りゃ分かるわ!!  これって、なんか変くない?(こっちまでなんか変になってしまう) 特にファストフードや安いレストランでこの傾向が顕著である。

オレの言いたいことわかるかな? 

教えられたままに「・・・なります」を使う彼等には多分わからないと思うが、そんなことをとやかく言う自分も今風の言葉に付いていけないウゼェオヤジだけどね・・

 

⑤ ユニーク編

「○○よりすこしあっちらへん」・・・又は「こっちらへん」、「らへん」は何処らあたりの意味で距離及場所的使用のほかに時間的使用法もある。「終盤らへんから盛り上がってきた・・・」とか。 

 

⑥ 番外編

某有名デパートで(これは女房に聞いたはなしだが)店員が代金のつり銭を持ってきて

「こちらお金様になります・・・」といわれたそうだ、

「え!なに・・・?」思わず聞き返したと女房がいう。

これは若い人が作れるマニュアルではない、おそらくその店舗の社長のポリシーであろう。

商人にとって「お金」は神様みたいなものだろうけど、

やだね・・・、それを社員の接客マニュアルにして 上品どころか貧乏たらしくて垢抜けしないケチな社長の半生が想像できる。

よ~く考えよ~ お金は大事だよ~♪・・ということは分かっているが

だからって「様」をつけるこたねぇだろ、これこそ「ウソ!シンジラレナ~イ」になる。

「ウンチクン」のほうが 遥かにかわいくてセンスのいい言葉だ。

そんなふざけた店で二度と買い物なんかすんじゃねぇぞ バカヤロ・・・こんなんだから オレはいつまで経ってもお金から見放されているけどね。

言葉も文化だから 明瞭で使いやすく時代と共に進化してゆく。

江戸時代なら「ホントですか」は「真実(まこと)でござりまするか?」

「ウソ!?・・・」は「偽り・・・」になる。

いまどき日常でこんな会話したら奇人変人になってしまう。

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現代はスピードの時代、ウソ・マジ・キモ・オハ・アケオメ・コトヨロ・・・(自分が知っているのはこの程度だけど)言葉がどんどん簡略化され、スピードアップしてゆく若者の感性は賞賛に値する、

ところがその反面「・・・になりま~す」「・・・してもらっていいですか?」のような上品・丁寧・親切などを目指すマニュアルのダサイこと・・・、

このぎこちなさ?は 一体どうなっているのか。

無理して正しい日本語を使うこともないが意味も分からず営業用語をマニュアル化する人もそれを使う人も、これは変だと思わないところが変なのだ。

やはり 若者が本を読んでいないからこういう現象になるのです。

あるサービス業の店では 店長の他に「チーフ」と「主任」がいる、

スタッフが互いに堂々と客の前でそれを呼び合っている。

ある工事現場の施工業者が「プロジェクト計画?」の会議をしたという。

これらはもう 変?よりも面白い、

みんな真面目に頑張って働く人たちだから それでいいけどね、

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教科書・参考書による進学のための勉強は マニュアル化された知識になる、

知識の習得だけでは 心は融通の利かない機械と同じ。

「読書」は勉強で覚えた文字や言葉の実技応用編です、

本を読まない人たちは 文字やことばの実戦経験が乏しいのだと思います。

最近の子供はパソコンや携帯電話の技がチョー凄いけど 本を読む子が少ない。

本なんか読まなくても 知りたい情報はいくらでも入ってくるし、

外で体を動かして遊ばなくても 部屋で楽しいゲームが出来る・・・、

面白いことが沢山あって 金さえあれば容易にそれを満たすことができる。 

本当に便利でいい世の中なんだけどね、

うまく表現できないが みんながインスタント食品で満足しているみたいで、

姿かたちのある自然食・・・てゆうか、本来の味覚・・・てゆうか、 

ものごとの「本質」に興味を向けさせるのが「読書」だと思うけどね。

昔の学校の校門には 二宮金次郎少年が働きながら本を読む銅像がどこにでもあった、

「蛍の光窓の雪 文読む月日重ねつつ・・・」

貧しくて照明の乏しい時代に 蛍や雪の明るさを利用してまで本を読みたいと願う勤勉な日本人の姿がそこにあった。

読書くらいしか「楽しさ」を求める手段がない時代ともいえるが、

本を読むことが学びの原点だったからだ。

また教育論になってしまったが、小中学校の教科に 国語とは別に「読書」という科目を新設したらどうだろうかとさえ思うのです。  ・・・・つづく

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読書のすすめ その一

    ジッチャンのauデビュー

今春、10年使ったPHSを解約し 新しい携帯を選ぶため息子に同行してもらった。 年寄りにも使い易そうな機種を選び ドコモからauに変更したのです。

手続きの待ち時間、今度はPHSの解約をしにドコモショップへ・・・。

レン君(息子の長男・高校生の孫)が自分の携帯をauからドコモに変えたとき、

係りの店員に解約理由を聞かれ「もう飽きたからドコモに変えた・・・」と答えたら 

凄く悲しそうな顔をした・・・と云っていたそうだ。

ジッチャンは大丈夫、店員がニッコリするかもしれないよ。

手続き中に 案の定係の女性店員が解約理由をお聞かせ下さい・・という。

“子供たちに新しいのをプレゼントされました、長いことお世話になったのにすみませんね・・”と答えると 

「まぁ!素敵ですね!・・・こちらこそ長い間本当にありがとうございました」

ニッコリ笑って丁寧にお辞儀されて 解約手続きは無事終了した。

「さすがオヤジ、あの姉ちゃんホントにニッコリした・・・!」

ウソも方便だな、ストレートな物言いで相手を悲しませるより変化球で喜ばせたほうが良いこともある。

この業界も顧客の争奪が激しいから ライバル会社への変更は最悪のことだ、

それを阻止するためには 自社製品のPRに尽力しなければならなくなる。

彼女としては客の翻意を促すための余計な神経を使わなくてもよい正当な理由ができた、子供からのプレゼントを喜ぶ幸せそうな爺さんに対して ガタガタ売り込みする必要はない・・・(こっちは自分で金払うのに見栄張ってそれを演じただけだけどね)

“素敵ですね!”の一言は 諦めというより安堵の言葉、

忙しい営業の合間に彼女の心も一瞬癒され、そして気分良く次の仕事に向かうことができる、(そこまで想定したわけではないけどな)

レン君にはウソついたからお姉さんがニッコリしたなんて言わないほうがいい、

ウソはいけない、若いときはストレートでいいのだ、自分のときはなぜ悲しそうな顔をされたか大人になってから分かるようになればいい。

今回はジッチャンだから使えたスペシャル変化球だからね、

なぜニッコリしたか聞かれたら 

“本を読んだからだよ・・・”ということにしておこう。

イソップ寓話の太陽と北風・・・みたいなものだな?

でも 今どきの高校生がイソップ物語なんて読む子いねぇよな・・・・なんてことを車の中で息子と語りながら帰ったのであります。

                

2007_11080002 ところで さすがオヤジとか ダテに歳食ってないとか・・・ヘンなところで息子に尊敬されたが 感心してる場合じゃねぇぞ!

あれを方便にしないためには 本当にプレゼントしてやろうかな?!・・・て、そこのところへ気が回らないようでは 息子よ お前もまだまだだぜ・・・

とお父さんは思うのでありました。

そして先日、孫のレン君から その携帯にメールが来ました、

「アドヘンしました、登録ヨロ・・・(^.^)

「アドヘン?・・・アドが変になった???・・・アドって なに?」

分からないから電話して聞いた、

メールアドレスを変更したから登録してね・・・という意味だった。

そういわれてみればナルホドである。

レン君に「昭和は遠くなりにけり」なんて言ったら

「イミワカンネェシ・・・」と言われそうだが、

携帯でメールできるだけ まだオレも捨てたもんじゃねぇ・・・と、

年寄りレベルでは自負しているが、

この携帯でフォト撮影ができるようになったのは最近のことだ、

それまでは 何度撮っても赤っぽい暗い画面しか撮れていない・・・?

よくよく教えられたら 自分の指がカメラの穴を塞いでいたのだ。

左手で携帯を持って右の指でメールの入力をしていたのが 最近では左手の親指で出来るようになったし・・・そんな程度だけど ジッチャンも着実に進歩はしている。

子供や孫たちは オレにとってはハイテク部門の先生である。

携帯の機能を自在に使いこなせる彼等は 自分の世代からみたら脅威の存在だ。

謙虚な気持ちで 若者の時代に共存していきたいからね。

2007_08300034

ベイスターズオヤジの文字デカ携帯

その代わりオレも若者たちに教えることは沢山ある。

「新撰組」、「義経」、「功名が辻」、そして今年の「風林火山」・・・

最近のNHK大河ドラマにハマっている子供たちに 

来週はこうなるよと 物語の結末やそれに関連したことまであれこれと話してやると

「ジッチャンはなんでそんなこと知っているの?」というから 

いつも必ず「本を読んだからだよ・・・」と応える。

SMAP、タッキー、仲間由紀恵、Gact・・・、若者に人気のタレントが歴史の主人公を演じるから 若い人たちが日本の歴史に興味を持つようになる・・・

いい傾向だね。

これが古い役者だったら若者たちは多分見向きもしない、

Gactが長尾景虎(上杉謙信)だから「風林火山」にチャンネルをあわせるのだ。

演技だって 夫々みな立派なものだ、

そういえば 木村拓哉が最近時代劇でなかなかの演技をしている。

彼のことばに「手を抜くと疲れる・・・」というのがある。

キムタクが名俳優としての成長を予感させる名言である。

 話が逸れるが 俳優も歌手も今の世代のほうが実力は上だ、映像や音響効果の進歩もあるが芸能人の才能も時代とともに向上している(根拠のない個人的評価だけど)。 

こんなこと言うとオールドファンに叱られるが 村田ヒデオ・橋ユキオ・小林サチコ・・・

このへんは自分が一番上手いという思い込みが顔や態度に出ていてチョーダサい、

村田さん(故人)が唄の最後ににっこり笑う芸人魂?は見るに耐えない醜悪であった。

杉リョウや松ケンのどこが男前なのか? 夢芝居一本で売れた梅沢トミオは気の毒なくらいのブサイクだ・・・ 婆ちゃんたちにホントに叱られるからこのへんでヤメトコ。

要するに 役者の魅力も歌手の実力も 今どきのほうがレベルは上だということだ。

ただし、踊りながら集団でないと歌えないガキたちは学芸会レベルの対象外だけどね。

ということで、オレはジジイのくせにジジイ世代は好きでないから、

仁義の口上を知っていたって何の役にもたたないけど、世の中には そういうくだらねぇことを知っている人がこの先だんだん少なくなってゆく、

オレは 自分が知っている「くっだらねえこと」の全てを このブログを読んでくれる若い世代に伝えていきたい、

そして、みんなにも 本を読む人になってもらいたいのです。・・・つづく

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