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読書のすすめ その三

◆だから本を読みなさい

いつの時代でもバカは氾濫している、

踊る阿呆に見る阿呆・・・人は基本的に皆バカなのかもしないが

現代社会の情報過多や娯楽に溢れた環境が要因か、個人の先天的資質か?

最近では大人でも小学生レベルの漢字を読めないのが多すぎる。

テレビタレントたちが バカを競う番組まである。

バカさ加減を笑う番組で バカキャラを売りにしているならまだましだが、

それがみな本物のバカで本人がそれを自覚していないからコワイ。

読み書きだけではない、子供でも分かる常識問題をマジで知らないバカもいる。

世界地図を見て イタリヤやイギリスがどこか知らないならまだ許せるが

日本がどこか指差せない言語道断のバカもいる・・・。

二十歳前後のガキならともかく、三十も過ぎた女が「ワカンナ~イ!」と可愛い子ぶって・・・、特にそういうのに天然バカが多い。 

(インテリを自認した高慢な女よりは確かに可愛いけどね・・・オジサンとしては)

日本の若者レベルがこんなものかと思うと 嘆かわしいことだ。

子供のころ勉強が嫌いだから、できなかったから・・・という問題ではない、

大人になっても本を読まないから こういうバカが増えてゆくのです。

昔、中曽根首相がアフリカ・メキシコ・プエルトリコなど多様な民族で構成された米国民の知的水準が低いと発言して米当局に反発されたことがあったが、これじゃぁ我が国の知的水準も似たようなものだ。

原因は やはり日本人が本を読まなくなったからだ。

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「教えてもらってない・・・」または「習ったことがない・・・」

昨今の若者から耳にするこのことば・・・オレは嫌いだ。

新入社員に仕事の指導をしていたころに何度か聞いたが このセリフを云う人は 長く続かなかった。

自分の無能を指導や環境へ責任転嫁しているようで・・・日本人がクラゲになったとはこういうところだ。

どんな仕事でも同じだ、一から十まで教えなければならない人に向上はない。

例えば職人の世界なら「技」の全てを教えてくれる親方や師匠はいない、

弟子は掃除をさせられたり炊事をしたり・・・本職と関係ないことをしながら先生の技を盗む、一を教わったら残りの九は自分で習得するものだ。 

門前の小僧習わぬ経を詠む・・・、下積み経験の尊さを認識しなければいけない。

これをやると決めたら 己の心に「熱いもの」を燃やさなければ一人前にはなれないということだ。

ナンチャッテ・・・エラそうに能書き言える自分だって、青春時代の真ん中は あっちへフラフラこっちへフワフワと道に迷ってばかりだったけどね。

でも仕事に関しては 教えてくれる先輩などはいなかった、

あの時代には「教えてもらってない・・・」というようなセリフもなかった、    上司や周りの先輩の中から良き手本を選び 意地でも自分で仕事を習得していったような気がする。

昔はどうだこうだのと 恵まれない環境でも頑張ったと自己主張するのが年寄りのパターンだけど、自分が若いころにも同じようなパターンで年寄りの話を聞かされていた。

人間社会の世代交代とは そういうことの繰り返しなのだろう。

子供は親を越えなければいけない・・・が、

親もまた「身長は仕方がないとしても 生きている間は子供に越されてたまるか」と、今の若者たちがそういう気概を持った年寄りになれるのだろうか?

その頃には オラはもういないからどうでもいいことだが、

結局、まぁ何とかなってるだろうけどね。  

最近は子供にも「習ってない」の傾向はある。

例えば 読めない漢字に出逢ったときに 小学生は「まだ習ってないも~ん」という。

子供はこれでもいいのだ、まだ習ってないならばその場で教えてやればいい。

昨今は 大人になってもこれを言うやつばかりだからダメなのだ。

Aosujiagehakyumitsu04

オレはガキのころ 教科書を読む勉強が嫌いだった、

(勉強が好きな子なんて普通はあまりいないけど・・・・、)

ところが 小説を読むのは好きだった。

面白いと興味のあることが好きなのだから 読書は自分的には「遊び」と同じ、

PCやゲームのない時代だから読書がゲームのような領域だったのかもしれない。

大人になって少しは物事がわかるようになると 

物語にはテーマがある、心がある、夢がある、感動することもある・・・、

知識を得るというよりも もっと違った無限に広がる何かがある・・・

と思うようになって、読書は更に興味深いものになっていったのです。

過去形になるのは 若い頃しか本を読まなかったからだ、

なぜなら 五十を過ぎ老眼の兆候が出はじめると活字を眼で追うのが苦痛になるからだ。

若いうちだから本も読めたということです。

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若い頃は 年寄りの話を聞くのがきらいだった(今でも嫌いだけどね)、

長くて同じことを何度も聞かされるし こちらの意見はなかなか伝わらない。

そういう自分も最近は年寄りのグループに入って会話する機会が増えてしまった。

プールでも病院の待合室やアルバイト先でも 話しかけられればシカトするわけにもいかない、話しかけてくるということは相手がオレを同レベルだと思っているからだ。

しかも困ったことに いつの間にか自分が会話の中心になっている。

これが姉ちゃんたちなら大歓迎なのにね・・・

余談になるが十年ほど前だった、まだ五十代で現役のころだ。

朝冷蔵庫を開けると 中にシャンプーとリンスが入っている、

何で麦茶と牛乳の間にシャンプーとリンスの容器があるの?

家には自分と女房の二人きりだ、

頼むよ、ボケるのはまだ早い・・・女房を疑ったが敵もさすがだ、一歩も引かない。

冗談じゃない 私ではない・・お父さん大丈夫か? しっかりしてくれよ・・と云う、

オレだって天地神明に誓って 最高裁へもつれ込んでも絶対に潔白だ・・・!

どちらかが犯人に違いないのだが お互いが入れた記憶もなければ 絶対自分は入れてないと断言できる確証もないところが問題なのだ。 

絶対と絶対(Never Never)が激突すると 互いの名誉のためには曖昧(about)という結論で収めるしかない。

四十年以上も夫婦をしていると それなりに幾多の紛争は勃発するが

その都度何れかが妥協し又は歩み寄り 平和的合意に到達するのだが、

この件に関しては双方とも記憶に確信がないまま いまだに平行線なのだ。

はなしを聞いた子供たちは腹を抱えて立ち直れないほど笑いころげ、

それにつられて自分たちも笑いが止まらなくなった。

娘は「シャンプーは 冷やしたほうがいいの?・・・」と真顔になるし、

ついに本件は笑ってごまかす迷宮入り、我が家の永遠の謎になったのです。

なんてこともあったから

オレにも爺さん婆さんたちに話かけられてもおかしくない素質は充分なのかも。

未練がましいがあれは絶対オレではない(その自信も最近は100%ではないが)

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年寄りは若い人の意見を聴こうとしない傾向がある、これを頑固という。

若い人が年寄りの話を聞きたがらないのは 年寄りが若者の会話(ことば)やメールの絵文字についてゆけないのと同じことなのだ。

だから年寄りにも 若い人の文化を理解しようと努力する謙虚さと柔軟性が必要だ、

それが無くなってしまうから「年寄り」なんだけどね。

年寄りの話というのは 自分が年寄りになったとき初めて共感できるのかもしれない。

読書も同じだ、

興味のあるジャンルだけでもいい、そのときは意味が分からなくてもいいのだ、

経験を積んだあとで 昔読んだ物語のテーマや心が理解できたとき

凄~く感動することもある。

視力が1.5のうちに沢山読むといい、目さえよければどこでも読める、

自分の場合は通勤電車の中という最悪の環境だったが・・・。

忙しいときだからこそ読書ができる、二日酔いでも睡眠不足でも関係ない、

若さというパワーが読書をさせてくれるのです。

第二の人生を迎え ゆとりある時間を利用してゆっくり読書でもしようか・・・

なんて思ったら大間違いなのです。

これは自分の経験論だが 年寄りはパソコンのマニュアル読むのも面倒で携帯電話だってろくに使いこなせない。

個人差はあるが 人はみな加齢と共に確実にアホへの道へ向かってゆくのだ。

だから本を読みなさい、

騙されたと思って アタマが回転する若いうちに読んでおきなさい・・・

一冊の小説を読破したときの達成感と感動の余韻が 経験のメニューに追加されて

やがて心の調味料となり 一味ちがう粋な味付けをしてくれることもあるのです。

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