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2008年1月

演歌の心(一)

◆リンゴの唄

五十を過ぎ団塊の世代となった頃、久々に渋谷道玄坂あたりで飲んだあと

二次会で「並木路子の店」へ行ったことがあった。

渋谷は懐かしい街だ、学生時代センター街のはずれにあるバー「エクストラ」でジャズを聴いていたオラの青春の街だ。

並木さんはそのころ大晦日の12チャンネルくらいしかテレビ出演がない 一線を退いたお婆ちゃんだったが なんとその夜は実物の並木路子さんとお話ができた。

二葉あき子、コロンビアローズ、淡谷典子・・など、仲良しの歌手仲間のアルバムまでひっぱり出して 戦後の歌謡界のはなしなど聞かせてくれた。

オラたちの世代は この元気で上品なお婆ちゃんの唄を聴きながら育ったようなものだ。

オラがカラオケでマイウェイを唄うと「お上手です・・・!」と、

お世辞でも褒められれば調子に乗るタイプだから 

そのあと並木さんに“ゴンドラの唄“を唄ってくれと注文されて 

ご一緒にお願いします・・と、デュエットになった。

 ♪いのち短し 恋せよ乙女

  朱き唇 あせぬ間に

  熱き血潮の 消えぬ間に

  あすの月日の ないものを・・・

昔の歌にしては珍しく心に沁みるいい詩だ、

ある程度の年代でなければ この詩の心は理解できないが

歌いながら声が詰まりそうだったのは 酔いもあったが自分もある程度の年代に達したからだ。

これは大正の歌だけれど これが彼女の青春なのかと思った。

父と兄を戦争で亡くした、東京大空襲で母も亡くした、

私は戦災孤児ですから・・・、

ポツリと云ったこの一言に 自分も含めた酔っ払いのオヤジたちは 一瞬沈黙したが、そのあとで「私には歌の神様がついてたからね 私だけ生かしてくれたのよ」ニッコリと微笑んだ。

若い娘のような明るい笑顔だった。

店を出るとき「ありがとうございました・・・」と、こっちが客なのに 飲み屋でお礼を云って最敬礼して帰ったのは 我が人生でこのときが最初で最後だ。

♪赤いリンゴに唇寄せて・・・で 戦後の日本人に勇気を与えたこの体の小さい元気な婆ちゃんが 歳をとっても永遠の乙女のようで凄く偉大に思えたのです

いのち短し・・・の詩は 今の自分の信条と同じで もの凄く共感できる、オラは乙女ではないけれど 全ての人に当てはまる。

人生は 熱き血潮に燃えているときが一番美しい、

生きるとは燃えながら暮らすこと・・

具体的には やりたいことがあったら今やろう、飲みたい酒があったら今飲もう、食卓に並んだお料理は 一番好きなものから先に食べよう・・・? だって、明日まで残しておいたら味が落ちるし 明日はお腹を壊して食べられなくなっちゃうかもしれない? 明日も自分は生きているという保障はないのだから・・・

こういう解釈はちょっとレベルが低いかな。

大衆歌謡の中から「演歌」というジャンルが登場したのは 自分が大人になってからだったような気がする。

並木さんの歌がラジオで流れていた頃は 日本の歌手が唄うのは流行歌とか歌謡曲と呼ばれて、演歌という言葉はなかった?(オラが知らないだけかもしれないが)

演歌のルーツって 何だろう? 

改めて調べるほどのことでもないが、もしかして この「ゴンドラの唄」が演歌の原型のような気がしてきた。

演歌とは 歌を演じる・詩を読む・詩の心を訴える・・ことだ。

それを演じる歌手の表現力によって 聴く側の受け止め方も違いがでてくる。

よく考えれば 歌謡曲リンゴの唄は 何を訴えたいのかさっぱりわからない、

漫才風にツッコミを入れながら検証すれば

赤いリンゴに唇よせて (これから かじるのか?)

黙って見ている青い空 (お前はアホか?)

リンゴはなんにも言わないけれど(アタリマエジャ)

リンゴの気持ちはよくわかる(嘘つけ!) 

リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ・・・(やっぱりアホか)

なぜこんな支離滅裂な詩がヒットしたのか 並木さん本人が一番面食らっていたのかもしれない。 

 歌の神様がこの曲をヒットさせてくれたのよ・・と言うかもね。

Photoスミレ白

1月6日のお誕生花 花ことば「謙遜」(ユキちゃんの写真)

彼女のもうひとつのヒット曲「森の水車」

 緑の森の彼方から 陽気な歌が聞こえます

 あれは水車の回る音 耳をすましてお聞きなさい

 コトコトコットン コトコトコットン 

 ファミレドシドレミファ

 コトコトコットン コトコトコットン 

 仕事に励みましょう

 コトコトコットン コトコトコットン 

 いつの日か

 楽しい春が やって来る・・・・・

こっちのほうが まともだよね。 

この素朴で軽快な明るさは この頃の日本人の素直さ、勤勉さ、本質的なガッツのようなものを感じさせる。

仕事も満足にできないのに権利ばかりを主張する今時の日本人とはえらい違いだ。

戦後の焼け野原で それまでになかった「リンゴの唄」という陽気なリズムとハチャメチャな歌詞が日本人の心に勇気を与えたのは それを唄った並木さんの明るさだったのかもしれない。

Photo_2 パンジー黄色

1月9日のお誕生花 花ことば「慎ましい幸福」

Photo_3 アッツ桜

1月23日のお誕生花 花ことば「可憐」

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英語にも訛り?

(どげんかせんと・・・のつづきです)

山形弁で喋る人気タレント カリフォルニア出身のダニエル・カールさんが若い頃英語教師として山形県に赴任したとき 山形の人たちの言葉に愕然とした。 

ここは日本ではない! 別の国のような気がしたそうです。 

日本の言葉と文化を勉強してきたのに それが役にたたないのではないだろうかと不安を感じたそうです。  

ユタ州出身のケント・デリカットさんも日本で活躍する人気タレント、 ユタの実家では 畳の部屋でこたつに入り 納豆とふりかけごはんを食べる親日家、ユタは田舎だと皆にからかわれて「ユタバカニスンナヨ!」で売り出した。

ダニエルとケント、西海岸カリフォルニァと内陸のユタ・・・、

両方ともアメリカの田舎っぺキャラで売り出し、ダニエルは日本でも山形弁を売りにしている。

ということは 二人の英語はアメリカ人からみたら やはり「訛り」があるのだろうか?

         

オレは英会話ができない、洋楽の歌詞も辞書をひいてやっと意味がわかる程度だから いいかげんな自己流推測になるが、日本より遥かに広いアメリカ大陸、大西洋側と太平洋側では通じない言葉は日本以上に極端なものがあるように思える。

東海岸ニューヨークあたりを首都圏の標準語だと仮定すれば アイダホ、モンタナ、ワイオミングあたりは日本なら東北弁、ロスやサンフランシスコは関西弁、南国フロリダ、テキサスあたりは四国や九州弁ということになるのかな?

例えば サッチモおじさん、ナット・キングコール、レイ・チャールズプラターズ等の歌は黒人系独特の節回しで すごく訛りがあるように思えるが 都会の夜のショータイムには彼等のお洒落な衣装はよく似合っている。

ところが 白人なのにローハイドのフランキー・レインの英語は明らかに訛りがあるようで、どこの出身か知らないが本物のアメリカの田舎っぺ・・・て感じがする。 

垢抜けしてないから ガンファイトの西部劇に合っていたのかもしれないね。

“OK牧場”の画面を見ながら流れてくる歌声だからカッコいいと思うが

彼がネクタイをしたライブは都会的でないのかもしれない(あくまでも主観だが)

Photo           灰色リスの子供たち (ユキちゃんのカメラ)

戦後の昭和は西部劇ブームで 東映の時代劇も華やかなりし頃だった。

映画くらいしか娯楽の情報源がないような時代、中学・高校のころはオラもかなりのミーハーだった。

大砂塵、荒野の決闘、真昼の決闘、黄色いリボン、帰らざる河、アラモ、リオ・ブラボー・・・封切りを待ちわびて映画館に通い続け、ペギー・リーやテックス・リッター、涙声のマーティ・ロビンス、ハスキーなマリリン・モンロー、そしてディーン・マーチン、F・レインも・・・

西部劇の主題曲は 意味も判らぬまま丸暗記で唄えるほどレコードを聴いてしまった。

大学生のころは「ヨーロッパの夜」で見たプラターズのライブにしびれ、

そして「オーシャンと11人の仲間」を観てからは ついにシナトラファミリーの大ファンになってしまった。

シナトラ一家・・・日本でいえば北島三郎・山本譲二・小金沢昇司のサブチャン一家(比較に若干の無理はあるが)てとこかな?

親方サブチャンは北海道、譲二は広島、小金沢は神奈川大和市の出身だから みなそれなりに標準語ではないが・・・、

シナトラたちも どこの出身か知らないが 彼等の歌を知ったとき はじめてアメリカの標準語に出遭ったような気がした。

米国人の中で 英語の歌を一番お洒落で流暢に唄うのがF・シナトラで、 D・マーチンはいつも酔っ払いながら ロレツのあやしいどうでもいいような英語? 

この不良性が なんとも粋で・・・

そして サミー・ディヴィスJr.の歌こそ プロ中のプロだ・・・! と自分で決めてしまった。

オラの昭和という青春はシナトラだ(だからブログタイトルは青春MyWay)、

漢字にすれば「不乱苦支那虎」・・?(かなりイイカゲン)

オラは音楽の素人だから ラッパを使うデキシーランドがジャズの元祖で、ロックはギターとドラムがメインとなるジャズの発展型・・・くらいにしか思っていないが、プレスリー、ビートルズ、R・ストーンズの偉大さは理解できる。

ジャズやロックンロールという音楽のジャンルは 日本の昭和という時代に欧米が生み出した ひとつの文化なのだと思う。  

昭和生まれの文化だからこそ 理解できるのかもしれない。

Photo_2 チップマンク

オラはクラシックには興味がない・・・、

従って バッハやモーッアルトの偉大さはわからない。

音楽のジャンルといえるかどうかだけど、

日本の“能・狂言”に至っては 更にさっぱり判らない・・・

あんなもののどこが面白いのか? 

狂言師名門宗家の息子がプロレスをやるようでは この手の日本文化は消滅しても仕方ない、 時代に受け入れられない伝統は価値がない。

芸能だけではない、技能や生活習慣までも 近年は様々な分野で後継者不足があとをたたない。

歴史ある伝統文化は民族の貴重な財産だけど、現代人にとって難解なものになってゆくのは むしろ自然なことなのだ。

歴史ドラマでよく見るシーン、織田信長が炎に包まれた本能寺で

「人間五十年 下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり ひとたび生を享け滅せぬもののあるべきか・・・」戦国武将の間で流行した幸若舞“敦盛”の一節を舞いながら 滅びてゆく・・・、

信長はこの歌のファンだった、彼の人生観というか この曲にしびれていたのだ。

この時代の人だから この難しい歌が理解できる、

いまどきは 死を覚悟して能を舞う人なんて いないからね。

時代の変化とともに人の感性まで変わってゆく・・・

時の流れとは こういうことだ。

ちなみに自分の葬式BGMはもちろんシナトラMyWayの予定です。

オラには英語の歌に能書きたれる資格はないが ジャズを好み、シナトラを敬愛し、メロディや歌声の素晴らしさに感動した青春は 大切な自分の宝物だけど・・・それは別格として、 

やっぱりオレは日本人だ!

四十過ぎたころから 演歌の心がわかるようになってきた。

理由は単純、なんてったって歌詞の意味がわかるからね・・

演歌は 昭和の「ワビ・サビ」だ。

しみじみ聴いて味わって、唄って・・・、

心が震え涙するのは やっぱり演歌だねぇ。     つづく 

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どげんかせんと

Photo_3

昨年末、ゴルフの「ハニカミ王子」と宮崎県知事東国原さんの「どげんかせんといかん」が流行語大賞に選ばれました。

私の予想では「そんなのカンケェネェ・・・」 かと思っていたが、

お笑いとはいえ パンツ一枚のパフォーマンスだから 子供たちにはウケても 

品格?という点を考慮に入れれば 大賞にはイマイチの評価になったのでしょう

「ハニカミ」と「どげんか・・・」は妥当なところですね。

そこで九州宮崎のことば「どげんかせんといかん」を 他へ行ったらどういう言葉になるか ちょっとだけアレンジしながら想像してみました。  地元の人に満点もらえるかどうかわからないが。

 

どげんか せんといかん・・・が 

◆土佐の坂本龍馬さんだったら

「日本は どげんかせんち いかんぜよ・・・」

◆広島 仁義なき戦いの菅原文太さん

「じゃけ どげんかせな いけんの・・・」

◆元大阪府知事 横山ノックさん

「そらあかんで、えらいこっちゃ! どないしょ~、」

◆名古屋で 赤カブ検事の奥方

「ほんだで おみゃあさん、なんとかしてちょ~よ!」

◆大雪と水害と地震と、苦労の絶えない越後のおばあちゃん

「だっけさ・・・はぇ どぉにかしんきゃ だめらこてさぁ・・」

◆信州安曇野 農協のオッチャン

「そいっぁ どぉにかしねぇと いけねぇだよ」 

◆静岡の農協なら

「そぉずら、どぉかしねぇと いけねぇずら・・・」

◆茨城県会議員

「我がエバラキにも 国のインジョを取るには どうすっぺ・・?」

◆東北 青森・秋田あたりの村長さんになると

「だども、ならば、どおぬかすねばなんねぇ・・・」

◆北海道まで行くと 伝統の浅い開拓地だから標準語にやや近くなり

なんかしねぇと だめだべさ・・・」

 

2008_01010030

2008年1月1日の富士

日本は狭い国なのに 西と東、南と北ではこれだけ言葉が違います。 異口同音というよりもこの場合は異音同意・・そんな熟語はねぇか?

文章にするからなんとか理解できるが その地方独特のアクセントで喋られたら日本人同士でも通じないこともある。

日本は南北に長く季節がある国、夫々の地方に方言や訛りがあるのは 古くからの生活習慣、暑さ寒さの違いもあるから?

例えば 東北は寒いから口を開けずに急いで喋る、暑い南の地方はのんびりとあくびをするような言葉になる・・・。

Photo_5 千両

私は東京生まれの神奈川育ち(ご先祖様は信州だが)、その気になればバリバリの標準語も 江戸弁も使えるけれど“ことば”には訛(ナマリ)があったほうが面白いと思う。

どこへ行っても自らのお国訛りを貫けば それはその人のユニークな個性になる。

自分のように どこの地方の言葉にもある程度合わせてしまうのは 個性の表現に乏しいことになる。

北は礼文島から 南は桜島まで・・、若いころはよく旅をした。

社会人になると 広島に工場のある会社で、東京本社勤務であったが 同僚は広島人が多いから日常会話は広島弁で喋るし、営業で仙台を拠点に十年も東北出張をしたおかげで 訛りの本家?東北弁にも精通してしまった。

でも 津軽弘前あたりで、地元の人同士の会話は 他国言のようにさっぱりわからない。 商談のときは先方が気を遣って ある程度標準語に合わせてくれていたからだ。

津軽で道を尋ねたら「ハズィノフィェナラバ ヌリグレダナッス・・・?」

翻訳すると「八戸までは ここから二里(8キロ)くらいです・・・」である。

関西や九州の人には マンズ ワガラネナ!

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バイリンガルとは多国語を話せること、日本では特に英語に精通した人をいうらしいが、オラ外国語は苦手だし、今から勉強しても遅いし・・・、せめて日本語限定バイリンガルならば自信はある。

営業で京都の得意先へ電話すると「おおきに・・・」と挨拶されるあの独特の京言葉、ふんわりと交わされてしまいそうで・・・それなのに腹もたたない。 ところがすぐ隣の大阪弁は せせこましくてアカン! 漫才ならば スピーティで楽しい言葉だが 大阪弁を営業的にまくしたてられると むかつくこともある。

歴史的にみれば 大阪は秀吉や堺商人が拠点としたパワフルな商いと庶民の街、

京都は朝廷と寺院のある雅な伝統の都・・、そういうことが原因なのかもしれない。

そういえば オラ“京ことば”に まだじっくり接したことがない。

これではまだ 日本語のバイリンガルとエラそうなことははいえない。

そうだ! 京都へ行こう!                                       妻とふたりで 京都の旨いもの探して ぶらりお散歩の旅へいこう!             ついでにお寺や街並や 日本文化と伝統をアルバムに沢山残したい!

暖かくなったら なるべく早いうちに「どげんかせんといかん!」

 どないかしゃはらな あきまへんぇ・・かな?

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新年おめでとうございます

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