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英語にも訛り?

(どげんかせんと・・・のつづきです)

山形弁で喋る人気タレント カリフォルニア出身のダニエル・カールさんが若い頃英語教師として山形県に赴任したとき 山形の人たちの言葉に愕然とした。 

ここは日本ではない! 別の国のような気がしたそうです。 

日本の言葉と文化を勉強してきたのに それが役にたたないのではないだろうかと不安を感じたそうです。  

ユタ州出身のケント・デリカットさんも日本で活躍する人気タレント、 ユタの実家では 畳の部屋でこたつに入り 納豆とふりかけごはんを食べる親日家、ユタは田舎だと皆にからかわれて「ユタバカニスンナヨ!」で売り出した。

ダニエルとケント、西海岸カリフォルニァと内陸のユタ・・・、

両方ともアメリカの田舎っぺキャラで売り出し、ダニエルは日本でも山形弁を売りにしている。

ということは 二人の英語はアメリカ人からみたら やはり「訛り」があるのだろうか?

         

オレは英会話ができない、洋楽の歌詞も辞書をひいてやっと意味がわかる程度だから いいかげんな自己流推測になるが、日本より遥かに広いアメリカ大陸、大西洋側と太平洋側では通じない言葉は日本以上に極端なものがあるように思える。

東海岸ニューヨークあたりを首都圏の標準語だと仮定すれば アイダホ、モンタナ、ワイオミングあたりは日本なら東北弁、ロスやサンフランシスコは関西弁、南国フロリダ、テキサスあたりは四国や九州弁ということになるのかな?

例えば サッチモおじさん、ナット・キングコール、レイ・チャールズプラターズ等の歌は黒人系独特の節回しで すごく訛りがあるように思えるが 都会の夜のショータイムには彼等のお洒落な衣装はよく似合っている。

ところが 白人なのにローハイドのフランキー・レインの英語は明らかに訛りがあるようで、どこの出身か知らないが本物のアメリカの田舎っぺ・・・て感じがする。 

垢抜けしてないから ガンファイトの西部劇に合っていたのかもしれないね。

“OK牧場”の画面を見ながら流れてくる歌声だからカッコいいと思うが

彼がネクタイをしたライブは都会的でないのかもしれない(あくまでも主観だが)

Photo           灰色リスの子供たち (ユキちゃんのカメラ)

戦後の昭和は西部劇ブームで 東映の時代劇も華やかなりし頃だった。

映画くらいしか娯楽の情報源がないような時代、中学・高校のころはオラもかなりのミーハーだった。

大砂塵、荒野の決闘、真昼の決闘、黄色いリボン、帰らざる河、アラモ、リオ・ブラボー・・・封切りを待ちわびて映画館に通い続け、ペギー・リーやテックス・リッター、涙声のマーティ・ロビンス、ハスキーなマリリン・モンロー、そしてディーン・マーチン、F・レインも・・・

西部劇の主題曲は 意味も判らぬまま丸暗記で唄えるほどレコードを聴いてしまった。

大学生のころは「ヨーロッパの夜」で見たプラターズのライブにしびれ、

そして「オーシャンと11人の仲間」を観てからは ついにシナトラファミリーの大ファンになってしまった。

シナトラ一家・・・日本でいえば北島三郎・山本譲二・小金沢昇司のサブチャン一家(比較に若干の無理はあるが)てとこかな?

親方サブチャンは北海道、譲二は広島、小金沢は神奈川大和市の出身だから みなそれなりに標準語ではないが・・・、

シナトラたちも どこの出身か知らないが 彼等の歌を知ったとき はじめてアメリカの標準語に出遭ったような気がした。

米国人の中で 英語の歌を一番お洒落で流暢に唄うのがF・シナトラで、 D・マーチンはいつも酔っ払いながら ロレツのあやしいどうでもいいような英語? 

この不良性が なんとも粋で・・・

そして サミー・ディヴィスJr.の歌こそ プロ中のプロだ・・・! と自分で決めてしまった。

オラの昭和という青春はシナトラだ(だからブログタイトルは青春MyWay)、

漢字にすれば「不乱苦支那虎」・・?(かなりイイカゲン)

オラは音楽の素人だから ラッパを使うデキシーランドがジャズの元祖で、ロックはギターとドラムがメインとなるジャズの発展型・・・くらいにしか思っていないが、プレスリー、ビートルズ、R・ストーンズの偉大さは理解できる。

ジャズやロックンロールという音楽のジャンルは 日本の昭和という時代に欧米が生み出した ひとつの文化なのだと思う。  

昭和生まれの文化だからこそ 理解できるのかもしれない。

Photo_2 チップマンク

オラはクラシックには興味がない・・・、

従って バッハやモーッアルトの偉大さはわからない。

音楽のジャンルといえるかどうかだけど、

日本の“能・狂言”に至っては 更にさっぱり判らない・・・

あんなもののどこが面白いのか? 

狂言師名門宗家の息子がプロレスをやるようでは この手の日本文化は消滅しても仕方ない、 時代に受け入れられない伝統は価値がない。

芸能だけではない、技能や生活習慣までも 近年は様々な分野で後継者不足があとをたたない。

歴史ある伝統文化は民族の貴重な財産だけど、現代人にとって難解なものになってゆくのは むしろ自然なことなのだ。

歴史ドラマでよく見るシーン、織田信長が炎に包まれた本能寺で

「人間五十年 下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり ひとたび生を享け滅せぬもののあるべきか・・・」戦国武将の間で流行した幸若舞“敦盛”の一節を舞いながら 滅びてゆく・・・、

信長はこの歌のファンだった、彼の人生観というか この曲にしびれていたのだ。

この時代の人だから この難しい歌が理解できる、

いまどきは 死を覚悟して能を舞う人なんて いないからね。

時代の変化とともに人の感性まで変わってゆく・・・

時の流れとは こういうことだ。

ちなみに自分の葬式BGMはもちろんシナトラMyWayの予定です。

オラには英語の歌に能書きたれる資格はないが ジャズを好み、シナトラを敬愛し、メロディや歌声の素晴らしさに感動した青春は 大切な自分の宝物だけど・・・それは別格として、 

やっぱりオレは日本人だ!

四十過ぎたころから 演歌の心がわかるようになってきた。

理由は単純、なんてったって歌詞の意味がわかるからね・・

演歌は 昭和の「ワビ・サビ」だ。

しみじみ聴いて味わって、唄って・・・、

心が震え涙するのは やっぱり演歌だねぇ。     つづく 

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