« 多摩川釣り紀行(2) | トップページ | 徒然に2008・泣き虫の夏(4) »

多摩川釣り紀行(3) 

◆青春の多摩川 

(1)幼い恋の思い出

小学5年生の頃だった、同級生ヒカルちゃんという 当時では珍しい洒落た名前の女の子がいた。

家も近所で 親同士も仲良しだった。
彼女は積極的だった、オレはガキだったがこの年代は女の子の方が遥かに精神年齢は高い。

二人で お弁当とスケッチブックを持って 田園調布まで電車に乗って、多摩川台公園を散歩してから 多摩川の堤に登り 二人肩を並べて写生をした。

オレは女子と行動を共にするのは 照れくさくて嫌だったのに、彼女の方には その時既に恋愛感情が芽生えていたのかもしれない。
河原には黄色い菜の花畑が広がっていた。

彼女はその菜の花畑の絵を描いていた、オレはその向こうに流れる多摩川の絵を描いた。

流れの中には川漁師の舟が浮かんでいた。・・・

その後 メグちゃんとは大人になっても付き合いが続いている。

高校生の時、二人でバファロー大隊という西部劇の映画を観に行った、

国立競技場へサッカーの試合を観に行ったこともあった。

これはもう デートだった、お互い告白したことは一度もなかったが、・・・・

彼女は 初恋だったのかもしれない。

手を握ったこともなければ、キスをしたこともない、
幼馴染だ・・・、大人になっても続いている親友なのだ、・・・・

お互いがそう思うことで 初恋の感情を封印していたのかもしれない。

泉岳寺の駅でばったり逢って、酒を飲みに行ったこともあった。

彼女と連絡が途絶えて、もう20年以上になるだろうか、

元気でいるだろうか・・・、お互いジジイとババアになったけれど、会えば話が尽きないだろうね。

Photo

(2)マイ・セレナーデ・多摩川バージョン

もう一つ幼い恋があった。

高校時代のガールフレンドK子ちゃん、 同じ大学の付属校で同期、三年間の長い付き合いだった。 野球で大怪我をして 病院通いをしていた辛い時期にオレを励まし 支えになってくれた。 気の合う友達というより 既に恋愛感情だった。

5月のよく晴れた日、学校の帰りに待ち合わせ 多摩川の河原 草の中で弁当を食べる、 

二人分作ってきて そのあと病院のリハビリへ一緒に行く予定だった。 

河川敷のグランドで草野球をやっている、 それを観ながら 彼女が作ってきたお稲荷さんと海苔巻きを食った。

「本当は野球続けたかったんでしょ、悔しいよね・・・」「ウルセエ・・」「やっぱり悔しいんでしょ」「もう野球の話するなよ!」「やせ我慢してるじゃん」「ウルセエよ」「怒ったの?」「怒ってねえよ」「なら・いいじゃん」、「今度“地下鉄のザジ”・・・みに行こうよ 」 二人であの頃の封切り映画を随分観た。 アラン・ドロンの“太陽がいっぱい”・・・の美しいメロディに感動したり、ジョン・ウェインの西部劇“アラモ”のレコードを探しにいったり・・・趣味も感性も共通し意気投合していた。

「川はいいね・・・、北上夜曲の最後のところ 

僕は生きるぞ 生きるんだ 君の面影胸に秘め・・・

「♪僕は生きるぞ~のところ、私・涙でちゃうんだ・・・」川を眺めながら ひとりで喋っている。

「今度 ラッパやりなさいよ、トランペットがいい、カッコイイよ・・・」

オレは応援団ではない、トランペットに触ったこともない・・・

「大丈夫だよ、私が教える、すぐ吹けるようになる、私パートリーダーだよ・・・」

彼女は吹奏楽部だった。

おなかいっぱいになった、まぶしいほどの青空を見上げながら 群生しているクローバーの緑の葉と白い花の中で カバンを枕に草野球の歓声を聞きながら二人並んで昼寝した。

クローバーは他の雑草と違って抵抗なく横になれる、葉が柔らかいからだろうか、あまり汚いと感じない。 

しばらくして横を見ると彼女は眠っている、クー・クー・・・と本当に気持ちよく寝ている。 据え膳食わぬは何とかだ・・・今ならそういう感覚だが、そのときは違う、本人は若く純情だったから 使命感に燃えて一大決心。 

こういう場合は男が行動しなければ・・・オレは男子だ、この機を失してはならぬ!? 

それが彼女に対する仁義?・・裏切ってはならぬ、・・そんな律儀に考えなくてもいいのに、試食コーナーで 美味そうなものを一口食べる感覚にならないところが 清純か?

昭和の中期、武士道というか 男が主導・・という伝統的思想の残り火が まだ社会的にくすぶっていた時代でもあったから。

彼女のほうへ寝返りをうって 頬杖をつき 彼女の寝顔を近くから眺める、

顔が近づく・・・、彼女の唇に自分の唇を近づける、ちょっとだけチューするつもり・・・!?

おいなりさん食ったのに臭くない? 甘~い匂い・・・、初めて女性の顔をきれいだと思った、女の匂いを感じた。 いくぞ・・・!の感じで 唇を重ねた、

ところが 彼女は急にびっくりしたような目を開けて 顔を振り 予想外の拒否反応!?

急に顔を横に振ったので 鼻がぶつかった、歯もガチンと当たった、

痛ッテェ!・・・

こっちがびっくりして 慌てて元の姿勢に戻り 横を向いて寝た。 

「 あのねー!・・・いま・何で そういうことするの・・・?」

「好きなの?」・・・「 ん・・」、

「かわいいと思う?・・・」・・・「 ん・・」

オレの耳元で いたずらした子供を叱るような口調で言う。

  「 ん・・・」彼女の問いに「 ん 」とだけ答えた。

「 なら・いいけど・・・バカ!・・・」 

「ならいいなら いいのに・なに怒ってんだよ・・」

「だからぁ・・・なんでやめちゃったの?・・・バカ!・・・・だからバカー!・・・」

失敗したー、それなら押さえつけてでもキスしてやればよかった。 

「私はいいのに (あんたが)好きだから、・・・だから・どーしてやめちゃったの?・・・バカー・・・!」 

オレだって(おまえが好き)・・・

「だったら・ だから・なんでやめちゃうの・・・バカー!・・だから・バカー・・」

イヤがったからだろ・・・

「だから・・・・なんでやめちゃうのよーって、云ってるでしょ・・・だから・バカー!・・・」

やめたら なんでだめなんだよー、もっとやれってのかよー!

「そんな言い方しなくたって、・・・ だからー・いいのにー・! やめなくて いいのに、・・・だって・やめちゃうから、・・・なんで?・・ バカ!・・・だからぁ・バカー! 」

だからだからって・・?・だから 何が云いてんだよー

「 だからぁ・・何云ってるか 分かんなくなっちゃうでしょ・・・だからバカー!」

おまえにバカバカ言われたくねえ、いつもオレが勉強教えてやってるだろ、このバカ!

こっちも少しむっとして起き上がった、そういうことなら事前に伝達してくれれば それなりに当方も濃厚で誠意ある対応ができたのにー、

中途半端だねー! 17歳だ、後味の悪い消化不良のファーストキスの思い出だ。  

互いに複雑な家庭の事情を抱えていた、オレも目標定まらずふらふらと頼りない時期だった。 夫々に相手の幼い涙をどこまで理解していたかどうか・・は分からないが、

その年末、突然彼女は電話一本で別れを告げてきた。 

インパクトが強すぎた、純粋な少年の心を引き裂く「冬の稲妻」だった。 

今でも消えることのない衝撃の記憶になった。 

この時期がほろ苦い青春の涙の原点になった。

Photo_2

あれから五十年も経ったのに 「だから・バカー・・・」を思い出すと笑いが出るが、同時に涙も溢れるのである。

K子ちゃんは読書が好きな文学少女だった、詩集を色々集めて読んでいた、自分でもノートに詩を書いて 時々オラに見せる。 

椿の花が落ちた  白い大きな花の玉が コロコロ転がって        ちょっと横向いてとまった・・・(以下略・・この先は忘れた)

オレ流評価では なかなかセンスのある シンプルでかわいい詩だった。 

あいつが好き あいつが大好き やさしくてドジでバカだけど あいつに会うときが幸せ 

あいつに会いたい 今日も明日も明後日も あいつに会いたい いつも会いたい 私はあいつが大好きだから いつも幸せでいたいから・・・  

(ウマイ・エライ! 彼女の詩集の中で最高傑作、 百点満点です・・・)

そういうことなら もっと早く言えよ・・・バカ!、

だから バカー・・・の想い出を 詩にしている。  

だからお前もバカなのだ・・・といいたい。 ! 

この詩の部分はインクが紙に滲んでいた、書きながら涙がこぼれたのだろう、

気に入った詩を書き写したり自作を書いたノートをめくりながら 

「ね、これ読んで、 あたし これ涙でちゃうんだ・・」と、何箇所かページをめくってオレにも読ませていた、感性の豊かな子だ、同じページに二人揃って涙することもあった。 

夏休み 湘南の海水浴場のボート屋で 二人で一ヶ月のアルバイト、このときも色々あったが、書き出したらきりがないから 省略。

あのノートは 翌年我が家の引越しのドサクサで夏の思い出と共に消滅した。 

あれから半世紀も経ったのに 彼女のことを語ったらきりが無いが、涙もきりが無いほどだ。 

匂いやさしい白百合の 濡れているよなあの瞳 想い出すのは 想い出すのは 北上河原の月の夜 

北上夜曲は昭和のロマンだ、日本のセレナーデです。 

水の流れに花びらを そっと浮かべて 泣いた人 忘れな草に 返らぬ初恋を 想い出させる 信濃の旅路よ  「千曲川」もセレナーデ、

どちらも 白百合、忘れな草・・・初恋を思い出させる可憐な花と、ロマンチックな情景なのに 多摩川の河原には 雑草とクローバーの白い花と 花の終わったタンポポの丸い綿帽子くらいしかなかった、そばには犬のウンコまで落ちていた。 オレ流セレナーデThis is My serenade「多摩川恋歌」だから こんなもんでいいか。

あのウンコ もしも踏んでたら・・・またバカー!の連発が始まっただろうな。  

(なんで こんなこと思い出すのか、 五十年も昔のことなのに、こんなこと憶えていても なにがどうなるものでもないのに・・・昨日の晩ごはん 何だったか忘れてるのに・・・典型的なボケパターン? )ところで、上戸彩ちゃんが 私の前世は イカだって!?へこむよ・とぼやいていた、オレだって初恋の思い出が犬のウンコだ!スゴイよ! へこまないけどね。

9月14日 センター南駅前広場で秋祭り あじさい寺正覚寺で 素敵な詩を見つけました。

 生命の泉

人の世の苦しみに泣いたおかげで

人の世の楽しみに心から笑える

打たれ踏まれ唇を噛んだおかげで

生まれてきたことの尊さがしみじみ分かる

醜い世に思わず立ちあぐんでも

みてごらんほらあんなに青い空を

皆が何も持っていないと嘲けても

皆が知っている美しい本当に尊いものを

愛と誠と太陽に時々の雨さえあれば

あとはそんなに欲しくない

丈夫な体と ほんの少しのパンがあれば

上機嫌でニコニコ歩きたい

それから力一杯働こう

そして不平は言わず

決してひるまずに進んで行こうよ

何事も相手の身になって物事を考えよう

何処かに不幸な人がいたら

どんなことでも力になってあげよう

すっかり自分を忘れてしてあげられたら

もうそれできっと嬉しくてたまらないだろう

朝お日様が昇る時挨拶に

今日もやりますと叫びたい

夕べお日様が沈む時は

夕焼空をじっと見つめて坐っていたい

心にはいつもささやかな夢を抱いて

小鳥のようにそっと眠り

暇があったら古い詩集を紐解いて

ひとり静かに思いにふけりたい

幸せは自分の力で見出そうよ

Photo_4 

作者は 小安国民学校学童・・・となっていた。

第二次対戦中 横浜の学童が この寺へ集団で疎開したときの作品である。

お寺の井戸の前だった、生命の泉・・・である。

子供たちにも 水の大切さ 命の尊さが分かるのである。

小学生の作文(誌)なのに よくこれだけのことが書ける・・と、感動してしまった。 

戦争の悲劇を体験した昭和の子供は 辛い体験から優しさを学んだということが伺えます。

悟りを開いたお寺の坊さんの書いたような文章で、作者が本当に子供だったら これは素晴らしいことだ。  前向きで夢がある、未来への希望がある。 この精神が戦後の復興と今日の繁栄の原動力、昭和のエネルギーになったのだ。

人は悲しみが多いほど 人にはやさしくなれる・・、

小さいときに泣くのを我慢した子は 大人になってから涙がいっぱい出るようになるんだよ・・・後の大人たちが 昭和に体験した戦争という悲劇から学んだ「優しさ」という人間性を 角度を変えたことばで表している。

オレは こういうのにジーンとくる、この詩をあいつに見せたら あいつもジーンとくるだろうな・・・と思ったら、また改めてジーンときてしまった。

だから バカ・・・だから。

12 

ここでちょっと脱線「不良オヤジの雑論」

基本的なボケ・痴呆症は 昔のことは記憶しているのに 昨日のこと つい最近のことを忘れる・・・というのがあるが、オレは研究したわけでもない、確証もないが、勝手な推理、自己流見解でいうと 記憶に残ることとは それだけインパクトが強いからである。 忘れた昨日のことは インパクトが弱い、大したことでないから忘れる・・・

三十年も五十年も大昔のことを忘れられない・・・というのは本人にとっては 強烈な大事件だったから記憶に残ってしまうのです。  子供の頃は 戦争から戻ってきた大人に戦争ボケという言葉があった、目の前で爆弾が破裂したり人が死んだりを目撃するから その記憶が消えないのである。 涙は悲しい辛いときばかり出るものではない、嬉しいとき・感動したときのほうが涙は沢山出る、 オラの場合は 若い頃の思い出で涙することが多くなってきた。 それも一種の老化なら それを阻止するには 元気に動いて 毎日ハッピーで バカ云ってお笑いやってるのがいいね。  

|
|

« 多摩川釣り紀行(2) | トップページ | 徒然に2008・泣き虫の夏(4) »

多摩川釣り紀行」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/73843/23851033

この記事へのトラックバック一覧です: 多摩川釣り紀行(3) :

« 多摩川釣り紀行(2) | トップページ | 徒然に2008・泣き虫の夏(4) »