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2008年11月

涙の素質 ・昭和のこども

2月15日 クモ膜下出血で倒れ、3月18日眼が覚めるまでの一ヶ月間、オレは娑婆とあの世の境界線を気持ちよく漂っていた。 それは最高に気持ちの良い爆睡、夢の世界だった。 ポーニョ・ポニョ・ポニョと 空中を泳ぎまわっているような理想の睡眠。

今までに味わったことのない心地よい眠り、・・・・それが突然の大音響や爆笑で一気に現実へ引き戻される。  もしかして・・あのまま眠っていたら・・・・? 天国の入り口直前で 引き返してきたのかも。

いいじゃない (詩荒木とよひさ 曲堀内孝雄)                                                  (途中から)

嗚呼 天国へ行ける夜汽車があれば                不幸は後ろをついてはこない

いいじゃないそれでも わたしはわたし              誰かが綺麗だと誘ってくれたら

嗚呼 もいちど生まれ子猫になれば               不幸も知らずに眠れるけれど

いいじゃないそれでも 明日はあした                誰かが素敵だと 拾ってくれたら

テレビドラマのエンディングに流れた曲、ちょっと聴いただけで もう涙ボロボロ・・・、

悲しいねぇ、よくこれだけ寂しい詩が作れると感心するね。

ここでまたちょっと脱線の昔話になるが             小学生の頃だった、「三丁目の夕陽」より少し前、戦後の食糧事情の悪い東京で育った腕白時代、かわいい仔犬を拾って、コロと名付けよく遊んだ、ある時その愛犬コロが死んだ。 

オラは犬小屋の前に ごはんを供えて毎晩泣いていた、       「男が泣いてはいかん、泣きたいのはこっちのほうだよ、子供に腹一杯食べさせようと大人は満足に食ったこともないのに、日本男児がそんなことだから戦争に負けたんだ、このバカヤロ」{そこまで責任追及されたら辛いよ?!}

母とお婆ちゃんと同時攻撃で怒られた.ガキのころから泣き虫の素質があったのだ。  でも一羽だけ飼っていたチャボ(ニワトリ)のクーちゃんの肉が食卓に出たときには いつも賑やかなのに 家族全員しょんぼりの晩御飯になった、 「食べなさい、お前のためにヒネッたのに、おまえの好きなクーちゃんの命を無駄にするな、喰ってやらないと供養にならない、クーちゃんが浮かばれないだろ、バカヤロ 」涙ぐんでいたらまたお婆ちゃんの一喝、

サスガのお婆ちゃんの目にも涙が光っていた。 サザエさんのマンガにも同じような場面があった。 昭和の子供はどこの家も 命の大切さ、食べることの大切さを体験し、大人がそれを優しく教えてくれた。  

コロもクーちゃんもオラの遊び仲間だった、クーちゃんを喰うのは悲しいと思った。  仲良しの友を裏切ってしまった・・・ 罪悪感が幼い心を痛めた。

昭和は悲しい時代だった。 貧しいのに貧しさを感じない、不幸でもないのに悲しい、肉が食いたいと肉屋へ行っても肉がない、そういうところが悲しい、悲しい時代に育ってきた自分が 今泣き虫になっている、昭和の子供たちの優しさの原点はこんなところにあった。 徳光さん・西田敏行さんがテレビで号泣する、皆オラと同じ世代で危険な大病を患ったから 明日は死んじゃうかもしれない・・・と、人生を振り返ってしまうからだ。 オレは思い出の保存料が莫大だから 涙の容量も果てしない。   

ならばカッコいいけれど、単に誰でも歳をとると寂しくなっただけのことかもね。NHKの朝の連続ドラマで お婆ちゃんが孫に「子供の時に泣くのを我慢した子は 大きくなってから涙がいっぱい出るようになるんだよ・・・・」と教えるセリフが印象的だった。 年寄りはたまにポツリと重みのあることを云う。

少年野球に燃えている頃だった、チームで一番のヤンチャ坊主に千本ノックをしたことがあった。 両方ともヘトヘト、一時間程狂ったように勝負して 終わるとさすがのヤンチャもダウン、グランドに座りこんで大粒の涙で泣き始めた、疲れたとか怖いからではない、頑張った、燃え尽きたのか・・・そこまで解らないが泥だらけの顔が 汗と涙でクチャクチャになっていた。 彼は泣き虫ではない、強い子なのに、・・・・達成感で泣いていたのだ。  それを見てオラまで涙したこともあった。

この夏、オラとしては頑張り続けた、足腰がガタガタになるほど歩き続けた。 燃え尽き症候群?・な~んちゃって、まだ不完全燃焼だ、白い灰になるまで燃え尽きてみたいだけ、やりたいことも食いたいものも まだ沢山ある、

2日間の集中治療室と三日間の個室、そして一般病棟でも 爆睡とビックリして目覚めるのを繰り返していた。 ICUの時から オラには四人の担当看護師さんが付いていた、これがメッチャ明るい、天真爛漫、明朗活発。                        「GAGI GU? PAあばひゃ? ◎α※○で~す・?」

何かをとりに走って 大慌てで戻り カーテン開けると同時に報告、

「何? 今何云ったの? 落ち着いて ちゃんと喋りなさい・・」婦長さんか主任さんか指導者格のベテラン看護師さんに叱られても平気。

「バーカ! ワケわかんねぇこと喋ってウルセェよ、おまえは宇宙人か?・・・」

オラも同時に文句云って・・・これは自分的には笑えた、娑婆は面白いことがまだあるじゃん、これなら娑婆も捨てたものではない。 自分の笑いと同レベルで楽しませてくれたこの四人の担当者のドタバタエピソードは沢山ある、(ネタ切れしたらまた使うかも)

この騒がしさが 入院初期から ずうっとオラのクレーム対象だったが

この二組の天然元気コンビに影響されて オラの快復は早かった・・・明るさに「感謝」

散歩すると大病の初期のことまで思い出しては 「みんなアリガトウネ・・・」また涙になる。 それにしても この涙もろいのは何だろう?  彼女たちは箸が転んでも可笑しい年頃なら・・・オラは箸が転んでも泣きたい年頃になったのか?

「笑って笑って 歩いていこう いつも笑顔でいられるように」

偉大な自然に「願い事」をしてみたかった、例えば夕陽を見つめながら、例えば山の頂上から下界を眺めて 人間の存在が小さなものに見えるような景色の中で、 一心に ただひたすらに心の中で合掌して「願い事」をしてみようと思っていた。

それにしても あの時の眠りは深かった、気持ち良かった、この世とあの世の中間層があんなに気持ちのいい空間なら 天国に行かれなくてもいいじゃない、いつもお笑い系で暮せるなら・・・・、オレにはあそこが格別の天国だ。 

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川和富士の頂上から富士山に沈む 美しい夕陽が見える。       ◆禁煙は二ヶ月経った・・・、最近は元気ないよ、夏場の頑張り過ぎか 脚の肉が落ちて痩せてしまった、これは脂肪が燃えたから・・・これから筋肉が付くそうだ、今は締った身体になったらしいけど、顔とアタマはしまりがない、すぐに笑いすぐに泣く、腹もぽにょぽにょ・・・風邪引きそうになったり 燃え尽き症候群? 辛いねぇ、健全な肉体に宿る健全な精神を保つには 一服くゆらせるのが一番なんだけどなー。  この艱難辛苦を乗り越えるのが修行だろ。 オラは今禁煙という体に悪いことをして苦悶している、支離滅裂のでんぢゃらすオヤジになりそう・・・? 義理が廃ればこの世は闇だ、心配してくれた周りの優しい人たちを裏切ってはならぬ、義理と人情で頑張るドー!そのうち何とかなるだろおぉぉぉ・・・、アバウトでも成功する、簡単だ、やめればいいのジャ・・・・自分を激励しているのであります。    明日12月3日はCT検査に行く、何もなければいいけど 何かあってもなくても 結果は来年、また報告するよ。 「がんばらなくていい」このワードでネット検索すると「花猫日記」感動的な詩に出逢った、いい加減な不良オヤジにはぴったりの詩、来年も呑気に ボチボチと、年末・お正月には旨い酒が飲めるなら がんばらなくてもいいじゃん、元気で生きてさえいれば****寿命ですから・・・

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野球狂の詩

◆この頃の日記

11月19日、野球狂の詩 水原勇気が現実になった。     川崎北高 吉田エリさん、関西独立リーグでドラフト七位に指名された。  プロ野球初めての女性投手誕生、夢があっていいですねー、こういう方向へ進めばプロ野球も人気回復するのに。    得意のボールは「ゆれながら落ちる魔球・ナックルボール」        これは人気になる、打者が男ならピッチャー返しは絶対しない。  

日本のプロ野球はオリンピックで負けて、次期WBCの監督選びに揉めている。   メジャーへ行った一流選手を招集する強制力がないから いつまで経っても日本最強チームが作れない。 今年は巨人・西武が日本シリーズ、巨人のセ・リーグ優勝はラミちゃんと小笠原が原動力、「巨人の星」の記事で力説した通りだ、   一流選手に育つとみんな巨人へ行くのが日本プロ野球の体質だから・・・。

横浜、広島、ヤクルトは一流選手を育てる製造工場、それを商品化して利益を追求するのが巨人・・・・

巨人の監督はいい、ホームランのお出迎えポーズに神経使うだけだ・・・と、今年の原監督を見て思った。 長嶋さんの頃から毎年最強の全日本チームは巨人だ、イチロー・松坂・松井・城島・岩村・ダルビッシュ・村田・・(何れも近い将来は巨人)あたりを追加すれば史上最強軍になる。  彼等を召集できる強制力がないことと 巨人への一極集中するプロ野球の構造が改善しない限り金メダルはまだまだ難しい、ゴタゴタが続く大相撲協会の体質と似たようなものだ。  横浜の三浦と石井琢は今期まで、広島は新井、黒田も去年までだった、弱小チームのファンは ため息出ちゃうよ! FAする完成品は皆巨人・阪神へ行ってしまう・・・優勝をお金で買えるような世の中、これじゃあ野球の人気も落ちてしまう。    

高い買い物ばかりしてる巨人は今年も日本一にはなれなかった。  

川崎北高は 河原投手のとき夏の甲子園大会激戦区神奈川県予選で準決勝まで進んだ、 県立が四強まで勝ち進んだのは快挙。  愛娘ヨコチが吹奏楽部をやっていた、毎週応援で真っ黒に日焼けしながら「勝ったぜー!・・・」「また勝った・・・」と 興奮しながら帰ってくる、思いっきり青春してたね。 オラはあのころ少年野球で燃えていた。  オラもヨコチも燃えていた。 散歩しながら そんなことまで思い出すと また涙・涙になる。  

秋のGⅠエリザベス女王杯では珍しいものを観た。 5番ポルトフィーノ武豊がスタート直後に落馬、勝ったのはリトルアマポーラ(16番)、それはそれでいい、オラ馬券買ってない、テレビ観てただけだから、空馬になった5番は最後の直線 外へ持ち出してグイグイ伸びてそのまま一着だった。 これは面白い、長いこと競馬やってきたが オドロキ・モモノキ・サンショノキ・タヌキにブリキにチクオンキ・・こんなの初めて見たよ! ペースや位置取り、追い出しにかかるタイミングも・・・武豊が乗っているような感じだったから これはスゴイ! 馬が騎手がいないけど頑張ろうと自覚したのか?  馬にインタビューすればよかったのに!?  武豊は名手故の落馬か、名人は時々強引なこともするから。

北京五輪は北島選手が抜群だった。  6月頃からオラにライバル意識を持たせてくれた、予想以上の強さだった。 今年のスポーツ関係では北島が一番、おかげでオラも元気を貰った。

11月20日、プールで歩いたり泳いだり・・・、平泳ぎは進まない、ゴーグルに水が入ってきた・・・・! これはヤバイ! 今までの努力が無駄になる。 

また手術・・・なんてことになったらエライことになる!

慌てて手術した右目を閉じた、片目だけで底のラインを見て泳ぐ・・・片目ではバランスが悪い、右へ左へ蛇行運転・・・、やっぱりバカですねー。

これではまだ 北島もハンセンも巨大な壁だ。

Photo 白菜乾しているところ

日曜日、幼稚園の畑から白菜が届きました。 採れたてだから超新鮮・・・

もう漬物のシーズンになった。 

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小春日和

11月13日 小春日和、移動性高気圧で穏やかな晴天に恵まれる。 

秋だから小春日和、晩秋の雨は「山茶花梅雨」というそうです、もっと寒くなると「氷雨」になる。

雨はイヤだね、やっぱり晴れの日は気持ちも明るくなる。

先週は森の道を歩きながら リンデンバウムの大きな幹に・♪・・

梓みちよの歌を 思い出して、青春の思い出が次々に湧いてきて、また歩きながら涙ボロボロになった。 夏からずーっと この傾向・・・想い出の歌に感動するのは 心が小春日和だから!? がむしゃらに北風に向かって歩くことはない、拾った命だ、北風に飛ばされたからっていいじゃない、 その時が寿命なのだ。 

(昨日偶然 痛快で素敵なブログに出会った、「ちたん」で検索、

オラと同じような闘病記、病気のことが解りやすく勉強になった。)

梓みちよさんの歌、いかにもヨーロッパ風で 木陰には忘れな草が咲いている、バームクーヘンの匂いがしてきそうなアルプスの風景がイメージされてくる。

菜の花畑に入り陽薄れ 見渡す山の端かすみ深し 春風そよ吹く空をみれば 夕月かかりて匂い淡し・・・森と水と米・・・ 日本文化を象徴する歌、自然がいっぱいの田園風景だ。

世界中がこの風景になるのがいいのだ。 忘れな草が咲き 稲穂が実る環境がいい。

小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ  藤原定家は百人一首の編集長のような人です。 奈良平安の大昔から日本の風景は変わっていない。

11月18日、今日も小春日和、これはおかしい、 毎日小春日和というのはおかしいよ。

今年はまだ夏なのだ。 

紅葉の写真が撮りたくて 茅ヶ崎中央公園へ・・・おにぎり作って妻と二人で久々の散歩。

歩きまくった この半年、短い期間だが それなりに思い出の歴史に追加される。

退院してからホントによく歩いたねー、 二人で歩くと また病気の話になってしまう。

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北部病院の橋を渡って公園入り口へ

救急隊からの電話三件目で行く先が決まった、麻酔の薬もできていて 先生も担当チームも決まって本人の到着を待っていた・・・、ラッキーが重なったとは、倒れてから手術までの時間が短いこと、早く処置できたことを云うのだ。  本人は痛くもなんともないし、ICUで寝ていても 周りのやかましい騒音も若いナースの会話もちゃーんと聞こえていたのジャ、

こっちから声出せないから 一緒に笑ってみたり反応していた。  深い眠りに落ちて、突然目を醒まし朦朧としながら会話を聞いて・・夢と現実がゴチャゴチャの不思議な世界を彷徨っていた。

これからは一日一日に全力投球しよう、毎日が想い出に残るような日々にしよう・・・・

昨日があったから今日がある 今日があるから明日がやってくる

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たかが散歩でも 戻ってから余力の無いほど歩こう。 合計すると地図上では 本日は往復15kmの超散歩になりました。  

Photo_3 公園の緑にはクモの巣だらけ、紅葉が枯葉になって・・・美しいものがない・・・・、眼がよく見えるから余計にそれがよく分かる。 夏が長いからだ、近所の垣根には朝顔が咲いていた、真夏の盛りのように満開だ。

ざ~けんな コノヤロー!  来週はもう年末なのに 

でんぢゃらすジーサンも 怒らせたらコワイネンカラ!

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去年の今頃は 病院のICUで寝ていた・・・・「ちたんさんのブログ」のように この書き出しでオラも闘病記を更新をしたい、ICUの光景も記憶にあるのじゃ! 集中治療室は 死にそうな人だけではない、周りの騒音にイチャモンつける人もいるのです。 (ICUの様子はコメントでリクエストください、すぐにでも更新するよ) 

早く今年が終ってほしい。

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リンデンバウムの大きな幹に

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紅葉するアメリカ楓。  昭和からプラタナスの街路樹が多かった。 カエデに似たこの葉も紅葉する、アメリカシロヒトリという毛虫のような害虫が繁殖してこの葉を食い荒らす・・・外来種の自然破壊は昔からだった、 ブラックバス、ブルーギル、アメリカザリガニ・・・子供の頃はザリガニまで食うこともあった。  どこかで聞いたことだが「森・水・米」 日本の伝統文化をお手本にして温暖化から地球を守るのがベストだという。

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今年は夏が特別だった。 暑くて長くて・・・、これも地球温暖化!? 美しい景色、花・・・など、キレイなものをカメラに収めようと デジカメ持って 自己流リハビリを頑張ってきたのに 良い写真がない!?  カメラを向けたくなるキレイなもの、対象物がないのです。  もう木枯しの季節になった。紅葉する前に緑の葉が虫食いでボロボロに萎れて枯葉になる。  みんなで地球に優しくしてやろうよ、アメリカはオバマさんが次期大統領になった。  オラの口出すことではないが オバマさん、好感持てる、いいんでないの・・・、アメリカが先頭に立って地球温暖化対策に取り組んでほしいね。  人民の人民による人民のための政治・・・、国があなたに何をしてくれるかではなく あなたが国に何を出来るか・・・、リンカーンもケネディさんも 上手いこと言う。 オバマさんはWe can do 皆でできるよ・・・、Youでなく We にしたところが またウマイ。

大学生時代 横浜でアルバイトしていたころケネディ暗殺のニュースを知って、スゴクがっかりしたことがあった。  オバマさん無事にいってほしいね。  ついでに 小泉さんの名言・・・「群馬といえばシモネタ(下仁田ネギ)・・・ですから」 福沢諭吉さん「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず・・・」 その福沢さんの弟子でなくても知っている昭和の名言「天は人の上に人をのせて 人を作る」・・・またシモネタになりそー!?  最近 評判悪いから このへんでヤメトコ。  

昨日は眼科の診察、白内障手術から三ヶ月、本当はこれが今年の最優先事項だった。   2月に大病で手術、深い深い眠りから目覚めて、長い長い夏が終って・・・・オレは強くないから涙しながら歩く時もあった、生きることの幸運に感動し、今でも思い出に浸ってガキのように泣きたい日もある?(還暦過ぎても腕白の甘えん坊)・・・退院から半年、嵐のような時間が流れた・・・・

11月13日 小春日和、朝からプールで泳ぐ。 午後はいつものお散歩コース、歩くことに大きな意味のあるのを 今年になって初めて知った、これも病気から学んだことか。  リンデンバウムの大きな幹に 愛の言葉を彫ってきた   リンデンバウムの緑の木陰 忘れな草が咲いていた・・・♪ 好きな歌だった、古い歌を急に思い出して また涙ぼろぼろになりそー?! バカダネー、いい加減にしなさい・・といわれそう。

目のほうはこれで一段落、アタマのほうは?まだですね、バカは死ぬまで治らない?・・・・・・、

視力も落ちていない、水晶体もキレイです・・・。  検眼の機械 望遠鏡のような丸いのを先生と向き合って覗く、地平線の彼方に気球が見える、空気の風が二発目玉に当たる!・・・屁のツッパリて、今年の流行語になったけど 目玉に当てられるとオラは苦手、瞬きしてしまう。

上見て・・・、下見て・・・・と、先生の指示で 下を見ようと検眼中の右目だけ下向けるのに苦労して、左を上向けたら右が下になるのか? バカみたいに見えるかもしれませんが・・・バカですから・・・! カメレオンではない、ロンパリというのはあるが 上下のロンパリは・・・ないでしょ。  先生もそれに気がついた、両目を下向けて・・・・、これで解決した。  パソコンやり過ぎないように・・・そうですね、短い文章にしたいです。  緑を大切に、目も大切にしましょう。   

禁煙宣言から二ヶ月、自分としては善戦大健闘、こんなに禁煙期間の長いのは 小学生以来か?!  そういえば不良オヤジ感覚でいうと 好きなものとある日突然・ぷっつり縁を切った・・・・赤ちゃんの頃 お母さんのおっぱいを離乳食に変わるとき、突然ぷっつりと…よくやめられた、えらかった・・・、そこまで記憶はないが !?

★リンデンバウムはドイツ語・菩提樹ですが 見たことないけど・・・・・?、(蛇足・ リンデンリリーは競走馬の名前 )木の幹に「愛の言葉を彫ってきた・・・?!」 ダメだよ! そういうことして木が枯れたらどーすんだよ?!樹木を傷つけないように、水と緑を大切に・・・・小さな思いやりが大きな愛になる・・・      

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夢駆ける名馬(2)

    万馬券・想い出のレース

私が 競馬を始めて、一番最初に的中したのは、キタノダイオー、ユウサブという組み合わせの馬券だった。 古いことなので レース名も内容も憶えていないが、馬の名前だけはセットで憶えている。 

競馬をやる人は的中した時の 馬の名前くらいは 記憶に残しておいてやるのが競走馬に対する礼儀であると思う。 馬券獲れた話は自慢話になってしまうが 誰でもこれだけは自慢したくなる、黙っていられないほど嬉しいのである。

獲れた馬券は、みんな改心の勝利として記憶に残るが、くやしい想いをしたレースは、なるべく早く忘れるように、つとめるのである。

競馬の最終目標は、万馬券を獲ることだと思う。

だれもがみんな、万馬券を獲りたくて、勝負している。

我々貧乏人は 特にそうである。

私は 今までに7回、万馬券を手にした経験がある。

研究して、納得して、万馬券が獲れたら、理想である。

でも、馬券とは、 研究するほど、本命サイドになってしまう。

昭和46年、中山の1200m・秋分賞。

マウントファイヤー、マキノカツラの組み合わせ、枠連4-8で21,390円の大穴になった。

詳しいメンバーなど 憶えていないが、マウントファイヤーの騎手は樋口だった。

田中角栄の馬、マキノカツラから200円づつ5点買いをした。

マウントファイヤーが抜け出し、マキノカツラが残った時、私は飛び上がった。

万馬券を 狙って取ったのは、 あとにも先にもこのレースしかない。

当時、給料が平均3万円くらいの時代だった。

4万の現金を手に入れて、私は有頂天た゛った。

平成7年の金杯、中山2000m、不良馬場、サクラローレルとゴールデンアイで

馬連5-11で36,730円というのも獲った。

これは51歳になったから 5番と11番を買っただけである。

なんの根拠もなかった。

平成13年の安田記念、これは記憶に新しいのでよく憶えているが、

ブラックホークとブレイクタイム、10-17で120,600円の大穴になった。

ブラックホークは 自分としては3番手の評価で、狙ってはいたが、本命サイドのスティンガーや香港のフェアリーキングプローンなどを主力に、これらを沢山買っていた。

これもまた、58歳になったので、枠連5-8を 枠連では面白くないので、5枠と8枠にいた この2頭を馬連で100円だけ 買ってみただけなのである。

平成9年のオークスも 軸のメジロドーベルから総流ししたから、 たまたま人気のない

ナナヨーウィングが来て、万馬券になった。

万馬券を獲るには、運も伴わなければならない。

でも、結果オーライの世界だから、メチャメチャ嬉しいのである。

昭和49年、秋の天皇賞、カミノテシオとイチフジイサミで馬券を獲った。

この時、2万円くらい儲けたお金で 碁盤を買った。

嬉しかった。

若い頃は、競馬をやりながら、囲碁にも情熱を燃やしていた。

『俺の碁盤は 天皇賞・・・』 自慢の碁盤である。

平成3年3月、不良馬場の中山マーチステークス、

タケデンビクトリーとストライカー、枠連3-4を1点買いした。

ゲートの出が悪く、いつも出遅れて、それでも直線必ず伸びてくるタケデンが

この日はポンと出て、ぶっちぎりで逃げ切った。

暴れ馬、クレイジーで言うことを聞かない馬には、隠された能力がある。

みんなが予想したのと違う展開になった時、穴が出る。

1,870円しか付かなかったが、改心の馬券であった。

同年10月、東京の毎日王冠、プレクラスニーとダイタクヘリオス、8-8で決まった。

私は この2頭を主力に買っていた。

2頭が並んで 500mの直線を叩き合った。

そのまま行け、がんばれ、がんばれと応援した。    

東京の直線は ほんとに長いと感じた。

平成5年の有馬記念、菊花賞馬ビワハヤヒデが一番人気だった。

トウカイテイオーは1年間の長期休養で 引退も予定されて、 人気薄だった。

直線、ビワハヤヒデが先頭に立った、ゴールまであと少しのところで、トウカイテイオーが強襲した。

馬連4-13で3、290円、これを私はたった300円しか 買っていなかった。

金の問題ではなかった。  トウカイテイオーが勝ったことが大きな感動であった。

私もトウカイテイオーを軽く見ていた、それでも彼は長いブランクを乗り越えて奇跡の復活をしたのである。

競馬は ドラマだと思う。

あの頃、一番強いのはトウカイテイオーだと 自分で決めていたのに

私は彼を軽く扱った、ピークを過ぎていると判断した。

彼に対して、義理を欠いたような、恥ずかしい気持ちになっていた。

トウカイテイオーのパドックは いつも立派であった。

四本の足元に、バネがついているように、バネが反動しているように、堂々と歩く。

パドックでの姿が 一番立派なのは トウカイテイオーである。

悔しくて忘れられないレースもある。

平成3年の皐月賞、 トウカイテイオーから全部流そうと思った。

1枠にシャコーグレードがいた。

ぼろくそに負けてばかりで 最悪の成績だった。

これだけは 買わないでも大丈夫、と思って1枠だけを外して 全部買った。

これで万全だと思った。

2着にシャコーグレードがきやがった。 5000円台の大穴になった。

同じあやまちを また犯した。

翌年のダービーで、ミホノブルボンが絶対だと思った。

ミホノブルボンは7枠にいた。

7枠から7-7のぞろ目を外して 全部買った。

2着に7枠のライスシャワーが来た。

教訓・・・・絶対に信頼できる軸がいるときは、総流しをすること、であると思った。

競馬は記憶のゲームだという。

獲れた時ばかり 憶えていてはだめ、失敗した時のことも 憶えておくべきである。

これからも 万馬券を目標に、 がんばっていこう と思うのである。

取れた馬券を 友達に見せて自慢する。

これも 競馬を楽しむ 快感のひとつである。

誰もが 取れた時は 自慢したいのである。

    勝馬検討

昔、20代の時に、出張先で、先輩と一緒に高崎競馬へ行ったことがある。

何のデーターもなかったから、パドックで 馬の状態だけを見て、馬券を買った。

仕上がっている馬と だめな馬が極端に差があって、けっこう馬券が取れて
儲かった。

最近では、川崎のナイター競馬にも行った。

ここでも その傾向があった。 

馬券が 取りやすいのである。

中央競馬は そうはいかない。

全部の馬が 完璧に仕上がっているように見えて、区別がつかないのである。

みんな毛づやもいいし、馬体はピカピカだし、みんな良く見える。

パドックで馬を見たって、素人には 分からないのである。

地方競馬は、馬も場内も 汚いし、ダサイけれど、けっこう面白い。

高崎では 尻にうんこをつけたまま歩いている馬がいたし、

川崎は馬券の売り上げの関係で スタート時間を大幅に過ぎても まだ窓口が締め切らずに馬券の販売をしてるし、新潟の三条競馬ではコースの真ん中(内馬場)が畑になっていて、百姓が野良仕事をしているのである。

のどかな風景である。

私はパドックは あまり重視していない。

体重の増減を見るくらいである。

馬券の決め手は 前夜の勝馬検討である。

大きく分けて、①能力があり、②調子がよくて、③展開が有利な馬を探すために、

データーの分析を行うのである。

格・条件・実績、血統、距離適正、持ちタイム、コース、ハンデ、騎手、馬場状態、

ローテーション、上昇度、安定性、最近と過去のレース内容、調教、末脚、ラップ、

過去の人気、騎手との折り合い、厩舎作戦、情報、展開・・・・など、

沢山の項目を分析して、自分なりの本命を決め、3~5頭くらいに、候補を絞るのである。

だから、時間がいっぱい欲しい。

少なくても、3時間くらいは 研究したいのである。

だからいつも、深夜になってしまう。

そんなにしても、いつも負けてばかり・・・・、俺は本当に下手くそだと思う。
あらゆるパターンを想定し、推理する。 この瞬間が 一番楽しいのである。

苦労して考え、納得して的中した馬券の味は 格別である。

    ◆競馬のセオリー、格言

     『単騎の逃げ馬』、 『長距離の逃げ馬、短距離の追込馬』

     『小回りコースは先行馬』、『ダートは力のある先行馬』、

     『2頭の逃げ馬、一方つぶれ』、『夏場の平坦コース、スピード馬、牝馬』

     『上がり馬 狙え』、『調教は時計より内容』、

     『休養明3戦目 走り頃』、『休養明け激走(好走)は 疲れ残る』

     『連闘注意』、『同厩2頭出し注意』、

     『格上馬は 重ハンデでも強い』、『人気薄の格上馬が 穴を出す』

     『追込み一辺倒の本命馬は危ない』

『サラブレッドは血で走る』、・・・・・etc.

 自分で作った格言もあるが、格言は勝馬検討には 不可欠である。

後になって、格言通りだったということが、ずいぶんある。

競馬には3つの楽しみがある。

    勝馬検討をするとき、

    レースを見て 興奮し、感動するとき、

    的中して、馬券を自慢できて、払い戻しで現金に換えるときの快感、 である。

そして、負けた時には、それなりに、がっくり落ち込むけれど、勝った時には それを何倍も上回る快感があるから、止められないのである。           (7月4日)

    夢駆ける名馬

パーソロンの仔、ハーバーゲイムというのがいた。

鹿毛の牝馬で、 野平裕二が乗っていた。
新馬戦でアローエクスプレスの3着に敗れた。

桜花賞も3着、オークスは13着のスットン負けだった。

その後、マイル路線に切り替えて、ナンバー1の快速馬として 力を付けていった。

5歳で安田記念に勝った時、東京の1600mを 1分36秒台の時計だった。

この頃のオープン馬のマイル(1600m)の平均時計は、1分38秒くらいだったと思う。

アメリカでは、ニジンスキーという馬が 1分33秒台の世界記録をだした。

みんなびっくりした、日本の競馬はまだアメリカのレベルには 勝てないと思った。

ところが最近では、1分33秒なんか ざらである。

オグリキャップやサクラチトセオーは 1分32秒で走る。

ゼンノエルシドは ついに1分31秒を出した。

30年間くらいのうちに、5秒も記録を短縮しているのである。

人間の100メートルの記録は 1秒縮めるのに100年もかかる。

サラブレッドは 人間が創造した 最高の作品だといわれる。

改良を重ね、優秀な馬を交配して、年々レベルアップしてゆく。

それでは ハーバーゲイムが、今、 出てきて戦ったら、

スティンガーやステイルインラブには 勝てないのだろうか・・・・。

それは、ちがうと思う、

やってみなければ分からないと思う。

今と昔では、コースも馬場の整備状態も違う、調教の内容も違う、レースのラップも違う、

牧場や、生産者や、厩舎や輸送などの 環境が違う・・・
置かれた状況が 違うと思うのである。

名馬たちが 時代を超えて、今、同じステージに 同じ条件で レースをしたら

どんなに面白いかと、時々私は 馬鹿なことを 真面目に考える。

競馬の基本は 1600m.マイル戦である。

私は1200mとか1600mの短い距離のレースが好きだ。

時計の比較がし易いから、馬の能力の比較が、分かりやすい気がするから・・・。

NHKマイルカップとか、安田記念、マイルチャンピオンシップ、スプリンターズSが大好きだ。

そこで 『GⅠ・・・夢の安田記念』のメンバーを考えてみた。

ハンデ57kg(牝馬2kg減)、全馬がピークの時の状態と仮定して・・・。

➀タイキシャトル、②サイレンススズカ、③ブラックホーク、④クロフネ、

    ノースフライト、⑥ヤマニンゼファー、⑦サクラバクシンオー、⑧サクラチトセオー、

⑨シンコウラブリィ、⑩バンブーメモリー、⑪エイシンプレストン、⑫ナリタタイシン、

⑬エイシンバーリン、⑭ツインターボ、⑮タイキブリザード、⑯ゼンノエルシド、

⑰ファインモーション、⑱バブルガムフェロー・・・・
エイシンバーリンとツインターボはハイペースにするために入れた。

これなら 31秒台を切る時計が 出るかもしれない。

それでは 有馬記念はどうだろうか、

平成のスペシャルグランプリ『夢の有馬記念』である。

    シンボリクリスエス、②テイエムオペラオー、③エルコンドルパサー、

    グラスワンダー、⑤スペシャルウィーク、⑥エアグルーブ、⑦ヒシアマゾン、

⑧メジロマックイーン、⑨ナリタブライアン、⑩ビワハヤヒデ、⑪トウカイテイオー、

⑫ミホノブルボン、⑬オグリキャップ、⑭マヤノトップガン、⑮メジロパーマー、

⑯ライスシャワー、⑰サクラローレル、⑱セイウンスカイ、

18頭、フルゲートだ、こんなメンバーだったらと、想像しただけで わくわくしてくる。
メジロパーマーが逃げる、ミホノブルボン、セイウンスカイと3頭の先行争い、・・・

少し後れて ビワ、ライス、トップガン、・・・・、グルーブ、マックイーン、は中団か、シンボリ、オペラオー、テイオーは後方から・・・
展開までも 予想するのである。

いい歳こいて、こんなこと考えてるオレは、やっぱりバカだと思うのである。



◆ 競馬はロマン

 病院で医者に『何かスポーツをしていますか・・・』と聞かれたことがあった。

『競馬をしています。』と答えたら、それはだめですよ、と医者に笑われた。

私は、冗談で言ったのではない、本当に競馬はスポーツだと思っている。

競馬場へ行けば、パドックへ行ったり、本場場へ移動したり、一日中歩く。

合計すれば一万歩以上は 歩いている。

家に帰った時には、脚が棒になり、心地よい疲れで一杯である。

勝った日は酒も旨い。  負けても旨いけど・・・。

それに レースでは、どきどき、わくわくして、常に興奮状態である。

ホルモンの分泌が激しく、脳の刺激にも、血流にも、 良いはずである。

私に言わせれば、競馬は体に良いこと、つまり、スポーツなのである。

私のフランチャイズは 東京競馬場である。

競馬場は私にとって、憩いの場である。

人ごみの中で、孤独を感じながら、その孤独が とても心地よいのである。

群集の どよめきや喧騒の中こそが、自分が勝負に集中し、没頭できる場所なのである。

昔は、府中の駅から、競馬場まで、500mくらいの道筋に、店や屋台が沢山並んでいた。

ヤキトリや、おでん、フランクフルトや串カツ、イカの丸焼き、なんかを売っていて、

縁台に座って、コップ酒を飲みながら、イカ焼きをかじるオッチャンたちの姿があった。

この雰囲気が、私は好きだった。

今は、府中駅から 競馬場まで、ドームのコンコースになって、屋台などは姿を消した。

競馬場の中に、レストランやファストフードの店があるが、とてもキレイで、
一杯機嫌のオッチャンたちには、場違いなところになってしまった。

競馬が 一部の人たちから 罪悪視されるのは、

こういうオッチャンたちの 風紀の悪さを見るからである。

中にはガラが悪くて 眉をひそめるような風景もある。

ギャンブルにはまって、家庭崩壊や犯罪までも 生み出すイメージがあるからである。

競馬は 元来、英国王室の遊びであった。

貴族達が シルクハットにタキシード、婦人も派手なドレスに着飾って出かける、

上流階級の社交場なのである。

現在の東京競馬場は、そんな格好をして行くのに相応しいほど、キレイに整備された場所になっている。

勝馬投票券を買うのにも、マークシートで 自動販売機になってしまって、とても便利になったが、 競馬場の雰囲気としては、私は 昔のほうが 好きである。


きれいごとで、負け惜しみかもしれないが、

私は 金儲けだけの目的で、馬券を買っているのではない。

自分が 信頼して決めた馬、惚れた馬、その馬に、夢を託して、馬券を買うのである。

自分の 期待どおりの、イメージどおりの 立派なレースをしてくれれば、

負けても 悔いがないことも、あるのである。

私の競馬は、ギャンブルではない、ロマンだと思っている。

競走馬には、必ず『別れ』がある。

どんなに強い馬でも 必ず最後には、 別れがやってくる。

競馬は、出会いと別れの繰り返しである。

競馬は 馬のサクセスストーリーである。

新馬戦でデビューしてから、未勝利、1勝クラス、2勝クラスとだんだん条件が上がってゆく。
ピラミッドの頂点に立つオープン馬(GⅠクラス)になるのは、毎年何千頭も生まれてくる

中の、ほんの一握りである。

未勝利のまま、生涯を終わる馬が ほとんどなのである。

栄光の陰で、悲しい物語が 沢山あるのである。

そして 栄光のGⅠホースになっても、必ず 引退という別れがやってくる。

サラブレッドに哀愁が感じられるのは、どの馬もみな、この『別れ』という宿命を背負って、戦うからだろう。

そして、現役で成功した優秀な馬は、種牡馬として、繁殖牝馬として、第二の人生を送ることになる。

次の世代へ、自分のDNAを継承してゆく。

競馬は『別れ』と同時に、『永遠』の物語になっていくのである。

(種牡馬)が果たせなかったクラシックの夢を、仔が受け継ぐ、
ライバル同志の仔たちが、再び同じレースで 対決する、

エアグルーブの仔がデビューした、

まだ走ってもいないのに、一番人気になった。

みんなが、名牝エアグルーブのことを、 思い出すからなのである。

これが 競馬のロマンである。

新潟三条の義父が、晩年、義母と二人で 東京へ旅行してきた。

神社、仏閣を巡ってみたいという。

鎌倉の大仏と、観音様をお参りした、

江ノ島の弁財天も案内した。

義父は 昼間から茶屋で 熱燗で一杯飲んだりして、嬉しそうだった。

人は、晩年になると、神仏を拝むような、そんな気持ちになるのだろうか・・・、

私は 神や仏に 興味はないが、

もしも 晩年、旅行することができるとしたら、

北海道とかへ行って、牧場めぐりがしてみたい。

牧場で 余生を送っている、サラブレッドたちに 会ってみたい・・・・。
サクラチトセオーや、ノースフライトや、トウカイテイオーにも

会ってみたい。

“元気にしているか・・・、”

“今、幸せか・・・・、”

語りかけてみたい。
きっと 万感の想いの中に、

熱いものが、 こみ上げてくるのだろう。           

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夢駆ける名馬(1)

『好きとは ものの上手なり・・・』ということわざがある。

好きだというのは、得意なことだから好きになるのである。

誰でも 得意でないこと、苦手なことは好きにはなれない、ということである。

私は 趣味が多い、スキー以外のことは なんでもやってきたような気がする。

特に好きなことは、釣り、囲碁、野球、園芸、カラオケ、競馬-------などである。

どれも 名人級だと 自負している。 (自己評価・・・だけどね)

ところが この内ひとつだけ 凄く好きだけど、ちっとも上手じゃないものがある。

それが 競馬である。

いくらやってもなかなか勝てない、時々でっかい馬券を獲ったりもするが、年間でト-タルすると、結局負けているのである。

プラスになったためしがない。

私の競馬歴は長い---、23歳の頃から40年余りもやっている。

途中、30代の時に 少年野球が忙しくて、競馬から離れた時期が10年ほどあった。

そのブランクを差し引いても、30年くらいはやっている。

一生懸命やっていた頃は、年間50~60万の金を使った。

40万くらいは回収するのだが、トータルすると、年間で 約20万くらいの赤字になる。

30年間に20万を掛けると600万の赤字になる。

10年間のブランクが もしなかったら・・・・累積赤字は800万になってしまう。

そんな恐ろしい計算が成り立たないように、どうしたら勝てるだろうか、ずっと試行錯誤して来たのだが・・・・・。 

ちなみに、囲碁の名人 藤沢秀行さんは、生涯一億円ほど負けたそうである。

我々サラリーマンとは桁がちがう、上には上がいると 自分を慰めるしかない。

結局 競馬とは、儲けられないものだということを、最近ようやく

理解してきたような気がするのである。

それでも、 私は競馬を止められない。

今は 年金暮らしになってしまったので、現役のときのように毎週やるわけにはいかない。

年に数回でもいい、積み立てしてでも やりたいのである。

競馬には感動がある、競馬で勝つことは、他のどんなギャンブルで勝つことよりも 嬉しいのである。  麻雀やパチンコで勝っても、 金銭的にはいい気分だが、残るのは疲れだけである。

競馬は違う。  勝った喜びが、感動が、その余韻と快感が、何年たっても残っている。

古い馬の名前を思い出すと あの時は 自分は何をやってたか・・・、自分の歴史に馬の思い出が重なる。  (ヒカルイマイがダービーを勝った時、オラは痔の手術で入院中だった。 直線一気のゴボウ抜きが衝撃的で 夜に熱を出して先生を悩ませたのも想い出)

競馬は 私を元気にしてくれる、 少年の心にしてくれる。

勝馬検討をするとき、体中に若さがみなぎり、闘志が 満ち溢れる。

そして、 ファンファーレが鳴り、ゲートが開く時、

その感動と 胸のときめきは頂点に達する。

競馬はやっぱり 男のロマンである。

◆ シンザン

昭和44年、雨の日本ダービー、不良馬場の東京競馬場で、ゴール前 抜け出してきた

のは、ダイシンホ゛ルガードだった。(2着はミノル)

私が初めて観たダービーである。

古いことなので 確かな記憶にないが、一番人気のタカツバキが落馬して、場内が騒然となったり、 ダイシンボルガードの馬手が、喜びのあまり ゴール寸前 柵を乗り越え、馬場内に バンザイしながら飛び出して、相当なお叱りを受けたことが、翌日のニュースになっていた。

私が競馬をやり始めたのは この頃からだった。

タケシバオーやスピードシンボリが 活躍していたころだった。

この数年前、ヒンドスタンの仔シンザンが、 セントライトに次ぐ2頭目の三冠馬になっていた。

シンザンは既に引退していたので、私はシンザンのレースを録画でしか観たことがないが、当時はまだ、競馬場へ行くと、シンザンの話題でいっぱいだった。

シンザンの父ヒンドスタンは、日本の近代競馬のリーディングサイヤーの元祖である。

ヒンドスタンからチャイナロック、ネヴァビート、パーソロン、そして トニービンやサンデーサイレンスに続いていくのである。

『 鉈の切れ味 』・・・シンザンの勝負強さは こう表現された。

ナタのような切れ味・・・なのである。

ナイフやカミソリではない、鋭利でシャ-プよりも、重厚でグレイトなのである。

豪快に 力強く、抜き去って行く・・・・

並んだら、絶対に負けない、力でねじ伏せて行く。

ナタの切れ味という言葉で、シンザンのレースぶりが想像できるのである。

三冠馬は、史上5頭しかでていない。

三冠馬になるのは、大変なことだ。

皐月賞は 速い馬が勝つ、ダービーは運のいい馬、菊花賞は強い馬が勝つ、といわれる。
三冠馬とは、速くて、強くて、運がいいのか・・・・、

シンザンは このほかに、天皇賞も有馬記念も、宝塚記念も 勝っている。

この時代、ジャパンカップがあれば、これも勝っていたに違いない。

シンザンは、おそらく史上最強馬だと思う。

シンザンは 最近まで、36歳くらいまで生きていた、

人間でいうと100歳以上だそうである。

無事是名馬・・・・、長生きするのも 名馬である。

私は もう少し早く競馬をやっていれば良かったと思う。

学生の時に 競馬場へ行っていれば、シンザンを観ることが出来た。

シンザンのレースを、生で 観てみたかった。

シンザンは 私にとって、伝説の名馬である。

◆ ハイセイコー

昭和48年、圧倒的な一番人気のハイセイコーが 皐月賞馬になった。

大井競馬で連戦連勝、常に6馬身以上の大差をつけて 勝ち続け、中央競馬へ移籍してきたが、ここでも敵なしで勝ち進んだ。

凄い人気になった。

競馬を知らない人でも ハイセイコーの名前は知っていた。

まるでアイドルであった。 

巨人、大鵬、ハイセイコー、というくらいの人気者になった。

ダービーでも、誰もがハイセイコーが勝つだろうと予想した。

しかし、悲鳴と驚愕の渦の中で、ハイセイコーは敗れた。

勝ったのは タケホープだった。

この後、菊花賞でもタケホープに敗れた。

無敗の天才、ハイセイコーも、ついにタケホープには勝てなかったのである。

その年の有馬記念では、ハイセイコーとタケホープの2強の対決になった。

この2頭がスバ抜けた断然人気になった。

レースは 牝馬ニットウチドリが逃げて、 ストロングエイトが続いた。

ハイセイコーとタケホープは後方で お互いけん制しながら進んでいた。

お互いが 相手の強さを認めあう、まさにライバルの対決であった。

ところがレースは、そのまま直線でストロングエイトが抜け出し、

ニットウチドリが2着に逃げ残ってしまったのである。

大半の観衆は、唖然として、この信じられない光景を 観るのであった。

12頭だったのに、枠連で8000円台の大穴になった。

これだから競馬は 面白いのである。

馬の能力だけでなく、人の期待度や、騎手の思惑までもが レースを左右するのである。

ハイセイコーはそれでも皆に愛される人気者だった。

勝利者なのに、タケホープのほうが 憎まれ役のようであった。

ハイセイコーがタケホープに勝てなかったのは、距離の適正が原因だったのか・・・、

ハイセイコーはチャイナロック、タケホープはインディアナという血統だが、血統的には距離の壁があったとは思われないのだが・・・、ハイセイコーの体型に問題があったのか、500キロを超える巨漢で、 体も硬いように 私には思えた。

タケホープの方が 柔軟性にあふれた、しなやかな体に見えたのである。

ハイセイコーが引退の時、ジョッキーの増沢末夫が、レコードデビューした。

『さらばハイセイコー』の歌まで ヒットしたのである。

ハイセイコーは、 大衆に最も愛された馬だった。

◆アローとムーティェ

私が最初に好きになった馬は、スパニッシュエクスプレスの仔、アローエクスプレス。

新馬から勝ち続け、朝日杯、京成杯まで6連勝、クラシック路線を突っ走っていた。    関西にライバルがいた。      

ムーティエの仔、タニノムーティエ。

アローと同じように、関西でクラシック路線を歩んでいた。

スピードのアローか、強さのムーティエか・・・・。

両雄は ついに 皐月賞で激突した。

私はずいぶん入れ込んで、関東馬アローを応援したのだが、

皐月賞もダービーも、ついにアローは ムーティエには勝てなかった。

これは、 完全に、血統からくる 距離の壁だったと思う。

アローは早熟型の 短距離スピード血統だったと思われるのである。

“アローエクスプレス、矢の超特急・・・”

私はこの名前に惚れ込んでしまったのである。

私は 競馬をやり始めてからずっと、今でもそうだが、格好いい名前や、馬格、スタイルなどに 惚れてしまう傾向がある。

散々研究して、どちらか迷った時、最終的には名前の格好いい馬を買ってしまうのである。

冷静さを欠いた、素人的な考えだとは思うが、その方が楽しいし、納得できるのである。

アカネテンリュウなんか、最高に好きだった。

漢字で書けば『茜天竜』・・・、野武士、アカネテンリュウと呼ばれた。

黒鹿毛の菊花賞馬、気性が激しく、並ばれると 相手を噛みつきにいくのである。

目黒記念を勝った時、コンチネンタル、スピーディワンダーと3頭の写真判定、

2着が同着で、私は三つ巴で買っていたので、このレースで2枚の馬券を獲った。

3頭とも 格好いい名前だと思っている。 

史上最も美しい馬は、タイテェムだ。

貴公子と呼ばれた。    四白流星の黒鹿毛であった。

四つの足に白い長靴を履いたように 鮮やかな四白、眉間には三日月の流星が走っていた。

スタイルも抜群であった。

金色の長いたてがみと 長い尻尾をなびかせて走る、 トウショウファルコも綺麗で派手な馬だった。

条件馬だったが、トライアゲンというのがいた。

try again・・・(もう一度 がんばろう)・・・
名前の通り 頑張ったけど、負けてばかりいた。

私の競馬人生そのもののような 名前で、 好きだった。

サラブレッドは いい名前を付けてもらうと、強くなるような気がする。

粋で、洒落た名前が多い、

タマモクロス、カミノテシオ(神の手塩)、スーパークリーク、ナイスネイチャ、セキテイリュウオー、イブキマイカグラ、ファレノプシス(胡蝶蘭)、ダイナマイトダディ、

エアジハード(聖戦)、ビッグファイト、ファインモーション、ビハインドザマスク、ザッツザプレンティ、・・・・

よくもまあ、こんな味のある名前を考えるものである。

名前から 生産者の愛情、オーナーの思い入れやセンスが 感じられるのである。

ハルウララが 高知競馬で100連敗して、それでもみんなから愛され、人気があるのは、

ハルウララという、のどかで癒しのあるような 名前がいいからである。

これが ダサイ名前だったら、誰も大騒ぎしないはずだ。

シンボリ、マイネル、トウショウ、ナリタ、シチー、ヒシ、アドマイヤ・・などの冠名の付いていない名前のほうが好きだ。

名付けた人の愛情が感じられる、意味のある名前のほうが いいね。

マチカネの付く馬は、ズッコケた名前が多いけど、それもまたユーモラスで いいかもしれないが、持ち馬の数が多くて、めんどうくさくて付けた名前のような気がする。

タニノムーティエとアローエクスプレス、

アカネテンリュウとスピードシンボリ、

ハイセイコーとタケホープ、

トウショウボーイとテンポイント、

タマモクロスとオグリキャップ、

ナリタブライアンとマヤノトップガン、

グラスワンダーとエルコンドルパサー、

対決するライバルたちは、みんな格好いい名前だった。

    

 

つづく

 (2003年7月1日)

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