年末だ、やっと終る、長かった今年が終る、クリスマス・大晦日、もういくつ寝るとお正月・・・? お正月を指折り数えるのはガキの頃以来だ。
急に海が見たくなった(どこかで聞いたセリフ)、横浜の港が見たくなった、
山下公園から外人墓地の横を登っていくと「港の見える丘公園」という名の洒落た公園がある。 大学生時代、馬車道あたりでアルバイトして この公園はお気に入りのデートコース、港の夜景が美しい、青春の思い出がいっぱいの所だ、なーんでか?というと=貧乏だったから、千円もあれば映画観て食事するくらいできる時代だったが、公園の散歩は無料だ、授業よりも何故かバイトの日々だった。 ブルーライト横浜、アカシヤの雨が止むとき・・・思い出の曲もある。
◆(ちょっとだけロマンス) 元町の居酒屋で酔いつぶれた彼女(一級上の英子先輩)を背負って、長い坂道を公園まで登った。「なんでバイトばっかりやってるの? たまには学校来ないと卒業できなくなるよ、」家が貧乏だから、親に負担掛けたくないから、授業料自分で稼ぎたいから・・・等 授業をサボる言い訳をしていた。 貧乏なら負けない、あなたは幸せ、帰る家がある、家族がいる・・
「肩が大きいね、小さい頃 お父さんにおんぶしたときもこんなだったかしら、もぅ忘れたけどね、ゴメンネ、身の上話まで聞かせちゃったね、」
過去に触れたことはなかったのに 初めて過去を語ってしまう自分が悲しい・・。「今日はこれ以上優しくしないでね、優しくされると 惚れてしまいそうな自分が怖い、私駄目になりそうで・・・」
小学生の時父母が別れ 母と二人暮し、 食事はいつもパンの耳、毎晩働きに出た母の帰りを待ちながらひとりで寝るのが辛かった、ある朝 やっと戻った母が玄関で知らない男とキスしているのを見てしまった、母にも裏切られたと思い布団の中で泣いた、自分を愛してくれる人はいない、母にも愛されていない、人を好きになるのが怖い、同情なんかしないでほしい、幸せってどういうことをいうのか知らない、一人で生きていくと決心した・・・・そんな不幸で悲しいこと云わないでよ、二人で相当な酒の量を消費した、酔わずには語れない、呑まなきゃ聴いてらんねぇことだった。 戦後の貧しく哀しい時代に育った哀しい過去を背中でつぶやく、
返す言葉がなかった、何か笑顔になることを云おうとしたが それが見つからない自分の未熟が腹立たしかった。 先輩とはいえ 仲間内では評判の美人で憧れの人だ、デートしたことを仲間に自慢したいくらいのいい女だった。 何か云ったら同情になってしまう、彼女の凍った心を更に傷つけてしまいそうで・・・ どちらかが泣き出してしまいそうで・・・、そこまで分かっていながら どうすれば良いかが分からない、それが歯痒い? 若さとは こんなものかと 後で思った。
黙々と暗い坂道を歩くだけだった。 途中で振り返る港の夜景が綺麗だった、「わぁ~きれい!・・」「ブェノスアイレスみたい・・!」「スゴイ!何時頃行ってきたの?・・」互いの会話が明るさを装っているのが分かるから 余計に切ない気分だった。 昭和の子供たちは 皆夫々に哀しい体験を背負いながら育った、彼女の生い立ちなんか まだ序の口だ、もっともっと哀しい話はいくらでもあった。
誰もが皆 我慢するものを背負っていた、大人になってから 友情が恋に発展することでさえも 我慢が必要なこともあった。 オレも似たようなもの、いつもハラペコの腕白時代、「重いでしょ・ゴメンネ・・・」オレはちっともゴメンじゃない、背中に密着する彼女の胸の感触と香水の匂いが何時までも淡い思い出の中にときめいていた。 一人暮しのアパートの前まで送り ベッドに寝かせるところまで想像し このチャンス逃してなるものか、燃える闘魂だったのに 部屋の前で「アリガトウ もう大丈夫だから帰って、一人で寝るのは慣れているから、優しくしないでっていったでしょ!・・・」オラは無料の送迎バスか?! 坂道で港の夜景を眺めたとき、抱きしめたい・・・と思った。 勇気を出せば良かった!
半世紀も経った今になって 未練の涙に代わるオラの青春のほうが ずっと哀しいよ。失敗だから良き思い出になる、成功してたら記事にならない。 翌年春 彼女は無事に卒業し関西の大手出版社へ就職した、ジャーナリストになりたい・・・という彼女の夢が叶った、東京駅で「アリガトウ、ゴメンネ!・・・また会ったら また 呑もうね・・・・、」何がアリガトウなの?酒もタバコもヤンチャも・・・みんなあなたに教わったから・・・。「先輩 また一人暮しだろ、早く結婚しろよ・・・」「大丈夫、心配しないで、一人ぼっちは慣れてるから、あんたのほうが心配、ちゃんと卒業してね・・・また呑もうね・・・」「またみんなで 呑もう・・」何人かの仲間の顔を思い浮かべた、「うぅん(否)・・・二人で・・・ね!」 嬉しいことを言ってくれる、意味深な期待を抱いたままオレも翌年社会人になったが それ以来45年、約束はまだ果たせていない。 明るい笑顔で握手した、”幸せになってほしい”その言葉は照れくさくて口に出なかったが 力強く手を握り合った。 爽やかな別れだった。 昭和の青春は哀しいばかりではない、爽やかな明るい恋もあった、希望に満ちた幸せな旅立ちもあった。 横浜は我が青春の甘く切ないベイサイドストーリーの発祥地だ。
ベイスターズが優勝してから もう10年、あの時は泣いたね、ベイスターズオヤジの一番幸せな時だった、日本大通あたりをトラックでパレードして、オレも嬉しくてパレードの日は仕事休もうかとまで思った。 オレは横浜が好き、ヨコハマ・・・この響きが好き、この街を愛している。 この港の景色はナポリ、シドニーよりも美しい、(いつ行ってきたの?と問われても困るけど) ヨコハマは世界一の港町だ。 オレは生きてるぞー!来年も再来年も、その先も ずーっと生きるぞー!・・・マリンブルーの海に向かってドラマみたいに叫んでみたい、ロマンチック?!
行ってみたい、行ってみようと思いついたら・・・・もぉ・どぉにもとまらない・・・これでいい、心の若さとは こういう気分のことだ・・・こんなに行動力があるのは・・? オレのアタマは中身までデコボコになった? 笑ったり泣いたり 感情の動きが活発すぎるよ、もしかして本当にヤヴァイかも? バカもネタも底が見えてきたから これ以上は大丈夫・・・と思うけど!(^.^)
駆け巡る青春の思い出に 浸ってみたい、12月22日 朝からポカポカ暖かい、横浜から「みなとみらい線」に乗り換えて、元町中華街から山下公園へ・・・
どうも感傷的で困る、長野のドクター鎌田先生の「がんばらなくていいから・・」に出会ってから 髪の毛も黒くなるほど癒されたのに ここで頑張り過ぎて また具合悪くならないように・・・子供たちにも「来年にすればー・・・」とブレーキかけられたが、オレはスピードタイプ、行くと決めたら絶対行く。 また歩きながら涙ではみっともないから サングラスをかけて 九時過ぎにはみなとみらい線の車内にいた。
氷川丸の岸壁を歩き、港の見える丘公園は長い坂道を登るから、 来春の目標にしましょう、ということで頑張らないことにした。 陽射しが強く南風が強く暑い中を歩きまくってハラペコで・・・やっぱり今年は普通でないよ。 思い出の道を辿るどころではない、途中から早足に変わっていた。
予想より遙かに遠かったのである。風のない 穏やかな日に ゆっくり散歩するのが良い。
行きたいとこへすぐに行けたから 快復は順調だ(ただし自己診断)、闘病の段階としては記念すべき日になりました。
歩く、歩き続ける、なんてったって私は歩く、
励ましてくれるみんながいるから、
来年も再来年も、その先も、ずう~っと歩きたい、
私は歩くのをやめない、どこまででも歩き続けたい
朝 地下鉄の駅員に「みなとみらい線」の乗り換えを尋ねた、地下鉄は横浜乗換えですが
距離が遠くて大変です、私鉄のほうが直通もあるし 乗り換えも簡単です、私鉄使ったほうがいいですよー・・・地下鉄の社員がライバル会社の私鉄のPRするか?
アホか と思ったが これは親切心かもしれない、教えられたままに素直に私鉄で行った、帰りは彼の言うとおりだった、帰りは横浜駅での乗り換えの長いこと、世の中は親切な人間が沢山いる 人の好意を無駄にしてはいけない。 年寄り扱いされたと文句言うほうがいけない。
昼前に地元の駅へ到着、出口で近所の小学生が(一年生くらい)何人も寄って来た、
すみませーん・いくつか質問しても いいですか? 「はい どーぞ・・」
いくつ?25歳に見えるの? 年を聞くのは失礼だよ・・・
質問の意味が分かっていても 不良オヤジはhow old are you・・と、受けてしまう、これがいけないね、以下ちびっ子記者団との質疑応答。
Q( 今日は何処へ行ってきましたか? ノート見ながらマニュアル通りに訊く。
A( 横浜・・・、何処へ行こうとオレの勝手
Q( この駅は感想は ありますか?
A( 駅の感想は 駅に訊かないとね、 ここで付き添いの先生が 駅の便利さ等と解説入れたので A(いいですよ、新しいからきれいだし
Q( もう何回くらい乗りましたか? 電車の使用頻度
A( 100回くらい・・・乗りましたよ
ちびっ子記者団 みんな嬉しそうに整列して「ありがとうございました・・・」と最敬礼。
カッワ ユーイ !・・・・「ガンバッテネー・・・」で別れた、みんな手を振って見送られた、爽やかな気分、子供はいいね、
こっちが恐縮するよ、 みんなオレと同じ 横浜で育ちベイスターズと郷土を愛する 優しい大人になるでしょう。 ロマンチック横浜、ベイスターズおやじの青春ノスタルジア、 ちびっ子記者たちの未来は wow wow wow wow、・・・ この街は 世界がうらやむロマンチック港町・大都会横浜だ。
(1)遊・石井拓 (2)中・波留 (3)左・鈴木尚 (4)二・ローズ(5)一駒田(6) 右・佐伯 (7)三・進藤 (8)捕・谷繁 (9)投・斉藤隆
ベイスターズファンのために 98年優勝の時の先発メンバー、憶えてるね。 横浜史上最強オーダー、守備固めの要らないメンバー。クローザーはハマの大魔神佐々木。
権藤監督はバントしない監督だった、この野球が好き、KILL OR BE KILLED と書いたボールを選手たちに渡した、殺るか殺られるかだ・・・、体育会系の連中には どーせ分かりませんよ、戦いだ、勝つか負けるか二つに一つしかない、ドキュメンタリ「男たちの涙」で権藤さんのコメント、98年は 横浜不良オヤジには最高の年だった、あの港へ飛び込んでもよかった。 あの年に比べたら 今年は最高の苦難 ・・・24日クリスマスイヴ、人気タレント飯島愛ちゃんの訃報、一人で死んでいたのニュース、人気者なのに孤独だったんだね、
クリスマスになったら みんなで愛ちゃんのことを思い出してやろうよ、年に一度だけでも命日に愛ちゃんの笑顔を思い出してやれば 彼女が生きた証になるよ、さっきテレビで中山秀征さんが涙浮かべてコメントしていた、それを見てオラも涙、バカだねー、まだ泣き虫病が収まらない。 今年は寂しいニュースも沢山あった。 涙も苦悩もあったが その分 良いこともあったじゃん。 あんなに明るい愛ちゃんも逝く時はひとり、人間て寂しいねー! そういう考え方はよそう、ベイスターズだって優勝するかもしれないし、来年もきっと良いことあるよ。 人は思い出と今の狭間でもがきながら 明日へと動き出す
最近のコメント