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2009年6月

去年の夏に比べたら

◆葉っぱ踏み踏み

どうでもいいことを いつまでも憶えている、肝心なことを忘れる、ボケのチェック項目に昨日の献立が出てくる、昨日食ったものを記憶するのが肝心なこととは知らなかった、昔のどうでもいいようなことが自分には大事な記憶、心に何時までも残る傷跡のようになってしまう。

涙で聴く曲がある、思い出の映画がある、それがいくつもある、

それが時々やってきて私を泣き虫オヤジがにする。

憎い・悔しい・許せない 忘れられない・忘れたくない出来事がある。 これじゃバカな女の怨み節じゃん・・!?・それに気が付いて一人でクスクス笑う・・・、バカだねーオレも・・・、過ぎし日の葉っぱを今日も踏みながら歩く、これも巨泉のパクリではないか、ホーントにバカだねーオレも・・・。

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6月、去年の今頃は もう狂った夏が始まっていた。暑い 暑い夏だった。 雨が降った、ザァーザァーと長く降り続き、洪水の被害が出るほど加減知らずに大量に降った、夜は雷がヤッカマシィく鳴る、晴れれば暑い、四十度はザラの猛暑の夏、今年もその予感がする。

桜吹雪の日に退院してから ナニクソ・ナニクソ・チクショーメ・・と、燃える緑の山道を勝負の気分で歩き続けた。 自分の歴史で こんなに歩いた夏はなかったよ、あのパワーはナンだったの? 実力以上のパワーだったような気がする、バカだから自分の実力を把握してない、バカの程度も自覚していない。バカだからあんなに歩けたのかもしれない。それが幸運だと皆に云われる、生きているだけでも幸運なのに何でもできるのは宝くじ当ったくらいの幸運だという、

幸運なものか、幸運だったらこんな病気にならないよ。 いつ死んでも不思議はない、気弱な心に不安が付きまとう。 ついてない・・・と思うことが悔しかった、あのままあの世へ逝ってたら、この街に来てからいいことなんて何もなかった、♪ 幼い心に秘めた空しい涙の捨て場所を 探してみたい遠くで汽笛を聞きながら 何もいいことが なかったこの街で・・・ ガキのころから泣きたいことが沢山あった、ナニクソナニクソと泣かずに辛抱してきた、泣いておけばよかった、今になってこんなに泣きたいのなら・・・そんな思いになる自分が哀しくて、そんなのイヤだ、ならば根性みせてやろうじゃねぇか、財産もないが借金もない、貸し借りなしのチャラだから いつでも命賭けの勝負してやる、売られた喧嘩なら買おうじゃねぇか と、なにかにつけて好戦的で そのくせ一人になると泣き泣き歩く、 去年の今頃はそういう考え方であった。  人生は半々(fifty-fifty)・・・悪いことばかりではない、悪いことの分だけ良いこともある、生きているのが良いことならば その分だけ試練もあると思うようになったのは 最近のこと、ちっとは進歩向上したのかもね。 肉体が良くなるほどに 気弱な自分が情けない、同じバカならば明るいバカでいこう、 葉っぱ踏み踏み毎日歩く この道は去年と変わっていない。        

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love is a many splendored thing ウィリアムホールデンの慕情、ビビアンリー「風と共に去りぬ・・・」昔の映画音楽まで思い出して、よーし、頑張ろう、南北戦争の荒波に飲み込まれ、踏まれても倒れても 何度でも起き上がる、スカーレットオハラは雑草のように挫けない娘だった、「風と共に」の気概でいこう・・と、勇気づけられたりしていた。  今年も雨の季節が来た、去年と同じ葉っぱを踏みながら歩くこの道は これが私の大好きなマイウェイだ。

ところでホーデンはタマタマ、ウィリアムタマタマ、コブクロは子袋(卵巣)のことだ、オラはホーデンのほうが旨いと思うけどね。 因みにハツ心臓、ガツ胃袋、センマイ腸・・・砂肝etc.ヤキトリ屋のモツ焼きはこのてのゲテモノコリコリ系が好き。最近は体調が悪かった、 尻の辺りにオデキができて それがパンクしてパンツに血がついた、生理が来たのかしら? ウソ??? 将来子供ができたら どーしよう? 出来るわけないでしょ・・・???? ??? でも間違いなく俺の子だ、そんなこと云うとバカだと思われるよ、自分も思ってるから大丈夫、

でも 万が一にでも妊娠したら 俺は産みたい、誰が何と言おうと絶対産むよ・・・、根性で産む?・・・普段から八ヶ月くらいの腹してるのだ??????女に出来て できないはずはない、マタニティオヤジの実力見せてやる・・・、女性を蔑視してるでしょ、いいえ尊敬してますけど、気合入れて踏ん張れば出るでしょ、便秘の時より楽でしょ、絶対にオレでもできる・・・????少子化社会に貢献したい ????   

結局シモネタやってるじゃん、誰の子?の問題ではない、いい加減にしなさいよ、カーチャン機嫌悪い、険悪な空気が漂う、いくら型破りのデンヂャラス爺でも子供まで作ったら それはまずい、家庭争議の種になるようなことまでしたくない。

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◆読者様へ 

近況 大病から生還して もうすぐ一年半になる、検査の結果も良好で 肉体的には経過良好、そろそろ卒業宣言したいくらいであります。  泣き虫病があるうちはまだ完璧ではないが この夏も肉体を鍛えて アタマを使って、昨日の晩ごはんのおかずは何だったか記憶する習慣をつけようとしています。  去年から みんなに心配かけて悪かったが 大丈夫だよ、定石無視のオヤジだから 間違って 将来おめでたもあるかもしれない、元気だから・・・・大丈夫だから・・・・(^.^)一人の体じゃないから無茶しない、大事にするよ、尊い命を授かるかもしれないのだから・・・?(真に受けないで下さい・・・ジョーダンですから・・)

◆6月28日 KING OF POPマイケルジャクソン急死、世界中に衝撃が走った、一日中マイケルのニュース、「青春が消えた」「打ちのめされてます」「とても辛い、彼と共に育ったから・・」ファンや各方面から悲しみのコメント、マイケルのデビューの映像を始めて観た、史上最も成功したエンターティナー、・・・偉大な才能を失ったとは 寂しいけれど 個人的には「衝撃」はあまりない。 世代が少しずれているから オラにはEプレスリーの時のほうがショックだった。 昔からの映像見ると マイケルはフィンガーファイブの元祖だね、田原の俊ちゃんはマイケルに影響されて脚上がるから人気者になった。 歌は史上最も下手な素人だけど・・。 今どきは集団で踊れば売れる、テンション高ければヒットする、芸能のスタイルに影響を与えたマイケルは そういう意味では立派である。 偉大な才能は人の人生に影響を及ぼすこともある。

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昨夜はテレビで昭和の歌をやっていた、昭和を振り返る音楽番組が増えているのは 現代社会が「昭和」の良さを見直したのだろうか。 ヨコハマの曲「追いかけてヨコハマ」「ブルーライトよこはま」「ヨコハマたそがれ」「伊勢崎町ブルース」・・・

ヨコハマは大都会の港町だからだ、洗練されたロマンがあるからだ。 ヨコハマの船乗りはタオルの鉢巻していない、要するにダサくない、 追いかけてエバラキ、追いかけてフクスマ・・・、追いかけてトツギ??ダッペ?・・・ヨコハマでなければ 似合わないよ。 ヨコハマの港には 耕運機はない、畦道も畑もない、ウンコ溜めもない。 カッコイイ兄ちゃんとキレイな姉ちゃんがお洒落なバーで恋を語る素敵な都会なのジャ、心に響く歌にはそういう背景が必要なのだ。(以上 音楽評論家不良オヤジの評価であります)

 

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みちのく一人旅(3)目のやり場

東北地方の定期出張は 上野から東北本線の急行に乗って 白河・郡山・福島・仙台・盛岡・青森・・帰りは弘前・山形・を回る奥羽本線経由で戻るのと その逆周り、二つのコースがある。 どっちでもいいが 兎に角一週間から10日くらいで全部を回るのである。 

代理店で現地営業所の所長(といっても一人だけの事務所)と津軽・三陸の山奥まで同行PRすることも何度かあった。 彼は独身、何度か同行しているうちに友達のように打ち解けていた。  彼の下宿に泊まり朝まで飲み明かすこともあった。 年齢も同じ、類は友を呼ぶ、酒飲みには共通の趣味もある、二人で一升瓶を開けながら釣り、山登りなど話が尽きない。  仕事帰りには彼の車であちこち案内してくれる、十和田湖を見学した時に「きりたんぽ」というものを初めて食した。  十和田湖ほど景色の良い公園は他にありません・・僕はここが大好き・・・彼は嬉しそうにお国自慢するが キリタンポは旨いとは思わなかった。  奥入瀬渓谷を見ながら車が走る、時間さえあれば この道は歩いてこそ価値があると思った。 今ならカメラ片手に ゆっくり探索したいところである。

十和田湖を眺めながら休憩所でキリタンポを食った。 オレはこの系統(モチモチ・ボソボソ系)はあまり好まない、秋田でショッツル鍋を食うときもハタハタのタマゴは好きだがこの棒に刺したもち米みたいなのは何だコレ?の感覚であった。 酒の肴にはならない、

なぜか旅の出来事が「食い物」の記憶に関連するから「食いしん坊」なのである。

東北本線 黒磯、西那須野駅ではウナギ弁当となめこ汁を食べる。 米沢の牛肉弁当もお気に入りで 夫々の地で自分のお気に入りがあって、それを食うことがお決まりのコース、ひとつの節目のようで 楽しみになっていた。

★スッゲェこと、恐怖の体験もある、花巻温泉の部屋で 百歩譲っても人類の女性とは思えぬ怪獣のような大年増のおばさんに迫られて 必死になって逃げ回ったことがあった。 

ヤダー・・・! オレにも選ぶ権利がある、夢にまで出てきそうな巨漢で 近来稀に見るブス・デブ&ブサイク日本代表級?である、  

秋田に「なまはげ」とかいう行事があるが あれより怖い化け物であった。 

ワダスではダメか?・・と、敵もプロの責任感を持って襲ってくるが オラは獣ではない、人間の男は繁殖のためだけに♀を求めない、人間の男には美しいものへの憧れがある。ワタスに恥かかさねぇでくれ、ワダスの顔を潰さないで・・・もう潰れてる、恥もかいてる、?! 強姦(ゴウチン)されそう、もうオラ泣きそうになって布団の上這い回って逃げたよ。 

津軽の山奥、同業者の組合の勉強会に講師として招かれ大歓迎されて 会長の「おもてなし」で送り込まれたプロであったが ありがた迷惑? 身の危険を感じる場合もある。このときの様子を詳細に書くと またブログの評判悪くなるから・・・・。

このことを戻ってから上司に伝えたら「あんた 若いのに ようやった・・・」「否、私はやらなかったのです」「ようやらなかった、から・ようやった」

メーカーのブランドを守り抜いた、安っいぽいものにとびつくメーカーになりたくない、だからようやった、否 ようやらんかった・・・と褒められたが、あんたもややこしいねえ、オレもややこしいよ。 次は いい女だつたら やらせてもらいます、そうしなさい 、役得というものだ。何だよくわからない事項だが やらなくて褒められることもあるのである。

結局やらないことがメーカーのハイクオリティイメージ定着に貢献していたのだ。  

仙台の朝ちゃんも決して美人ではないが どこかに純粋な女の美を宿していた、若いから飾らなくてもキレイに見える、頼りなさのような脆弱さがあった、だからこそ男は女を愛することができるのだ。 キレイでなくても どこかに女の魅力を感じなければ 女と認められないこともある。 やはり女はキレイでなければ、そうでない場合はキレイになりたいと努力しなければ・・・、その努力が女をキレイにする、恋をするなら命懸け・・・若さにはそういう誠実さがある、だから素人を泣かすなと岳父に説教されたのだ、 プロの誠実さは金銭による契約に対してだから。 オレはブス・デブはキライ、男は皆同じだ。 ブスを誹謗中傷したくはないが 男は皆女性に対しての美感に偏見や好みがあるが、基本的に女はキレイであってほしい、目鼻口の数が合えばいいってものじゃない、せめてその位置取りが基本に近いものであって欲しいと願うのである。 多少のブスでもハートが良ければ表情に表れ美人に見えることもある。

困ったことに顔見るだけで不快になる女もいる。 体型もくびれがないビヤ樽、ビヤ樽ならまだ中身はビール、酔わせてくれる、あれは原油入りのドラム缶だ、今どきは見るに耐えない醜悪な女が大手を振って街を闊歩する、テレビで堂々と唄い画面いっぱいアップになることもある。 どんなに素晴らしい歌姫でも テレビに出してはいけない顔があると思う。  ラジオの時代には美しい歌声聞くだけで男は夢が広がるものであった。 

怖いこともあったが 田舎ならではの 素朴でほんわかするようなことも沢山あった。

★青森から弘前へ向かう途中、前の席に小さな体のお婆ちゃんが座った、何かを話しかけてきた「◎▲◇❤ % $# ??・・・だな?」津軽の訛り丸出しだから さっぱり分からない、私もいい加減だから 適当にウン・ウン・・と返事した。 袋の中から大きな林檎を一個出して食べなさい・・・というのである。  津軽はリンゴの本場である。 仕方なく食べた、私は林檎をカジるのは苦手だが 折角の好意を無にするのも悪い、ありがとう、ご馳走様・・・やっと食べ終わった。 ニッコリして互いに目が合うと また一つくれる。 なんだかんだと弘前に着いたころには紙袋に一杯、五個も貰ってしまった。 かなり重たい、当時の列車は進行方向へ前向きに座るのは特急だけだった、それ以外は箱で四人掛け、二人ずつ向かい合って座る、相手を観察したり会話したり、長い時間を共に過ごすから ふれあい・旅の情けが生じる、目のやり場に困ることもある。   八戸では鍋焼きうどんだったがこの地方は加減知らずに食べ物を客に与えるのが特徴である。

突然思い出が広がる、こういうのをノスタル爺、昭和のノスタルジジイだね。

◆余談・脱線

初めて飛行機に乗ったのは 三十過ぎてからだった。 父と二人で弟の結婚式へ 千歳行きのジャンボエアバスであった。  飛行機がこんなに大きなものと思っていなかった。

内心びっくりしながら平静を装ってはいたが、離陸着陸の時に 近所の席の年寄りが 南無阿弥陀仏を唱えている、私も心の中で祈っていた、合掌までしないが。

千歳空港発の帰りの便では 離陸の時 前にスチュワーデス(客室乗務員=今どきはキャビンアテンダントという)がきてこっちを向いて座った。 脚が長く カッコいい、向かい合って時々こっちと目が合う、膝がぶつかりそうな近距離である。 顔を見るか脚を見るか・・・目のやり場に困る状況になった。 いいねー、これはいい席だねー・・・父と二人で顔見合わせた。 父もそのときが始めての飛行機体験、「ここは? 特等席ですか?」と訊きやがった。 今の私でも同じこと訊いたはずである。 彼女もサスガである、「まもなく離陸です、申し訳ございません、シートベルトを・・・」と、シートベルトしてないのを注意された。 今なら「これ・どーすんの?」出来ないふりして 手取り足取り教わることを試る。

エアバスは大きいから安心感があったが 新潟、広島へ行くとき乗った飛行機は小さいから怖い、窓から見える主翼が ペラペラで風に飛ばされそう・・? 着陸時には オラも南無阿弥陀仏を念じるようになっていた。  鉄の塊りが空を飛ぶ? 鉄の塊り 大きな船が海に浮かぶ・・・? 素直に考えたら そんなことありえない! 現代社会は不思議なことばかりジャ・・・。

★山形・蔵王へ行ったときだった、米沢で仕事を終り 牛肉弁当と缶ビールを買って帰りの汽車に乗る、昼頃の急行列車、この地方の列車はいつでも空いている、お客はひとつの車両に数人しかいない。 終ったゾー、牛肉弁当食って ビール飲んで ゆっくり寝ながら帰る、出張終って嬉しい瞬間である。  前の席に大きな旅行バッグを抱えた学生風の女の子が座った、父と母がホームで見送っている、窓を開けなにごとか会話している。 元気でな、風邪ひくなよ・・・、着いたら手紙出すから・・・、頑張って・・・、姉ちゃんとこにもお土産もって行けよ、◎◎さんによろしくね、お盆には帰って来い、・・・・家族しか分からない内容の会話だが停車時間をフルに使って別れの言葉を交わしている。  就職で東京へ行くんだ・・・とすぐに分かった、健康で真面目そうな素朴な娘だ。  

発車のベルが鳴り ゆっくりと列車が走り出した、女の子は窓から身を乗り出して手を振っている、やがて駅から離れた列車は 郊外の田園地帯の景色の中を走っていた。 窓のところへ置いた缶ビールのフタを開けて一口飲む、お楽しみの弁当開いて 牛肉をつまみにする予定であったが 彼女は俄かにハンカチで顔を覆い涙を拭いている、あとからあとから 大粒の涙がポロポロと流れ落ちる、 弁当開けるのをちょっと中止して 暫く外の景色を眺めた、いい親子だな、優しいお父さんとお母さんに見送られて 幸せそうで心温まるものを見せてもらった・・・と、なんだかほんのりとした気分であった。

もう少し美人で大人だったら 何か一言励ましの言葉でもかけてやりたいくらいの気分であった。 頬の赤い見るからに田舎の娘である。 この子が東京で生活するうちに どんな大人の女に変貌するのか 多少の興味がないこともないが、まだ子供だ、下手なことを喋らないほうが良いと判断して ずっと無言で向き合ったままであった。 

それよりもこっちは 早く弁当食いたいだよ、もう いい加減に 泣くのは辞めてもらいたい。

そんなことで気配りする自分が哀しいよ。 目のやり場に困るし 席を替わるのもあてつけがましい、あんたも食うか・・と勧めたら尚更バカにしているようで失礼だ、こんな小娘ひとりの涙に 大の男が動揺し、自らの行動を決めかねて迷っている。 でも今は 本人にとって人生の大事な瞬間なのだ、哀愁の涙の目前で弁当食う無粋なことは 普通できないでしょ、(当時の主観であったが)

一時間ほど過ぎて もう辛抱タマラン、オレは食うぞ・・・と決心したとき 同時に彼女も荷物の中から大きなおにぎりを出して食い始めた。 特大のビッグサイズおにぎりだった。 なんだよこいつは? さっさと食えよ、これなら大丈夫だ、現代っ子だ。この度胸なら東京で充分通用する、この子の未来は果てしなく輝いている、何となく安堵した。

後日、このときの情景を妻に語った。  カーチャンもその昔 新潟から学校の就職担当先生の引率で上京したからである。 そーなんだよ、何か分からないけど列車が動き出したら 涙が出てしょうがなかった、両親と別れる現実と 単身東京へ向かう自分を見つめたとき 泣けて泣けてしょうがなかった・・・というのである。

父母は有難い。 親の愛情や ふるさとに向かって 感謝の涙が出るのである。

三年前シルバーの仕事で仲間だったおっさんが「ああ上野駅」聴くとオレ涙でる・・・と言っていた、♪くじけちゃならない人生が あの日ここから始まった・・・♪ 私は東京生まれの横浜育ち、都会の子だからガキの頃は食い物のない時代、それしか思い出がない。 ふるさとがない、 だから山が好き、川が好き、緑が好き、いつもアウトドアに憧れる。 「うさぎ追いしかの山 小鮒釣りしかの川・・・」自分にはこの心境が分からない、と思っていたが、最近は彼等の心が分かるような気がする。

近況 去年の今頃はリハビリの散歩でがむしゃらだった。 歩きながら涙もろくて 青春の思い出に浸るノスタル爺になっていた。 お蔭様で今頃は元気だ、毎日のプールも復帰して 父の日には金目の寿司食って、これは旨かった。 

プールでは 三段腹の中高年婆さんたちが昭和の軽快なリズムに合わせて 水中エアロビクスで頑張っている、よせばいいのに・・・努力は立派、懐かしの曲♪それは・イティヴィ・ティ ティニ・ウィニ イエローポルカ・ダドビキニ・・・・団体で巨体を動かすと 水深が上昇しそう?・・・上で指導する若き先生のスマートで早い動きを眺めるのも 不良おやじには楽しい光景である。

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また余談になるが 先日妻の姉さんから電話がきた、義父の訃報であった。 百歳のお爺ちゃん、十年以上殆ど寝たきり、介護するほうが大変、でも百歳とは立派、役所の人が来て玄関で表彰状を読み上げ 記念品を授与されたとか・・・。曾孫(甥の娘)はまだ九歳だが 爺ちゃんが骨になったのを見て号泣した。 死ぬとこんな風になると教えた。 現実に遭遇すると子供も号泣するのである。 お婆ちゃんの葬式に孫娘二人連れて行ったとき 棺の中のお婆ちゃんを見て 二人ともワァー・・・と、一瞬号泣した、おてんばなチビのなーちゃんも おうちに帰りたい・・・と泣いた。 子供に人の死を見せたほうが良いと石原慎太郎さんだったかな「スパルタ教育」を語った。  哀しく辛い現実を見せることが子供の心に優しさを育てることになるのである。  話が飛躍脱線してスマンが 今どきはPTAだの子ども会だのと 大人社会が子供を大事にしすぎるよ、酒・タバコ、その他汚れたものを遠ざけようとしすぎている、七五三には盃の酒を舐めさせるとか、汚れたものに慣れさせる習慣をつけてやるほうがいい、抵抗力もついて逞しい子に成長する。  子供たちが小学生の時だった、遊園地のプールへ行くのにアベック山と呼ばれる森を通った、偶然アベックがヤバイことをしていたので タオルで隠して子達を通過させたのは 私としたことが失敗であった。

現実を見せてやればよかった。 アメリカの禁酒法時代が マフィアの全盛期を生んだ、人間の楽しみを国家が規制してはいけないのだ、日本の売春禁止法にも意見あるけど 

このての内容になると熱くなる、きりがないから このへんで・・・。

今年も入梅して紫陽花の季節が来ると 心に残る母の言葉がある。 初恋の彼女にフラレて食欲無い、しょんぼりしていた少年時代だった、「あの子が好きだったんだろ? 元気出しなさい、男の子はこれだから困る、いつまでも子供だから、早く大人になりなさい、女は星の数ほどいるよ、世の中男と女しかいないから・・、時間が経てば またいい子が出てくるよ・・・」母は心の中までお見通しだった。 偉大な存在だった。 「男になりなさい、早く大人になりなさい・・・、」大人にならないと男として認められないのだ、母にとって息子はいくつになってもガキなのだ。

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みちのく一人旅(2)仙台 広瀬川の夏

みちのく一人旅、東北出張の拠点は東北の首都、伊達政宗の地元仙台であった。  

仙台は三日ほど滞在する。 仕事の傍ら青葉城、松島、塩釜、作並等観光地も略制覇して 夜のネオン街の探索も熱心であった。 十年も通うとベテラン、地元の人に道を教えるほど詳しくなっていた。  宿泊はいつも同じ旅館だった、 仙台駅前から長町行きの市電に乗り 広瀬川の広瀬橋のたもとにある古い建物、十室しかない小さな旅館、家庭的で気兼ねの要らない宿であった。 初めて出張へ出たときから十年間、いつも同じ宿、常連である。

オレ専用の部屋もあった、窓を開けると広瀬川の景色が見渡せる、流れの音が気になることもあったが・・オラは川が好きだから、夕暮れと早朝と・・水鳥や流れに跳ね上がる銀鱗をボーっと眺めて それなりに癒され、ストレス解消していたのである。

夏の七夕祭り、春の受験シーズンには満室になることもあるが 家族の一員同様に馴染みになっていたから 客間が満室の日は家族と同じ部屋に寝ることもあった。 

スタッフはお爺ちゃんと婆ちゃん、会社勤めのご主人と女将さん、お爺ちゃんの先妻の孫でお手伝いの朝ちゃん、ファミリー五人だけで客の世話をしている。  婆ちゃんは膝に水がたまる、脚が痛いといつも愚痴を言いながら、こちらも客のような顔をしないし お客さん扱いされることもなかったが それが心地よいのである。  「要するに 自宅と同じ状態であれば良いのだ・・でしょ・・・」温泉旅館並の高級サービスは要らない、安くて気兼ねしないから常連なのだ・・・布団を敷きながら部屋の係り朝ちゃんは云う。  

オラの「みちのく一人旅」では 温かい・楽しい、最も思い出深い旅の宿である。

 

新潟の同業者で大酒飲みの岳父(妻の父・義父)も ここの常連で この宿で合流し オラと語りながら晩酌をするのが楽しみであった。           

娘婿は可愛いという、広瀬川の堤に沿って赤提灯の飲み屋が並ぶ中で 会うたびに出かける馴染みの小料理屋もあった。 多楽茶屋、五~六十代くらいで品の良い女将さんが一人で切り盛りしている料理の美味しい店であった。  旅館の夕飯が終るころ「そろそろおタラの母ちゃんとこ行くか・・?」親父はもしかして 女将さんが目当て?・・・親父が?なわけないよなー?!・・と、まだ新米の婿が余計な心配するほど お気に入りであった。           

 新潟から会社の若い連中と大きな機械を車に積んで私と合流、大広間(部屋のしきりになる襖を開けただけだが)でオラも交えて大宴会・・というより晩飯時に酒とごはんを一緒に食べるだけだが、サスガは越後の男たち、ゴハンの茶碗に酒を注いで飲む酒豪もいた。                         

 お椀にカツオの刺身を二切れほど入れて 生姜、ネギ、シソの実など 刺身のツマを少々、味の素を少々、醤油をかけて 熱いお湯をかけると・・・紅いカツオが白く変色する。  これが親父流の 旨いお吸い物講座・・・であった。 

 

岳父はガキの頃大人に向かって オイ・喧嘩しねぇか?オレヒマだから・・・と、ヒマつぶしに格闘の相手を探すつわものである、酒の呑み方も半端でない、オラがブレーキかけると オマエに云われたくねぇ・・オマエこそ半端でねぇと、新旧酒飲み対決である。

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あるとき 二人でノリノリになって話が弾んだことがあった、アイツ(娘=妻のこと)は俺に似てキカネェ子だから 子供の頃雪の中に放り出したことがある、通行人が「通りがかりの者ですが何とか勘弁してやってください・・」と 外で寒さに震える娘を連れてきたこともある。  一人で東京へ出て行った、言い出したらキカネェ子だ、根性ある子だ、お前も嫁と親の板ばさみになって大変かもしれねぇが よろしく頼む・・・。  嫁に出した娘を心配している、ついでに婿の私にしっかりせよと激励しているようで・・・この世代の親父は 戦争体験の話をする人が多いが ここでは娘の子供の頃の話ばかり、その記憶を懐かしむように・・・娘を嫁に出した父親の心境が分かるような気がした。  この夜は二人で41本の酒を飲んだ。 自分の酒量新記録である。                                                         

帳場へ電話して「婆ちゃん・・・お・さ・け・・・」追加追加しているうちに 最後に婆ちゃんが 「もー無いよ」「酒がないのか・徳利がないのか?」 徳利ならここにあるから・・・畳の黒い帯に沿って並べていた徳利が なんと41本だった。 「どっちも・・無いよ・・いい加減にしなさい・・」

布団に入ってから 「親父・・この宿の天井は 廻るよ・・・」「バカいえ、天井が廻るか?お前・呑みすぎだぞ 」それはこっちのセリフだよ・・・。大徳利下げたタヌキの置物に似た、布袋様のような 太鼓腹の怪力親父も サスガにグロッキーだった。

翌日は朝から気分悪い、頭痛い、まだ世の中が廻っている。 長い長い一日だった、休みたくても休めない、サラリーマンになったことが恨めしく思えた、 当分酒は呑むまいと後悔した、                                               

二日酔いの後悔は経験豊富であるが このときばかりは最大級の辛さ、一日中オェー・オエー・・となりながらであったが、これで懲りるようでは酒飲みを自負する資格はない。                                       

 私は酒飲みである。 遺伝的な素質もあるが 大量に飲むタイプではない、酒量は自慢にはならない、あるとき品川のホテルでビールの呑み放題というのがあって、ジョッキ15杯の記録保持者である。                  

若い頃はこういうことに挑戦するのも腕を磨くと思っていたが それが二十代から「痔」で苦労する原因になっていたのだ。                  

酒は浴びるものではない、じっくり有難く呑まないとバチが当る、一気飲みとかは酒を冒涜することだ、今だから言えることだが。              

酒は味わうもの・・・それが実践できるようになったのは四十過ぎからだった。

 

本当の酒飲みは普通に毎日日課として飲む・・・私の場合その基本は出来ていると思う、乱れた経験がない、酒飲みのくせに酔っ払いが嫌いである。 若い頃から酔っ払いには随分世話を焼かされたから、兎に角 だらしないのがキライ、何も憶えてないとか 千鳥足とか・・・酔っ払いを見ていると あんな風に酔えたら幸せだと思うことがよくある。               

酒で失敗したという話は よく聞く、酒で成功したという話はないが・・・、

酒の責任にしてはいけない、失敗するような 呑み方をしてはいけないのである。  もうひとつ不思議なことに どんなに酔っていても 勘定の心配はしている、これで何本目だから 支払いはなんぼくらい・・・と、案外概略を計算しながら呑んでいるのである。 そのくせ帰り道はタクシー代を節約して辛い思いをしながら 最終電車に乗る。 最終電車は意外と混んでいる、通勤ラッシュ並みである。 酒飲みの実態は 研究すれば長編のエッセー集ができる。

 

失敗とは思いたくないが、この仙台の宿で 看板娘の朝ちゃんまで巻き込んだ大失態をやらかしたことがあった。  丁度夏休みシーズン、仙台名物七夕祭りの最中で 一週前に予約の電話しておいたのに観光客が多く 満室になっていた。  オラの専用ルームも満室だった。 女将さんとお婆ちゃん 二人して 申し訳ないが子供部屋、朝子の部屋で寝てくれねぇすか・・・ということになり くれぐれも間違い起こさねぇように・・大丈夫だな・・・と、婆ちゃんに念を押されながら 朝ちゃんと同室で一夜を過ごすことになった。                

朝ちゃんとは 同年代で話題も共通して いつも朝晩の食事時には オラの部屋で晩酌の付き合いまではしないが 何かと興味津々で 映画、流行の歌謡曲、六本木がどうの 新宿がどうのこうのと 東京の情報を聞きたがる、 私は朝生まれたから朝子、妹は夜生まれたから夕子ていうのよ・・いい加減だからウチの親は・・・etc.彼女自身の話も随分聴かされた。                 

河の対岸に新築のボーリング場がオープンした、ボーリング一度はやってみたい、将来東京へ行って田舎者だとバカにされないように・・・。

純情でいい子だ・・と思っていた。 

その日は夕刻 宿に戻ってから 晩御飯の前に 先ずお風呂へ・・てことで集金袋をビニールに包んで防水して風呂場へ持ち込んだ、出張先での最重要貴重品である。

肌身離さずの感覚である。  岩風呂の岩の上に置いて そのまま風呂から出て部屋へ戻り晩酌をチビチビやり始める、そこで愕然となった、アタマ真っ白! 血の気が引くとは こういうことなのかと実感した。 ドヒャー!?!!・・・天地がひっくり返るほどの大ショック、階段を駆け下り そのまま風呂場のドアを開けて突進する。                                  

 岩の上に 無事に袋を見つけた、そのときの喜びというか 感動的安堵。  

そこで気が付くと湯煙の中に裸の女・・朝ちゃんだ「きゃー・・・!」 

外にまで響く大音響の悲鳴。典型的な キャー・!・・の状況であった。  

水をぶっ掛けられなかっただけ まだ幸運だった。             

 部屋に戻り袋の中身を確認した。 現金、手形、小切手、総額百万円の金額だったが 朝ちゃんより こっちのほうがショックだったよ、口から心臓が飛び出しそうだったよ。 

客が多いからもしも無くなったら・・・切腹では済まされない。          

食事が済んでから家族の住む一階へ・・・朝ちゃんの部屋へ

トボトボ歩きだったよ。                        

六畳間に 布団が二つ並んでいたが 朝ちゃんは奥の布団に座って壁のほうを向いたままである。 浴衣の襟を両手でしっかり閉じて、絶対こっちを向かない、防御の姿勢を崩さない。                          

ごめんね・びっくりさせて悪かった、俺が悪かった・・・忘れ物を取りに行っただけだから・・、痴漢ではない、ホントニ 信じて!見てないから・・・ホントにゴメンネ・・・                      

下心があるのではない、誤解を解こうと何度もアタマを下げていた。 

イヤ・・、知らない、・・あんな人だと思わなかった・・・、こっち見るな、や・だー!、ヤダ、 い・や・だ・・・、ゴメンばっかり・適当に言わないで・・」「適当??じゃないよ、誠心誠意 肝に銘じて 反省してます・・ゴメンネ・・」「わたしがバカだから・・難しいこと言って ごまかそうとしてるでしょ・・」                            

朝ちゃんは怒っている、しまいにバスタオル抱いて泣きじゃくっている。 本当に悪かったよ、謝るから勘弁してよ、明日ボーリング連れてってやるから・・、信じられね・ やだ、知らね、・・!・取り付く島も無いとはこのことであった。

 

風呂場の湯気の向こうに見えた背中と 今壁を向いてオラに背を向けている浴衣姿の曲線が悩ましくて眠れない。               

時々隣の布団のほうを確認するが まだ座って背を向けたままである。 

やがて朝ちゃんは部屋から出ていった。  こっちはそのまま悶々として まだ眠れない。 レポート用紙を出して ここまでの報告書を書く、 まだ三歳の息子に絵文字入りで 手紙を書く・・・、こんな場合 何か仕事してないと落ち着かない、

やがて早朝 5時前頃に起きだして釣道具持って 川へ釣りに行った。 広瀬川はヤマベが釣れる、アユの釣り人も見かける。 ずっと前からカバンの中に携帯用の竿と仕掛けは持ち歩いていたのである。  釣りキチの酒飲みである。 殆ど寝ていなくても釣りには行ける、これが若さである。

土手の道から 朝ちゃんが降りてきた、朝ごはんの支度できましたから・・・迎えに来た。

釣った魚を全部放流してから 二人でぶらぶらと土手の道を歩いた。

昨日はゴメンネ・・・、いいえ・わたしのほうこそゴメンナサイ、 あれからどこへ行っちゃったの? オラは まだ信用されてないの? 婆ちゃんと一緒に寝た、ヤダーとか 知らネェ・・・とか、お客様に無礼な口をきいてはならね、ちゃんと詫びて来いと叱られた、いいんだよ、悪いのは俺だから・・・、わたし・もうひとつ謝らねばならぬことがある、あなたの書きかけのお手紙見てしまった・・・

ママに読んでもらってください・・・ヒロ君へ

元気ですか、ママの言うこときいて いい子にしてますか。 パパは汽車にいっぱい乗って(汽車の絵)お仕事で 青森から 山形、今は仙台にお泊りしています。 冬は寒くて雪が沢山積もるよ(雪だるまの絵)、今は夏だから暑いけど 頑張ってるよ、この前は三条のジッチャンと沢山お酒呑んだ、今度は一人だけど毎日少しずつビール呑んで(ジョッキの絵) 美味しい魚食べてます、土曜日に帰ります、お土産買っていくからね、まっててね。・・・・帰ったらママと三人で遊園地のプールに行こうね、・・・じゃあまたねー バイバイ・・・パパより

Photo_3広瀬川

「ゴメンナサイ、息子さん宛の手紙、雪だるまの絵とか 子供が喜びそうな絵文字で かわいくて楽しかった、いいパパさんだなと思った、お父さんもいい人で 二人で仲良しで羨ましい、お父さんも孫の写真持ってたよ、わたしに見せてくれた、嬉しそうだった、ホントにいい人なのに わたし悪いことしてしまったわ・・・、 折角釣った魚も皆逃がして・・・ウチは料理して出すのに、魚にまで優しくていい人なのに 私が大きな声出して嫌な想いをさせてしまった、ゴメンナサイ・・・。」 「そんなにおだてるなよ、照れるよ、」         

なんだか言葉少なになってしまった、                    

広瀬川の流れがやけにきれいだ、杜の都仙台だ、水の青と山の緑が 淡い青春の思い出の中に まだ煌いている。 旅情とはこんな景色を云うのだ。 

流れの幅一杯に1メートルくらいの低い滝のような落ち込みがある、あの下流に魚の群がいる、 広瀬川は京都加茂川に似ている。  オラのふるさとの川 信州すすき川、多摩川にもどこか似ている、

 

川の景色に「旅情」を感じるような考え方になったのは 最近のことだ、あの頃は壁を向いて拗ねている朝ちゃんに もっとちゃんと慰めて ついでに何かすれば良かったのかなとか 旅の恥はかき捨て、婆ちゃんとの約束を律儀に守って いい人だと褒められるより やってしまって叱られた方が良かったかもしれない・・貴重品無くす絶望感と比較したら やるべきだったと後悔したものだった。 未来があると自分に正直になれないから困る、

上品とは欲望に対して動作がスローモーな奴、(立川談志)、ジョーダンじゃねぇ、オレは上品なんかじゃねぇ、何事も早すぎるのが課題だ、朝ちゃんに心底ゴメンネと思う気持ちと、 婆ちゃんや皆に義理立てしただけだよ、損得抜きで チャンスがあれば 男なら行動するべきだ。               

今頃になって思うのは もしもあの時 朝ちゃんが 浴衣の帯を解いて旅の男を受け入れていたとしたら・・・”互いの将来を傷つける”、旅の男は”彼女を傷モノにしてはいけない”、お互いが相手の幸せな未来に気遣いして それを守ろうとする優しい気持ちだったとすれば オレも朝ちゃんもどちらも立派な大人だったことになる・・肉体が合体しなくても心の触れ合いが大人の恋に発展する、 そこまでカッコよくはないけどね・・・❤                 

早い話がタイミングが悪かっただけだ、相手の幸せを守るため己(の欲望)を犠牲にする?、古い時代によくある恋のスタイルだが、逃がした魚は大きかった、こういうことが多いのが青春なのだ。

その日の夜はボーリング場で2ゲーム遊んだ、靴の借り方、スコアのつけ方等教える、朝ちゃんは目を輝かせてかなりハイテンションで楽しんだ。  あー疲れたと、パーラーで甘いものを食べながら また東京の話をした。 東京の男は怖いから、騙されるなと婆ちゃんに散々聞かされたそうである。 プロならいいが素人女に手をだすな、女を泣かすな・・・これは岳父から呑むたびに散々聞かされた。  素人とプロの違いは何を基準にするの? 金で解決するのがプロなのであろう。

プロはコワイ・・と思っていた、「病気」が怖い時代だった。       

素人は病気よりも「心」「未来」までを傷つけてしまうことがある、そのほうがもっと怖い・・と解釈していた。 オレは朝ちゃんのナイスバディを見せてもらったから・・ボーリング場とレストランの支払いは全部自腹である、朝ちゃんはプロではないが お世話になった義理もあるし、妥当な出費である。         

仙台では社会勉強が沢山あった。 社会勉強とは大人になってからのほうが身に沁みる、実戦体験で始めて分かることもある。  

用心深いのとマヌケは違う、現金を風呂にまで持っていくのはやめた。  親父の娘を想う気持ち、約20数年後に オラも同じ想いをさせられた。 愛娘が結婚したい人がいる・・つれて来い、俺が殺してやるから・・・玄関で緊張のせいか彼はなかなか入ってこない、殺さないから大丈夫、入りなさい・・・、そのまた十年後、幸せそうな娘を見て 彼に感謝の頭を下げていた。           

岳父は晩年義母と二人で突然上京してきた。 神社仏閣見物がしたい・・・、親父の本音が読めないまま 鎌倉・江ノ島へ連れていってしまった。 二年後親父は逝った。  後になって 親父は靖国神社、明治神宮をお参りしたかったのでは・・と思った、戦争へ行ったのに戦争の話をしない、娘と孫の話しかしなかった、本当は靖国神社を参拝したかったのだ・・・亡くなってから失敗したと気が付いても遅い、未熟な自分が歯痒かった。

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数年後仙台を久々に訪れた、仏壇には爺ちゃんの位牌があった、小さな衝撃を感じた。 部屋の火鉢に墨を入れてくれるのは爺ちゃんだった、爺ちゃんにも随分世話になった。 お線香あげて手を合わせ お花代の香典を包んで 朝ちゃんは?・・・婆ちゃんに尋ねると あの子は嫁に行った、蔵王の大きな旅館の若女将で頑張ってる・・・。あんたによろしくと言ってたよ・・・、あの無愛想な子がそんなこと言う、怪しいぞ、本当に間違いなかっただろうな?  本当だよ、何もなかったよ、婆ちゃんまで・? マイッタよ・信用してくれよ・・・      

夜は一人で多楽茶屋にも立ち寄った、親父の死を報告した。          

一瞬顔を曇らせたがサスガはおタラの母ちゃんだ、 狼狽はしない、黙々と酒の支度して、 ♪時は巡りまた夏が来て あの日と同じ流れの岸 瀬音ゆかしき杜の都 あの人はもういない・・・ 青葉城恋歌を聞きながら 勧めても絶対酒を飲まなかった女将さんが この夜は熱燗を手酌で飲みながら 親父の思い出を語り合った。

 

日本の川には必ず旅情がある、川の流れは 時の流れを象徴している。

旅情にはどこかに寂しさも付きまとうのである。  青葉城恋歌・・・あれはキレイでいいネェ・・日本のシャンソンですね。 後に昭和の作曲家 高木東六さんが絶賛していた。  古い映画で「旅情」というのがある、ヴェニスを旅したオールドミスの淡い恋物語、日本のワビ・サビに似た感情が欧米にもある、美しいメロドラマである。キャサリンヘプバーン主演、原題(サマータイムインヴェニス=ベニスの夏)これを旅情と翻訳したところが素晴らしい、高校時代の英語の先生が絶賛していた。 確かに「旅情」は夏だ、みちのくを旅するのに冬はそんなゆとりがない、吹雪の中でスッテンコロリン・・ひっくり返るばかりでは旅情なんてシャレてられない。

◆読者様へ  

心に残る言葉がある、涙溢れる曲がある、青春には思い出の場面がいくつもある。

忘れられない 忘れたくないことが いくつもある。バカだからそのうち忘れるけどね。

今回のお話は 自分の文章に自分が感動して 泣けて泣けて・・しょうがない。バカだねー! 自分のブログで泣くやついるか? 思い出に涙するのは ノスタル爺(ノスタルジジイ)というが 苦しんではいない、むしろ涙が心地よい・・・ 朝ちゃんはまだ二十歳の乙女だった、オラも若かったから美しい旅情、たまたまだけどキレイなお話になったよ(自己採点だけど)、この調子でいけばいいが みちのく旅行記はスッゲェことも沢山あった、世の中のキレイなことばかり見て歩きたいが 辛辣な表現が必要なこともある、いつも長いのに読んでくれてありがとう、ここまで読むのは大変だ。 懲りずに また覗きに来てくださいね(^.^)

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みちのく一人旅(1)鍋焼きうどん

◆ナベ焼きうどん

新社会人となり 営業で初めて出張に出たのは23歳の春だった。 3月1日が結婚式、新婚ほやほやの3月中頃、上野発青森行き東北本線経由寝台特急「はくつる」・・・毎日が甘い新婚生活、ひと時も離れたくないの?上野駅までカーチャンが見送りにきて、発車と同時にチュー・❤・までは人目を憚ってできないが 「じゃあな・行ってくんね・・・」「気をつけてね・・頑張って・・・」すがるような眼差しで、ドアのところで手を振って・・・、愛を引き裂く過酷な運命?涙の別れ?!・・・昭和の演歌を思わせる場面?(ここでのろけてドースンジャ!)出張の別れを惜しむのも若いから・・・、40年後の今は「出張行くの? お薬持った? 無理しないで・・・死なないように・・早く帰らなくていいから、ゆっくり行ってらっしゃい・・(きみまろバージョン)

新婚て・・・いいね、お互い若い頃は こんなにキレイで可愛い時代もあったのだ・・・ということが云いたいのであります。

東北地方担当の営業、この後十年ほど みちのくを一人旅して 色々な体験をした。

今となっては 若い頃のこの出張経験が 昭和40年代、貴重な青春の一頁である。 

汽車の窓を開けて各地の名物駅弁を買うのが楽しみな時代だった、今は新幹線の窓は開かないから。

面白いこともあった、スッゲェこともあった、美しい景色に出会った、美味しい肴もあった、今だから言えるが どちらかいうとオラの場合は食いしん坊だから「食に関る旅」美味しいものを探す旅・・・?だった。  色々な人間に出遭った、上司や先輩がいるわけでもないし、一人だから初めての問題に自分の裁量で対応するしかない、先ず言葉が通じないが・・・通訳がいないから 津軽の方言を自分で理解し慣れるしかない、全てが実戦の応用問題だった。  自分の言葉が会社の意志を表す・・・責任も重大、守るものがあるだけプレッシャーもあった、自分としてはグルメ旅、酒と魚の放浪記だけど、良き人生経験であった。  仕事に明け暮れて 疲れ果て戻ってくるでは能がない、一人で旅をするこの開放感・・仕事は辛いことばかりではない、辛いことの中に「楽」を見つけ出す・・・、それでなければやってらんねぇ・・、 ここで遊ばないと・社会勉強しないと・・・、若い向上心に燃えていたが 常に「楽しさ」を発見しようという信条も漠然と芽生えていた。 出張の営業活動は自分を磨く旅・・・都会の喧騒と社内のストレスの中に居るよりも 月に一度一週間の出張が楽しくて仕方ない、練習よりも実戦が大切、自由で楽しい時間だった。  一番鍛えられたのは営業としてのキャリア・・というより酒の呑み方かな? かなりのキャリアになったかも。 

一杯目「上野発の夜行列車降りたときから・・・」の「はくつる」は 朝早く尻内(しりうち=現在の八戸)へ到着する。

初めての出張、寝台車はよく眠れない、降りてから駅の食堂で朝食、早春とはいえ まだ外は雪景色、寒そうである。  駅の食道、特別なものがあるとも思えない、朝飯だから 何でも良いが メニューを見ていると店員のオススメ「今日は寒くなりそうですから 鍋焼き如何ですか・・・?」ということで鍋焼きうどんが出てきた。  寒くて疲れた体には 向いているらしい、他の客も鍋焼きうどんが大半であった。

二杯目  ローカルな在来線に乗り八戸市内へ付いたのが午前九時、地図と住所のメモをたよりに 最初のお得意様の前に到着、初陣である。いよいよ顧客との接触である。

少し逡巡しながら 思い切って店舗のドアを開ける、突撃・・・!の気分、「オハヨウゴザイマース・・!・」明るく爽やかなイメージを意識して挨拶。 当方はメーカーの営業部員、相手は地方の小売販売店、お得意様なのに 東京から遥々出向いてくれた・・・という感触で 地方出張は(特に東北地方は)メーカーの営業は歓迎される、大事に扱われて 御用伺いのこちらが恐縮してしまうほど優遇されることもあるのです。  中央の景気、業界の動向などの情報を得ることが地方の販売店では重要なことだから。

事務所内には社長と奥方兼事務員の二人だけだったが こちらと同じくらいの角度で頭を下げ丁寧に挨拶を交わす、名刺を交換しながら この度貴社の担当になりました・・よろしくお願いします・・・、その後は天候のこと 業界の話題等 先月分の集金、新製品のPR、在庫品のチェックと受注等で マニュアル通りの商談で時間を費やしたころ、奥から先ほどの奥方様が職人風の若者二人と事務所の机にどんぶりを運んでくる。

「自家製のなべ焼きうどん・・です、夜汽車は大変だったでしょう・・・温まってください、今朝は寒いですから・・・」労いの言葉でオラに食えと勧める、今駅で朝食済ませてきましたから・・・、ほんとに お構いしないでください・・、さっき食った鍋焼きうどんと同じ具が乗っている、エビにカマボコ、タマゴ、ネギ・・・など、器はさっきより大きい。  丁重にお断りするよりも食べてしまってご馳走様と云ったほうが気が楽、若さ故か腹は一杯でも食うほうを選んだ。 社長夫妻と二人の従業員が同じ朝飯を囲んでいる、この会社の家庭的な雰囲気が微笑ましく思えた。 これから二人の若者は郊外の現場へ機械の取り付け工事に行くという。 毎朝みんなで食事するそうである。 社長はおやじ、専務兼奥様はおふくろ・・・アットホームでいいなぁ・・・であった。  今夜の泊まりは八戸なら 是非イカを酒の肴にするといい、今年はイカが豊漁ですから、ここはイカの本場ですから・・・そういう情報には こっちが身を乗り出していた。 

三杯目  二軒目の得意先には昼少し前だった、トラックで送ってもらった、歩いていきますからと遠慮しても 折角ですから乗って下さい・・なんと親切な人たちだろうと感激。

途中 港近くの蕪島(かぶしま)を見学、ウミネコの島、八戸の観光名所であるが鳥のウンコがてんこ盛りの島だった。 ウミネコとはカモメのことかな?  白い鳥の大群が島を占拠して産卵する、八代亜紀に聞けばいいでしょ。

二軒目は大きな店構えの八戸では老舗の得意先、昼時になってしまったので そろそろ退散しようとしているのに 今出前をとりましたから・・・と、また食わされたのが「鍋焼きうどん」もぉ・・・うんざりだよ、イヤとも言えず、朝からもう二度も頂いた・・・と遠慮しても 若いのだからこのくらい食えないとダメだよ・・・と半ば脅迫されながら 何とか残さずに食べた。 これで朝から三杯目である。 (ギャル曽根を連れて行けばよかったよ)

四杯目  そして 出張初日の予定はあと一軒、漁港に近い船用品を小売している大きな店に午後一時過ぎに訪問した。  タオルを鉢巻にした海の男が沢山出入りしている、兄弟船の乗組員か・・・、もう昼時は過ぎているし 何もでないだろう・・と楽観していたが、これも見通し甘かった、応接室に座ったと同時に お茶よりも先に鍋焼きうどんが出てきた。

出張案内頂いて そろそろ見える時間なので用意しておきました、どうぞ召し上がってください、温まりますよ・・・、もうやぶれかぶれ、有難くご馳走になりました。

夕刻となり 鍋焼きうどんのゲップしながら一日の仕事を予定通りに終らせて駅前の旅館へチェックイン、念のため食事の献立を聞いてみた、案の定だ、 夜のメインは鍋焼きうどんだったので 荷物のカバンを預けてから 夕食は要らない、朝飯だけ頼んで 繁華街へ出かけてみた。  今日は出張初日の記念すべき日だ、営業マンとしてスタートする日だ、自分なりにお祝いの気分で 大衆居酒屋の隅の席に座った。 熱燗と朝仕入れた情報を期待してイカの刺身を注文、五分もしないうちに大きな皿にヤリイカ一杯分の刺身が出てきた。

これは旨かった、旨いが食いきるのが大変、朝から鍋焼きうどんばかり四杯も完食しているからだ、隣の客は どーゆーわけかビール呑みながら 鍋焼きうどん食っていた。

ナンジャ この街は? この地方の人類は他に食うものないのか?  しかも、このイカ刺身の量の多いのは?・・イカが丸ごと一匹300円、安いからいいが。

八戸港から出てゆく漁船の灯りが見える、イカ釣り漁船か、(オイ! もう採りに行かないでいいよ・・!)

次からの八戸は食事の出ない時間帯を選ぶのに苦労した。  人情は良い、景色も素朴、刺身も新鮮で酒も美味しい・・・ただし、この地域の人は加減を知らない、・・・偏見ではない、宮沢賢治、石川啄木、岩手県は優れた文人を生んだところである。 報告書には書かなかったが。

東北の太平洋側を三陸地方という、八戸、宮古、釜石、気仙沼・・・、昔から漁業の盛んな地方、秋刀魚の最盛期にはトラックに積んだ秋刀魚が道路に落ちて散らかって ネコもよけて通るという。 この地方の人たちが故郷の味として魚が好きというなら分かるが 鍋焼きうどんは どういう関係があるのだろうか?  鍋焼きうどんが無くなったら この地方では暴動が起きるかもしれない?  オラも下手すりゃ朝から五杯の鍋焼きうどんを食うかもしれなかった。

現役時代、同僚に三陸出身の男がいた。 一つ年上だが人に好かれるタイプではなかった。

仕事の不平不満が多く、自己中心型、協調性がなくいつも機嫌が悪い、そして何故か不思議なことに会社での昼食は いつも鍋焼きうどん、春夏秋冬 暑さ寒さに関係なく 近所の蕎麦やから鍋焼きうどんの出前しか食わない。 極端な偏食である、毎日食べる鍋焼きうどんも うどんと汁しか飲まない、具を一切食わない、会合や宴会の席には必ず遅れてくる、慰安旅行では皆が待っているのに 一人で風呂に入っている。 それと何よりも 仕事が遅い、何をやるにも遅い、てきぱきとしたところがない、マニュアル以上の仕事を絶対にやろうとしない。 オレの一番キライなタイプである。  女に惚れたことがないから惚れられたこともない、友達もいない、当然独身時代が長いから食生活も偏る、五十になってから内臓の病気を患い 復帰した後も相変わらず鍋焼きうどんしか食わない。

見事なほどの好き嫌い激しい男である。 批判的なことは言いたくないが食の偏りは身体によくない見本である。  津軽地方の人が鍋焼きうどんを好んで食うのは 気候風土的な要因による地域的特徴だろうか、 あの時はたまたま偶然が重なったのだ。 365日鍋焼きうどんしか食わない彼を見ていると やはり個人的な嗜好であろう。  食いしん坊のオラは彼を逆利用して 宴会の席は大体彼の隣に座る、刺身食わない、肉要らない、果物嫌い・・・棚卸しのあと寿司の夜食が出たときは 彼が食うのは卵焼きくらいなもの、マグロ、アナゴ、蛸、みんな隣のオラが食っていた。  イクラは蛙の卵みたいで気持ち悪い、なら俺が食ってやるよ・・・であった。 食に対する感謝の心がない、白菜の漬物は茎の白いところしか食わない、それがツウのように。 そのくせ沢庵一枚でもごはん食う、・・・・だからムカツク! 

同じ地方出身だがいい奴がいた。 オラと同じで食いしん坊、バカだけど純粋で気のいい奴だ。 賭け事大好きだけど 負けてばっかり、いつも金がない、出前で力うどんをとって 一人食っているところへ先輩が入ってきた、慌てて餅をうどんの下に隠す・・・?!

何やってんだよ、取ったりしないよ・・・!  オラと同じ 戦後の食糧難を経験した少年だったのだ。  互いに似たようなことをやっているドジな新人社員であった。  寒い地方出身者には頑固者が多い、寒いから体を硬くする、心まで固めてしまうのだろうか。  (ちょっと脱線)海の男を唄う鳥羽一郎の曲、演歌好きな田舎の人には人気だが オレは好きくない! 全部リズムが同じ、盆踊りの太鼓のリズム?、♪ど~ん.do・do・do・・ど・ど・ど・d・d・d・・・都会的とは正反対で 何かダッサイ・・・!、日本の伝統的リズムとはいえ もう少し垢抜けしたとこが欲しいよ、人夫々だから 好きな人は感動するのだろうけど、カラオケで兄弟船、(祝い船も同様)聴かされると オレは不愉快になる。 先ずタオルで鉢巻するのが? 歌詞も♪オレとアニキのよー・・・あの「よー!」がなんかイヤなんだよ、柄が悪いんだよ、そういうオレだって柄は良くないよ、無理にお上品ぶるのも気に入らないけど、「よー・・」を詩の本文にすることはない、日本文化の品格を損なうような気がするよ。 例えば「よー・・」を「ねー・・」にすれば かわいらしいと思うけどね(^.^) 例えば幼児が母に「ないしょの話はアノネノネ・・・ね・かあちゃん」て歌があるが 子供がママに「ママ・あのね」ならかわいいけど「あのよー・・」だったらちびっ子ギャングだよ。 ほんの一言で日本語は意味が変わるから。  何だかんだといちゃもんつけて悪りいけどヨー・・・! 

どこの世界でもイヤな奴・いい奴、二通りの人間がいる。  いい奴というのは人の良いところを見つけるのが上手い、人を理解しようとする。 イヤな奴はその反対で人の欠点ばかりをよく見つける、ま・いいか・・・と、妥協する寛大さ、柔軟性がない。

それをどちらに感じるかは自分の受け止め方次第、主義主張は関係ない、 いい奴と思う人は互いに共通するものがある、フィーリングが合うのだ。 友達とは互いが そういう人のことである。 人生色々・人も色々・・・人間社会はそういう構造になっている。

食い物のテーマになると燃える、また長くなってスマンけど 要するに 偏った食生活はいけない、バランスよく何でも食べなければダメだよ。  食うことに興味ないでは体に良くないのです。(オレは興味ありすぎ・・) 誰だって好き嫌いはあるのは仕方ないが それが協調性を欠き 人に嫌われるようではだめだよ。 自分を例にするのも僭越だが、去年の大病で手術後一ヶ月昏睡が続き、このまま逝くかも・・・まで想定されていたのに、急に目覚めて あーウルセェ、ちょっとトイレ行ってくる・・、スタスタと歩きはじめて 周囲を唖然とさせた あのパワーは?

子供のころから「食」への憧れ、「旨いもの食いたい」・・・ただ食い意地張ってるだけかもだが、食うことによっていつの間にか体内に蓄積された体脂肪が生きて立ち上がるあのパワーの原動力になったのだと思いたい。 幸運だと人は云うが、生きてこその幸運、食えてこその「いのち」だということです。 食への憧れ・・・人間の最も純粋で美しい欲望だ。

少年の頃は未来が無限大だった、還暦過ぎて大病患ったりすると 未来の何処かに潜む死から逆算して今を見る、今旨いものを食うとき あと何回これを食えるのだろうか、まだまだ旨いものも食いたい・・・更に過去まで思い出を辿る・・・これで普通かしら、オレはこれで普通だ。  少年時代、学生時代ばかりが青春ではない、若いから活発に行動できる、動くほど腹も減る、美味しいものへの興味は今でも変わらない、旨いもの食いたい・・・この気持ちがあれば まだ青春は無限大だ。 食っているとき人間は醜い・・という説もある、モノを食べる姿は美しくない、爺・婆になるほど あまり見たくない、入れ歯の人は特に見たくない。 でもオレは 子供が食べる姿が好き、孫たちが来ると 常に何か食って口を動かしている、それがカワユクてしょうがない。 赤ちゃんがおっぱい飲んでる姿は地上で人間が見せる一番美しい姿だ。 

◆近況  本件と全然関係ないが 山口瞳 さんのエッセイに面白いのがあった。 アメリカ人の友人に ホエア アーユー カムフロム?出身地を訊いたら マザー・・・「お母さん」と答えた。 アメリカにも粋な男がいる・・云々。 間違いなく人類共通の生まれ故郷は「母」である。 シモネタではない、真面目な回答だ、「マタマタ・・・!ウソばっかり・・・マタふざけてるでしょ」相手が疑惑に満ちて抗議してきたら「そーです、マタマタ・・・股ですよ・・」科学的に解説してやればいい、この場合はシモネタになる。   「マザー」のアメリカ人は 元空挺部隊の軍人で落下傘の降下訓練で何度も空から飛び降りた。 引退し年寄りになってからは もうあんな怖いこと二度とできないよ・・・という。 何故ならbecause今は人生が楽しくなったから・・・、彼の心境分かるね、今幸せだからいのちを大事にしたい。  なんだかほんわかと心温まる話であった。  彼のネタ「マザー」は機会あれば使いたい、更にママの出身は「ルイジアナ」、ルイジアナママ、フロムニゥオリンズ・・・?   更に関係ないけどDスペクターのオヤジギャグ、私は子供が出来ないからイクジナシ・・・(育児無し)・・と云われてます。 それは考えすぎ、あなただけではない、男は皆イクジナシだ。 だから女は偉大なのだ。  今年もまた暑い夏が来た、去年の夏は大汗かきながらリハビリのウォーキング、大病の痛みよりも 暑くて暑くて・・そっちのほうが死にそうだったよ。 あれからもう一年経った、相変わらずバカなおやじギャグでウケているバカおやじは 変っていない。  食えなくなる病気でなかったのがせめてもの幸運、このごろはたまに読書もするようになった、アホになっては困るから脳もトレーニング、眼が良く見えるからアホも底が見えてきた?! これ以上はアホになりたくないから・・・最低限の努力はしましょう。  飲み食いさえできればどんな苦痛も克服できる、mywayおやじは これでイイノジャ!

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    5月31日、今年のダービーはロジユニヴァース、横山典41歳で初めてのダービージョッキー、よかったね、 オレは横山のファンだから。

イギリスでは一国の宰相になるよりもダービーオーナーになることのほうが難しい・・・という諺がある。 ダービー馬になるのは不可能である、そらそーだ、人は馬にはなれないからな。

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6月7日 安田記念、ウォッカ・・・強い・強い・鳥肌立つくらい強い・・! もしかして史上最強牝馬だ。 あれだけ強いと見ていて気持ちいいね、完璧なものは感動する、しびれるね、今年はWBCのイチローの胸のすくようなジャストミートでセンター前ヒットがあった、あれは鳥肌と涙も出た、オリンピックの北島の圧倒的強さもあった。ウォッカも・・・、パーフェクトなものを何度も見せて貰いました。 ダイワスカーレットにウォッカに・・近年競馬は名牝が出る、競走馬は改良を重ねているから 昔よりもレベルの高い牝馬が生まれる。

馬も牡はイクジナシ、牝馬がエライ、女は強い、侮れない。

◆近況その二 6月4日、MRIで腰痛の検査、 初めての経験、ドームの中で17分我慢したよ、鼻が痒くてオーイ出してくれー! 別の重大な病気が発見されそうで 顔は笑っていても内心は怖くてドキドキ・・・、イクジないがないねぇ・(男だから)8日、結果聴きに行った、鮮明な画像の説明「病片はありません」先生の言葉に普通の顔で内心ではガッツポーズ! 泰然自若がまだ出来ない、イクジがないねぇ、ということで今回も無事に通過・・・、ならこの三十年続く腰痛は何なの? 原因が見つからないのに痛いのは・・「痛いと思うから痛い、気のせい・・じゃないの?」カーチャンがユニークな見解、先生も一瞬コケながら「それもあり得ます・・」気のせいなら 今までずうっと「気のせい」で苦労してた? ガバイ婆ちゃん「おなか空いた?・・・気のせいだろ」と同じスタイルだ。 病は気から・・・は本当である。 去年の今頃は緑の季節からクソ暑い夏を 意地と根性で歩き続けた 加減知らずのツケが廻ってきただけじゃ、検査の結果が合格と聴いたその日から 俄然元気溌剌・気のせいなら立ち直り早い・・?! 10日入梅、プールに再デビュー、蒸し暑い日は プールがいいね、競泳コースは空いていた、北島君という目標が大きすぎて諦めた人はオラだけではないようだ(^.^)  今年も暑い夏になるだろう、少々具合悪くなっても 気のせいなら 毎日楽しく精進できる、医学は日々進歩している そのうち「気のせい」に効くお薬もできるでしょう。  

      

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