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みちのく一人旅(3)目のやり場

東北地方の定期出張は 上野から東北本線の急行に乗って 白河・郡山・福島・仙台・盛岡・青森・・帰りは弘前・山形・を回る奥羽本線経由で戻るのと その逆周り、二つのコースがある。 どっちでもいいが 兎に角一週間から10日くらいで全部を回るのである。 

代理店で現地営業所の所長(といっても一人だけの事務所)と津軽・三陸の山奥まで同行PRすることも何度かあった。 彼は独身、何度か同行しているうちに友達のように打ち解けていた。  彼の下宿に泊まり朝まで飲み明かすこともあった。 年齢も同じ、類は友を呼ぶ、酒飲みには共通の趣味もある、二人で一升瓶を開けながら釣り、山登りなど話が尽きない。  仕事帰りには彼の車であちこち案内してくれる、十和田湖を見学した時に「きりたんぽ」というものを初めて食した。  十和田湖ほど景色の良い公園は他にありません・・僕はここが大好き・・・彼は嬉しそうにお国自慢するが キリタンポは旨いとは思わなかった。  奥入瀬渓谷を見ながら車が走る、時間さえあれば この道は歩いてこそ価値があると思った。 今ならカメラ片手に ゆっくり探索したいところである。

十和田湖を眺めながら休憩所でキリタンポを食った。 オレはこの系統(モチモチ・ボソボソ系)はあまり好まない、秋田でショッツル鍋を食うときもハタハタのタマゴは好きだがこの棒に刺したもち米みたいなのは何だコレ?の感覚であった。 酒の肴にはならない、

なぜか旅の出来事が「食い物」の記憶に関連するから「食いしん坊」なのである。

東北本線 黒磯、西那須野駅ではウナギ弁当となめこ汁を食べる。 米沢の牛肉弁当もお気に入りで 夫々の地で自分のお気に入りがあって、それを食うことがお決まりのコース、ひとつの節目のようで 楽しみになっていた。

★スッゲェこと、恐怖の体験もある、花巻温泉の部屋で 百歩譲っても人類の女性とは思えぬ怪獣のような大年増のおばさんに迫られて 必死になって逃げ回ったことがあった。 

ヤダー・・・! オレにも選ぶ権利がある、夢にまで出てきそうな巨漢で 近来稀に見るブス・デブ&ブサイク日本代表級?である、  

秋田に「なまはげ」とかいう行事があるが あれより怖い化け物であった。 

ワダスではダメか?・・と、敵もプロの責任感を持って襲ってくるが オラは獣ではない、人間の男は繁殖のためだけに♀を求めない、人間の男には美しいものへの憧れがある。ワタスに恥かかさねぇでくれ、ワダスの顔を潰さないで・・・もう潰れてる、恥もかいてる、?! 強姦(ゴウチン)されそう、もうオラ泣きそうになって布団の上這い回って逃げたよ。 

津軽の山奥、同業者の組合の勉強会に講師として招かれ大歓迎されて 会長の「おもてなし」で送り込まれたプロであったが ありがた迷惑? 身の危険を感じる場合もある。このときの様子を詳細に書くと またブログの評判悪くなるから・・・・。

このことを戻ってから上司に伝えたら「あんた 若いのに ようやった・・・」「否、私はやらなかったのです」「ようやらなかった、から・ようやった」

メーカーのブランドを守り抜いた、安っいぽいものにとびつくメーカーになりたくない、だからようやった、否 ようやらんかった・・・と褒められたが、あんたもややこしいねえ、オレもややこしいよ。 次は いい女だつたら やらせてもらいます、そうしなさい 、役得というものだ。何だよくわからない事項だが やらなくて褒められることもあるのである。

結局やらないことがメーカーのハイクオリティイメージ定着に貢献していたのだ。  

仙台の朝ちゃんも決して美人ではないが どこかに純粋な女の美を宿していた、若いから飾らなくてもキレイに見える、頼りなさのような脆弱さがあった、だからこそ男は女を愛することができるのだ。 キレイでなくても どこかに女の魅力を感じなければ 女と認められないこともある。 やはり女はキレイでなければ、そうでない場合はキレイになりたいと努力しなければ・・・、その努力が女をキレイにする、恋をするなら命懸け・・・若さにはそういう誠実さがある、だから素人を泣かすなと岳父に説教されたのだ、 プロの誠実さは金銭による契約に対してだから。 オレはブス・デブはキライ、男は皆同じだ。 ブスを誹謗中傷したくはないが 男は皆女性に対しての美感に偏見や好みがあるが、基本的に女はキレイであってほしい、目鼻口の数が合えばいいってものじゃない、せめてその位置取りが基本に近いものであって欲しいと願うのである。 多少のブスでもハートが良ければ表情に表れ美人に見えることもある。

困ったことに顔見るだけで不快になる女もいる。 体型もくびれがないビヤ樽、ビヤ樽ならまだ中身はビール、酔わせてくれる、あれは原油入りのドラム缶だ、今どきは見るに耐えない醜悪な女が大手を振って街を闊歩する、テレビで堂々と唄い画面いっぱいアップになることもある。 どんなに素晴らしい歌姫でも テレビに出してはいけない顔があると思う。  ラジオの時代には美しい歌声聞くだけで男は夢が広がるものであった。 

怖いこともあったが 田舎ならではの 素朴でほんわかするようなことも沢山あった。

★青森から弘前へ向かう途中、前の席に小さな体のお婆ちゃんが座った、何かを話しかけてきた「◎▲◇❤ % $# ??・・・だな?」津軽の訛り丸出しだから さっぱり分からない、私もいい加減だから 適当にウン・ウン・・と返事した。 袋の中から大きな林檎を一個出して食べなさい・・・というのである。  津軽はリンゴの本場である。 仕方なく食べた、私は林檎をカジるのは苦手だが 折角の好意を無にするのも悪い、ありがとう、ご馳走様・・・やっと食べ終わった。 ニッコリして互いに目が合うと また一つくれる。 なんだかんだと弘前に着いたころには紙袋に一杯、五個も貰ってしまった。 かなり重たい、当時の列車は進行方向へ前向きに座るのは特急だけだった、それ以外は箱で四人掛け、二人ずつ向かい合って座る、相手を観察したり会話したり、長い時間を共に過ごすから ふれあい・旅の情けが生じる、目のやり場に困ることもある。   八戸では鍋焼きうどんだったがこの地方は加減知らずに食べ物を客に与えるのが特徴である。

突然思い出が広がる、こういうのをノスタル爺、昭和のノスタルジジイだね。

◆余談・脱線

初めて飛行機に乗ったのは 三十過ぎてからだった。 父と二人で弟の結婚式へ 千歳行きのジャンボエアバスであった。  飛行機がこんなに大きなものと思っていなかった。

内心びっくりしながら平静を装ってはいたが、離陸着陸の時に 近所の席の年寄りが 南無阿弥陀仏を唱えている、私も心の中で祈っていた、合掌までしないが。

千歳空港発の帰りの便では 離陸の時 前にスチュワーデス(客室乗務員=今どきはキャビンアテンダントという)がきてこっちを向いて座った。 脚が長く カッコいい、向かい合って時々こっちと目が合う、膝がぶつかりそうな近距離である。 顔を見るか脚を見るか・・・目のやり場に困る状況になった。 いいねー、これはいい席だねー・・・父と二人で顔見合わせた。 父もそのときが始めての飛行機体験、「ここは? 特等席ですか?」と訊きやがった。 今の私でも同じこと訊いたはずである。 彼女もサスガである、「まもなく離陸です、申し訳ございません、シートベルトを・・・」と、シートベルトしてないのを注意された。 今なら「これ・どーすんの?」出来ないふりして 手取り足取り教わることを試る。

エアバスは大きいから安心感があったが 新潟、広島へ行くとき乗った飛行機は小さいから怖い、窓から見える主翼が ペラペラで風に飛ばされそう・・? 着陸時には オラも南無阿弥陀仏を念じるようになっていた。  鉄の塊りが空を飛ぶ? 鉄の塊り 大きな船が海に浮かぶ・・・? 素直に考えたら そんなことありえない! 現代社会は不思議なことばかりジャ・・・。

★山形・蔵王へ行ったときだった、米沢で仕事を終り 牛肉弁当と缶ビールを買って帰りの汽車に乗る、昼頃の急行列車、この地方の列車はいつでも空いている、お客はひとつの車両に数人しかいない。 終ったゾー、牛肉弁当食って ビール飲んで ゆっくり寝ながら帰る、出張終って嬉しい瞬間である。  前の席に大きな旅行バッグを抱えた学生風の女の子が座った、父と母がホームで見送っている、窓を開けなにごとか会話している。 元気でな、風邪ひくなよ・・・、着いたら手紙出すから・・・、頑張って・・・、姉ちゃんとこにもお土産もって行けよ、◎◎さんによろしくね、お盆には帰って来い、・・・・家族しか分からない内容の会話だが停車時間をフルに使って別れの言葉を交わしている。  就職で東京へ行くんだ・・・とすぐに分かった、健康で真面目そうな素朴な娘だ。  

発車のベルが鳴り ゆっくりと列車が走り出した、女の子は窓から身を乗り出して手を振っている、やがて駅から離れた列車は 郊外の田園地帯の景色の中を走っていた。 窓のところへ置いた缶ビールのフタを開けて一口飲む、お楽しみの弁当開いて 牛肉をつまみにする予定であったが 彼女は俄かにハンカチで顔を覆い涙を拭いている、あとからあとから 大粒の涙がポロポロと流れ落ちる、 弁当開けるのをちょっと中止して 暫く外の景色を眺めた、いい親子だな、優しいお父さんとお母さんに見送られて 幸せそうで心温まるものを見せてもらった・・・と、なんだかほんのりとした気分であった。

もう少し美人で大人だったら 何か一言励ましの言葉でもかけてやりたいくらいの気分であった。 頬の赤い見るからに田舎の娘である。 この子が東京で生活するうちに どんな大人の女に変貌するのか 多少の興味がないこともないが、まだ子供だ、下手なことを喋らないほうが良いと判断して ずっと無言で向き合ったままであった。 

それよりもこっちは 早く弁当食いたいだよ、もう いい加減に 泣くのは辞めてもらいたい。

そんなことで気配りする自分が哀しいよ。 目のやり場に困るし 席を替わるのもあてつけがましい、あんたも食うか・・と勧めたら尚更バカにしているようで失礼だ、こんな小娘ひとりの涙に 大の男が動揺し、自らの行動を決めかねて迷っている。 でも今は 本人にとって人生の大事な瞬間なのだ、哀愁の涙の目前で弁当食う無粋なことは 普通できないでしょ、(当時の主観であったが)

一時間ほど過ぎて もう辛抱タマラン、オレは食うぞ・・・と決心したとき 同時に彼女も荷物の中から大きなおにぎりを出して食い始めた。 特大のビッグサイズおにぎりだった。 なんだよこいつは? さっさと食えよ、これなら大丈夫だ、現代っ子だ。この度胸なら東京で充分通用する、この子の未来は果てしなく輝いている、何となく安堵した。

後日、このときの情景を妻に語った。  カーチャンもその昔 新潟から学校の就職担当先生の引率で上京したからである。 そーなんだよ、何か分からないけど列車が動き出したら 涙が出てしょうがなかった、両親と別れる現実と 単身東京へ向かう自分を見つめたとき 泣けて泣けてしょうがなかった・・・というのである。

父母は有難い。 親の愛情や ふるさとに向かって 感謝の涙が出るのである。

三年前シルバーの仕事で仲間だったおっさんが「ああ上野駅」聴くとオレ涙でる・・・と言っていた、♪くじけちゃならない人生が あの日ここから始まった・・・♪ 私は東京生まれの横浜育ち、都会の子だからガキの頃は食い物のない時代、それしか思い出がない。 ふるさとがない、 だから山が好き、川が好き、緑が好き、いつもアウトドアに憧れる。 「うさぎ追いしかの山 小鮒釣りしかの川・・・」自分にはこの心境が分からない、と思っていたが、最近は彼等の心が分かるような気がする。

近況 去年の今頃はリハビリの散歩でがむしゃらだった。 歩きながら涙もろくて 青春の思い出に浸るノスタル爺になっていた。 お蔭様で今頃は元気だ、毎日のプールも復帰して 父の日には金目の寿司食って、これは旨かった。 

プールでは 三段腹の中高年婆さんたちが昭和の軽快なリズムに合わせて 水中エアロビクスで頑張っている、よせばいいのに・・・努力は立派、懐かしの曲♪それは・イティヴィ・ティ ティニ・ウィニ イエローポルカ・ダドビキニ・・・・団体で巨体を動かすと 水深が上昇しそう?・・・上で指導する若き先生のスマートで早い動きを眺めるのも 不良おやじには楽しい光景である。

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また余談になるが 先日妻の姉さんから電話がきた、義父の訃報であった。 百歳のお爺ちゃん、十年以上殆ど寝たきり、介護するほうが大変、でも百歳とは立派、役所の人が来て玄関で表彰状を読み上げ 記念品を授与されたとか・・・。曾孫(甥の娘)はまだ九歳だが 爺ちゃんが骨になったのを見て号泣した。 死ぬとこんな風になると教えた。 現実に遭遇すると子供も号泣するのである。 お婆ちゃんの葬式に孫娘二人連れて行ったとき 棺の中のお婆ちゃんを見て 二人ともワァー・・・と、一瞬号泣した、おてんばなチビのなーちゃんも おうちに帰りたい・・・と泣いた。 子供に人の死を見せたほうが良いと石原慎太郎さんだったかな「スパルタ教育」を語った。  哀しく辛い現実を見せることが子供の心に優しさを育てることになるのである。  話が飛躍脱線してスマンが 今どきはPTAだの子ども会だのと 大人社会が子供を大事にしすぎるよ、酒・タバコ、その他汚れたものを遠ざけようとしすぎている、七五三には盃の酒を舐めさせるとか、汚れたものに慣れさせる習慣をつけてやるほうがいい、抵抗力もついて逞しい子に成長する。  子供たちが小学生の時だった、遊園地のプールへ行くのにアベック山と呼ばれる森を通った、偶然アベックがヤバイことをしていたので タオルで隠して子達を通過させたのは 私としたことが失敗であった。

現実を見せてやればよかった。 アメリカの禁酒法時代が マフィアの全盛期を生んだ、人間の楽しみを国家が規制してはいけないのだ、日本の売春禁止法にも意見あるけど 

このての内容になると熱くなる、きりがないから このへんで・・・。

今年も入梅して紫陽花の季節が来ると 心に残る母の言葉がある。 初恋の彼女にフラレて食欲無い、しょんぼりしていた少年時代だった、「あの子が好きだったんだろ? 元気出しなさい、男の子はこれだから困る、いつまでも子供だから、早く大人になりなさい、女は星の数ほどいるよ、世の中男と女しかいないから・・、時間が経てば またいい子が出てくるよ・・・」母は心の中までお見通しだった。 偉大な存在だった。 「男になりなさい、早く大人になりなさい・・・、」大人にならないと男として認められないのだ、母にとって息子はいくつになってもガキなのだ。

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