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読書の夏・晴耕雨読・myself

エッセイ・・のつもり(シモネタ系)

近況報告

読書の秋、とはいっても まだまだ夏、「残暑お見舞い申し上げます」は八月、盛夏のご挨拶、この暑い時期に本を読んでみたくてたまらない、

エッセイを書いてみたい。面白くて笑っちゃうようなこと、哀愁に満ちた 笑いの隣に涙があるようなエッセイが書いてみたい。

7月から本屋を覗いたり 図書館にも行ってみた。  図書館はどうも苦手、学生時代から図書館はオラには場違いなところだ。  友達と喋ったり音を立てたりするとメガネかけた勉強熱心な奴らが「シー・・!」ギロッと冷たい視線を浴びせる、ここは学問の「聖域」か? オレも仲間たちも勤勉な学生ではなかった、どちらか云うと不良系、 この雰囲気に馴染めない、こっちはお茶でも飲みながらタバコの煙くゆらせて 本をめくる、図書館はしずかな喫茶店、憩いの場だと思っていた。  図書館は敷居が高い、 本屋なら好きな作者の文庫本をゆっくり探せる。  大体書店へいくのも何十年かぶりである。

去年の夏は 遮二無二歩いた、命がけの勝負をしているつもりだった。 ここまで生きてきた中で本気になって闘ったことがあっただろうか、燃え尽きるまで全力を尽くしたことが あっただろうか、自問自答しながら木の葉を踏みながら 大汗かいて脚を痛めて、それでも歩いた。 一度くらい狂ったように敵に立ち向かってみたい、死ぬほどの勝負がしてみたい。  こんな激しいものが自分の中にあったのが 今となっては嬉しいことのように思えてきた。  

弱音を吐くな、泣きごと言うな・・・、戦中派(オラの生まれはミッドウェイの年だから 一応戦中派か)は ガキの頃からそういう教育をされた世代だ、それが戦後の復興と高度成長の原動力になったと誇りにしてもいい。  

ところがそんな強い子ばかりではない、弱虫の甘えん坊もいた。

振り向くな 振り向くな 後ろには夢がない・・・

分かっちゃいるけど この一年は 振り向いてばかりだった。 自分がつけた足跡に キレイな花が咲いているだろうか・・・? ここまで生きてきた人生が大切なことのように思えて、沢山の思い出が 簡単に忘れてはいけない大事な宝物のように思えてきた。  会いたい友がいたら すぐに会いたい。 食いたいものあれば すぐに食いたい。 欲望に対してアクティブになった、やるなら今しかねぇ、オレは横浜の六十六のオヤジだ。 大病で 未来が短いような気持ちになるのは 平均的感情かもしれないが。  やはり食卓の上のご馳走は 一番好きなものから食いたいのは変わっていない。 

足跡と同じ数だけ思い出がある、人間は弱い、特にオレは弱い、アタマも弱い・・・?  凛として 男らしく、強く生きる・・・スローガンだけは逞しくありたいと願い、この一年間、ドタバタしながら見えてきたのは 自分の人生を自分流に生きよう・・・自由に軽く 寿命まで行こう?・・スローガンも無責任方向になってきたから??楽でいいじゃない・・・である。 

これだから「勝負師」になれなかったのだ。  「思い出」は大切な宝物、忘れないようにしよう・・・と思えば 忘れられるだろうか、忘れようとするから忘れられなくなるのはバカだから それを逆に利用すればよい、たまにはいいこと考えたぜー・・❤ (やっぱりバカか?)

Photo百日紅

   

    女と別れるときは振り向かない、女の自尊心を傷つけないように少しずつそっと離れてゆく・・・それが女に対する仁義

オレは惚れた女が嫌になったことはない、気が付けば女が振り向きもしないでさっさと消えていった、 

  どうしても別れたい女、 一緒に寝るとき寝小便漏らせばいい、三回も漏らせば向こうから別れてくれる、オレだったら三度目は寝糞する、ウンコ漏らせば完璧、円満に解決?

  ★女は凄い、例えば 愛する人がピストルを向けられていたら その中に飛び込んで自分が撃たれることを平気でやれる だから女を愛することができる(川端康成先生)

 ★別れたくないのに別れてしまったらどーするか?  泣けばいい、男の自尊心は強いから だからこそ泣けばいい、そのほうが自然。

 ★立小便のあと 手を洗う人はキタナイものに触ったあとだから・・・という。

  洗わない人はキレイなものに触ったあとで手を洗う必要がない・・という。

  外国で娼婦を買った男がバスルームで小便して手を洗っているのをみて女が怒った、あなたはそんなキタナイもので私に接しようとしているのか・・

 

   これは最近読んだ山口瞳さんの短編集で見つけた。 これらの話を汚いと思うひとは小便のあとに手を洗う、本当はする前に洗うものである。 手ほどキタナイものはない、 だからインフルエンザ予防に手洗いが大切なのよ。 

  読書すると心に残るフレーズに出会うことがよくある、  この一年、思い出すと涙になるから忘れようとすることが沢山あった。  振り向かないで女と別れようとする 青春時代に経験した幼い涙の行動に似ている。  

  

最近は読書ができる環境に生きていることが 有難く幸せなことだと思えるようになった。

学生時代は本が貴重品であった、文学全集は高価で本棚に並べると洒落たインテリアにもなった。   漱石、芥川・・・少年の頃は意味も分からず日本文学の古典?を読んだ。

社会人になると 司馬遼太郎、西村寿行、柴田錬三郎、開高健など 酒呑みでシモネタ好きな中年オヤジ作家を愛読し 影響を受けるようになった。 クラシックから入門して団塊世代ではポップス系に移行したようなものである。  

読書はいくつになっても良いものである、若い頃は心が新鮮だから啓発されることもある。 「読書のすすめ」このブログ覗いた若い人に読書を薦めたい、漱石、芥川、日本の純文学に挑戦できるのは 若くて目が良いうちだ。 ゲームより読書しなさい。 ゲームは爺さんでもできる。  年寄りだから重複するが、だから本を読みなさいと もう一度言いたくなるのです。

6月4日、整形外科の紹介でMRI検査。  去年の大病以来、初めて経験することが沢山あった。 アタマを手術、眼の手術、最先端の医療に随分お世話になってきた。 アナログな世代にはコワイことばかりだった、医学の進歩はスッゲェよ、CTの画像が鮮明なのに驚く、悪い病気も何でも発見されてしまうようでコワイ。  この一年間の経験は不思議な体験、未知との遭遇だった。  MRI ドームの中に入ってから鼻が痒い、動かないで頑張ってくださいということで 頑張ったが、鼻が痒くてたまらん、オーイ早く終わってくれ・・・、体を固定されてるから辛かったよ、17分頑張ったよ。 こんなすごい検査のない時代だったら オラとっくにこの世にいない。

Photo   

検査の後は 牛丼食って桜並木の川沿いを散歩した。 空が去年より碧く見えた、一年の時が流れて 何でもないようなことに「幸運」を実感している。

去年は こんな風に散歩している状況でなかった。  道端の雑草にも花が咲いている。  緑の季節、穏やかな優しい季節が再びやってきた。

Photo_3 きなこ爆睡  

お盆も過ぎて 立秋も過ぎて、暦の上ではもう秋だ。  

8月23日、眼科クリニックの前を通って 本屋を覗きに行った。 想えば二年前の年末、眼科で白内障と診断され 手術の紹介状を貰ったのがはじまりだった。

歩いていると 道端の花、町の景色、視界に入るなんでもないものまでが 思い出の世界への出発点になってしまう。 全て忘却の彼方へ消え去ってしまえば楽なのに・・・と、分かっちゃいるけど、思い出すのもバカのうち? 完璧に忘れられるのが本当のバカだけど、適当に思い出すのも標準的でいいでしょ、 

読書できるのは目の手術のおかげ、  怖かったけどこれほど有難いことはない。

去年の8月9日、手術前に地震があった、病院の建物が揺れた、優しい先生が様子見に来てくれた、「大丈夫だった?」「自信ないよ・・・」「がんばってね、地震で自信なくなっちゃったの?・・・」シャレが通じる先生、それが嬉しいことだった。

昼食はうどんだった。半分だけ食べなさいと言われて 何本か数えて2で割るか・・・???? 先生は笑ってくれたけど 本人は緊張と恐怖の初体験。  

寒い手術室には覆面したスタッフが沢山いて 目の前に注射器やピンセット、尖ったものが何本も見える、これは怖いよ!長い時間だった。 

恐怖体験怖のご褒美で 今では読書したいという優雅な気持ちになったのだ。 

 いい加減が大事、力入れるときと抜くとき・・緩急のメリハリが大事、呑気にやっていれば 病気なんかどこかへ忘れ去るようになる。(鎌田先生)

まぐろは泳ぎ続けなければ生きてゆけない、オレもまぐろか? 喋り続け 歩き続け、食って 呑んで、読書もできる。 日常の単純なことができることが凄く幸せ、 ある日突然別れを経験しなければならない家族もいる   涙の経験を笑いでごまかす奴もいる。 そんな悲しみの中で人は生きている、そして、どんなに悲しい環境にも 人の優しさや幸運という「幸せ」が出番を待っている。  オレが幸運だったのは悲しい経験を家族にさせなかったことだ。 笑顔が幸運をもたらす、笑いは病を癒す力がある、やっぱり笑顔が一番。 病気から学んだことは自分的にはこの程度だ。  

「晴耕雨読」、晴れたら耕し 雨の日は読書する。 現役を引退するとき第二の人生は晴耕雨読の穏やかな日々を予定していた。

去年は予定より少し寄り道してしまったが、今年の秋は やっと晴耕雨読??晴歩雨読で大体予定通りの日々を送るようになった。 

金持ちになりたい・・という願望は「幸せ」になりたい・・・に似ている。 お金持ちの人は幸せか? 幸せには見えない、金のない人は 幸せを求めて金を遣う、美味しいものを食べる、行きたいところも行く、幸せな経験が豊富である、だから金がなくなる、金持ちはお金を使わないから ないのと同じ、幸せの経験も少ないから・・幸せそうに見えない。  金持ちは金を持っていることが幸せなのである。 幸せというのは 夫々の価値観で、共通の秤にはかけられないからです。と きみまろさんの単行本にあった。 

読書すると こんなユニークなお話に出会うことができる。  

もうひとつ 各方面からのお叱りを覚悟で、

「道を歩いていたら ウンコみたいなものを見つけた、何だろ、ウンコかな? よーく見てもウンコに見える、においかいだら やっぱりウンコ、さわってみたらウンコで、なめてみてもウンコ、よかった 踏まないで・・・」これはビートたけしのネタを拝借しました。

昭和を生きてきた団塊世代、青春はみんな貧しかった、明るく笑って頑張った、やっぱり笑顔が一番なんだね。

今回はエッセイ?! ただのシモネタじゃん?! 

★昨日テレビで大笑いした  新潟の田舎町でお婆ちゃんにインタビュー「どこから来たの?」「東京から来ました」「農協かね????」 こーゆーのがオラにはウケル。

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