ありがとう(1)
◆ 野球部に入ってボクが一番印象に残っていることは 三年で初めての練習のときに監督がボールは紙ヒコーキを飛ばすところ、耳の横より少し上から投げなさいといわれたことと グローブは手と同じだから網で捕ろうとしてはいけない、手のひらで捕るようにグローブの真ん中でボールを捕る、ということでした。 六年になったらグローブなしでもボールが捕れるようになりました。 ・・・云々
少年野球をやっていた頃の子供たちの卒業文集をめくっていたら こんなのがあった。
報われたような気分になった。 殆どが どこどこに勝ったとか ホームランの思い出とか 戦いの記憶ばかりの作文だったが レギュラーになれなかった子でも 自分なりに成長を感じている子もいる。 代償を求めたことはない、子供はエゴの塊り、義理も人情もない、中には打算的で大人の言葉の裏を探るような 気に食わねぇ 子供らしくないのもいた。 そういう奴は こっちが感情的になって何度かぶっ飛ばした。
オラの少年野球とはクールな子供とホットな大人の対決であった。
卒業生たちの作文に共通しているのは どれも皆 文末に「ありがとう」の言葉があったこと。 かけひきも何もなく「ありがとう」を表現していた。 指導者に対してではない、 卒業までの三年間、練習に試合に、泣いたり笑ったりしながらやってきた時間に対して感謝しているのだ。 「思い出」を形にした「記念文集」、子供たちにとっても宝物になる、野球と関係ないことまで強制させてしまったが これで良かった、人生には忘れ得ぬ大事な時期がある、三年間でも彼等には貴重な時間だったはずだ、それを思い出す時期も必ず来るのだ。 それが良き思い出に残れば幸せなことだ。「ことば」は人を幸せにする・・と思った。 「ありがとう」は幸せな言葉だ。 お前らばかりじゃないよ、 感謝したいのはこっちのほうだ。
◆ 今日 試合の帰りに 隣のお姉ちゃんに会った、負けたから元気なかったのかな、ボクはお姉ちゃんの顔見なかった、ボクもお姉ちゃんも何も言わなかった、笑えばよかったなと思った。
そっかー、気まずい思いしたんだね、悪かったね、勝ってたら「こんにちわ」て、元気に挨拶できたのにね、 お姉ちゃんて どこの姉ちゃんだよ、大人の姉ちゃんかよ、美人なら紹介してくれよ・・と、こっちが訊きたいくらいだった。
◆ ありがとう
私の足もとに ボールが転がってきた
女の子が、私のさし出すボールに「ありがとう」と笑顔で言った。
この女の子はこれから
何回「ありがとう」を言うのだろう
今の「ありがとう」は私のものだね
女の子のほほが
もも色にそまっていた。
これは文学的、昨日 図書館で読んだこどもの詩である。
師走のこのクソ忙しい時期に 図書館で読書なんかしているとは? 優雅ではないよ、この冬は寒いから建物に避難しているだけだよ、 ご隠居さんになってしまったが ここまで生きてこれたのだからラッキーで嬉しいことだ。 時の流れを温かく受け止めるような気分になった。 去年の2月大病に倒れてから一年10ヶ月、今年も年末になった。 いのちを見つめながら 泣いたり笑ったり ここまで歩んできた自分の日々と色々な出来事に 「ありがとう」を云いたくなった。
病気は悪いことばかりじゃない、「ありがとう」が素直にいえるようになった、苦悩で眠れない夜に そばにいた若きナースが手でも握ってくれたら どんなに癒されたかと思う考え方も変ってない。 やっぱりネエちゃんは好きだから。
何かに熱中するときも ぼーっとしてても 時はちゃーんと流れる、陽はまた昇る、時間の経つことが有難いことだと思うようになった。 お正月が来ると年をとるからヤダネといわないで 年をとるのは嬉しいねと思える人になりたい。 来年もまた バカ云いながら更新していきます。 今年もお世話になりました、ありがとうございました。 来年も「ありがとう」が沢山いえる良い年をとりましょう。
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