« 春爛漫・三度目の春に | トップページ | 総司の恋・遼太郎文学の新撰組 »

多摩川の新撰組

土方歳三

◆分倍河原

JR南武線 府中本町の先に分倍河原という駅があります。

この辺の多摩川の河原で 江戸時代には盗賊グループが強奪した金品を分配していた。

分配河原が 現在の分倍河原になったそうである。 仲間同士で揉めて死体が転がっていたという噂もあった。 多摩川の釣りでオラ専用の絶好ポイントがある 幕末だったら 盗賊の死体に出くわして・・びっくりすることもあり得たような場所である。 広大な河原には森が点在する、草原には四季の花が咲き乱れ、野鳥の巣もある、 東京に残された緑豊かな自然がいっぱいのところだ。  よく通ったオラが大好きな場所だ。 

ある時 腹が痛い・・・下痢したか? 我慢の限界で まずスッキリしてから自然を堪能しよう、人影はないし オレの庭だ、気兼ねは要らネェだろと、草むらに隠れて野グソを決行した。(河原では 誰でもやってんだよ、オラだけじゃないよ) 尻を出した瞬間に激痛が走った!?、 ぶよに刺されて・?・・一人で大騒ぎ、その後皮膚科へ通院したこともあった・・・◎×▲??・・・・・(自分のこととはいえ ドキュメンタリとはいえ、ここまで云うからシモネタとみんなに叱られる、分かっちゃいるけどヤメラレネ、 真実が正義と容認されないこともある、平和な現代文明社会は本当のことを云うとろくなことにならない時代である・・・)振り返れば激動と激痛の昭和、我が青春回顧録は随分危ない目にあったものである。

読者様へ 2006年春、このブログをスタートした頃は「歴史の勉強」が多かった。  一度は歴史小説を書いてみたかった、史実に基づいた話をフィクションに置き換えて伝えるのは難しい、ブログは日記形式なら楽だけど小説はフィクションだからね、完全なフィクションこそ小説の真髄かもしれない、日本文学は私小説、アバウト・ミーが基本である。    宮沢賢治、芥川、漱石が凄いのは ゼロから100%フィクションが創造できるからである。 漱石は猫になれるから凄いよ! 

「魔界転生」では柳生十兵衛が宮本武蔵と闘う、川中島に自衛隊が参加する「戦国自衛隊」・・・オラはこういう歴史小説が好き。  歴史小説は史実を主観で解読して未来に生かすことである。 歴史は良いことも悲しいことも何かに役立てなければ価値がない。  過去を捨てることは出来ないそれでいいのだ。過去は現実だから。 過去があったから現在の自分が存在する、人間がエライのは過去があるからだ、過去を反省したり感動したりしながら向上しようとするから 素晴らしいのだ。 

オラ才能ないから 我が敬愛する遼太郎先生のようにはいかないが長くなる予感、いい加減オヤジのマイウェイセミドキュメンタリー・・、史実を別の角度から解読して、半分史実で半分物語である。 桜も咲いて暖かい春がきた、病気のことも忘れて心豊かにボチボチ長編を更新していきたい。  長くならないようにマヌケなところで区切ったりすることもあるが 気合入れて読んでくださいね。

参考資料 司馬遼太郎「燃えよ剣」「新撰組血風録」「関が原」          下母沢寛「新撰組始末記」、宮本武蔵「五輪の書」、・・・等、三十年も昔に読んだことだからかなり曖昧になってきた・・・??韓流「冬のソナタ」⇒これは去年だけど・・関係ないか?

武蔵の国多摩(現在の調布市、日野市周辺)で生まれ育った土方歳三は武家の息子ではない、家業はクスリの行商であったがあちこちでトラブルが絶えず少年時代から喧嘩に明け暮れる不良系であった。  村祭りで一目惚れした女を巡って 三角関係のライバル()を本気で殺してやりたいと この分倍河原へ誘い出し決闘をした、殺した後 盗賊の仕業にみせかけようと下見までしていた。 互いに刀を振り回すだけのシロウトだったため 傷を負わせただけで息の根を止めるまで到らなかった。

歳三は 後に新撰組副長になった京都でもこの事件の悔しさが記憶に残っていた。

色白のイケメンで自尊心が強い、俺の女に手を出す男はいない、絶対に許さぬ。

あの女を抱きたい、あの男を殺さなければあの女と安心して寝られないではないか、絶対に生かしてはおけぬ、喧嘩に作法は要らぬ、死んだほうが負けだ。 策略もアンフェアも関係ない、狙った敵は 絶対に息の根止めるまで斬れ・・・これが歳三の哲学となり 彼の個人的性格、猜疑心に満ちた暗いイメージが 後に京都の治安を守る新撰組という集団の個性に反映させてしまった、彼等の理想とはうらはらに 世間には狂気の殺人集団と怖れられ、維新の哀しい歴史物語のひとつになるのである。

分倍河原の果し合いがきっかけで「人を斬れる男になりたい」、それだけの動機で天然理心流試衛館道場に入り浸ることになり 近藤勇と後の人生を共に歩くことになったのである・・・つづく

Photo

追伸・江戸時代の多摩川は「武蔵の国」だったのです、オラ多摩川の本流より西側川崎からは相模の国相州かと思っていたよ、多摩川は江戸、相模川から西が相州?!  自分はハマッ子、巨人より横浜が好きだけど 生まれも育ちも江戸の子だったよ?!新たな発見である、歴史の勉強は地理も学べる、戦国時代の日本地図は現代と大分違う、そういえば世界地図も昭和と平成では国の名前が変っているのもある、世の中常に流動的であります。

 一生勉強・一生不悟。

|
|

« 春爛漫・三度目の春に | トップページ | 総司の恋・遼太郎文学の新撰組 »

不良オヤジの雑学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/73843/34001635

この記事へのトラックバック一覧です: 多摩川の新撰組:

« 春爛漫・三度目の春に | トップページ | 総司の恋・遼太郎文学の新撰組 »