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総司の恋・遼太郎文学の新撰組

「おけいは泰之進を無邪気な男だと思った。おけいの体を初めて抱いたとき、「ああ。おんなはいい。おれは京へのぼったのは、京のおんなを抱きたかったからだ」と あどけないほどの高調子でいった。   おけいは、この男に尽くしてやろうと決心した。ときどき、泰之進の体から血のにおいが匂ったり、着衣に返り血がついていたりして、おけいはおぞ毛の立つこともあったが、その無邪気な顔を見ていると、この男が毎日のように京で人を斬っている新選組の浪士だと思えなくなるのであった。」(油小路の決闘)

新撰組血風録、司馬遼太郎先生のこんな文章が好き、オラが評価するのも僭越だけど オラ遼太郎先生のファンだからな。  新撰組はコワイ侍の集団、怖い人にも優しいところがある、優しい人間性を見つけようとしている。 遼太郎文学・・オラやっぱ好きだな。 この怖い男たちが愛嬌あって 特別悪い男たちと感じない、

日本の四季、歴史・伝統、生活習慣等が学べる・・・。

剣道という運動競技の観点から考察すると 新撰組で最強は沖田総司である。 

池田屋へ斬り込んだのは 近藤、沖田、山倉新八、藤堂平助の四名、新撰組の最強ベストメンバーである。 今の巨人に例えれば坂本・小笠原・ラミちゃん・亀井てとこかな。

一人の死傷者も出さずに 倒幕派浪士二十数名に勝った。  この激闘で沖田総司が吐血したのが新撰組としては大損害であった。   四名では不安・・・との思惑もあったが 敢えて決行したのは 総司がいれば大丈夫であろう、 総司は百人に値する抜群の剣客という近藤・土方の高評価があったからである。

総司には「恋」もあった。 清水寺の茶屋へ餅を食べにゆく、美しき少女お悠が毎月八のつく日に清水の滝へ水を汲みにいくのを知っていた、「あの娘を遠くから眺めているだけで良いのです、清水の桜もキレイだな、来年もこの桜見れるだろうか・・・」頬を赤らめながらポツリと言う。  あいつ色気づきゃがったか、子供じゃねぇんだ もう21歳だ、嫁に貰ってやりたい、どんな女か見てきたい・・・、歳三は総司が不憫でならない、子供の頃から兄のように慕ってくれる この素直で純粋な若者が 愛しくて 心配で、強引に清水へ同行したのである。

恋しい人を遠くから見ているだけでいい・・・野菊の花を摘んで お悠に渡したい、少女のような感性と優しさ、毎日のように人を斬る総司のお悠を見つめる瞳が何故あんなに悲しいのか、それがやりきれない、歳三は見ていられないほど切なく哀しいのだ。 

 篠原泰之進のように 通りすがりの女を抱きすくめ 俺の妾になれ・・・、そんなタイプの変なおじさんの集団、それが通用するなら ある意味良き時代かと平成の変なおじさんには羨ましい話であるが、 新撰組にも 総司のような純情がいたのである。

ガキのころから体の弱い子だったが 欲も裏表もない いいやつなんだよあいつは、桜の小枝を折るくらいの感傷で人を斬るのは 生まれつき背負った不運に せめてもの反抗を示すように思えて 総司を見ていると泣きそうに切ない思いになる歳三であった。

 血も涙もない 冷たい男と後の時代にまで皆から嫌われた歳三にも アットホームな心配事を抱えていた。  自信家の歳三が 唯一の気がかりは 可愛い弟分「総司」のことだけであった。

怖い男土方歳三にも涙するときがある。新撰組の人は みんないい人のように思えてくるから不思議である。  遼太郎文学が伝えたいのは「人間の優しさ」だ。 「人の幸せは優しさ、優しさがヒューマニズムの原点だ。  遼太郎文学のここが好き。

◆沖田総司の愛刀は「菊一文字則宗」国宝級の超高級品である。 車ならロールスロイスorフェラーリ? 遼太郎先生は 美しき天才剣士には気品の高い刀が似合っていると、総司を刀によって更に美しくスマートに描いたのです。 しかし毎日人を斬っていたなら もったいない。 実際には大事にしまっておいて 実戦用は何本も使用していたのです。  新撰組は元々武家の出身者ではない、先祖伝来の家宝の刀がないから 皆武士のシンボル刀に憧れていた。 ブランド品に拘った。 近藤勇は「虎轍}を愛した、有名な話である。 これも雑学、そのうち刀のお話もやってみたい。    

新撰組血風録原文「(総司が妙な咳をする)と土方が気づいたのは、元治元年の3月のころであった。「ひょっとすると、近藤さん。あいつは労咳かもしれねえな」「ばかな。咳ぐれえは、おれだってする」「あんたの咳とは違う」「思い過ごしだよ。あいつの咳は子供のときからだ。まあ、いずれ、いい医者があれば診せるとしよう」近藤にとっても土方にとっても沖田は実の弟のような気がする。二人とも末弟で弟というものがなかったから、そういう実感でした。この年、沖田総司21歳。近藤勇31歳、土方歳三30歳である。これに井上源三郎を加えて4人が天然理心流近藤周助相弟子であった。この4人には、他の武士には見られない「友情」があった。総司の両親は若い頃死んだ。労咳であったかと思われる。総司は姉のお光に育てられた。総司が同志ともに江戸をたつとき、お光は道場までやってきて、近藤と土方に「総司のこと、お願いします」と細い指をそろえて頼み入った。

「総司さん。若先生を父、土方さんを兄と思って、おつかえするように」「いやだなあ」近藤と土方は大真面目で「実の弟以上の気持でお引き受けします」と答える。しかし竹刀を取らせれば、近藤も土方も、この若者に及ばない。何万人に一人という天稟を持って、沖田は生まれついていた。しかし、彼は欲というものを置き忘れてこの世に生まれたような若者であった。」

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