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2011年2月

修行10年 (PART・2)今日が記念日

◆大病から三年、二月十五日

奈良川の源流を探して歩いたことがあった。

緑山スタジオの森に迷い込んだ、人影のない深い森の道には スミレが咲いて 熊さんに出会ってしまいそうな不思議な空間だった。 田んぼの真ん中に陶芸工房を見つけて 見学しようと中へ入ると 猫が一匹寝ているだけだった。

結局、水源の場所はわからなかった。 穏やかな日々だった、十年も昔のことだったが、今でも夢に出てきそうな記憶である。

奈良川は 横浜市青葉区、町田市、こどもの国あたりを流れる 小さな流れである。 川崎にいた頃は その川の存在も知らなかったが 今となってみれば 愛着を感じる懐かしい川である。 

何のために歩いていたのか、身体を鍛えようとかの目的意識もなにもない、仕事を卒業して 時間がゆっくり流れる、小さな流れの中に小魚が跳ねるのを観察して、孫と一緒に のんびり釣りでもしてみたい・・こんな程度の動機で、静かな環境に居られるだけでも 充分に幸せであった。

結局 何が言いたいのかって? よく歩いた、歩かずにはいられなかった、 アースマラソンのカンペーちゃんには負けるが、 横浜のこの町へ来る前から オラの人生は ずぅーっと歩いてばかりだった。 大病に倒れてからはリハビリ、 歩く大儀があったが、 仮に病気がなくても 変わらずに今日も「歩く」ことが自分には日常のことだったような気がする。

この頃 季節が過酷である。 夏は暑い暑いで 冬になったら毎日寒くて、雪が降れば外にも出られないから病みあがりは情けない。 お散歩は やっぱり穏やかな日差しがいい。

二月十五日は記念日である。 08年2月15日から丸三年、 振り返ってみれば 人生を集約したような三年間だった。 良いことも悪いことも みんな貴重な体験として思い出に残る 濃厚な日々であった。 痛くなければ死んだっていい==?、 間抜けな死に方はしたくない、水虫、いぼ痔、虫歯、生理痛? 、お餅喉に詰まらせて窒息?も 情けないしと・・ 理想の死に方に憧れる日もあった。   今日は記念日だね・・

妻の一言に 去年まで毎日歩いたお散歩コースを見てみよう、毎年この時期には あの橋の下に水仙の花が咲いていた、あの白い花が 今年も咲き始めているだろうか・・・ 思い立ったらじっとしていられない、いつものお散歩コースを歩いてみた、日陰には昨日積った雪が まだ残っている。  

水仙はまだ花をつけていなかった、日差しが眩しいが 風が冷たい。 暖かい春が来れば 花も咲く、自分も健やかになれそうで・・、やっぱり春がいいですね。

Photo_3 桜草(図鑑)

 

「人は何も分っていないのだ、分ったふりして生き分ったふりして死んでゆくのだ」池波正太郎さんの言葉を引用すれば オラも結局 何も分っていない。 生きていて良かったと思うか 死んだほうがマシだと思うか・・・生きているのだから それでよいことにするか。 あの時 あのまま目が覚めなかったら今日は命日だ。

16日の夜は タイのお刺身で妻と二人の小さなパーティになった。 あの日の手術が終わるまでの苦労話を しみじみ聞かされた。

◆因みに理想の死に方、「若き美貌のナースが三人ベッドに付き添って、ひとりはヒザ枕、あとの二人は号泣しながら背中を 擦ったり、脚を擦ったり、オレもベッドの周りの女たちも 皆涙が止まらない、死なないで・・とか、ありふれたことは云わない、 もういいからね、ゆっくり休んでね、お疲れ様でした、ありがとう・・・(死んでいいからね・・と送別の言葉)妻は手を握りオレの涙を優しく拭いて、 膝枕のナースに「お酒一口だけ飲みたい、男いのちを賭けて呑むから」お酒を口移しで飲ませてくれて・・・意識がだんだん遠くなる、

 ♪and now,the end is near 

    and so I face 

    that final curtain.

静かに流れるシナトラのMywayに合わせて少し唄ってみる、脚も痔も肉体的痛みはどこにもない! 深い眠りに落ちてゆく・・ 都合良過ぎるけど 自分的にはこんな感じなら人生納得した千秋楽、Final curtainは明日でもいいな mywayはオラのメインタイトルだから、(理想は主観ですから)  もしもメニューに無かったら日本的に兄弟仁義でもいってみるか・・? 

 

 ♪義理だ恩だと並べてみたら 

  恋の出てくる隙が無い

  あとはたのむと駆け出す路地に 

  ふるはあの娘の涙雨

 ♪俺の目をみろ なんにも言うな 

  男同士の腹のうち

  一人くらいはこういう馬鹿が 

  いなきゃ世間の目が覚めぬ 

演歌なら この詩が好き・・・演歌が解る達人になったのではない、これを聴くと泣けてくるのは まだ修行が途中だからである。

膝枕が妻で 他が娘たちなら 社会的にも容認される・・・?

なにを言ってるんだか・・・、バカは一人でたくさんだ、 これだから周囲は疲れる・・? 

外では救急車のサイレンが聞こえる「救急車信号直進しま~す・」
うるせえな、黙って走ればいいのに、あれじゃ信号無視だろ・・      あんたも あーやって行ったんだよ、大変だったんだよ、木曜日は手術の日だから先生は大変だよ、金曜日の朝、やっと終わったところへ どーしょーもない無法者オヤジが飛び入りしてくる、

みんなを疲れさせて、 オラはその後 生きる喜びに満ちて歩きまくった、毎日偉そうにしてた。 三年後、笑い話に時間が変えてくれたけど 私までバカが伝染しそうだよと妻はボヤく。 バカが二人なら 仲良く長生きできそうじゃん・・? 心配してくれた人たちに義理だ恩だと並べながら 熱燗を少しだけ戴きました。 

オラの場合人生観とは死生観のことだ、この頃は如何に死ぬかよりも どう生きてゆくか・・・と、思うようになってきた。  すこやかに生きたいね、先生たちに義理や恩を並べたいから あと十年くらい修行しないとね。

今日はお祝いだったのに なんだか泣きそうになってきた・・? いつまで経ってもこれだから・・・涙もろいのもバカのうち?  三年くらいでは まだまだ序の口、バカ道も修行は十年単位ですよ、頑張らなくっちゃ・・ですよ。  

生きていて良かったと思える日まで これから始まる日々の出来事が良き思い出になるように 大切にやっていく。 まだ何も分っていないけどな。

Photo 鉢植えの水仙とクロッカス、芽が出てきました。2月15日

Photo_2 Photo_3 2月25日開花

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修行10年

◆ 一月の酔狂 

「冗談じゃないっすよ・・・! 10年ですよ、俺・ここまでやるのに十年かかったっすよ・・・半端じゃないっすから・・! 」

寿司屋のター坊が ふきんで太巻きの形を整えながら 目を丸くして猛然と反論していた。  

「オマエ・十年、十年って、偉そうに云うが、こっちだって冗談じゃ・ないっすよ、二十年通ってんだよ、競馬勝てなかったら来れないからな・・・女っ気もない店でも 旨いもの食いたいから 来てるんだよ、十年くらい ちょろいもんだ・・っすよ」

団塊親父たちも一斉に反論する。 
もう十年も前だったかな、(毎度昔話になってスマンが) 大門にある馴染みの寿司処で 競馬研究会・酔狂連の仲間五人が新年会、そろそろお土産の準備(女房への点数稼ぎ)に気を遣い始めた頃である。  太巻き担当のター坊の作業を見学しながら そーやればいいんだ、それなら俺にも出来るな・・・との一言に反応したター坊の反論である。 一流の板前を自負する彼にもプライドがあるのだ、

素人に同じことやられたら俺の立場がねえ・・・といいたいのである。

サスガに高級食材を使った海苔巻きは 味も香りも形も違う。 夫々の奥様たちは オイチイ・オイチイと ご機嫌になるのである。  五人とも皆遠方から来ている、川崎、所沢、船橋、取手、そして横浜。 こっちだって この店には二十年も通っている、競馬に勝ったときだけ、涙ぐましいほどの努力をして 仕事終わって疲れているのに やっとのおもいで来ているのだ、この種のお客を大切にしなさいと いいたいのである。  

板長の篠田さん、つるつる頭にねじり鉢巻きで 「今日のネタは 何が美味しかったですか・・・」「お茶だな、なんだかんだ言っても ここのお茶が一番旨いよ・・・」二十年も通った馴染客にはお互い本音でやりとりできる、「お茶を褒められたのは初めてです、でも、お茶じゃあなー、俺らも辛いよな・・・お母さんが子供たちに 朝ごはん何が美味しかった?・・・・生卵 て云われるのと同じ」 

 皆還暦間近、定年を控えて そろそろ年金の支給額が気になりだして 社会保険庁へ試算に行ったりする世代であった。 会社の心配よりも国の心配をする年頃、現役卒業で肩の荷が下りる、自由な時間への憧れと将来の不安が入り混じる、ここでの定例会も これが最後かもしれない・・? 夢も希望も淋しさもある・・

誰もが複雑な心境であったが 女気のない寿司屋のカウンターでは 病気の話しから 競馬の反省会、女の話、やるだのやらないだのと 皆いい年して出来もしないのによ・・と言いながら オラやっぱり百恵ちゃんが好き、やるんなら小柳ルミ子がいい、俺は中森明菜ちゃん、ピンクレディだの キャンディーズだのと、爺グループの話題にしては なにを言ってるんだか・・?と、女房たちには評価されない内容であるが、 

昭和の団塊親父のデーターでは  五十を過ぎると芸者遊びする人は皆半玉趣味になるそうである、 ならば俺らの話題はヤング嗜好だから正常だ、中年・熟年がヤングの味方?になるのは平成になっても平均的傾向である。       

呑みながら業界の情報や仕事の話をするようではまだ未熟、修行が足りていないからである。 

ター坊は修行十年で海苔巻きの達人になった、 彼曰く 板前修業は一生モノである。死ぬまで上達するのである。                     ター坊はエライ、「板場の修業」に熱いものを持っていた。 だからター坊の太巻きが旨いのだ。

「書」も死ぬ直前まで上達するらしい・・・

人間は運動機能(肉体部門)には限界がある、イチローでも還暦過ぎてから二百本安打は無理であるが、 例えば「絵画」や音楽、趣味の領域でも、精神部門「芸や技」のジャンルならば 情熱(向上心)さえあれば 上達は永遠である。 ボケてなければ・・だけどね。 

オレらに言わせれば 「酒」の道も 40年・・っすよ、10年やそこらでは まだまだ駆け出しですよ。 死ぬ直前まで飲むのが理想、冗談じゃないっすよ・・!

 

 今度は最近の話

Photo_2 Photo_3  

先月はかーちゃんの急病でドタバタして、本人も付き添いも 疲れたからだろうか、この頃美味しいものが食いたくてしょうがない、

食うことが好きだと お料理も好き、まな板の上で魚を捌くような作業が キライではない。 花を咲かせる工程を楽しむような感覚である。

節分には 海苔巻きに挑戦してみた。 

道具があればオレでもできるよ・・・まきすの上に海苔を敷いて 舎利を均一に敷く、大葉、ゴボウ、胡瓜、玉子焼き、サーモンの刺身と筋子を散らばせて・・・素材が安いから失敗でモトモト・・と、      やってみたけど お粗末・・形はお粗末でも 美味しかったよ。 

端っこをもっときちんと揃えて・・とか、タマゴがはみ出してる、胡瓜が曲がってる、まな板汚れてる・・とか、

俄かコーチの女房に 脇でゴチャゴチャ言うんじゃねぇ、腹に入ったらぐちゃぐちゃだ、厨房は男の聖域、女が入ってくるな・・?

揉めながら造った自家製オリジナル太巻きです。

Photo_4

この写真見たら ター坊なんて言うかな・・・? ジョーダンじゃないっすよ、オレこれが初めて・最初の一本目っすよ、十年後にまた見せてやるよ と言ってやろうかな。

★節分に食べる「恵方巻き」は 関西方面では 古くからの縁起物です、最近まで知らなかった。 

太巻き寿司を恵方(良い方角)を向いて食べる、願い事をしながら恵方巻きをたべると成就するそうです。 豆まきと同じ、季節のお祭りです。    

横浜では 今年の恵方は南南東・・・ということで、我が家からは横浜ランドマークの方角、方角が良いだの悪いだの、 オラ昔から そういうのに無関心だったけど、まぁいいか、良いっていうことなら だめもとでやってみるかと、海苔巻きを南南東向いて食べた。        酔狂連の仲間たちは 皆夫々に持病を抱えている、顔も頭も悪いが 気のいい親友である。  

唯の酔っ払いオヤジだから 社会の毒にも薬にもなっていないだろうが 皆元気でいるかな、・・・人生修行中ならば 皆少しは上達してるかな、 

関係ないことだけど今日2月10日はオラの誕生日、(何度目か?云わないけどね、歳だけはバカでもとれるから)オラも大病の経験をまだ引きずっているが この頃は長く生きてみたくなったよ、       達人の修行はこれからだ、皆も長く修行を続けてほしい、人生面白いから、がんばるから・・・、 恵方巻き食いながらちょっとしんみりしてみたり、ター坊の「ジョーダンじゃないっすよ」の顔を思い出して、ちょっと笑ってみたり。

人間六十余年もやってると 海苔巻き一本にもメモリーが残る、 冗談やりながら生きてるから、冗談じゃないっすよ。

皆 引退してからは この店にはずっとご無沙汰になっているが、年末になると お歳暮のつもりだろうか、海苔が送られてきた。 海苔巻き作るときの角の切れっぱしをためて、大きな袋に入れて・・・・、

この海苔が半端でない、肉厚で香り良く、そのままご飯にかけて おいちい・おいちいと云いながら 皆喜んで食べていた。 上得意には それなりの御礼の気持ちが伝わってくる。 ありがとう、こっちも感謝の気持ちになる、こんど行ったときは 海苔が一番美味しかったと 云ってやろうと思いながら。

 

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