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爺さんは拳銃を持っていた(2) 俊佑さん凄いんです

私事ですが(私事ばっかだけどね) 
うちら結婚したのは オレが二十三歳、女房殿は二十一、下げた手鍋のその中にゃ
明日の飯さえ・・・・無かっな・・・・おまえ♪ この歌のモデルではありませんが、 昭和演歌、「あなた・・・・お前・・・」「赤い糸で結ばれていた・・・」 この手の台詞?は オラ昔から好きくないよ。
第一 村田英雄さんの演歌「皆の衆」?・・・このての日本語・ オラ嫌いだわ、嫁さんを「お前・・」なんて 呼び方してるうち 今どきないでしょ。  ませたガキが若くして所帯持つと経済的には大変な時代、今でもそれは同じようなものと思うが、 ビートたけし先生に言わせると 結婚とは、ボトルキープしたようなもの。
帰ればアレがあるじゃないかという保険のように考えてる。  
結婚というのは 子供造って、育てて、人口増やす・・・・我が愛する日本国国民の義務なんだよ。  子供造りの行為だけが楽しみじゃだめだよ、 そりゃ 気持ちいいのは解るけど、ちゃんと産んで 育てて、納税者の数を増やす・・・・・そこのところを理解してもらいたい。 教育、勤労、納税、日本国民の義務を果たさなければ、基本的人権とか、権利ばかりを教わる現代っ子には まだ分かっていないこともある。  最近 近所のかかりつけ病院では 若いナースが数人、もうすぐ結婚控えて 日々幸せ一杯で 食べ過ぎて肥っちゃいそうと報告するから、よかったね、幸せな人見てると こっちも幸せ気分になる。   おめでたいことだから いいんだけど ちゃんと子供育てろよ  そんなこと報告しないでいいよ、嬉しいからのろけてるだけならいいけど、 こっちはやきもち焼いてるだけだけどね。
第一、オレが人口の心配しても 体制になんの影響もない、  結婚はいいよね、若けりゃオレだってと 興味あるけど、 爺さんがあんなことやってたら危なくって・・・・。  自分の明日の命を心配しないとね。
そういえば オラ結婚が早かった、青春は長いのに、我が人生最大の不覚、お見合いという経験もしてみたかった、五十くらいまでは まだまだ遊んでみたかった・・・と、ここだけの話ですよ、カアチャンには内緒、それでも五十年、互いにあいそつかせながら 二人で歩いてきた・・・・
カーちゃんは偉大です・・・慌てて言い訳するのも 愛しているから・・・・であります。 
そこで本題に戻り
職場の親分、俊介さん・・・に 結婚の仲人(媒酌人)をお願いすることになったのであります。 若い社員から見ると 見た目は爺さんであるが 父のような存在であったのです。
俊佑さん 快諾してくれて ならばお祝いのプレゼントを・・・・ということで 銀座三越へ。
三越へは毎日お散歩のように覗きに行く、常連というか特別顧客、店員たちの姿勢に反映されていた。  「いらっしゃいませ・・・」 売り場で仕事中の店員が 夫々最敬礼。
洋服の生地を見るため 店長と共に応接室へ・・・・。  イタリア製の背広上下、素人がみても高そうな・・・・後で知ったが三十万・・・・初任給が四万円くらいの時代だった。  
洋服の仕立て屋が我が家に来て寸法とりながら あれ凄い生地なんです、仕立て代が八万円だけど いいですか。  オラにとつては 有難いやら つらいやら・・・・・だから 凄いんです。
高度成長期とはいえ 不平不満ばっかり言う同僚もいた。  不満の内容は「月給安いから」であるが、だったら それだけの仕事してるのかよ・・・と云いたくなる能力低い者に限って文句が先に出る、地方出身者が多かった。  地方出身者は皆立身出世型、東京で一旗あげて故郷へ錦を飾るタイプ。  岩手・青森・秋田・・北海道・・・。北の方の人は北島サブちゃんの信者、東京へ出れば 金稼げる・・・なんだ、唯の田舎っぺじゃないか。 
「あんたも冴えんねぇ・大学まで出て 荷造りやってるとは・・・」これは広島の人だった。冴えんとは「パッとしない、うまく事がはこばない」というような意味であろう。  大学出れば早速課長室で秘書かなんかいて・・・、そういう感覚なのだろうか、なんと情けない、イデオロギーが違う、オレは学歴を自慢したことも 社会に出て役にたつとも思っていない、最低限の仕事からやるのはどこの世界でも普通のこと、学歴ないというより知的水準が低いだけのことだ。 先輩だから反論したくても こっちは発言力のない新入社員だから悔しい想いをしたものである、 ダメな先輩も 立派なのも・・・どこの会社にもいるものです。
地方出身でも都会的な人はいる。  東京生まれでも垢抜けしない者もいる。  要は 素材、資質、個性の問題です。
 
今だから言えるが オラ育ちがいいから? 金銭感覚は蛋白というか 気にもならない、給料に文句言ってもしょうがねえだろ、範囲内で頑張ればいい、なんとかなるさ、「若かったあのころ 何も怖くなかった、唯あなたのやさしさが怖かった・・・」時代だったから、若いということは 貧乏でもへっちゃら、素晴らしい時期なのである。
 結局そのときの背広は  二十年後も それを着て出張に出ていた。  今でも押入れのどこかに残っている 我が家の家宝である。
品質の良いものは長く使える、安値ばかりを追求すると 高いものになるのである。
価格勝負よりクオリティの勝負である。 
俊佑さんには武勇伝がある、我社の伝説として先輩から聞いた話、   
近所に馴染の寿司屋があった、そこの息子がぐれてしまって 店主からあいつ・一度説教してやって・・・と頼まれて、寿司食いながら喧嘩論を戦わした。  わっしゃあ(私)、喧嘩に負けたことがない、人間の喧嘩とは 会話を以てするもの、熱くなるとバカやろ・このやろと感情論になる、筋論には勝てない、筋論は正義である。 力強さや肉体的闘争で戦うのは野生動物のやること、 チンピラの喧嘩は威嚇や殴り合いで決着つけようとする。
どんな脅しや はったりでも わしゃあ びびったことがない・・・・、  寿司職人の見習い息子は それじゃあ これでも驚かないのかい?・・・と、カウンター乗り越えて 出刃包丁を構えた、 俊佑さん「そーかい、そーくるなら こっちは これでいくよ・・」と、 上着の左内ポケットから 拳銃を取り出した。   
客は数人いた、 店内は騒然となった。  うそでしょ、冗談でしょ・・・やめてくださいよ・・と、皆が止めに入ろうとするが 「わしゃ 冗談でこれ使ったことはない、弾は六発入ってるよ、この距離なら一発で当たるぜよ・・・、昨日も練習したんじゃ・・・」  息子は床に手をついて謝った、ごめんなさい・すみませんでした、僕のは冗談でしたから・・・
なんだ 死ぬ度胸ないなら 他人に喧嘩売っちゃあいけないよ、  俊佑さんは引き金を引いた、ポン・・・と鳴った銃口から風船が飛び出していた。
店内が大笑いになった。  その後 寿司屋の息子は二代目板長で いつも俊佑さん用のアナゴを握っていたそうです。   なんだか教育的でいい話、のような 数十年後に聞いても ほんわかして、良かったね・・・と、教えられる伝説です。 この拳銃は西部劇に出てくる古い型の六連発で、リーバン・クリフと同じスタイル、ガンファイトのとき、左の腰から斜めに抜く・・・、もう クリーフになり切っているから 凄いんです。    
俊佑さんの息子 寿君もユニーク、内勤で発送・倉庫管理の係り、細い身体つきで 誰がみても 腕力強そうなタイプではない、隣のビルの一室に消費者金融の事務所へ 時々遊びに行ってお茶などしながら 帰りがけの一言「あんたら結局 やーさんじゃろ・・・?」 「違いますよ、金融業と云ってくださいよ・・・」 やーさんが焦っていた。  やーさんに対して 平気で「やーさん」と云える・・・・、 だから凄いんです。
こんな話を 何人かブログ読者になってくれた後輩たちに伝えてみたいのです。
昔は こんなニークな上司がいた、今だから言えるやばいはなしもあるが 皆昔話ですみませんが これらのレジェンドを未来に伝えていくのも 敬愛する師匠俊佑さんに対するおいらのせめてもの恩返しであります。
 
 
 
 
 
 
 

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