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教科書にない歴史の話 ①武蔵再強か

◎「予は柳生但馬守宗矩弟子にて 免許印可も取りしなり、ときに武村武蔵といふものあり、自己の剣術を錬磨して名人也。

但馬にくらぶれば 碁にていえばセイモクも武蔵強し」

セイモク(星目・九子)もハンデあるほど強し、と、武蔵の位置を将軍家師範柳生但馬守の上位に置いている。

 「ただ,足洗行水をきらひて 一生沐浴することなし」

 

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司馬遼太郎先生の短編集 「真説宮本武蔵」の冒頭「渡辺幸庵対話」の一部である。 

渡辺幸庵という128歳の老人が語ったこれらの言葉が、 武蔵は最強、柳生宗矩よりセイモクも強い・・・その他色々、武蔵の人物像の概要を後の日本人に伝えることになったのである。  128歳、おそらく 日本記録ともいえる年寄の言葉には説得力があるのだろうか。 70~80なら 唯の年寄、ボケてるから 周りの人も ホンマかいなと信用されないかもしれないが 晩年も 耳は聞こえる、目も見える、見た目も元気な人だったのであろう。 

武蔵自身、「五輪の書」の中で「自分は若年の頃から兵法に心をかけ、国々を遍歴して諸流の兵法者に行きあい六十余たび勝負をしたが 一度もその利を失うことはなかった。」 つまり六十余戦全勝だった、現役時代が もっとあれば 百戦百勝であった。

 

遼太郎先生曰く 自分のことは何とでも言える、ところが彼の云う兵法者とは 京の吉岡一門を除いては いずれも 夢想権之助、大瀬戸隼人、辻風某などといった第二流、三流剣客ばかりであった。

 

ボクシングで云えば ヘビー級のチャンピオンが フライ、バンタム級の七位八位クラスの相手をタイトル戦に選ぶようなもので、これならⅠラウンドでノックアウト確実という相手ばかりであった。

 

武蔵が活躍した江戸初期は日本剣術史の黄金時代で しかも江戸府内に名人が集まっていた。 まず柳生但馬守宗矩がいるではないか、何故訪ねなかったか。宗矩は幕府の重役で総目付一万二千石の大名であり、将軍家指南役という立場にあったから 放浪の剣客が試合を臨んでもかなえられる筋合いではなかった。  風呂にも入ったことがない ボロボロの姿の浮浪者が 江戸城へ入れることはないのである。

 

しかしそれでも 柳生の門下には 木村助九郎、荘田喜左衛門という天下公認の名人がいたし 一刀流の小野次郎衛門忠明もいる。 荒木又右エ門もいるではないか。武蔵は江戸に何度も足を踏み入れながら一度も彼らと試合していないということは 武蔵最強説を否定することもできる。

 

 現代日本人は武蔵が好きである。  史上最強の武人であると 皆が思っている。  おいらが「五輪書」を手に入れて 研究したのは 四十過ぎの 毎日二日酔いで 肝臓を心配しながら喘息や痔を患いながら 少年野球、囲碁クラブ、競馬研究会・・・

 勝負事ばかりの 今にして思えば 我が人生のピーク、最も忙しく 楽しい時代であった。 野球の指導では 子供たちにフルスイングさせることばかりに拘っていた。

 

バントは嫌い、采配的にやるなら ヒットエンドランだった。  

野球に囲碁に競馬・・それと病気。 すべての勝負に勝ちたかったのだろうか、五輪の書を読んでも なんの役にも立たなかったけれど 

◆太刀往きの速さ ◆見切り ◆平常心・・・武蔵の言葉の中に頻繁に出てくる 太刀往きの速さとは 野球なら バットを振るスピードと解釈して練習に応用していた、確かにホームランは速い振りをするほど ボールは遠くへ飛んでゆくのである。 おいらの野球哲学は五輪書に影響を与えられていたのかも。 

吉川英治の長編小説 宮本武蔵のストーリーが 現代日本人には 誰でも知っているほど 大ヒットした。  武蔵という文字が強さの代名詞のように 好んで武蔵が使われた。 男の子の名前にしたり 太平洋戦争には戦艦武蔵も大和と並んで日本帝国海軍の主役になっていた。  格闘技には「武蔵」という選手がいて 応援したが いまだに勝った試合を観ていない。 

現代日本人は 武蔵が好きである。  吉岡一門約二百人を 皆やっつけたからめっちゃ強いと信じている。 

確かに強い、三船敏郎、萬屋錦之介等 ガキの頃から何度も映画で観てきたが 巌流島前日 昆布(喜ぶ) 勝ち栗、かつお節(勝つ) でごはんを食べているとき 近所のならず者たちが 因縁つけにやってきた、目の前にハエが飛んで 「うるさいな」と云いながら 武蔵は箸でハエを捕まえて火鉢の砂に埋めて 「きたないから箸替えてくれ」と 店の女を呼ぶ。

ならず者たちは 皆 びっくりして逃げて行った。  巌流はイワツバメを刀で斬る、武蔵はハエを箸で捕まえる。  めっちゃ強いよ。  映画やドラマなら 演出で どうにでもなる。  おいらが監督だったら 物干し竿といわれた 長い太刀を抜いて鞘を捨てた時 「小次郎敗れたり・・・」 武蔵の映画ではお馴染みの台詞であるが 「あ・そーですか、 だったら拾ってくるから ちょっと待ってね・・」

それで 本物の物干し竿を持ってくる。 竿の先に刃物をつけて、武蔵の木刀より長くして これでどーすか? コント風にして おちょくりたくなるね。  

武蔵の試合は どれもみな フェアプレイじゃないような気がして 巨人が好きという大衆と 武蔵が好きは 同じで 強いから安心して観ていられる、確かにそうだけど 巨人が負ける試合を観てみたい、武蔵も同じ、 大相撲でも 横綱が たまには負けるから観てる方も 面白い。  だから いちゃもんつけたくなるのである。     

そもそも「宮本武蔵」が 実在の人物かどうか・・・幸庵さんが 武村武蔵と云ったのも この老人の記憶違いか 氏はどうでもよい感じで 親父は新免と名乗っていたので「新免」が本当かもしれないが 宮本村の出身だから 宮本と名乗るようになったのかは本人の問題であるし 元々武士ではないから 似たような強い者がいたのが 伝説化されて現代に伝わっていることもある。  でも 架空の人物じゃ面白くないよね、子連れ狼 拝一刀も 座頭市も、 ほんまにいたほうが日本歴史のロマン 座頭市の仕込み杖柳生十兵衛の愛刀三池典太(戦場刀・胴田貫)を展示している 歴史博物館があったら オラ見学に行きたいよ

 たまには教育的に歴史のお勉強、 本当のところを ぶっちゃけて オレ流で解説してみるわ。

長くなるから つづき    

 

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