カテゴリー「花のうた 花のはなし」の12件の記事

花ことば 11月

9月にすすき川の水辺を歩きながら 

この流れのように「急がず、怒らず、ぼちぼちと」とか、

「花は文句を言わないからエライ」これからの人生 花のように文句言わずにやっていけたらいいな・・・なんて、悟ったようなことを自分に言い聞かせたばかりなのに、その半月後には亀田のバカ親子にむかついて またまた文句と能書きをたれまくってしまった。

このブログのスタートから“くたばれジャイアンツ”とか“日本人がくらげになった”とか・・・どこにでもいる頑固親父と同じで説教ばかりだ。

言いたいことを云うのは勇気が要ることだし ある意味流れに逆らわぬ自然体だが、

文句を言えばすっきりするかといえば・・・そうでもない。

「陽の当たる明るい部分を見て歩こう・・・」それを心がけて生きてきたから 

人の良いところを見つけるのは得意だが、悪いところまで容易に目に入ってしまうのは 未熟であるが故か・・・?

もっと大きい心を持って ものごとの悪い部分に対しての免疫力・鈍感力がなければ

まだまだ円熟の域とはいえないね。

正しいと信じても どうにもならぬことに文句言ったところで どうなるものでもないのに、人を叱るよりも褒めるときのほうが 自分は幸せなのに・・・と、

自問自答したり 反省したりなのです。

「人を裏切るまい」・・・これだけは 今までもこれからも自信はあるが、

「人は人 我は我なり」いつになったらそういう人間になれるのだろうか、

亀田のバカおやじ相手にマジで燃えているようでは たぶんなれねぇな・・・、

不良おやじのブログだから ま・いいか・・・

ということで 路線変更ではないが(いつまた文句を言い出すかわからないから)文句を言わないエライ花たちの「花ことば」を集めてみることにしました。

なぜならば「花ことば」は 物言わぬ花たちに人間が勝手に決めたキャッチフレーズだけど、その優しく善意に満ちた言葉に沢山触れてみたいからです。

おそらく否定や悪意の言葉はないはずだと思うからです。

それから 366日分お誕生日の花も決められています。

自分の誕生花は何か・・・知っている人って案外少ないから、これから毎月別に誕生花と花言葉を更新してみようと思います。 

花を探して写真撮りにいくのも大仕事だが 

なんてったってヒマ人じゃけん・・・大丈夫だ。

            

                              

11月の誕生花と花言葉

    

       誕生花   「花ことば」   

11月1日   蕎麦    「懐かしい思い出」

        野葡萄   「慈悲」

        Photo_5 そばの花

      

11月2日  風船唐綿(フウセントウワタ)  「いっぱいの夢」

   ユーチャリス      「気品」 

   1030_2 風船唐綿

   

   Photo_3 ユーチャリス

  

11月3日   山茶花    「困難に打ち勝つひたむきさ」

        黄色の菊   「高潔」

               Photo

11月4日   サフラン   「陽気」

        浜菊     「逆境に立ち向かう」

11月5日   オンシジウム      「清楚」

        竜舌蘭(リュウゼツラン)    「繊細」

         Photo_7

                             

               ◎私の咲かせたオンシジウム、丈夫で育てやすい洋ランです、           陽当りのよい環境なら毎年開花します。

11月6日   カサブランカ          「純潔」

        万両        「寿ぎ」

       Photo_8 カサブランカ

       Photo_11 10月23日まだアオい万両の実

11月7日   キダチベゴニア     「親切」

        マリーゴールド     「悲しみ」

11月8日   藤袴          「優しい思い出」

        ノバラの実       「無意識の美」

             Rosehip1

                        ローズヒップ ノバラの実

11月9日   数珠玉         「祈り」

        ハナキリン       「純愛」

  

11月10日  蒲(ガマ)       「従順」

        グラジオラス      「用心」

    ガマ 秋田の名物キリタンポのような形の水生植物です。大国主命が皮をはがされてしまった因幡の白兎をこのガマの穂綿で優しく包んであげました

       

11月11日  ビオラ         「誠実な愛」

        白い椿         「申し分のない愛らしさ

                   

11月12日  檸檬(レモン)       「熱意」

11月13日  千両              「利益」

        ヒマラヤ杉           「たくましさ」

11月14日  アルストロメリア    「未来への憧れ」

        樅(モミ・クリスマスツリー)   「時間」

   Photo_12 アルストロメリア

11月15日  オレンジ色の薔薇    「無邪気」

        枳殻          「思い出」

            柑橘類カラタチです、この漢字読める人スゴイ!!

童謡「カラタチの花が咲いたよ・・・」

島倉千代子「からたち日記」とか古い?日本人には馴染みの深い花です。

Photo_13オレンジバラ

Photo_14 カラタチの実

11月16日  赤い山茶花       「謙遜」 

        プルメリア       「恵まれた人」

             ◎ ハワイの首飾りレイに使われる花です

      Photo_23 サザンカ10月23日

11月17日  スターチス      「変わらぬ心」

           ◎ 花びらが小さく枝が細くドライフラワーに適している

        蔦      「誠実」

                

    「ツタの絡まるチャペルで・・・」のつる性植物ツタ、繁殖力旺盛で他の木や家の壁でもどんどんつたわって伸びてゆくから「つた」と呼ばれる

Photo つたの紅葉

11月18日  梅鉢草         「いじらしい」

        白いポインセチア    「祝福する」

         

11月19日  弟切草(オトギリソウ)    「迷信」

        白いアルストロメリア   「凛々しさ」

     

11月20日  岩蓮華          「よき家庭を築く」

        石蕗(ツワブキ)      「困難に傷つけられない」

          Photo_17

                                    

11月21日  花梨(カリン)       「努力」       

        葉鶏頭(ハゲイトウ)    「不老不死」

                   Photo_18 カリン2006/9月

11月22日  アロエ         「健康」

        アングレカム      「祈り」

         Photo_19 アングレカム

11月23日  ストレリチア(極楽鳥花)      「全てを手に入れる」

             Photo_20 ストレリチア

        ピラカンサ       「慈悲」

11月24日  ガマズミ        「結合」

        ペペロミア       「かわいらしさ」

11月25日  セントポーリア     「小さな愛」

             パンパスグラス     「光輝」

              Photo パンパスグラス

11月26日  クリスマスカクタス   「美しい眺め」

                ◎クリスマスの頃満開となるシャコバサボテン。

赤いシクラメン     「嫉妬」

 真綿色が清々しいのに眩しい赤(薄紅)は何で嫉妬なのか? 布施明に聞いてくれ。

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11月27日  庭常(ニワトコ)    「熱中」

  接骨木とも書く、枝や葉を煎じて骨折や打撲の薬になるそうです、小さな赤い実をつける。

             白膠木ヌルデ      「信仰」

                         ◎  この漢字も難解、ウルシの仲間です

       Photo_2

       ニワトコ                      

11月28日  サンダーソニア      「愛嬌」

             ◎別名クリスマスベル アフリカ原産でサンダーソンという人が発見したからサンダーソニア、でもこんな花オラ知らん。

        

        ツルバキア        「落ち着きある魅力」

             ◎これも・・・知らん

11月29日  茶            「追憶」

        白いベゴニア       「親切」

11月30日  枯葉           「新春を待つ」

    ウッソー?! 枯葉にも花言葉あるとは知らなかった。

この日生まれの人のお誕生日に枯葉送るってのは・・・年寄りだったら ちょっとまずいよな。

        侘助(ワビスケ)           「控えめ」 

    ツバキの仲間で千利休が茶室に飾った、

日本特有のワビ・サビ文化を代表する花です。

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迷犬ゴン

ゴンとオカンと今年もまたあじさいと・・ちょっとだけオトン

ゴンという犬がいた。

メス犬なのに なぜかゴンだった。 

名無しのごんべえのゴンだった。

私が大学生の頃だった、父が事業に失敗して 東京の大田区安方町にあった大きな家から池上本門寺近くの小さな家に引越しを余儀なくされた。

家を担保に負債を清算して 文字通り父はスッカラカンになった。  

そして、新しい職場で再スタ-トする決心をしたころだった。

今まで社長だった父が 毎日荷造りの仕事で手を真っ赤に腫らしているのを見て、

私は父を尊敬した。

子供達のために、家族のために いい汗かいてる父の姿を見たからだ。

社長で金回りの良かったころの父を 私は尊敬した記憶がない。

毎晩だらしなく酔っ払い、大ものをたれ、大声で唄い、プライド高くて、意見の合わない人とは喧嘩ばかりして・・・、その分母が苦労して・・・、そんな父の日常を私は尊敬していなかった。

オレも酒飲みになったのは父の遺伝だが 小さい頃から そんなとこしか見ていなかったから オレは基本的に酔っ払いが嫌いなのだ。

ナンチャッテ、オレも酔うとだらしないけどね。

皮肉なものだ、貧乏になったとき 初めてなりふり構わず家族のために働くカッコいい父の姿を見ることができた。

やっぱりオヤジは男だぜ・・嬉しかった。

               

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ゴンは野良犬だ、テレビの人気者マサオくんによく似た大型の雑種である。

池上の家の玄関前で いつも昼寝していた。

餌を与えた、パンの耳とか ごはんのあまり物とか・・・

いつも同じところで寝ているので、なんとなく なにか食べるものをやってしまった。

この犬を飼っているという感覚はなかったのだが、 

ゴンは ついに我が家からはなれなくなった、

よほど居心地が良かったのか、食う時とうんこをする時以外は 朝から晩までいつも玄関で寝ているのである。

完全な野良犬のくせに我が家に居座っていた。

発情期になると、どこかで恋をしてきてから縁の下で出産する、それも毎年平均三~四匹も・・・仔犬の処分にこまった。

知らない人が来ても吠えることもないし、何の芸もない。

寝ることと、食うことと、子供を作るしか能がない。

なんの役にもたたないから家族の評判はよくなかったが なぜか憎めなかった。

数年後、我が家は池上から川崎市高津区の宮内へ引越しすることになった。

引越しの荷物を車に積んで いざ出発の時がきた。

ゴンはどうしよう・・・ ということになった。

彼女は玄関の前で、よだれを垂らして相変わらず寝ている。

あんな どうしようもないバカ犬は置いていこう・・・ということになった。

車は ゴンを置き去りにして走り出した。

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一週間が過ぎた。

引越しの荷物もかたづいて 生活も落ち着いてきたころだった。

母が 表で大きな声を出した。

「ゴンじゃないの! お前、どうしたの・・・・」

みんなびっくりして外に出た。

痩せて疲れ果て、ふらふらになったゴンが尻尾を振っていた。

すぐにめしを食わせた、・・・・・、

みんな 感動していた。

それからのゴンは・・・首輪を買ってもらった、犬小屋も建てた。

晴れて 正式に我が家の飼い犬としてデビュ-することになったのである。

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動物には 人間に解明できない驚異的な本能がある・・という。

犬の嗅覚は人間の何千倍とか聞くが、まさにゴンは超能力犬である。

東京大田区から川崎高津区まで 何キロあるかしらないが

しかも こっちは全員車で移動したのに、

どうやって来たのだろう・・・・・?

車は第二京浜を通り、多摩川を渡り、府中街道を走ってきた。

ゴンも同じコ-スを 臭いだけをたよりに 来たのだろうか。

道路に臭いが付くとも思えない、風に臭いが漂っていたのだろうか?

ゴンは 食うものも食わず 一週間もかけて旅をしてきたのだ。

私は今でも このことが不思議でならない。

もうひとつ感動なのは、

よほどの冒険をしてきたのだろう、よほど辛い経験をしてきたことは

ゴンのボロボロに疲れ果てた姿を見ればひと目でわかったのだが、そんな思いをしてまで 何で遥々やってくる必要があったのだろう?

ということであった。

わざわざ苦労して遠い道のりを来なくたって、今までと同じようにどこかの家に居座っていれば楽に暮らせるのに・・・・・、

それでも ゴンは来た。

ゴンにとっては 我が家でなければ だめだったのだ。

一宿一飯の恩という言葉があるが、

ゴンは 我が家族に対する恩義を 忘れていなかった。

最近では 恩を知らぬ人間が多い、義理も人情もないのが普通なくらいなのに、

あんなだめ犬が、突然奮起して死ぬほどの苦難を乗り越える大冒険をした。

能無しでも、ものすごい能力を発揮することがあるのだ。

遥々辿り着いたゴンを見て、彼女の想いを裏切り置き去りにした我々のほうが自責の心を味わうことになってしまったのである。

でも ゴンは、やっぱりゴンだった。

宮内に来てからも、相変わらず 喰って寝てばかりだった。

そしてある時 ゴンは裏の畑で 落ちていた毒まんじゅうを喰って死んだ。

(毒まんじゅうとは 昭和の時代のネズミや野良犬の誘引駆除剤)

ゴンのご遺体は 母が大好きで育てていた あじさいの花の下に埋めてやった。

あじさいの花が大好きだった母は この宮内の家で亡くなったのです。

(母のことは何度も何度も書いてきたから省略するが)

               

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四十年も昔のことなのに 今あじさいの花を見て ふと思うことがある、

ゴンは もしかして 母のあとを追ったのではないか?

毒と知りながらまんじゅうを喰って、家族の悲しみを代表して母に殉じたのか?

ソンナワケネェダロ・・・とみんなに笑われそうだけど、

ゴンならそれができるかもしれない、 あんな驚異的なことができたのだから。

私だけでもいい・・・ゴンの想いを信じよう、

ゴンの「ありがとう」を受け止めて、ゴンに「こちらこそありがとう」を云いたい。

            

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宮内のあじさいは、毎年紫の大輪を咲かせた。

ゴンの肉体があじさいの栄養に代わり、驚くほど見事な株に成長していた。

あじさいの咲くころになると、紫のあじさいの花を見ると、

あじさい柄の着物をきた母を想い出すのは毎年のことである。

そして なぜか、ゴンのことも想いだしてしまうのである。

            

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今年の梅雨は 毎日暑くてマイッタネ・・・

今日は雨の日曜日、久しぶりにプールのお風呂へのんびりしに行こう、

父と母の仏壇へ あじさいの花をお供えしよう、

それから名犬ゴンのためにも お線香を一本余分にあげよう。

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あじさい

6月、紫陽花の季節になりました。

紫陽花は お母さんの花です。

オレは23歳のときに母を亡くした。

朗らかで、いつも明るく笑って ・・・・、

働き者で、一生懸命で、オッチョコチョイで、サザエさんみたいで、

貧乏なんかへっちゃらで、みんなに好かれて、

苦労ばかりだったのに、誰を怨んだこともない・・・、

そんな母が死んだとき、あのときばかりはメチャクチャ泣いた。

オレにとっては、人生最大の悲劇だった。

あんなにいい人が、あんなに素晴らしい母が、何故死ななければならないのか、

こんな理不尽なことがあっていいものか・・・

神様は なんてことをしやがる・・・と思った。

悲しさや 寂しさよりも、“悔しさと怒り”しかなかった。

どこにも向けられない怒りを 若さ故か オレは神に向けていた。

神や仏が そのへんにいるのなら、ぶっ殺してやりたいと思った。

神を否定することで 母の死を許せない気持ちを ぶつけるしかなかった。

母のことを語りだしたら きりがないから、もうやめておく。

悔しくて また泣きそうになってしまうから・・・・・。

でも これだけは云っておきたい。

お母さんがいる人は、

“母がいるということが どんなに贅沢で有り難いことか・・・”

ということを よ~く考えることです。

五月の母の日に お母さんにカーネーションをプレゼントするような贅沢なマネを

オレは一度でいいから やってみたかったよ。

悔しいねぇ・・・、

お母さんがいないのだから これがホントのマザコンなのかね。

弱い体に 重ねた無理を

隠していたのか 濃い目の化粧

いくども色を 変えながら

枯れて寂しく散ってゆく

あめ あめ あじさいの雨に

煙るおまえの 白い顔・・・・

渡哲也の「あじさいの雨」、三十代に 毎晩元気でスナック通いをしていたころ、これは母ちゃんの歌だ と思いながら カラオケで唄った。

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日本舞踊の師匠だった母は 発表会の舞台では かなり濃い目の化粧だった。

(写真は「保名」、当時の写真が風化?して使えないのでこれはイメージ画像)

母はイイノホールで この保名を踊った。

ちなみに、保名(やすな)という演目は 陰陽師の安倍保名(あべのやすな)

恋人の「榊の前」の死を悲しみ、狂ってしまった男の踊りで「保名狂乱」ともいう。

これは伝説だけど、その保名と「葛の葉」という女に姿を変えた狐との間にできた子供が 陰陽師“安倍の清明”なのです・・・

(オレのブログは意外と勉強になるだろ・・・、時々本題から脱線する傾向があるけどね、安倍の清明って、何だ?と聞かれても、もう説明が面倒くさいから 勝手に勉強しろ・・・)

保名のように、時代劇でよくある場面で、身分の高い病人が頭に巻いている鉢巻?は、紫陽花と同じ「青い色」という設定である。

母は「青~紫」が好き、特に「紫陽花」が大好きだった。

着物も帯も 舞扇も、手拭いまでも、 あじさいの柄に拘っていた。

オレも そのDNAを受け継いだのか、青系は好きである。

花なら スミレ・キキョウ・青い朝顔・紫陽花・・・やっぱり青系が好きだな。

馬券を買うときも 迷ったら青の4枠だし、

野球もブルーのユニフォーム、地元の横浜ベイスターズだ。

今年も弱くて負けてばっかりだけど、もともと弱いからファンになったのだ。

今月のお散歩は カメラを持って紫陽花を撮りまくろう・・・・

「空と君とのあいだには 今日も冷たい雨が降る

君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる・・・」

中島みゆきの歌のように 

母の死から四十年・・・、オレは「デビルマン」になりたい・・・、

くらいの気持ちで母への想いを貫いてきた。

何もしてやれなかった母への オレの“仁義”だと信じて・・・。

6月9日、今年も梅雨がやってきた。

朝から傘をさして 紫陽花を撮りに出掛けた。

紫陽花に出逢うと 屈託のない母の声が 聞こえるような気がする。

“人を憎んだり、怨んだりしてはいけないよ・・・・、

悪い人なんて 何処にもいないんだよ・・・”

紫陽花は そういう母の言葉を 笑顔で語りかけてくるのです。

紫陽花を濡らす雨は 冷たくなんかない。

温かくて 優しい雨だ・・・・

引越しから三ヶ月、このへんは いいお散歩コースがいっぱいある、

この街へ来て 本当に良かったと思う。

今回は画像が沢山あるよ、

クリックして「拡大画面」で見てね・・・

カメラが面白くなってきた、また趣味が増えてしまう。

◆◆◆あじさいパレード◆◆◆

Ao01 Ao03 B3 B4

ピンク~赤・白・山のあじさい・・・

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ガクアジサイ白・青・・ガキウルサイ

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Gaki

コイ・カモ・カメ・キモ・コワ!!!・・・・

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美しいもののそばには こんなのもいる・・・

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趣味の園芸講座

植物を育てるにはいくつかのポイントがあります。

大きく分けると「環境」「管理」です、

ここでは 家庭で素人が趣味として行う「園芸」の基本的なことだけ簡単に解説します。

オレも素人だから間違っていることもあるかも知れないが、あの大病以来二十余年、草花や観葉植物から始まって 野菜・果実・サボテン・山野草・洋ランまで

種まき・挿し木・株分け・剪定・・・素人だから失敗にも懲りず、何でもかんでも挑戦して研究、習得してきた経験論であります。

良くいえば多趣味だけど、自分でもつくづく「凝り性」だと思う。 

何かにハマルと、もう抜けられない・・・そのくせ「極める」ところまでは到達できないくせに・・・・、これは死ぬまで治らねえな、 困った性分である。

「環境」とは栽培環境のことで、その植物の生育に適した環境におくこと。

「管理」は 水やり、肥料、植替え、支柱立てや誘引、選定や摘心、そして病害虫対策という人の手を使って面倒見ることである。

園芸は 対象の植物を知ることから始まります。

原作地はどこか、どのような環境で育っているか、

  日光の当たる条件とか、気温、湿度、風当たり、成長期と休眠期など一年間の生育サイクル、・・・・などの特性を知ることが大切です。

  例えば 洋ランは殆どが東南アジアや中南米の熱帯雨林や山岳地帯が原産で、

シンビジウムは地面に生えている(地生種)

デンドロビウムやファレノプシス(胡蝶蘭)は大木の幹に張り付いている(着生種)根が空中にむき出しになり(気根)、空気中から湿度や栄養分を摂っている。 高いところに生えているから日光も当たるし風通しもよい、

従って、デンドロビウムに毎日水を与えていたら根腐れして枯れるのです。

 “桜は三月春に咲く、菖蒲は五月、六月牡丹に蝶が飛ぶ、

 七月は萩に猪、九月に菊が青短で 十月の紅葉に鹿が出りゃ・・・、

これで猪鹿蝶(イノシカチョウ)だ・・”

初めは花の開花期について、これくらいの知識しかなかった。 

これではだめだと気がついて、植物図鑑や園芸の本を読み、

森ミドリさんや江尻光一さんのテレビも見た・・・

やっぱり「知らなきゃだめだ」ということです。

今頃は書物を読まなくても鉢を買えば説明書が付いているし、

インターネットという便利なものもある、

お花屋さんでお気に入りの鉢を買って、これから育てようとする人は、

まず その花の特性を調べることが一番ですね、

その花に適した「おき場所」と「水やり」をすれば 失敗することはありません。

ポイント

 基本的にはどんな植物も日光を好む、

南側の窓際、明るく風通しの良い場所を選ぶ、北側の玄関とかトイレの中とか、普段照明のない暗い場所はだめ、(ウドとかモヤシは別だよ・・・家庭でそんなの育てる人いないだろうけど)

室内にある鉢は たまには外へ出して日光浴をさせる。

「光合成」ができる環境におくことです、

昔は「炭酸同化作用」といった、理科の時間で習ったでしょ、

真夏の直射日光に当てると葉焼けを起こすのもあるが、曇空の日から徐々に慣らしていけば大丈夫。

② 用土は水はけの良いもの

草花の場合、鉢底に大粒の軽石(鉢底土)を敷いて、赤玉土5・腐葉土3・パーライト又はバーミキュライト又は軽石のようなもの2くらいの割合で・・・・、

オレの場合は凝り性だから 赤玉の中粒をふるいにかけて微粉を取り除いてから腐葉土などとミックスする・・・・、

水をやると 一瞬でさっと底から流れ出る状態がベストです。

ラン類のような高級なもの、又はポトス、トラカンのように蔓性で 主に室内で観賞したいものは水苔、バーク、軽石などで植えると清潔で水はけも水もちも良い。

鉢は原則として 株のことを考えたら「素焼き鉢」が最適です。

プラスチックのように空気の通らないのはだめ、根も呼吸していると思っていなければだめなのです。

花屋で売られている草花は 鉢の中に黒いプラスチックの育成用のポットが二重になったのがよくあるが、あれはすぐに抜いて植え替えしないとだめ。

贈答用の高価な胡蝶蘭なんかは ゴーシャスな見栄えにするために三本くらいを「寄せ植え」している、これも花が終わったら捨てるならいいけど、

育てようというのなら株を離して一株ずつに植え替えないとだめ。

③ 水やりは鉢底から流れ出るまで

水をやるということは 植物がめしを食うのと一緒ですが、土の中の不要な老廃物を洗い流す、掃除するという意味もあります。

ちょろちょろはだめ、やる時は景気良くどっとやります。

葉にもシャワーしてやるといい、ついたゴミや害虫のタマゴまで洗い流すような感覚で・・・、

根は基本的に「低温での多湿」に弱い

葉は「乾燥」に弱いから、乾燥しやすい室内の観葉植物の葉には霧吹き(シリンジ)をしてやる。 特に冬場には 水やり回数は少なくシリンジを多く・・・です。

素人は水のやりすぎで失敗するケースが殆どです。

肥料もやりすぎてはだめ、肥料がなければ生きていけない植物はないのだから。

水は「定期的に」、冬場は週一回とか、夏場は週三~四回とか・・・・、

特に肥料は成長期だけ、液肥は薄めて、固形肥料は少量やれば充分です。

一般的に花の咲いているときは 肥料はやらない、

花はなるべく早く切って「切り花」にして観賞したほうが良い、

花が咲いているときは株が見栄を張っていい格好しているときだから、

株が体力を消耗させるのです、

人間だってそうだ、男も女も 正装したときや化粧して着飾ってパーテイでいい格好したあとは 疲れるだろ・・・。

    観察してやる

花の命は自分が預かっている、花は自分に命を託している・・・

そういう気持ちで育ててやれば 植物は枯れることはありません。

犬猫や小鳥や金魚や・・・ペット類を飼うのと同じです。

例えば 人が寒いときには植物も寒い、冬の夜は窓辺に置いた鉢を部屋の中へ移動させる、でも暖房機の温風に直接当てたり、夏のクーラーに直接当てたりはだめです。

人間だってクーラーは気持ちいいけど つけっぱなしで寝たら風邪をひく、

とにかく人間が健康でいられる環境と同じ条件にしてやればいい、

水をやらなければ枯れるし、やりすぎても枯れる、

決して甘やかしてはいけない、でもいつも見ていてやらなければいけない、

新芽は出ただろうか、茎が伸びたか、葉は元気か、・・・

とにかく世話がやけるのです。

愛好家は観察して 世話をやく・・・それが楽しいのです。

そして、花が咲いたときの達成感と喜びを味わうのです。

オレは病害虫の対策はあまりしたことがない、

薬は臭いし、使いたくない・・・、虫がついたときは仕方がないけど。

いつも観察してやって健康に育った株は 病気も害虫も寄せ付けないのです。

    花を買うときは

花よりも「葉」を見て、元気なのを選ぶ、

花の茎が伸びすぎていない 背の低い がっしりしたタイプが良い、

鉢花を買うときは 誰でも好みの「花」を見て買いますが、花が開ききったのより

これから咲く「つぼみ」が多いほうを選ぶ、

プロ野球のどこかの名門球団のように 高級品で満開の綺麗な花ばかり買い集め、

お金がなくて これから育つ小さな鉢しか買えなかったチームに なぜ負けるのか・・・・、

それと同じことです。

また 脱線してしまった、野球については 別の機会に書きますが、

カトレア、ファレノプシス、パティオ、デンドロ、オンシジウム、エビデンドラム・・・などの価格の高いラン類は 例えば開花期に一万円で売っている株が 花が終わると半額以下になったりします、展示会などの即売では「苗」の状態だと千円以下で買えるものもあります。

「根」と「バルブ(茎の部分)」と「葉」が元気なら 花芽はなくても翌年は一万円クラスの花が咲きます。 

写真・・・オンシジウムの花芽が伸びてきた、左側が気根です。

毎年4月に咲いていたのに 今年は今頃伸びてきました、

引越しで環境が変わって調子が狂ったか?・・・ でも元気です。

垣根のでっかいバラ(近所の)と 鉢植えのミニバラ。

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園芸は教育

5月20日朝、ベランダに置いてあった観葉植物“ユッカ”の鉢が割れているのを見つけた、ユッケ(焼肉屋のメニュー)ではない、ユッカは食えない。

ドラセナの仲間で「青年の木」ともいう。

昨夜の強い雨風で倒れたからではない、陶器の鉢が内側から押される「根」の力に耐え切れず、割れたのです。(写真)

雫の一滴が岩をも通す・・・というが、雨だれの雫のように 何年もかかって岩に凹みをつけたのではない、この鉢は去年植え替えたばかりなのに・・・、

生命のパワーを感じる。

去年といえば 友人からもらって春に植えた「ウコン」の根が、小指ほどの小さい根っこが秋の収穫期には鉢からはみ出すほどバリバリに張って、20センチの丸いプラスチックの鉢が楕円形にゆがむほど成長していた。

鉢から出してみると でっかい生姜のような根が五十個にも増えていました。

あれでは鉢がゆがむ・・・素焼きの鉢ならとっくに割れていた。

あのゆがんだ鉢を写真にとっておけばよかったと今は後悔している。

ベランダ園芸ではもう手に負えない、今年から息子の家で庭植えにした。2006_04080092_2

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「ポトス」なんかもっと凄いよ・・・

20年前に泉岳寺の花屋で千円で買った一株が、毎年挿し木(水に挿すだけ)で更新して、増えすぎて困り友人にプレゼントしたり事務所のインテリアにしたり・・

古い株は根が張りすぎて植え替え不能なので どんどん処分して、

現在の株は 去年九月に挿し木した我が家の二十代目である。(写真)

十枚くらい葉のついた貧弱なポトスが 花屋で五百円くらいで売られているが、オレが花屋だったら 百円でもできるよ・・・

鉢を割るほどの力強い根が育つ、何十年も若い株を更新できる、

オレは園芸のベテランなのだ・・・ということが言いたいのである。

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道端や荒地に咲く 背丈が10センチほどのタンポポ(漢字で書くと蒲公英)の根は 

掘ってみると短くても30センチ、長いのは1メートルにもなります。

根は水分や栄養分を求めて伸びてゆく。

種が落ち、発芽した場所が荒地であるほど 根は自分の力で成長し、僅かな水分でもゲットするために 地中深くどこまでもはびこるのです。

環境が苛酷であるほど 根はハングリーに逞しく成長してゆきます。

花を育てることは「教育」と同じです。

園芸の場合は 鉢植えだから(庭植えでも同じ)人の手で水をやる。

水分が充分にある用土に毎日水を与え、肥料ばかり与えていると 根は伸びない、

水を求めて伸びる必要がないから、棚からボタ餅の 怠け者になり、

しまいには食いすぎで腹を壊すのと同じで「根腐れ」して枯れてしまう。

水不足が原因で枯れた株は 水を与えれば回復するが、

水をやり過ぎて根腐れした株は 二度と回復しない・・・・

根は植物の土台です、人の身体でいえば骨格や内蔵になります。

葉が手足なら 花は顔ということかな・・・

根という基本が丈夫であれば 葉も茎も健康に成長して、花もきれいに咲く。

教育とは こういうことなのです。

野に咲く花や雑草の強さにヒントを得たのが「スパルタ教育」です。

「園芸」は 良い環境で人の手で管理する「英才教育」だけど、

基本的には「スパルタ」の姿勢が大切だと思います。

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散歩で見つけた花の写真

風薫る五月、ゴールデンウィークはいいですね・・・

オレにはもう 関係ないか・・・、

毎日が日曜日だもんな、

去年までは 連休は有意義に遊びたいと、何かしなければもったいないと、スケジュールが一杯で かえって忙しく、

連休明けになると、 休みはもう終わってしまったと、

なんとなくメランコリーだったのが懐かしい。

でもやっぱり五月が一番いい、

若葉が萌え、花がたくさん咲くから・・・・

命があちこちで 一斉に活動をはじめ、

さあ、今年も行きますか・・・て感じだね。

長い文章で肩が凝ったから、花でも眺めてちょっと休憩です。

ラベンダー、マーガレット、パンジー、チューリップ、花水木、

エビネラン、バラ、ウンチクン、何だこれ?、クレマチス・・・など

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◆◆訂正 「花はいいやね」の記事で、“やはり野に置け桜草”のはなしをしましたが、あれは「スミレ草」または「レンゲ草」の誤りでしたので訂正します。

昨日、いい天気だったので、今度は「山の緑シリーズ」を写そうと 妻と二人で散歩に出かけました。 

クローバーの白い花が沢山咲いている草原で おにぎりを食べました。

良く見るとクローバーのほかにも、青い小さな花、スミレが咲いていました。

それを見て「やはり野におけ・・・」は「スミレ」だ・・・・、

気がつくのが遅いんだよな、

黙ってりゃ誰もわからないだろうから、まあいいか・・・と思ったけど、ブログで公開したからには誰に指摘されるともかぎらないので訂正させていただくことにします。

要は スミレでもレンゲでも桜草でもタンポポでも・・・自然の中で ありのままに咲いているほうが美しい・・・ということなのだ。

三月には 桃と梅を間違えるし・・・、オレは基本的にドジなんだな。

ということで、これからは事前によく調べることにするよ。(5月16日)

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(2)さくら

最近では 森山直太朗くんの「さくら」はいいね、

さすがは良子さんの息子だ。

 さくらさくら 今咲き誇る 刹那に散りゆく定めと知って

 さらば友よ 旅立ちのとき 変わらないその想いを 今・・・

これも名曲だ。

直太朗くんと同じ年代の若者が、涙もろくなったオレのような年頃になったら、

この曲を聴いて 涙するのだろう。

同じ「桜」でも坂本冬美ちゃんの「夜桜お七」になるとテーマも雰囲気も全然違う、

 赤い鼻緒が ぷつりと切れた

 すげてくれる手 ありゃしない

 おいてけぼりを けとばして

 駆け出す 指に血がにじむ

日本の文化というか、江戸時代の情緒にあふれた“粋”“色気”のあるうただね、

最近では下駄を履いた娘なんて あんまり見ないから、

「鼻緒」「すげる」「おいてけぼり」という言葉を知ってる若い人はあまりいないだろう。

(途中略)

 さくらさくら 花吹雪

 燃えて燃やした肌より 白い花

 浴びてわたしは 夜桜お七

 さくらさくら 弥生の空に

  さくら さくら 花吹雪

すごいですねぇ、演歌の魅力だね、

もう「恋」という半端なものより、燃え上がる「女の情念」を感じさせるね。

余談になるが 石川さゆりちゃんの「天城越え」は更に過激だ、

十八歳未満は唄うの禁止・・・みたいなうたですよ。

江戸の大火で焼け出され、そのとき避難先で知り合った男に恋をして、もう一度火事になれば あの人に会える・・・と、江戸の町を大火事にした「八百屋お七」に、大岡越前かだれか知らないが、うら若き乙女の犯行を哀れに思ったお奉行様が、

「お前は十五歳であろう、・・・」彼女に死罪を免れさせてやろうと、年齢を偽るように仕向けたが、(江戸時代も少年法があったのかな?)

「いいえ、あたしは十七です・・・」と本当の歳を答えて 敢えて死を選ぶのである。

自分は子供ではない、あの人と恋をする資格があることを 命を懸けて主張する・・・、

「夜桜お七」の詩は、この「八百屋お七」の愚かにも 一途で炎のような恋心をイメージさせているのは分かるけど、

この詩の一番いいところは 出だしの部分「赤い鼻緒から・・・指に血がにじむ・・まで」、

これを聴いただけで、この女は「いい女だ」という 日本人にしか分からない美意識を表現しているからだ。

鼻緒が切れたり、蹴飛ばしたり、駆け出したり、指に血がにじんだり・・・・

足元だけのアクションで 「いい女」かどうか、わっかるんだな・・・これが。

「いい女でない女」は、原則として鼻緒なんか切れないし、蹴飛ばしたり駆け出したりもしないのだ、血だってにじまないよ・・・。

日本の男子なら そこらへんが理解できるはずだ。

それでも分からない人は、ピザやハンバーガーばかり食ってないで 日本食にしなさい。

そうすれば必ず分かるときが来る。

だいぶ脱線してしまったが、更にもう少し脱線するけど、

先日、信州松本に住む弟のところへ 遊びに行くからと連絡したら、

それでは 夜は最近開拓した小料理屋へ行こう、とメールが来た。

「そこの女将が着物姿で、 歳のころなら四十五~六、小股のきれあがったいい女だ・・・」

そして、そのあと再びメールがきた。

「ところで こまたって、どこのまただ?」

いつかテレビで見たが 結論から言うと小股とは足の親指とひとさし指の間のことらしいが そんなところが切れ上がって、いい女なのかというと 疑問である。

単刀直入に言えば、Tバックを連想させるそのものずばりの股だと 若い頃は思っていた。

でも日本人は奥ゆかしい、伝統的にそんな露骨な表現はしない。

昔は着物だったから、女の体の見える部分は首から上と、足首から下だけなのである。

オレの独自の考察だと、かかとからアキレス腱の下あたり・・・が妥当だと思う。

結局、どうでもいい くだらねえことなのだけど、

そういう 漠然としていても なんとなく分かる美的感覚が 日本人特有のものなのだ。

「夕やけこやけ」とか「小腹がすいた・・・」というのと同じようなことだ。

「夜桜お七」のうたを聴いて、これこそ小股のきれあがったいい女だ・・・という感性があるかどうかということなのである。

ついでにもう少し脱線すると、

日本語は意味深で奥が深い、日本人でも分からない難しいことが多いし、

分からないけど 納得しているようなことが多い。

面白い言葉の使い方も色々あるよね、

例えば、事故や病気で倒れている人を見て、助けようとする人は

必ず「大丈夫ですか?・・・」と言う。

「大丈夫わけねえだろ」・・・・大丈夫なら倒れたりしていない。

「大丈夫ではないですね・・・」と言うのが正しい。

もっとひどいのは、時代劇でよくある台詞で、切られて死にそうな人に

「しっかりしろ、気を確かに・・」とか言うけど、

もう死にそうなのだから 無茶言うなよ・・・である。

お中元やお歳暮持っていって、「つまらないものですが・・・」と言う。

つまらない物なら人にあげるな。

日本語は面白いね。

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(1)秋桜

うす紅の秋桜が秋の日の なにげない陽だまりに揺れている・・・

ではじまる百恵ちゃんの歌・・・

オレはこれが大好き、もう たまんない。

百恵ちゃんも好きだったけど、これを作った さだまさしさんは天才だ。

この頃涙もろくなった母が 庭先でひとつ咳をする

縁側でアルバムを開いては 私の幼い日の思い出を

何度も同じはなし繰り返す 独り言みたいに小さな声で・・・・

そして、ここからが この歌のターニングポイント、

ヒットを決定づけたサビの部分だ、

こんな小春日和の穏やかな日は あなたの優しさがしみてくる

あした嫁ぐ私に苦労はしても 笑い話に時が変えるよ

心配いらないと 笑った・・・・

もう 完璧ですね、

最愛の我が娘の嫁入り前日の 年老いた(涙もろく、同じ話を繰り返すのは年老いた証拠)お母さんの心境と、娘の母に対する感謝の気持ち・・・・

コスモスが揺れる庭先で しんみりとした母と子の情景が 痛いほど伝わってくる。

この詩には 秋桜(コスモス)がぴったりだ、

秋という季節の中で、・・・・茎が細く・長く、淡いうす紅のコスモスの花。

どこかたよりなく、穏やかな風に ゆらゆらと揺れながらも 折れることはない。

子供のために 一生懸命 がんばって生きてきた・・・・・、

このやさしいお母さんの人生を表現するには 秋桜(コスモス)がベストマッチなのです。

これがバラではだめ、チューリップでも シクラメンでも タンポポでもだめ、

このうたの心を支配する花は「秋桜」以外にないのです。

しかも、「うす紅」の色がいい、ピンクとか真っ赤とか黄色ではだめなのです。

オレは この一番が終わるころには もうヤバくなる。

そして二番の最後、 いよいよクライマックスのところ、

ありがとうの言葉をかみしめながら 生きてみます私なりに

こんな小春日和の穏やかな日は 

もうすこしあなたの子供で いさせてください・・・・

ここへ来たときにはいつも 何度聴いても、涙ぼろぼろなのである。

花のうたは 今も昔も たくさんあります。

花を 季節や 時の流れや 恋愛や人生に競合することで 人はなぜか心癒されるのです。

人は花で 人生や心をエスコートしたり、アレンジしたりするのでしょう。

“花の色は移りにけりないたずらに 我が身世に経るながめせし間に”

百人一首で有名なこの歌は 小野小町がいつまでも美しくありたいと願う女心を詠った。

“花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき” 

これは「放浪記」の作家 林芙美子の名句で、人生観そのものである。

“花も嵐も踏み越えて ゆくが男の生きる道・・・” とか

“スミレの花咲くころ 初めて君を知りぬ・・・” とか・・・

作者は知らないけど(オレはそこまで年寄りではない・・・知ってる人いたら教えてくれ)

昭和の初期に歌謡曲や宝塚の舞台で歌われたこれらの曲も「人生」や「恋」のうたである。

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花はいいやね

花には人間のような

かけひきがないからいい

ただ咲いて

ただ散ってゆくからいい

ただになれない 人間のわたし

これは相田みつおさんの詩である。

なにもコメントできない、「ただ そうだよな・・・」と思う。

こういうのもある。

濱口庫之助さんの「花とおじさん」という歌、おぼえてる人いるかな、

小さな花に 口づけをしたら 

小さな声で 僕に言ったよ

おじさんあなたは やさしい人ね 

わたしを摘んで おうちに連れてって

わたしはあなたの お部屋の中で 

一生懸命咲いて なぐさめてあげるわ

どうせ短い わたしの命 

おじさん見てて 終わるまで・・・・

これも わかるよな、

花は 人の心を素直で優しくしてくれる。

赤ちゃんを見ると 誰もがみんな笑顔になると云ったけど、

花にも同じような力があると思います。

オレの娘の嫁いだ家には 高齢で寝たきりのおばあちゃんがいた。

入院中に花を持って見舞いにゆくと「花はいいやね・・・」といって

嬉しそうにいつも眺めていたそうである。

実家(オレのうち)に遊びに来て、マンションの庭に 業者が整備した立派な植え込みのサツキツツジが満開に咲き乱れているのを見て、おばあちゃんが喜ぶからお土産に少し持って帰っていいかしら、でもそんなことしたら怒られるからだめだよね・・・と言う。

かまうことねえ、なんぼでも持っていけ、花なんか切っても次々と咲いてくるんだ・・・

オレはそういって綺麗なところの枝を何本も折って 持たせてやった。

管理人に見つかったらうるさいけど、高い税金と管理費を払っているのだ、これはマンション住民の共有物だからウチの花と同じだ、景観よりもおばあちゃんの心を癒すことのほうが大事だ・・・・と思ったのです。

数ヶ月後、おばあちゃんは天寿を全うした。

棺の中で いっぱいの花に埋まるように眠っていた。

「花はいいやね・・・」 

おばあちゃんの満足そうな声が聞こえてくるようだった。

花はおばあちゃんの友だちだ、

やっぱりあの時、花を折ってよかったと思った。

三歳くらいの小さい子が道端の花をむしろうとしていたので、お花がかわいそうだから

そのまま咲かしておいてあげましょうねと 子供に教えてあげた・・・・。

というような話を聞いたことがある。

“やはり野に置け桜草・・・” という心境なのだろうけども

それは大人に対して教える言葉だ、三歳くらいの わけもわからぬ幼児が 花がきれいだと思い、興味を持ってむしり取ろうとしたのだ、

その子の心に 美しいという意識、きれいなものを手に入れようとする感性が芽生えたのだ、育ち始めた“こどものやさしい心の芽”を 大人がむしりとってはいけない・・・

「お花きれいだね、よかったね・・・」といってこどもを褒めてやったほうがいい。

花や生き物を慈しむ心は ほっといても解るようになるのだ。

花にはやさしいが 肝心なこどもにはやさしくない・・・

花の一本や二本、どうだっていいじゃないか、

環境や自然保護も大切だが、人間の方がもっと大切だと思う。

そういえば、結婚式でも葬式でも・・・人間は「花」に包まれる。

仏壇にも墓参りにも 花を供える。

「よくできました」に花マルつけたり、ラブレターに花のイラストをつけたり・・・

何をするにも、どんなことにも、人は「花」を善意に受け止める。

人と花とは 深い絆があるのではと思うのです。

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いのちを見つめて

オレは41歳の厄年に 大病を患った。

野球の練習中に倒れ、救急車で運ばれ、即入院となった。

劇症肝炎の一歩手前だった。

「 今夜が峠です。 親戚とか、知らせるところがあれば連絡しておいたほうが・・・」

主治医の先生がドアの外側で 妻に話しているのを、オレは個室で点滴を受けながら聞いていた。

ウッソー・・・ゼンゼン平気なのに、そんなに悲観的なこと言われたら困るよな・・・

でもこのくらいの辛さで死ぬのなら楽だな・・・、と変な納得をしながら、点滴の薬が心地よく体内に浸透するのを味わいながらぐっすりと眠った。

幸運と体力に恵まれたのだろうか、めきめきと回復して 一般病棟へ移った頃には 見舞い客の対応で忙しいくらいだった。

友人も、会社の人たちも、野球の子供たちも父母たちも、スナックのママさんも・・・

オレのベッドは「花」でいっぱいになった。

バラにカーネーションにガーベラに・・・赤・ピンク・黄色・紫・・・きれいな色の花ばかりだ。

隣のベッドのおじいさんが、あんたのはきれいな花でいいね、うちのばあさんは菊ばっかり持ってくる、おれは仏さんじゃねえんだよ・・・といいながら笑った。

毎朝 目を覚ますと 目の前に「花」がある。

昨夜のつぼみが 今朝は大きく開花している。

水に挿しているだけなのに、すごい生命力だと思った。

自分の「いのち」という問題に遭遇したのをきっかけに、毎日花瓶の水を取り替え、

花の生命を観察し、しんみりとした素直な気持ちで自分の生命も見つめるような 貴重な時を過ごしていた。

花が開いてゆくのを 観察したことなんて 人生で初めてだった。

オレはガキだった、平日は仕事で、休日は野球で・・・・、この十年もの間、休息をとることもなく無茶苦茶にやっていた、

大切なことを忘れていたのでは?・・・もっと大人にならなければ、

“ゴメンな、好き勝手なことばかりやって、心配ばかりかけて・・・・、

退院したら野球をやめる、これからは家族のために いいパパになる・・・”

心の中で 妻に頭を下げていた。

オレはそのときから 花を育ててみようと、園芸に興味を持ったのです。

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