カテゴリー「昭和」の7件の記事

演歌の心(三)

 君を愛するため僕は生まれた

平成の現代は 日本人の嗜好の幅も広がり、明るく積極的なイメージも好まれるようになったのは いい傾向だね。

テレビドラマ「プライド」のテーマ曲に使われた英国のロックバンド、クィーンの

“I was born to love you.君を愛するために僕は生まれた”

彼女を口説くなら このくらいのウソがあってもいい・・・

この積極性は西洋人に見習うべきところだ。

恋は勢いみたいなもの・・・、言葉にすればウソになることもある。

男なら 惚れているのならウソでもハッタリでも突っ走れ!

グダグタするのが平均的日本男子の 伝統的にダメなところだった。

大袈裟なことを言わないと 人の心は動いてくれない、

当たり障りのない接し方では 友達にもなれない、

「恋」ならば尚更だ、自分の全てをぶつけなければ相手に理解されない。

昭和的にいうなら 男は「渚のシンドバッド」、女なら「どぉにも止まらない」になれ!

アタックするときはウソでもいい、大切なのは愛の言葉やプロセスではない・・・

二人で歩む人生が 互いに真実であることです。 

only one road をtogetherしようよ・・・? てことだ。

(こういうことは卒業間近に解ること、不良オヤジの無責任な見解だけど)

“出逢ったときの君は 食べてしまいたいほど可愛かった・・・・

あれから四十年・・・あのとき食べておけばよかった!”

きみまろさんのトークに 中高年になった二人が腹を抱えて大笑いできるのも

今も変わらぬ 一途な「真実」があるからだ。

(きみまろミニライブ  これは面白いよ)

http://www.youtube.com/watch?v=Mqhh-7Pjr7g 

歌は作者の気持ちを視聴者に共感させなければならない。

人の心を揺さぶることが目的でなければ 発表する意味がない。

従って、演歌の歌詞は 聴く人が「えっ?」と驚くような 極端で過激な表現が多くなる、恋をするときと同じだ。

興味を持たせるための宣伝効果を見込んだ作者の思惑もあったりして・・・?

私は評論家ではないが タイトルや内容に「地名」を使うと曲の売り上げに効果があるような気がする。

例えば 森進一 港町ブルース

♪背伸びしてみる海峡を 今日も汽笛が遠ざかる

あなたにあげた 夜をかえして

みなと みなと函館 通り雨・・・・

  ここまでは なかなかいい歌だ と思うけど、

  サビの部分が 二番以降になると

 みなと 宮古・釜石・気仙沼

 みなと 三崎・焼津に御前崎

 みなと 高知・高松・八幡浜

 みなと 別府・長崎・枕崎

 女心の残り火は 燃えて身をやく櫻島

ここは鹿児島 旅路の果てか みなと 港町ブルースよ・・・

これでは日本縦断港町ツアーじゃねえか?

なんかずるいよ・・・てゆーか セコイよ・・・と思う。

人気歌手が地元の地名を唄えば 町おこしの効果はあるし、少なくとも地元住民はレコードを買いたくなる。

ちなみに昭和四十年代、営業で「みちのくひとり旅」をしていた頃、釜石・気仙沼あたりのキャバレーではこの曲が流れていた(出張報告書には書かなかったが)、

ミリオンセラーにならなくてもいいが、日本中あちこちの地名を出して地域限定で売り上げの輪を広げれば あわよくばヒットする・・・?

一種の販売戦略と評価するのは オラのへそが曲がっているからだろうか。

東京、横浜、京都、大阪、神戸、札幌・・・メジャーな都市を題材にした場合は全国規模でのヒットを視野に入れている。

新宿、銀座、祇園、御堂筋、すすき野・・・などの繁華街も同様である。

1月29日 横浜伊勢崎モールを歩いていたら 故青江三奈の歌碑がありました。

Photo

ドゥドゥヴィドゥヴィドゥヴィドゥヴィドゥヴァ・・・で、

伊勢崎町を全国区にしたのは青江さんの功績だ、横浜市民栄誉賞と伊勢崎町内会特別功労賞に値するな。

Photo_3

それでは演歌の過激な表現に 再びツッコミいれてみっか、

八代亜紀   雨々ふれふれ もっと降れ 私のいい人つれて来い

                 (雨が人を連れてこれるのか?)

       曇り空ならいつも会いたい(晴れの日は会わなくていいのか?)

石川さゆり  誰かに盗られるくらいなら あなたを殺していいですか

                             (いけませんよ)

都はるみ   あなた 死んでもいいですか (これもいけません)

フランク永井  そばにいてくれるだけでいい 黙っていてもいいんだよ

                     (そんなの つまんねぇ)

弘田三枝子  私はあなたに 命を預けた (大丈夫か?)

五輪真弓   鳥になれ 大らかな翼を広げて (無理です)

加藤登紀子  百万本のバラの花を あなたに あなたに あなたにあげる

           (これも無理、大変な金額になる、貰ったほうも困る)

相良直美   二人のため 世界はあるの (フザケンナ!)

 

日常でなかなか云えないことも 歌の世界なら何でもいえる、

だから いいんだよね・・・

歌とは人間の夢、口には出せない 心の叫び なのかもね・・・。

 

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演歌の心(二)

あの鐘を鳴らすのはあなた

演歌は「艶歌」・「怨歌」の字をあてることもあるが

キーワードは おおかた相場がきまっている。 

“恋・別れ・未練・涙・酒・淋しい・怨み・どうせ・・・”

季節・背景は “夜・雨・雪・冬・港町・酒場・宿・・”

どれもこれも寒くて暗~い。 

“やっと掴んだ幸せ”・・・とか、

“愛しているのに別れる運命”とか、 “尽くし足りない私が悪い”・・・など、

どれもこれも じれったいほど控えめで陽気なセリフはあまりない。

演歌が昭和の産物だとすれば 昭和の日本人は 昭和という時代の「負の部分」に支配されながらも そのマイナスイメージを「心地良さ?」に変えてしまう独特の感情領域を備えてしまったのだろうか?・・・(ナンチャッテ、ややこしいこと云うと自分まで解らなくなってしまう・・・、バカだねオレは)

例えば 北島三郎  

遥々来たぜ函館へ 逆巻く波を乗り越えて 

後は追うなと云いながら うしろ姿で泣いてた君を 

思い出すたび逢いたくて とっても我慢ができなかったよ~

水前寺清子 

幸せは歩いてこない だから歩いてゆくんだね

(・・・略)人生はワンツーパンチ 汗かき べそかき歩こうよ 

あなたのつけた足跡にゃ きれいな花が咲くでしょう

人生の応援歌のように威勢のいい歌にも その裏側にはどこか辛い過去を背負っている・・・それでなければ大衆に認められない。

昭和を生きてきた人に この種のマイナスイメージが好まれるのは確かなことです。

でも マイナスでも こんなに爽やかなのもある

あなたに逢えて よかった

あなたには 希望の匂いがする

つまづいて 傷ついて 泣き叫んでも

さわやかな希望の 匂いがする

町は今眠りの中 あの鐘を鳴らすのは あなた

人はみな悩みの中 あの鐘を鳴らすのは あなた

あなたに逢えて よかった

愛しあう心が 戻ってくる

やさしさや いたわりや ふれあうことを

信じたい心が 戻ってくる

いい歌です、素晴らしい詩です。

阿久悠さんの作詞の中で これが一番好き!

昭和という逆境の時代は 悲しさと同時に人の心の優しさも育んだ。

「あなた」とは「昭和」のことを云いたいのだと思います。

      

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演歌の心(一)

◆リンゴの唄

五十を過ぎ団塊の世代となった頃、久々に渋谷道玄坂あたりで飲んだあと

二次会で「並木路子の店」へ行ったことがあった。

渋谷は懐かしい街だ、学生時代センター街のはずれにあるバー「エクストラ」でジャズを聴いていたオラの青春の街だ。

並木さんはそのころ大晦日の12チャンネルくらいしかテレビ出演がない 一線を退いたお婆ちゃんだったが なんとその夜は実物の並木路子さんとお話ができた。

二葉あき子、コロンビアローズ、淡谷典子・・など、仲良しの歌手仲間のアルバムまでひっぱり出して 戦後の歌謡界のはなしなど聞かせてくれた。

オラたちの世代は この元気で上品なお婆ちゃんの唄を聴きながら育ったようなものだ。

オラがカラオケでマイウェイを唄うと「お上手です・・・!」と、

お世辞でも褒められれば調子に乗るタイプだから 

そのあと並木さんに“ゴンドラの唄“を唄ってくれと注文されて 

ご一緒にお願いします・・と、デュエットになった。

 ♪いのち短し 恋せよ乙女

  朱き唇 あせぬ間に

  熱き血潮の 消えぬ間に

  あすの月日の ないものを・・・

昔の歌にしては珍しく心に沁みるいい詩だ、

ある程度の年代でなければ この詩の心は理解できないが

歌いながら声が詰まりそうだったのは 酔いもあったが自分もある程度の年代に達したからだ。

これは大正の歌だけれど これが彼女の青春なのかと思った。

父と兄を戦争で亡くした、東京大空襲で母も亡くした、

私は戦災孤児ですから・・・、

ポツリと云ったこの一言に 自分も含めた酔っ払いのオヤジたちは 一瞬沈黙したが、そのあとで「私には歌の神様がついてたからね 私だけ生かしてくれたのよ」ニッコリと微笑んだ。

若い娘のような明るい笑顔だった。

店を出るとき「ありがとうございました・・・」と、こっちが客なのに 飲み屋でお礼を云って最敬礼して帰ったのは 我が人生でこのときが最初で最後だ。

♪赤いリンゴに唇寄せて・・・で 戦後の日本人に勇気を与えたこの体の小さい元気な婆ちゃんが 歳をとっても永遠の乙女のようで凄く偉大に思えたのです

いのち短し・・・の詩は 今の自分の信条と同じで もの凄く共感できる、オラは乙女ではないけれど 全ての人に当てはまる。

人生は 熱き血潮に燃えているときが一番美しい、

生きるとは燃えながら暮らすこと・・

具体的には やりたいことがあったら今やろう、飲みたい酒があったら今飲もう、食卓に並んだお料理は 一番好きなものから先に食べよう・・・? だって、明日まで残しておいたら味が落ちるし 明日はお腹を壊して食べられなくなっちゃうかもしれない? 明日も自分は生きているという保障はないのだから・・・

こういう解釈はちょっとレベルが低いかな。

大衆歌謡の中から「演歌」というジャンルが登場したのは 自分が大人になってからだったような気がする。

並木さんの歌がラジオで流れていた頃は 日本の歌手が唄うのは流行歌とか歌謡曲と呼ばれて、演歌という言葉はなかった?(オラが知らないだけかもしれないが)

演歌のルーツって 何だろう? 

改めて調べるほどのことでもないが、もしかして この「ゴンドラの唄」が演歌の原型のような気がしてきた。

演歌とは 歌を演じる・詩を読む・詩の心を訴える・・ことだ。

それを演じる歌手の表現力によって 聴く側の受け止め方も違いがでてくる。

よく考えれば 歌謡曲リンゴの唄は 何を訴えたいのかさっぱりわからない、

漫才風にツッコミを入れながら検証すれば

赤いリンゴに唇よせて (これから かじるのか?)

黙って見ている青い空 (お前はアホか?)

リンゴはなんにも言わないけれど(アタリマエジャ)

リンゴの気持ちはよくわかる(嘘つけ!) 

リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ・・・(やっぱりアホか)

なぜこんな支離滅裂な詩がヒットしたのか 並木さん本人が一番面食らっていたのかもしれない。 

 歌の神様がこの曲をヒットさせてくれたのよ・・と言うかもね。

Photoスミレ白

1月6日のお誕生花 花ことば「謙遜」(ユキちゃんの写真)

彼女のもうひとつのヒット曲「森の水車」

 緑の森の彼方から 陽気な歌が聞こえます

 あれは水車の回る音 耳をすましてお聞きなさい

 コトコトコットン コトコトコットン 

 ファミレドシドレミファ

 コトコトコットン コトコトコットン 

 仕事に励みましょう

 コトコトコットン コトコトコットン 

 いつの日か

 楽しい春が やって来る・・・・・

こっちのほうが まともだよね。 

この素朴で軽快な明るさは この頃の日本人の素直さ、勤勉さ、本質的なガッツのようなものを感じさせる。

仕事も満足にできないのに権利ばかりを主張する今時の日本人とはえらい違いだ。

戦後の焼け野原で それまでになかった「リンゴの唄」という陽気なリズムとハチャメチャな歌詞が日本人の心に勇気を与えたのは それを唄った並木さんの明るさだったのかもしれない。

Photo_2 パンジー黄色

1月9日のお誕生花 花ことば「慎ましい幸福」

Photo_3 アッツ桜

1月23日のお誕生花 花ことば「可憐」

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英語にも訛り?

(どげんかせんと・・・のつづきです)

山形弁で喋る人気タレント カリフォルニア出身のダニエル・カールさんが若い頃英語教師として山形県に赴任したとき 山形の人たちの言葉に愕然とした。 

ここは日本ではない! 別の国のような気がしたそうです。 

日本の言葉と文化を勉強してきたのに それが役にたたないのではないだろうかと不安を感じたそうです。  

ユタ州出身のケント・デリカットさんも日本で活躍する人気タレント、 ユタの実家では 畳の部屋でこたつに入り 納豆とふりかけごはんを食べる親日家、ユタは田舎だと皆にからかわれて「ユタバカニスンナヨ!」で売り出した。

ダニエルとケント、西海岸カリフォルニァと内陸のユタ・・・、

両方ともアメリカの田舎っぺキャラで売り出し、ダニエルは日本でも山形弁を売りにしている。

ということは 二人の英語はアメリカ人からみたら やはり「訛り」があるのだろうか?

         

オレは英会話ができない、洋楽の歌詞も辞書をひいてやっと意味がわかる程度だから いいかげんな自己流推測になるが、日本より遥かに広いアメリカ大陸、大西洋側と太平洋側では通じない言葉は日本以上に極端なものがあるように思える。

東海岸ニューヨークあたりを首都圏の標準語だと仮定すれば アイダホ、モンタナ、ワイオミングあたりは日本なら東北弁、ロスやサンフランシスコは関西弁、南国フロリダ、テキサスあたりは四国や九州弁ということになるのかな?

例えば サッチモおじさん、ナット・キングコール、レイ・チャールズプラターズ等の歌は黒人系独特の節回しで すごく訛りがあるように思えるが 都会の夜のショータイムには彼等のお洒落な衣装はよく似合っている。

ところが 白人なのにローハイドのフランキー・レインの英語は明らかに訛りがあるようで、どこの出身か知らないが本物のアメリカの田舎っぺ・・・て感じがする。 

垢抜けしてないから ガンファイトの西部劇に合っていたのかもしれないね。

“OK牧場”の画面を見ながら流れてくる歌声だからカッコいいと思うが

彼がネクタイをしたライブは都会的でないのかもしれない(あくまでも主観だが)

Photo           灰色リスの子供たち (ユキちゃんのカメラ)

戦後の昭和は西部劇ブームで 東映の時代劇も華やかなりし頃だった。

映画くらいしか娯楽の情報源がないような時代、中学・高校のころはオラもかなりのミーハーだった。

大砂塵、荒野の決闘、真昼の決闘、黄色いリボン、帰らざる河、アラモ、リオ・ブラボー・・・封切りを待ちわびて映画館に通い続け、ペギー・リーやテックス・リッター、涙声のマーティ・ロビンス、ハスキーなマリリン・モンロー、そしてディーン・マーチン、F・レインも・・・

西部劇の主題曲は 意味も判らぬまま丸暗記で唄えるほどレコードを聴いてしまった。

大学生のころは「ヨーロッパの夜」で見たプラターズのライブにしびれ、

そして「オーシャンと11人の仲間」を観てからは ついにシナトラファミリーの大ファンになってしまった。

シナトラ一家・・・日本でいえば北島三郎・山本譲二・小金沢昇司のサブチャン一家(比較に若干の無理はあるが)てとこかな?

親方サブチャンは北海道、譲二は広島、小金沢は神奈川大和市の出身だから みなそれなりに標準語ではないが・・・、

シナトラたちも どこの出身か知らないが 彼等の歌を知ったとき はじめてアメリカの標準語に出遭ったような気がした。

米国人の中で 英語の歌を一番お洒落で流暢に唄うのがF・シナトラで、 D・マーチンはいつも酔っ払いながら ロレツのあやしいどうでもいいような英語? 

この不良性が なんとも粋で・・・

そして サミー・ディヴィスJr.の歌こそ プロ中のプロだ・・・! と自分で決めてしまった。

オラの昭和という青春はシナトラだ(だからブログタイトルは青春MyWay)、

漢字にすれば「不乱苦支那虎」・・?(かなりイイカゲン)

オラは音楽の素人だから ラッパを使うデキシーランドがジャズの元祖で、ロックはギターとドラムがメインとなるジャズの発展型・・・くらいにしか思っていないが、プレスリー、ビートルズ、R・ストーンズの偉大さは理解できる。

ジャズやロックンロールという音楽のジャンルは 日本の昭和という時代に欧米が生み出した ひとつの文化なのだと思う。  

昭和生まれの文化だからこそ 理解できるのかもしれない。

Photo_2 チップマンク

オラはクラシックには興味がない・・・、

従って バッハやモーッアルトの偉大さはわからない。

音楽のジャンルといえるかどうかだけど、

日本の“能・狂言”に至っては 更にさっぱり判らない・・・

あんなもののどこが面白いのか? 

狂言師名門宗家の息子がプロレスをやるようでは この手の日本文化は消滅しても仕方ない、 時代に受け入れられない伝統は価値がない。

芸能だけではない、技能や生活習慣までも 近年は様々な分野で後継者不足があとをたたない。

歴史ある伝統文化は民族の貴重な財産だけど、現代人にとって難解なものになってゆくのは むしろ自然なことなのだ。

歴史ドラマでよく見るシーン、織田信長が炎に包まれた本能寺で

「人間五十年 下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり ひとたび生を享け滅せぬもののあるべきか・・・」戦国武将の間で流行した幸若舞“敦盛”の一節を舞いながら 滅びてゆく・・・、

信長はこの歌のファンだった、彼の人生観というか この曲にしびれていたのだ。

この時代の人だから この難しい歌が理解できる、

いまどきは 死を覚悟して能を舞う人なんて いないからね。

時代の変化とともに人の感性まで変わってゆく・・・

時の流れとは こういうことだ。

ちなみに自分の葬式BGMはもちろんシナトラMyWayの予定です。

オラには英語の歌に能書きたれる資格はないが ジャズを好み、シナトラを敬愛し、メロディや歌声の素晴らしさに感動した青春は 大切な自分の宝物だけど・・・それは別格として、 

やっぱりオレは日本人だ!

四十過ぎたころから 演歌の心がわかるようになってきた。

理由は単純、なんてったって歌詞の意味がわかるからね・・

演歌は 昭和の「ワビ・サビ」だ。

しみじみ聴いて味わって、唄って・・・、

心が震え涙するのは やっぱり演歌だねぇ。     つづく 

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どげんかせんと

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昨年末、ゴルフの「ハニカミ王子」と宮崎県知事東国原さんの「どげんかせんといかん」が流行語大賞に選ばれました。

私の予想では「そんなのカンケェネェ・・・」 かと思っていたが、

お笑いとはいえ パンツ一枚のパフォーマンスだから 子供たちにはウケても 

品格?という点を考慮に入れれば 大賞にはイマイチの評価になったのでしょう

「ハニカミ」と「どげんか・・・」は妥当なところですね。

そこで九州宮崎のことば「どげんかせんといかん」を 他へ行ったらどういう言葉になるか ちょっとだけアレンジしながら想像してみました。  地元の人に満点もらえるかどうかわからないが。

 

どげんか せんといかん・・・が 

◆土佐の坂本龍馬さんだったら

「日本は どげんかせんち いかんぜよ・・・」

◆広島 仁義なき戦いの菅原文太さん

「じゃけ どげんかせな いけんの・・・」

◆元大阪府知事 横山ノックさん

「そらあかんで、えらいこっちゃ! どないしょ~、」

◆名古屋で 赤カブ検事の奥方

「ほんだで おみゃあさん、なんとかしてちょ~よ!」

◆大雪と水害と地震と、苦労の絶えない越後のおばあちゃん

「だっけさ・・・はぇ どぉにかしんきゃ だめらこてさぁ・・」

◆信州安曇野 農協のオッチャン

「そいっぁ どぉにかしねぇと いけねぇだよ」 

◆静岡の農協なら

「そぉずら、どぉかしねぇと いけねぇずら・・・」

◆茨城県会議員

「我がエバラキにも 国のインジョを取るには どうすっぺ・・?」

◆東北 青森・秋田あたりの村長さんになると

「だども、ならば、どおぬかすねばなんねぇ・・・」

◆北海道まで行くと 伝統の浅い開拓地だから標準語にやや近くなり

なんかしねぇと だめだべさ・・・」

 

2008_01010030

2008年1月1日の富士

日本は狭い国なのに 西と東、南と北ではこれだけ言葉が違います。 異口同音というよりもこの場合は異音同意・・そんな熟語はねぇか?

文章にするからなんとか理解できるが その地方独特のアクセントで喋られたら日本人同士でも通じないこともある。

日本は南北に長く季節がある国、夫々の地方に方言や訛りがあるのは 古くからの生活習慣、暑さ寒さの違いもあるから?

例えば 東北は寒いから口を開けずに急いで喋る、暑い南の地方はのんびりとあくびをするような言葉になる・・・。

Photo_5 千両

私は東京生まれの神奈川育ち(ご先祖様は信州だが)、その気になればバリバリの標準語も 江戸弁も使えるけれど“ことば”には訛(ナマリ)があったほうが面白いと思う。

どこへ行っても自らのお国訛りを貫けば それはその人のユニークな個性になる。

自分のように どこの地方の言葉にもある程度合わせてしまうのは 個性の表現に乏しいことになる。

北は礼文島から 南は桜島まで・・、若いころはよく旅をした。

社会人になると 広島に工場のある会社で、東京本社勤務であったが 同僚は広島人が多いから日常会話は広島弁で喋るし、営業で仙台を拠点に十年も東北出張をしたおかげで 訛りの本家?東北弁にも精通してしまった。

でも 津軽弘前あたりで、地元の人同士の会話は 他国言のようにさっぱりわからない。 商談のときは先方が気を遣って ある程度標準語に合わせてくれていたからだ。

津軽で道を尋ねたら「ハズィノフィェナラバ ヌリグレダナッス・・・?」

翻訳すると「八戸までは ここから二里(8キロ)くらいです・・・」である。

関西や九州の人には マンズ ワガラネナ!

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バイリンガルとは多国語を話せること、日本では特に英語に精通した人をいうらしいが、オラ外国語は苦手だし、今から勉強しても遅いし・・・、せめて日本語限定バイリンガルならば自信はある。

営業で京都の得意先へ電話すると「おおきに・・・」と挨拶されるあの独特の京言葉、ふんわりと交わされてしまいそうで・・・それなのに腹もたたない。 ところがすぐ隣の大阪弁は せせこましくてアカン! 漫才ならば スピーティで楽しい言葉だが 大阪弁を営業的にまくしたてられると むかつくこともある。

歴史的にみれば 大阪は秀吉や堺商人が拠点としたパワフルな商いと庶民の街、

京都は朝廷と寺院のある雅な伝統の都・・、そういうことが原因なのかもしれない。

そういえば オラ“京ことば”に まだじっくり接したことがない。

これではまだ 日本語のバイリンガルとエラそうなことははいえない。

そうだ! 京都へ行こう!                                       妻とふたりで 京都の旨いもの探して ぶらりお散歩の旅へいこう!             ついでにお寺や街並や 日本文化と伝統をアルバムに沢山残したい!

暖かくなったら なるべく早いうちに「どげんかせんといかん!」

 どないかしゃはらな あきまへんぇ・・かな?

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新年おめでとうございます

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煙突の見える風景

我が家の近所に大きなエントツがあります、 

町田市近郊の山奥?からこの街へ越してきて、ゆとりある時間を持て余し 去年から知らない街の探索を兼ねてウォーキング三昧。  地図を持たず方角も選ばず 遥か遠方までむやみに歩いてもこの煙突さえ見えれば家に戻ることができる、それほどノッポで大きな煙突です。 

 

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そういえば平成になってから 煙突という建造物はあまり見られなくなった。

家の屋根にも煙突がないから 今どきのサンタクロースは入ってくるところがない、

12月24日深夜には酔っ払ったおやじがプレゼントの包みを持って 寝ている子供を起こさぬように玄関から静かに入ってくる、翌25日には連夜の会合で飲み疲れたおやじが売れ残りの半額ケーキを鬼の首とったように引っさげて、今度はみんなを起こすように堂々と帰還する。 それがサラリーマン家庭の平均的クリスマスパターンだった。

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東京湾沿いの京浜工業地帯には大工場の煙突が建ち並び、隅田川には四本の煙突が見る角度によって一本になったりする「お化け煙突」という名物もあった。 

銭湯のシンボルは煙突、蒸気機関車も船舶も煙突なしでは走れない・・・、

今想えば 昭和は「煙突」の時代だ。 

その煙突からたちのぼる煙は高度成長への狼煙(のろし)、

日本人のエネルギーを燃やす雑草の如き逞しさを象徴していたのだ。

昭和という時代は日本人には 良い時代ではなかった、

日本の歴史の中で 最も悲惨な外国との戦争を経験したからだ。

横綱と前頭ほど力の差があるのに 真珠湾というアメリカ領土を直接攻撃したのは日本だけだ。 ちなみに昨日(12月8日は真珠湾攻撃ニイタカヤマノボレで日米の戦争が始まった日、この日を知る人も最近は少なくなってきた)あれは卑怯な奇襲だと米国人は反論するが、9.11のテロとは全く性格が違う、日の丸を堂々と掲げた真っ向勝負だった。

しかし日本のポイントはあの先制パンチ一発だけで あとはコテンパンの完敗。

最終兵器「核」の悲劇まで味わったのも世界で唯一日本国だけだ。

それなのに半世紀後には世界でトップクラスの経済大国に成長したこの立ち直りの早さ、 進駐軍が持ち込んだ民主主義という自由を受け入れて、コーラにチョコレート、ジャズもファッションもスポーツも・・・美味しい食べ物も楽しい娯楽も芸術も、全てを受け入れて発展の糧にした日本民族の資質とは 何なのだろうか?

ただ器用で 環境の変化に適応できただけなのだろうか? 

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2007年11月、三ツ星レストランが世界で一番多い都市は東京だということが発表された、フレンチのパリでも中華の上海でもない、美味しいものを食べる目的だけで旅行する価値があるのは なんと我が日本国なのだ。 

ミス・ユニヴァースだって日本女性だ。

これではまるで「酒は旨いし姉ちゃんはきれい!・・・」日本は天国ではないか?!

やっぱりオレたちは昭和に生まれ平成の今日まで生きてきてよかったのだ。

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人生はみな波乱万丈、「忘れられない 忘れたくない・・・」怨み節のひとつやふたつはあるけれど 良いところにも目を向けなければ幸せにはなれない。  

♪おとこは誰もみな無口な兵士 笑って死ねる人生 それさえあればいい・・・

この歌のようにいきたいね。

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世界のリーダー?自由の旗頭を自認するアメリカは 第二次大戦後もソ連との冷戦を背景に 朝鮮戦争、キューバ危機、そしてベトナム戦争、永遠に続く中東紛争にも介入を続け、今はアフガン・イラクに手を焼いて、北朝鮮にイランにパキスタン・・・

新たな厄介者まで抱えている。 

どれひとつ解決しないのは 民族の理念や信条が力でコントロールできないものだからだ。(火事場の野次馬か?・・・ブッシュさんも意地を張らずにイラクなんかほっといてさっさと帰ってくればいいのに、自分とこだってハリケーンや山火事で大変なのにね)そしてベトナムも北朝鮮もいまだに貧しく、イラクもパレスチナもテロで混乱が収まらない。 どこもみんなスッチャカメッチャカなのに・・・アメリカに完璧に叩かれた日本だけが なぜこんなに成長したのだろう。

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昔の映画で(タイトルも俳優も忘れたが)太平洋戦争の最中 南の小島に米兵と日本兵が二人だけ取り残された、敵同士だから最初は殺しあうが やがて弾丸も尽き互いに疲れ果て やがて会話を交わすようになるが何ひとつ意見が合わない、そのうち二人にひとつだけ共通点があることに気づく、それは互いが愛する家族の写真を持っていたことだった。それをきっかけに少しずつ理解を深め 生きるために友情が芽生えてゆく・・そんな内容だったけど、 その中で米兵が「日本人はなぜ神を信じないのか?」

その「Why?」から始まるセリフと その場面だけがオラにはやけに印象的だった。

これが日本民族の資質というか不可思議さを解くカギのような気がする。

例えばイスラムの人たちが一日に何度も長い時間をかけて 仕事をほったらかして「お祈り?」をするが あの光景はまるで理解できない。

神に祈るヒマがあったら働けと思う、飯も満足に食えない連中が神に祈ったら幸せになれるのか? 楽して幸せになれるはずはない・・・と考える。

オラも最近 神仏を否定はしないが仏壇に線香上げる程度で、祈りと生活は別問題だ。

日本人は意外と現実的で合理的な民族なのかもしれない。 

この映画のように両方の民族が家族の写真をもっと早く見せ合っていたら 世界中どこにも戦争なんか始まらないかもしれないのに・・・と、夢のようなことまで思ってしまうのです。

世界遺産広島の原爆ドームへ行ったときだった、原爆資料館で外人(英語で何かぶつぶつ云ってたからアメリカ人だろう)の老夫婦が悲惨な写真の前で泣いているのを見た。

それを見たら自分まで泣けてしまった。 

どっちが悪いとかの問題ではない、観光で訪れたあの老夫婦は 何故こんなことになってしまったのだろうと、取り返しのつかない悲しさを神に詫びて涙しているのです。

ヒューマニズム(人間性)とは優しさのことです。

人はみな どこの民族も優しくない人なんかいないのにね、 

世の中そんなに単純ではないけどね。

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ところで煙突のはなしであった。

これは清掃工場のゴミ焼却用の煙突です。

住宅街のど真ん中にあるのに環境問題の苦情がでないのは 最先端のハイテクで有害物質を発生させない超高熱焼却処理ができるからだそうです。

その焼却熱を利用して 温水プールとお風呂などの施設ができたのです。

オラも去年 はじめて行ってみた。 爺さんばかりの風呂だから最初は抵抗があったが このお風呂はなかなかいい。

広くてジャグジーが何本も噴射して、腰痛持ちのオラはプールのあとに時々利用するようになった。

福祉施設だから六十歳以上限定で無料だし、このへんの年寄りには人気の癒し空間だ。 浴場の他にロビーや宿泊施設、図書館に大広間、カルチャールームにダンスホールまであって 朝から弁当持ちで一日過ごすお年寄りもいる。

大広間からはカラオケで爺さんたちの演歌や軍歌が聞こえてくる、

ホールでは背筋の伸びた爺と婆が真面目な顔してダンスして、

ライブラリイではだいたいみんな居眠りをしているが。

カラオケ大広間は覗いたこともないし、(オラのマイウェイはここでは通じないから)

何人か顔見知りはできたが 軍歌を懐かしむ爺さんたちの会話にまで入っていけない、

ここでは六十代はまだまだルーキーだから(あと五年もしたらレギュラーの交代は予想されるが)爺さんたちの会話を聞きながら おとなしくお風呂に入ってくるだけなのです。 そして、爺さんたちの会話は 様々なジャンルで「昭和」のはなしを聞くことができる。 半ボケ同士の会話には 楽しいコントもあります。

「ふるさとの 訛り懐かし停車場の 人混みの中に そを聴きにゆく」 啄木の詩ほど高尚ではないが 昭和を駆け抜けてきた逞しき爺さんたちの会話を聴きにいくのが お風呂の楽しみのひとつになった、 

「星の流れに」、「キューポラのある街」、「寅さん」、「三丁目の夕陽」まで・・・ ここには「昭和」が溢れている。

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昭和という古き良き時代を次の世代に伝えたい、爺ちゃんたちのコントも紹介したい、

来年は「昭和」という新しいカテゴリーで 昭和ならではのちょっとおもろい話を更新してみようと思います。

オラも昭和という青春を駆けてきた 昭和の思い出しか語れない爺のはしくれだから。

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昭和の夏

Photo_158 今年もまた暑い夏になりました。

カブトムシやクワガタが 最近はインターネットでも販売されているそうで、

なんかヤダね・・・

買ってきたカブトムシと遊んで 子供の夢は本当に叶っているのだろうか。

森の中を歩き回り、虫に刺されたり転んだり あちこちに擦り傷を作りながらクヌギの樹液に集まるカブトムシを見つけたときの あの感動をいまどきの子供たちは知らない。

子供はワイルドにアドベンチャーをさせてやりたいよね。

スダレ・ところてん・金魚売り・風鈴・蚊取り線香・浴衣にうちわ、花火に盆踊り、

子供たちはトリモチや蜘蛛の巣で作った網でセミをとり、

夏祭りの縁日で金魚すくい、綿飴・ラムネ・アイスキャンディ・・・、

昭和の夏には“風物詩”があった、

♪浴衣の君は ススキのかんざし

熱燗徳利の 首つまんで

もういっぱい いかがなんて

みょうに色っぽいね

ゆかたにはこんな風情が似合うのに・・・、

今頃は暑すぎて 浴衣なんか着てらんねぇ、

クーラーがんがんの部屋で 浴衣着てうちわ持ったって絵になんねぇ、

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昭和20~30年代、古き良き昭和の夏は蚊やハエの黄金時代だった、

花火見物に行くと必ず蚊に喰われて、魚屋には蝿取り紙がぶら下がっていた。

蝿取り紙はゴキブリホイホイの空中版だ。

五月蝿と書いて「うるさい」と読む、これはマジで正式な漢字である、

それならば蚊は虫偏に「痒(かゆい)」でもいい。

子供の頃、夏の夜寝るときは蚊帳の中だった、布団を敷いたあと蚊帳のセッティングが大変で、タイミングよく蚊帳をまくって素早く入らないと蚊まで一緒に入ってしまう、耳元で ヴィ~ン・・・とくる一匹の蚊をやっつけるため 電気をつけて夜中に戦闘開始する、  やがてスプレー噴射で蚊をぶっ殺すキンチョールの開発や 道路や下水の整備と共に ため池やドブ川が消えて街が清潔になり 蚊帳の時代が終った、

確かに最近は 蚊も蝿も見かけなくなったけど トンボまで減ったのは寂しいね。

今想えば あの頃がフロンガスやアスファルトによる地球温暖化の出発点だったのか?

生活が便利になって 楽しいことが沢山あるのは良いことだけど、便利になりすぎたことが温暖化の原因になってしまった。

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昭和の夏もそれなりに暑かった、毎日暑い暑いと文句が口に出てしまう。

いふまいと おもへど今日の寒さかな You might think today some fish.

夏バージョンは hot fish にすればよい。

ついでに松尾芭蕉 夏の一句 Full I care coward to become with note.

                   (真面目に追求しないように)

冷房のない満員電車の通勤は地獄だった、

帰りにはついに耐え切れず 乗り換えの駅前のパチンコ店で汗が引くまで千円ほど負けて、何か旨いものでも食ったほうが良かったと後悔しながら不機嫌に帰宅する。

でも いまどきは満員電車の冷房を止めたら暴動が起こるくらい暑い。

同じ夏でも 近年の夏は暑すぎるよ、こんなにクソ暑いのはもぉたまらん・・・

生活が便利じゃなくて、欲しいものがなかなか手に入らない時代のほうがずっと良かった・・・と思うのは、古き昭和の夏を知っているオラたちだけだろうか。

今 便利な世の中になって良かったな(^.^)・・・と実感できるのは

自分的には トイレのウォッシュレットくらいだからな。

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我が国が今少子化に悩むのも “便利さ楽しさ”の反動だ、 

人口が増えて困っているのは どちらかいえば発展途上国だからね、

テレビもねぇ、ラジオもねぇ、電気もねぇ、バスは一日一度来る?

これじゃあ暗くなったら もう寝るしかねぇ・・・

面白いことが他にないから もうやることはアレしかねぇ、

従って、人口が増え続け 食糧問題しか発生しない。

やはり先進国に生まれて 幸せだと思わなければいけないのだ、

発展した先進国である以上 少子化はこの先も自然分娩的に解決する問題ではない、

少子化なんて贅沢な悩み・・・ヤキモキしてもどうにもならない。

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◆サイドバーに貼ったブログパーツ「まめたん」

和⇔英、和⇔韓、単語が検索できちゃう!!

ホントに便利な世の中ですね、最近の学生はコンサイスめくったりしないのかな?

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