カテゴリー「横浜ベイサイドストーリー」の4件の記事

あれから2年・冗談と笑顔

大寒も過ぎた冬晴れの朝、いつもの散歩道、冬木立の森を歩いていると

むこうから自転車に乗った ネエちゃんがやってきた。  

ニコニコしながら「あ~ら・こんにちは、お散歩ですか~、・・・今日は寒いですねー~・・・」

「はい・コンニチワー・・寒いですねー・・・、気をつけてねー、風邪ひかないでねー・・・」 それでおしまい。 すれ違って颯爽と行ってしまった。 オラも颯爽と歩きながら その場を離れる。 相手がネエちゃんだから とりあえずこっちも愛想よくニコニコしたが 誰だかわかんない・・・? あれー? 誰だっけ・・・?? 分からないけど・ま・いいか、ネエちゃんに声掛けられたのだから 気分は良いから とりあえずこっちも愛想良くするのは悪いことではない。

一月末、病院のロビーでも若い看護婦さんが二人やってきて、「アラ~!ジッチャーン!こんにちは 久しぶり~❤ 」 陽気で活発なギャルギャルした二人組である。

これも誰だか解らないが 手を振りながらやってくるから オラも手を振って ニコニコしながら「はーい、元気・・・?頑張ってる?」「???・・・それはこっちの云うことですよ、お元気そうですね、良かったわねー(^.^)、」「アリガトー、まだ生きてるからね、」入院中にお世話になったナースだが 名前まで思い出せない、ジッチャン扱いされても抵抗感じなくなってしまったところが ちょっと淋しい?けれど、孫娘世代だから仕方ないか??? 

ところであんた誰だっけ・・?と訊いたら・・ありえなくない?・・・まだ治ってないかも・・と言われそう。

相手が誰だか分からなくてもいいのだ、ネエちゃんなら??  この傾向は今に始まったことではないが。

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一昨年の2月、生死の境を彷徨うほどの大病に倒れ 泣いたり笑ったりしながら もう二年が経った。  あっという間だった、自分にとっては良くも悪くも 日々の出来事が 全てラッキーな思い出に残る不思議な時間だった。 時の流れの速いのは有難いことであった。 

若い頃の病気は舞い上がった、しっかりと向き合い、一日も早く治したいから病と闘おうとするが 熟年世代になると病気に対して無責任である。 舞い上がるのを通り越して ヤンチャな甘えん坊になる。  

のどかな冬晴れの日、横浜の海を眺め カアちゃんと病院の思い出を語りながら散歩。  水際公園付近、ここの景色は涙もろくなる、人生まで振り返る思い出多き特別な場所である。  二十歳の頃だった、木造の釣り船が並ぶ桟橋で 港の景色をスケッチしたこともあった、実らぬ恋もした、ヤンチャもしたな、病気もヤンチャのうちならばヤンチャばかりだった、いつもドヂで運に恵まれない半生だったが いつも良き友達には恵まれたな、純情な青春の思い出に ちょっと涙ぐむ・・・

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あれから四十五年、今、まるで違う自分がここにいる。  とりあえずネエちゃんにはニコニコする、調子がいいだけの いい加減オヤジになってしまった。  

優しくていい人だったのにね、後になって人からそう云われる「いい人」なら良かったのにね、いい人じゃない人だったから シャアシャアと生きている。 ずーっと冗談ばっかりで、病院ではウッザイおやじで誰にも信用されない甘えん坊の問題児?であった。

隣のベッドに高校生くらいの少年がいた。  小さい声で友達と電話「うん、ボク・大丈夫だから・・・ありがとう」、そしてお母さんがくると気弱になって「アタマ痛いんだよー」と泣く。 お母さんが「大丈夫・大丈夫だよ」と、励ます。  夜中になるとエーン・エーンと大きな声で泣くから 「どーしたの・どーしたの?」と、若い看護婦さんたちが ぞろぞろ集まってくる。  オレのとこを通り越して みんな彼のところへ行く、何でだよ? オレんとこにも来てくれよ!

いいな・いいなー・フレンドリーで いいなー❤ オレも甘えたいよ、誰かきてー!・・Take my hand..手でも握ってくれないかなー❤ ♪シアワセよ・ここに来ておくれよ♪・・それで死んだら理想的・・「・???・・」ダメですよ、ドサクサ紛れにチョッカイ出さないで! 一人でマジメに寝なさいと オレは何もしてないのに怒られる。  チョッカイ出すなら電話番号聞いてからだよ、但し三十年若ければな。

結局若い男はモテル、爺さんはヒガム?この差が悲しい。  

冬場はお肌が乾燥するから男の下半身が痒くなる、これは生理現象ではない「カイキン症(痒金症または皆勤賞)」という男性特有の皮膚疾患で痒み止めの軟膏で治療する。 痒いけど掻いてると恥ずかしいから人に見られないように掻く???これを「キンキラキンにさりげなく」という(ビートたけしのネタですけど)

布団の中で「さりげなく」をやっていたら 巡回のナースが急に布団剥がして「コラー!」と また怒られる。 そんな・疑惑の目で見ないでほしい、痒いだけだ、あなたが予想する大胆なことまでしていない、だから誰か来てほしかったのに・・・❤???     

隣の部屋には「ヴォー・GAOW・・・と、満月の夜に吠える狼男みたいなオヤジがいた。 ただでさえ眠れないのに なんだあのヤロウは?・・ぶっ飛ばしにいってやるか」起き上がろうとすると「まぁ・まぁ、落ち着いて、冷静になってください、すぐに治まりますから」とそばにいたナースが必死に制止する。  あのオヤジより オラのほうが よっぽどデンヂャラスかも ?  

病棟は悲しいドラマが沢山ある場所だった。 

あの悲劇の環境で オラは何故かひとりご機嫌なお笑い系無法者だった。 

辛そうだったねあの子、もう良くなっただろうか・・と、二年前の悲しいことまで思い出す。  他人の子でも 彼は同じ部屋で同じ病と戦う戦友だ、命は若いほど美しい、元気に復活していてほしいと 祈るような気持ちになった。

Photo_3 救急車の中でも冗談云ってたよ、真実だったのは病気になったことだけじゃないの、

ヤンチャでみんなに迷惑かけるのが心配で ハラハラして疲れたのは女房だけ、オレだけこんなに元気でいいんだろかと 周りのみんなが苦労してるのに オラだけ苦痛を体験していない、日々ハッピーやってるからバチが当りそう??    

毎日元気に歩いている自分のラッキーがまだ不思議である。  結果オーライだから こんなもんで いーんじゃないの。  ダメ、シャンとしないとね。 そんな大昔のことを憶えていながら お世話になった人の名前を忘れてはいけないね、それがみんなへの御恩返しだ。  二十歳の夏に歩いたこの桟橋は「みなとみらい」のビル群も見えない景色だったが 海の色と匂いは あの頃と変っていない。     

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◆読者各位、病気の報告、2月15日で三年目になる。  定期的に続けている検査も問題なく 非常に順調に快復しています。 お蔭様で肉体も心もラッキー&ハッピーで キャラも変らないからシモネタも順調であります。 暗くなるよりはいいがハッピーばかりやってるのもアホですから たまには真面目にならないとね。

 もうすぐ春ですね、暖かい穏やかな日差しを浴びながら またこの海を眺めて 病棟のみんなのことを思い出してやれば 優しい気持ちになれるよ。 

とりあえずいつも笑顔で 長~く元気でいられるように 精進しよう・・・と、思うのであります。 

 時間の経過とともに「幸運」が実感できるようになった。 今年も新年から毎日沢山歩いているので 古希はまだまだ先だけど 身体はコキコキ鳴る時もある、??

この二年間、自分では良い事沢山あったから そろそろここらで多少のバチが当っているのかもしれない。   

 

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横浜マラソン 

去年の年末、クリスマスの頃だったかな。

急に海が見たくなって、それも 横浜の港が見たくなって山下公園を歩いた。 リハビリのお散歩がエスカレートして ついにここまで来てしまった。 やぶれかぶれもあった。

オラの横浜ベイサイドストーリー、淡く切ない青春の記憶を辿ってみたくなって 海からの冷たい風の中を帽子押えながら 大の男が泣きべそになって歩いた。   

去年の早春、あの時病室で 眠ったまま目覚めなかったかもしれない、年末になっても まだ入院生活が続いていたかもしれない。  それが復活して この海を見ながら歩けることの幸運に心が震えていた。 1年も2年も病室で寝ている人はザラだったからな。

死ぬかもしれない、いつ死んでも不思議は無い、今日歩かなければ明日はない、そんな気になって 意地と根性で歩き続ける毎日であった。 ここが病気の哀しいところである。 

あれからもう一年、あっという間に時間が過ぎた。  まだ生きている、ウソみたいな気がする。 何か変ったことは・・・ないね、自分自身は何も変ってない、旨いもの食いたい、ネエちゃんが好き、脚腰元気で草野球したい、渓流で釣りがしたい、懐かしの曲を聴くと涙もろい、カラオケパーティやりたい・・・。 あれもこれもと煩悩の塊りである。

基本的に不良オヤジの程度が多少レベルアップしたくらいで何も変らないが ジョッキは2杯でブレーキかけるようになった。  人生が面白いと思えるから 身体を大切にしたいと思うようになった。  

去年の勢いだったら マラソン大会も出走したかもしれない。

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横浜の街は青春回顧録の舞台だ。  山下公園、学生時代はこの辺で遊んだ、死ぬほど走った、オレは駆けっこが苦手なのに 走ることばかりやらされたな。  体育会系の部活は 何をやっても走ることばかりだった。但し 死ぬほど勉強したという思い出はない

野球に始まって格闘技まで あれもこれもと何一つモノにならない。  無謀なことにアメリカンフットボールまでやったな、ヘルメットにプロテクター、あの格好がしてみたいだけだった、半年でやめたけど。  青春とは「走る=大嫌いな」ことの積み重ね・・である。

運動部で活躍すれば女にモテると思ったからである、間口広くて奥行きは浅い、イナバウワーとトリプルアクセル以外のことは だいたいやったな。 

走らなくてもいい運動部はないものか、腕相撲なら走ることないべ・・・、でも そんな部は無かった。 結局自主的に軟派同好会を結成して女の尻を追い求めていたが 中途半端な青春だった。  それでも横浜の港は大事な思い出になるから 人生いろいろである。    

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◇11月29日 日曜日、横浜マラソン、何千人の市民ランナーが公園前の大通りを走ってゆく、走れる人はスゴイよ、尊敬に値するね。

◆余談 プロとアマの実力差・ウソみたいな話

 ①学生時代のマラソン大会、前半からヒーヒーいいながら走っていると もう折り返してきた先頭グループとすれ違うとき・・・あれはむかつくな

 ②北島康介と一緒に飛び込んで 顔を上げたら北島君はもうこっち向いて泳いできてすれ違った?(最近聞いたこと)ホントだからスゴイよ、日頃の鍛錬は強い。  

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ちなみに10㌔ で優勝した人の記録22分、100㍍だと12秒ペース、走るの苦手なオラには驚愕である。 プロ並、オリンピックレベルだ。 翌日靴下履くときにぎっくり腰になる自分が情けない。 今100㍍を全力疾走したら オラ死ぬな。 星目の置き碁、三歩の将棋のようなものである。 生物学的にみて人類は同一種でも ジャンルを特定すると これほど能力格差があるのだ。 そのうち空飛ぶ人が生まれる?(そりゃないだろ・スーパーマンなら別だけど) 

山下公園 この場所にオラは弱い。 去年はうるうるしながら歩いたが 今年はマラソン大会の人混みで体裁悪いから 普段の顔で歩いたよ。 友人たちの応援ジャ、皆無事に戻って来いよ~・・!・それを祈ってゴール前でウロチョロと海からの風も穏やかだ。 皆が速いのにびっくり、若い人は強い、学生は特に強い、爺さんのグループがやけに元気に走っているからスゲェよ・・・。 病み上がりのオラには眩しい光景である。 来年はオラも挑戦できるようになりたいよ、まだまだ精進・・であります。   帰り道はみんな脚ガクガクで オラも膝がガクガク◎×▲・・・

みんなよく頑張りました、マラソンするなんてスゴイことです、達成感を味わえる貴重な体験です。 走るって幸せなことです。 大病の経験者は皆同じ心境になる。 この数千人の健康な人の群れに自分もまぎれていることが ひとつの感動だ。 健康であることが一番の幸福だ。 結局下半身に問題残るところか辛いけどね。   

アユ釣り大好きの人が解禁前はジョギングして足腰鍛えるという、昔の話、囲碁や将棋の棋士は対局前に走る人もいたという。 オラの考察では 宮本武蔵は巌流島の数日前から走りこみをしていたと思う。 ダービー前、馬の調教と同時に騎手も走りこまなければいけないよ。 

何事に於いても 人間は走ることが基本、ということは「腕相撲」でも走る練習するかもしれない。軟派研究会も走るか???

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学生時代は人生で一番楽しい時期だ、花ならつぼみ、競馬なら新馬戦だからな。  一生懸命やってもなかなかうまくいかない、すれ違いの純情、誰にでもあることだけど 若く純粋だから心地よい思い出になる。 時間が経つほど切ないノスタル爺になる。  ♪卒業写真のあの人は やさしい目をしてる・・・こんなのが聞こえてきたりしたら もうウルウルになる。  思い出の隣には必ず歌がある。これも日本人特有のセンチメンタリズムである。 

港の見える丘公園から横浜港の煌く夜景を眺め 満点の星空に夢を誓った二十歳の夏、あの夜の美しい純情を 東京暮らしで忘れたか・・・冗談じゃねぇ、ここはお岩木山と違う、世界一美しい港町 大都会横浜だ。 忘れるものか、忘れられないから泣き虫になって苦労しているのだ、図々しい不良オヤジになっちまったけどな。 あの夜の熱い想いを ずっと大切に温めて歩いてきたから オラの命は今日も燃えているのだ。  この公園の景色を見ると また涙もろくなるのは 不良オヤジに残されたせめてもの「純情」であろうか。  

 「赤い靴はいてた女の子の像」探したが見つからなかった、銀杏並木の黄葉がキレイに色づいていた。

赤い靴  はいてた 女の子
 異人さんに つれられて 行っちゃった  

よこはまの 波止場から 船に乗って
       異人さんに つれられて 行っちゃった (野口雨情)

なんか寂しくなるな、近代日本の発祥地横浜は寂しくなる歌が沢山ある。   戦後の昭和という時代背景が日本人の心に切なく響くのである。    赤い靴はいてたら脱げた・・・(これなら寂しくないだろ) こんなこと唄ったら叱られるだろな。

★アカシヤの雨に打たれて このまま死んでしまいたい 夜が明ける日が昇る 朝の光のその中で 冷たくなった私を見つけてあの人は涙を流してくれるでしょうか (西田佐知子)

★よこはま たそがれ ホテルの小部屋 くちづけ 残り香 煙草のけむり ブルース 口笛 女の涙 あの人は ...行って行ってしまった あの人は行って行ってしまった もう帰らない  

 ホントに寂しくなっちゃうね。

★あなた知ってる 港横浜 街の並木に潮風吹けば 花散る夜を惜しむよに 伊勢崎あたりに灯りが灯る 恋と情けの dodovi▲◎❤ dobidobidobidoba?? (青江三奈)これならいい、キャバレーに居るみたい。

★Oh Oh Wow Wow 横浜ベイスターズ 燃える星達よ Let's Go
Oh
 Oh Wow Wow 横浜ベイスターズ 夢を追いかけろ       
    これは明るくていい。

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もうすぐ春ですね (その二)

2月14日 未明から春の嵐が吹き荒れた、春一番。

午前中には晴天、鶴見川の土手で お弁当、暑いくらいの春の陽射しの中に菜の花が咲いている。 小田原では27℃の真夏日、 今年も夏が暑い・・・!

Photo_2 東横線、学生時代、横浜へ行くには東横線だった。 この遥か下流が横浜港、横浜スタジアムがある。 当時は平和球場と呼ばれるローカル球場だった、何度か野球をやりに行った。 ベイスターズの本拠地は川崎だったから まさかプロの球場になるとは・・・?  景色を見ただけでも青春の想い出は果てしない。

タイムマシンがあれば 戻りたい・・・18の夏がいいな♪ 和田あきこのリズム&ブルース・・・好きだな、オレだったら二十歳の夏に戻ってみたいな、この川の先にある横浜港が見える場所へ数分でいいから 戻れたらいいな(^.^)・・・昭和の青春は 誰でも想い出の時と場所があるのだ。 子供の頃は未来へ行ってみたかったが 昔へ戻ってみたいと思うのは 年を重ねると誰でも同じなのだろう。      

2月15日、大病から丁度一年、子たちとお誕生会、鉄板焼き。  良かったね❤ ついにこのときを迎えた。

あの時逝っていたら 一周忌?!・・・あの時生まれたとすれば復活祭だ。 

モンジャ焼き、脂に肉が浮いてるくらい脂っこいのは若者向けで、年寄りにはチョイ苦手だったが、生ビールをジョツキで飲めたし、大威張りで呑み喰いしてるとは・・・シンジラレナーイ・・・、

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去年の今日は手術の日、大変だった・・・子たちが思い出を語る。 ちょっとしんみりしてしまった。  

手術が終るまで約五時間・・・麻酔が効くまで一時間、醒めるのに一時間、その間待つ家族は辛い、麻酔効かないうちに大工の源さん呼んでさっさとやればよかったのに?・・・オイオイ・・ちょっと待ってよ、そりゃねえよ!・・・いくらデンジャラス&ミラクルオヤジでも のこぎりで切られたら痛くて死ぬよ、    ICUでは モニターに写るグラフのラインが Pi・ Pi・Pi・Pi・PiPiPi、ツー・・・?・で、リズムと山がなくなって直線になると ご臨終です・・! 映画でよくある場面、 ツー・・・となって大騒ぎ、半狂乱で先生を呼びに走るのは担当の看護婦さん①②だった・・・

「アレ?!・・・また切れた・・・」身内は冷静に見物だった・・・? マジかよ、そのまま逝ってたら オレの人生 なんだったのか? おまえらお線香の用意してたんじゃないだろな!   一年経ってバカ話できるのだから結論としては ❤ 良かったねー❤ になるが 今ここで 平気な顔して能書きたれながら肉食って酒呑んでるところがエライ! 不良オヤジは 長生きするのジャ!  

本人はひとつも大変じゃなかったよ!?  苦痛や努力がなくても復活する人もいる。 命の危うさ、命の強さ、人の優しさの中で生きることの幸せを充分に味わった。 オレだって怠けていたわけではない、自分として辛かったのは 肉体の苦痛より 鍛錬するほど過去を振り返る心の弱さに苦悩する暑い夏があった。 でも大丈夫! なんとかなるよ、気楽に行こう、アタマの中身を空にして また新しい情報をインプットする、その繰り返しがいいらしい。  昔の思い出が抜けないと頭が満員になる? アホが更にアホになる。  

今年はチョコもソコソコ集まり バースデープレゼントもゲットした。

今までで この一年ほど激動はなかった、自分だけでなく周りも巻き込んでいた。

この一年間ほどよく歩き よく笑い よく泣いたのも初めてだ、演歌が心に沁みて泣けて泣けて・・・、

辛いときには泣けばいい、嬉しいときには笑えばいい・・・

だってそれが一番自然だから(^.^)

居酒屋のトイレの壁に貼ってある言葉、いいこと言う、ちょっと感動。

トイレ我慢してはいけないよ・・・ということだ。

オレは変わったか? 言いたいこと言えるようになった、イヤ何も変わっていない、思いのままに言動するのは同じだ、それが極端になっただけ、不良オヤジが本格的になっただけ・・・全員に反論される。

これからです、呑気に 春一番の風に揺れる菜の花のように 自然に生きていこうよ。

もうすぐ3月、春を見つけに出かけよう。  せっかく神様から まだ来ないでいいよとご褒美で三途の川から戻されたいのち・・・大切にしよう。

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救急病院へ搬送された人の八割は快復する、残る二割は どんな最新設備と名医が対応しても寿命の尽きた人だ・・・、大病で苦悩する人たちに伝えたい情報だ。

今現在 生きているなら確率の高い部類に入る、寿命がある人だ、心配要らない、闘わなくてもいい、明るく人生を楽しんで行こうよ・・・ 長野の鎌田先生ならこういうだろうネ (^.^)

「今を治すのでなく 患者の未来まで診たいから 今燃えてます。 絶対に治ります、私を信じてくれる人を裏切るわけにはいかない・・・」先日テレビで観た・・・上山先生、旭川にも素晴らしい先生がいる。   

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2月17日 通販で注文した鯨大和煮缶詰が届いた、昔懐かしの味・・・、鯨だ~!

昭和の子供たちは これで育った。  オラの中学校弁当のおかずは これだ、タラコ・卵焼き、海苔だった。  弁当のごはんの上に一面にしらす干しを敷いた子もいた。 梅干一個日の丸弁当の子もいた。  現代は鯨の肉が食えない時代になった。  ずっと前からオレは鯨が食いたいよ・・・と、騒いでいた、小さな望みがまたひとつ叶った、今年は春からラッキー&ハッピー❤☆◎!    味・匂いが 遠い昔の記憶につながることもある。  今夜もまた これで一献やりましょう。  ガキの頃のように 毎日いやというほど 鯨が食える地球環境になればいいねー。    昭和に育ってきた世代は 誰でも「食」、食の憧れ?と共に歩いてきたような気がする。  ガキの頃は肉が喰いたかった、学生時代はキャンプのカレーライスに使ったコーンビーフの匂いと味が忘れ得ぬ青春、憧れの味(本当は女が食いたかったが)湘南の海で獲った生ウニ、八戸の居酒屋で出てきた大盛りのイカ刺身、北陸の甘エビ、ホタルイカ・・etc. 旨いものはいくらでもあった(B級グルメだけど)、 大人になってからは どこの何?が旨い、ではなくて 旨いものとは「時期のものを本場で食う・・・」と定義したものだった。  あの頃簡単に喰っていたものが今では皆高級品になってしまった・・・てことは・・・、昭和は悪い時代ではなかった?!

読者様へ  前回2月13日の記事「もうすぐ春ですね」のコメントが一部消えてしまった、(管理ページで オラがPC操作のミス・・・)失礼致しました、せっかくコメントくれたのに・・・ゴメンネ!

  

    

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横浜ベイサイドストーリー 青春編

年末だ、やっと終る、長かった今年が終る、クリスマス・大晦日、もういくつ寝るとお正月・・・? お正月を指折り数えるのはガキの頃以来だ。

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急に海が見たくなった(どこかで聞いたセリフ)、横浜の港が見たくなった、

山下公園から外人墓地の横を登っていくと「港の見える丘公園」という名の洒落た公園がある。 大学生時代、馬車道あたりでアルバイトして この公園はお気に入りのデートコース、港の夜景が美しい、青春の思い出がいっぱいの所だ、なーんでか?というと=貧乏だったから、千円もあれば映画観て食事するくらいできる時代だったが、公園の散歩は無料だ、授業よりも何故かバイトの日々だった。 ブルーライト横浜、アカシヤの雨が止むとき・・・思い出の曲もある。 

◆(ちょっとだけロマンス)  元町の居酒屋で酔いつぶれた彼女(一級上の英子先輩)を背負って、長い坂道を公園まで登った。「なんでバイトばっかりやってるの? たまには学校来ないと卒業できなくなるよ、」家が貧乏だから、親に負担掛けたくないから、授業料自分で稼ぎたいから・・・等 授業をサボる言い訳をしていた。 貧乏なら負けない、あなたは幸せ、帰る家がある、家族がいる・・ 

「肩が大きいね、小さい頃 お父さんにおんぶしたときもこんなだったかしら、もぅ忘れたけどね、ゴメンネ、今日は身の上話まで聞かせちゃったね、」

過去に触れたことはなかったのに 初めて過去を語ってしまう自分が悲しい・・。「今日はこれ以上優しくしないでね、優しくされると 惚れてしまいそうな自分が怖い、私駄目になりそうで・・・」

小学生の時父母が別れ 母と二人暮し、 食事はいつもパンの耳、毎晩働きに出た母の帰りを待ちながらひとりで寝るのが辛かった、ある朝 やっと戻った母が玄関で知らない男とキスしているのを見てしまった、母にも裏切られたと思い布団の中で泣いた、自分を愛してくれる人はいない、母にも愛されていない、一人で生きてゆくと決心した、人を好きになるのが怖い、同情なんかしないでほしい、幸せってどういうことをいうのか知らないけど 幸せって多分今みたいな時なのかな・・? 呑みすぎて失敗だったかな、今のこと・ずっと憶えておきたいのに・・・。 そんな不幸で悲しいこと云わないでよ、 二人で相当な酒の量を消費した、酔わずには語れない、呑まなきゃ聴いてらんねぇことだった。 戦後の貧しく哀しい時代に育った哀しい過去を背中でつぶやく、  

返す言葉がなかった、何か笑顔になることを云おうとしたが それが見つからない自分の未熟が腹立たしかった。 先輩とはいえ 仲間内では評判の美人で憧れの人だ、デートしたことを仲間に自慢したいくらいのいい女だった。       何か云ったら同情になってしまう、彼女の凍った心を更に傷つけてしまいそうで・・・ どちらかが泣き出してしまいそうで・・・、そこまで分かっていながら どうすれば良いかが分からない、それが歯痒い? 若さとは こんなものか、彼女はオレよりずっと世慣れして逞しい大人だと思っていたが 女とはこんなにも弱い、哀しいものなのだと思った。   次に会うときからは「英子」と名前で呼ぼう、先輩後輩の関係から一歩前進した、オレも今のこと ずっと忘れないようにしよう、 恋の予感が 嬉しかった。

黙々と暗い坂道を歩くだけだった。 途中で振り返る港の夜景が綺麗だった、「わぁ~きれい!・・」「ブェノスアイレスみたい・・!」「スゴイ!何時頃行ってきたの?・・」互いの会話が明るさを装っているのが分かるから 余計に切ない気分だった。 昭和の子供たちは 皆夫々に哀しい体験を背負いながら育った、彼女の生い立ちなんか まだ序の口だ、もっともっと哀しい話はいくらでもあった。

誰もが皆 我慢するものを背負っていた、大人になってから 友情が恋に発展することでさえも 我慢が必要なこともあった。 オレも似たようなもの、いつもハラペコの腕白時代、「重いでしょ・ゴメンネ・・・」オレはちっともゴメンじゃない、背中に密着する彼女の胸の感触と香水の匂いが何時までも淡い思い出の中にときめいていた。 一人暮しのアパートの前まで送り ベッドに寝かせるところまで想像し このチャンス逃してなるものか、燃える闘魂だったのに 部屋の前で「アリガトウ もう大丈夫だから帰って、一人で寝るのは慣れているから、優しくしないでっていったでしょ!・・・」オラは無料の送迎バスか?!   坂道で港の夜景を眺めたとき、抱きしめたい・・・と思った。  勇気を出せば良かった! 

半世紀も経った今になって 未練の涙に代わるオラの青春のほうが ずっと哀しいよ。失敗だから良き思い出になる、成功してたら記事にならない。 翌年春 彼女は無事に卒業し関西の大手出版社へ就職した、ジャーナリストになりたい・・・という彼女の夢が叶った、東京駅で「アリガトウ、ゴメンネ!・・・また会ったら また 呑もうね・・・・、」何がアリガトウなの?酒もタバコもヤンチャも・・・みんなあなたに教わったから・・・。 そんなことはない、オレのほうが教わった、「先輩 また一人暮しだろ、早く結婚しろよ・・・」「大丈夫、心配しないで、一人ぼっちは慣れてるから、あんたのほうが心配、ちゃんと卒業してね・・・また呑もうね・・・」「またみんなで 呑もう・・」何人かの仲間の顔を思い浮かべた、「うぅん(否)・・・二人で・・・ね!」 嬉しいことを言ってくれる、意味深な期待を抱いたままオレも翌年社会人になったが それ以来45年、約束はまだ果たせていない。  明るい笑顔で握手した、”幸せになってほしい”その言葉は照れくさくて口に出なかったが 力強く手を握り合った。 爽やかな別れだった。 昭和の青春は哀しいばかりではない、爽やかな明るい恋もあった、希望に満ちた幸せな旅立ちもあった。 横浜は我が青春の甘く切ないベイサイドストーリーの発祥地だ。 

◆ベイスターズが優勝してから もう10年、あの時は泣いたね、ベイスターズオヤジの一番幸せな時だった、日本大通あたりをトラックでパレードして、オレも嬉しくてパレードの日は仕事休もうかとまで思った。 オレは横浜が好き、ヨコハマ・・・この響きが好き、この街を愛している。 この港の景色はナポリ、シドニーよりも美しい、(いつ行ってきたの?と問われても困るけど) ヨコハマは世界一の港町だ。 オレは生きてるぞー!来年も再来年も、その先も ずーっと生きるぞー!・・・マリンブルーの海に向かってドラマみたいに叫んでみたい、ロマンチック?!

行ってみたい、行ってみようと思いついたら・・・・もぉ・どぉにもとまらない・・・これでいい、心の若さとは こういう気分のことだ・・・こんなに行動力があるのは・・? オレのアタマは中身までデコボコになった? 笑ったり泣いたり 感情の動きが活発すぎるよ、もしかして本当にヤヴァイかも? バカもネタも底が見えてきたから これ以上は大丈夫・・・と思うけど!(^.^)

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駆け巡る青春の思い出に 浸ってみたい、12月22日 朝からポカポカ暖かい、横浜から「みなとみらい線」に乗り換えて、元町中華街から山下公園へ・・・

どうも感傷的で困る、長野のドクター鎌田先生の「がんばらなくていいから・・」に出会ってから 髪の毛も黒くなるほど癒されたのに ここで頑張り過ぎて また具合悪くならないように・・・子供たちにも「来年にすればー・・・」とブレーキかけられたが、オレはスピードタイプ、行くと決めたら絶対行く。 また歩きながら涙ではみっともないから サングラスをかけて 九時過ぎにはみなとみらい線の車内にいた。

氷川丸の岸壁を歩き、港の見える丘公園は長い坂道を登るから、 来春の目標にしましょう、ということで頑張らないことにした。 陽射しが強く南風が強く暑い中を歩きまくってハラペコで・・・やっぱり今年は普通でないよ。  思い出の道を辿るどころではない、途中から早足に変わっていた

予想より遙かに遠かったのである。風のない 穏やかな日に ゆっくり散歩するのが良い。

行きたいとこへすぐに行けたから 快復は順調だ(ただし自己診断)、闘病の段階としては記念すべき日になりました。

歩く、歩き続ける、なんてったって私は歩く、 

励ましてくれるみんながいるから、

来年も再来年も、その先も、ずう~っと歩きたい、

私は歩くのをやめない、どこまででも歩き続けたい 

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朝 地下鉄の駅員に「みなとみらい線」の乗り換えを尋ねた、地下鉄は横浜乗換えですが

距離が遠くて大変です、私鉄のほうが直通もあるし 乗り換えも簡単です、私鉄使ったほうがいいですよー・・・地下鉄の社員がライバル会社の私鉄のPRするか?

アホか と思ったが これは親切心かもしれない、教えられたままに素直に私鉄で行った、帰りは彼の言うとおりだった、帰りは横浜駅での乗り換えの長いこと、世の中は親切な人間が沢山いる 人の好意を無駄にしてはいけない。 年寄り扱いされたと文句言うほうがいけない。

昼前に地元の駅へ到着、出口で近所の小学生が(一年生くらい)何人も寄って来た、

すみませーん・いくつか質問しても いいですか?  「はい どーぞ・・」 

いくつ?25歳に見えるの? 年を聞くのは失礼だよ・・・

質問の意味が分かっていても 不良オヤジはhow old are you・・と、受けてしまう、これがいけないね、以下ちびっ子記者団との質疑応答。  屁理屈得意なおやじに当たった子供たちも不運。

Q( 今日は何処へ行ってきましたか?  ノート見ながらマニュアル通りに訊く。

A( 横浜・・・、何処へ行こうとオレの勝手

Q( この駅は感想は ありますか?

A( 駅の感想は 駅に訊かないとね、  ここで付き添いの先生が 駅の便利さ等と解説入れたので A(いいですよ、新しいからきれいだし・・・

若い女性教師に「先生もお綺麗ですね・独身でいらっしゃいますでしょ?・・・、」先生赤くなってしまって・・・「そんな・・独身ですけど きれいだなんて・・・」手を振りながら恥ずかしそうに否定のポーズ。

「みんな 先生のこと きれいだと思うひと・・?」子供たち何人かが「ハーイ」と手をあげた・・。ごめんね、先生口説くつもりはないけど、若い女性見るとすぐちょっかい出したがる悪いおやじだよね。

Q( もう何回くらい乗りましたか?   電車の使用頻度

A( 100回くらい・・・乗りましたよ

ちびっ子記者団 みんな嬉しそうに整列して「ありがとうございました・・・」と最敬礼。

カッワ ユーイ !・・・・「ガンバッテネー・・・」で別れた、みんな手を振って見送られた、爽やかな気分、子供はいいね、 

こっちが恐縮するよ、 みんなオレと同じ 横浜で育ちベイスターズと郷土を愛する 優しい大人になるでしょう。 ロマンチック横浜、ベイスターズおやじの青春ノスタルジア、  ちびっ子記者たちの未来は wow wow wow wow、・・・          この街は 世界がうらやむロマンチック港町・大都会横浜だ。

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(1)遊・石井拓 (2)中・波留 (3)左・鈴木尚 (4)二・ローズ(5)一駒田(6)     右・佐伯 (7)三・進藤 (8)捕・谷繁 (9)投・斉藤隆

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ベイスターズファンのために 98年優勝の時の先発メンバー、憶えてるね。 横浜史上最強オーダー、守備固めの要らないメンバー。クローザーはハマの大魔神佐々木。この九人は プロ野球史上最強チームかもしれない。  

権藤監督はバントしない監督だった、この野球が好き、KILL OR BE KILLED と書いたボールを選手たちに渡した、殺るか殺られるかだ・・・、体育会系の連中には どーせ分かりませんよ、戦いだ、勝つか負けるか二つに一つしかない、ドキュメンタリ「男たちの涙」で権藤さんのコメント、98年は 横浜不良オヤジには最高の年だった、あの港へ飛び込んでもよかった。 あの年に比べたら 今年は最高の苦難 ・・・24日クリスマスイヴ、人気タレント飯島愛ちゃんの訃報、一人で死んでいたのニュース、人気者なのに孤独だったんだね、

クリスマスになったら みんなで愛ちゃんのことを思い出してやろうよ、年に一度だけでも命日に愛ちゃんの笑顔を思い出してやれば 彼女が生きた証になるよ、さっきテレビで中山秀征さんが涙浮かべてコメントしていた、それを見てオラも涙、バカだねー、まだ泣き虫病が収まらない。  今年は寂しいニュースも沢山あった。 涙も苦悩もあったが その分 良いこともあったじゃん。  あんなに明るい愛ちゃんも逝く時はひとり、人間て寂しいねー!  そういう考え方はよそう、ベイスターズだって優勝するかもしれないし、来年もきっと良いことあるよ。   人は思い出と今の狭間でもがきながら 明日へと動き出す

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