カテゴリー「好きな詩・好きな言葉」の9件の記事

雨ニモマケズ風ニモマケズ

なんだかんだと言いながら毎年アウトドアをやっている。 釣りにキャンプにバーベキュー・・・、去年は自分が緊急事態だった、それでも夏にバーベキューやって「生きていて良かった」と涙ぐんでも 肉をかじりながらでは説得力なかったが。 

あれから一年、先週から遠足前夜のガキのように ドキドキ・ワクワクで 待ちきれない、フライングしそうに入れ込んでいたよ。 ドキドキ感覚は 初恋と同じようなもの 心の若さを保つ、脳細胞を増加させるそうです。 ドキドキの感覚はいつまでも持ち続けたいものです。  4コーナー廻って最後の直線のドキドキ感覚もいいが、たまには少年の心に帰って ワイルドで健康的なドキドキ感覚が良いのです。

Photo肉で包んだおにぎり、ホタテの差し入れもあって、皆オイチイ・オイチイと食べました。

アウトドアが好きだね。  ワイルドに憧れるのは都会人だから、文明国家の国民だから。 食えない国の子供は草を食ったり海岸で海苔を探すらしい、毎日がワイルドになっている。 ある意味羨ましい、自然の中で食い物探す、一度やってみたいよ。  オラたちは家の中でなんぼでも食えるのに不景気と核戦争や地球温暖化の心配しながら 渋滞で苦労しても わざわざ不便な森の中で食おうとする、生きるために食うのではない、楽しむために食いに行くとは よくワカランが有難いことであります。 

日本に生まれてよかったね。  現代人は自然の中に溶け込んで「いのち」が燃えることを実感するときが「幸せ」だ。

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★故郷は 遠きに在りて想うもの そして悲しく歌うもの  室生犀星

★山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う プッセ 

( 山の彼方の、ずーっと向うの遠くへ行けば「幸福」があるんだよ )

 山のアナ・アナ・・・あなた・もう寝ましょうよ(^.^)(落語のネタ、これも穴ログだ)

嗚呼 誰にもふるさとがある ふるさとがある♪ ・・・男の望郷 懐かしいふるさと(出身地=マザー)は遠いところにある。  幸せは遠いところまで行けばあるのだ。

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11月になった。 大病に倒れてから一年八ヶ月、あっという間に時が流れた。  

病気のことも病院の生活も、リハビリの散歩も 忘却の彼方へ消え去ろうとしている。  

やっぱりバカだから忘れられる、時間が解決してくれる、もう少しだ。  

雨ニモマケズ 風ニモマケズ  雪ニモ夏ノアツサニモ 病気ニモ 便秘ノ辛サニモマケズ  タマニオイシイモノタベテ  ベイスターズガ勝テバ酒モオイシイ

外へ出ルトキハ チョットオシャレシテ ネエチャンノ尻ニサワッテモ ダレニモオコラレナイ ソウイウステキナ爺ニ ワタシハナリタイ  (雨ニモマケズをアレンジ)     たく・もう・・☆❤??!×◎▲・・・、しょーがねぇ爺だよな!

Photo_8 カマキリ(ピンボケ?)

 

「死ぬかもしれない・・?・」手術後のICUは戦場だった。 他のベッドで本当に死んでゆく人もいた。 時々目覚めるオラには 貴重な体験だった。  ちゃんと真面目に病気と闘っている人が力尽きてしまう、若き美貌のナースが号泣しながら走り回る、オレも死ぬかもしれないのなら ベッドの横をぞろぞろ通ってゆくナースの尻を 美味しそうなの選んで 死んだふりして触っておけばよかったよと 後で残念がっている、しょーがねぇシモネタオヤジが何故か図々しく今日も生きて能書きたれてる?   社会の温かさ 人間の優しさに包まれて救われた命、この幸運と幸せを どこに向かって感謝すればいいのか? オレばっかりこんなに幸運でいいのだろうかと、先に逝ってしまう人たちには申し訳ないような気持ちになったりもした。 不思議なくらい恵まれていた、やっとオラにも幸運の神様が味方についてくれた。  偶然でもいい、運の巡りで元気に生きてバカ云ってられる。 バカになりたくないのはバカだからか? バカがバカ云ってられるのは有難いことだとバカに憧れるのもバカだから? アレェ?何だかわかんなくなってきちゃった?? バカとはこんなもんかな?  晩年は好々爺になって小春日和の日向ぼっこで暮すのはオラの趣味に合わない、アウトドアが出来るとは有難い、幸運の星がそこまで付き合ってくれるなら 今年も有馬記念が楽しみである。  競馬場は最高のアウトドアだからね。

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この一年、色々あったが、振り返ると思い出の中には「幸せ」がいっぱいだった。 

「幸せ」とは思い出の中に存在するものだ。  未来のことは分らない、明日はどうなるか知らないが、もしも幸運がまだ続くのなら 来年か何年後かに 今日の日のことを「幸せだった」と思い出す日がくるのだ。  人は「幸せ」に気が付かないときが幸せだ。  

ひょっとしてオラは今「幸せの時」を生きているのかもしれない。

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ボール遊びが億劫なほど腹いっぱい食って幸せを堪能して、一日中食っている。 満腹に満足して、 明日からはまた減量に励む・・文明社会に生まれた贅沢な試練? 幸せと苦難はいつも隣り合わせだ。

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寺山修司さんの言葉

山と緑に囲まれた公園があった。 森林公園、野球の子供たちには庭のようなもの、 尾瀬に似た湿原で 多摩丘陵の自然を観察できる公園である。

噴水の池には鯉が泳ぎ、細い小川が何本も流れる。

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10月中旬、秋晴れの日曜日、急に行ってみたくなった。 またウルウルきたらみっともない、対策にサングラスを携行して。

横浜へ引越しする前日、家の水槽に飼っていた金魚を運んで このせせらぎに放した。 少年野球に明け暮れていた頃、突然大病に倒れ 死に損なってから数年後である。 泳いでゆく魚たちを見送り 元気でねー、大きく育ってねー、子供たちの姿を見るような心境になった。  野球との決別、思い出との決別だった。 お別れ会はしない、子供たちとお別れ会なんかしたら 彼等より先にこっちが泣いてしまう、 子供たちに涙は見せられない、彼等の涙も見たくない、 手がつけられないほど大騒ぎになる。 

そのくせアルコール分の摂取できる大人たちのお別れ宴会は あちこちへせっせと出向いて 懲りない不良オヤジであった。 みんなゴメンナ、苦しい練習ばかりさせてしまった。  もう誰も助けてくれないが ここは狭い金魚鉢ではない、無限に広がる自由な世界だ、自分の餌を自分で探せ、自由に生きて育ってほしい・・・と金魚たちに子供の姿をダブらせて・・・人生の区切り、一つの青春との別れ・・・監督がそんな感情に浸るようだから 栄冠に縁がなかったのだ。 

少年野球の指導をしてみたい、監督をやってみたい、若いころの夢が実現した、自分なりに納得したチーム造りができた。 この森は、中年になってもまだ腕白たちのガキ大将で大暴れできた森であった。    

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 毎年毎年子供たちとは 卒業という「別れ」を繰り返して、ついに自分が別れてゆくときを迎えた。 「いい日旅立ち」が 淡く切ない思い出に代わってしまった。 あれから20年、再び生死の境を彷徨う大病に遭遇するとは まるで想定外だったよ。 あれから20年、ふるさとの景色を眺めるような感情に動かされて 思い出いっぱいの懐かしい森を散歩しにくるとは・・・ここがオレの「ふるさと」だから。

Photo_4 ザリガニ釣り、スルメいかでマッカチンが釣れるよ

寺山修司の詩「ふるさととは 所詮家出少年の定期入れの中の一枚の風景写真のようなものだ・・」

寺山さんの詩が好きだ。  競馬をロマンと思うようになったのも彼の影響である。 

寺山さんの詩は、どこか哀しい言葉でも 明るく前を向いて歩きたくなる。 呑む・打つ・買う・・・酒を愛し、女を愛し、競馬を愛した詩人である。 不良性に美学を求める?敗者の美学という論評もあるが、オラは単に呑ん兵衛のシモネタ爺かもしれないが 同じような不良オヤジだから ネタの無いときは寺山さんの言葉を拝借して 同じ美学に浸ってみたくなる。

Photo_2Photo_3 この階段登ると森の上には 狂ったように練習したグランドがある、 

     美というものは 本来、何かを欠いたものです。 完全な合理主義からは 美はおろかドラマも生まれてはきません。

★ 私は競馬場の抒情詩的な広さが苦手だ、(中略) あの健康さは 病み上がりの私には眩しすぎるものだったのである。

     なぜ賭けるかといえば じぶんの運を知るためである。 

森林公園というふるさとは 一枚の風景写真のようなものだった、紅葉にはまだちと早かったが森の景色は変わっていない。  20年ぶりの「ふるさと」へぶらりと立ち寄ることができた、お蔭様で何でもできる、出来ないのは棒高跳びくらいなものだ。 ある日突然電車に乗って、バスに乗って、どこでもいける、気弱で寂しい去年の秋に比べたらこんなに元気になった。 身も心も、健康の有難さ、命の尊さを実感している。 野球の少年たち、友人たち、金魚たち、ふるさとの森、みんなに「ありがとう」を云いたい。 感謝・感謝の一日でありました。

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やるなら今しかねぇ

同じアルバムの中に もう一曲泣けるのがあった。

「西新宿のオヤジの唄」

  (途中から)

♪古いか新しいかなんて 間抜けなものたちの言い草だった

俺か俺じゃねえかで ただ命がけだった

酒の飲めないオレに 無理やり徳利傾けて

男なら髪の毛くらい短く切れよって また怒鳴った

西新宿の飲み屋の親父に別れを告げて 

オレは通いなれた路地を いつもよりゆっくりと歩いている

すすけた畳屋の割れたガラスに映っていた 

暮らしにまみれたオレが ひとり映っていた

「やるなら今しかねぇ、やるなら今しかねぇ・・・」

六十六の親父の口癖は 

やるなら今しかねぇ~

                

これは長淵がまだ売れない下積み時代に 通っていた西新宿の飲み屋のオヤジが死んで、出世払いでいいからとめしを食わせてくれたり、男としての生き方を教えてくれたり、

世話になったオヤジへの葬送曲(レクイエム)だ。

         

「やるなら今しかねえ~」・・・いい言葉だね。

オヤジは病気に侵され もう自分には時間がないことを悟って

「やるなら今しかねぇ」が口癖になったと思われるが、

これは 未来のある若者にも通用する言葉だ。

何事も「やるなら今」なのだ、

今日の仕事を 明日に伸ばしてはいけないということだ、

明日があるからこそ、今という瞬間にベストをつくさなければ 

明日になっても最善は尽くせない。

古風な言い方をすれば「刹那を最善に生きよ・・・」

英語にすればTry your best now, for the best tomorrow, 

(自己流英訳・・自信はないが)・・なのである。

彼は この言葉を「座右の銘」として自分を磨き

一流のミュージシャンに成長したのかもしれない。

          

長渕はジーンズにスニーカーで、ギターひとつで路上ライブをしている今頃の音楽好きの若者と同じ部類だったのだろう。

外見は 東京の繁華街をそぞろ歩く軟派でも

心にゃ硬派の血が通う・・・「東京流れ者」だ、

彼の本質は・・・「硬派」だ、

日本人の古風な心を知る 今どき貴重な若者だ。

音楽への情熱が己の生き様だと信じているから 

下積み時代に受けた恩を忘れず、弱いものへの優しさと 

我慢できねぇときには強いものへの反骨もある。

古風な心情を尊重できるから斬新な作詞作曲の才能も磨かれるようになる。

彼はもうおっさんだけど、こういう日本の若者がオレは好きだな。

                

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西新宿一丁目 11月の朝

                   

義理や人情の話をすると 現代人は“古い”という、

“古い”・・? 古くて上等じゃねぇか、

ピタゴラス・ガリレオ・ニュートン・アインシュタインもフレミングも・・・現代人を進化に導く あらゆる公式・法則・定理・理論は みな古いものだ、

古いものの中に正しいことがあり、それを学ぶのが「学問」というものだ。

それは覆すことのできない ものごとの基本となり永遠の真理になる。

義理人情という「日本人の美徳」も 我々にとって永遠のものだ・・・

それに気づかなければだめだ、

古いことを理解してこそ 初めて未来への道が開けてくる、

今の日本人は“古い・尊い”ことを軽視するから「くらげ」になるのだ。

            

もうすぐクリスマスだけど、日本人ならクリスマスよりも正月だろ、

キリスト信者でもないのに何を大騒ぎするか、

(そういうオレも大騒ぎしてるけどさ・・・)

バレンタインデーなんかは チョコレート会社の販売戦略に乗せられているだけだ、(最近チョコレートもらえなくなったから言うんだけどね・・・)

それから 11月頃にカボチャの提灯みたいなの作って、

ハロウィーンだかなんだか知らねぇが・・・

それを嬉々としてやっている日本人がチャンチャラ可笑しいわ。

                

まぁ・人それぞれだから 何をやろうと自由だけどさ、

日本人ならお正月・節分・節句・彼岸やお盆や郷土のお祭りや・・・、

日本古来の伝統に誇りを持って もっと大切にしなさい・・・と言いたいね。

キリストさんの命日は知らなくてもいいから 

親の命日や 妻や子供の誕生日を忘れてはいけない。

          

そういえば オレがブログに挑戦したのも「やるなら今しかねぇ・・」と思ったからだ。 西新宿のオヤジみたいに 残された時間が少ないような気がしてならねぇからだ。

        

オレのブログのスタイルは評論家だ、

人の詩に点数をつけて ついでに説教がましく能書きたれる

嫌なオヤジになってしまった。

オレも人を泣かせるような詩を書いてみたいけど、

才能がないから なかなかうまくいかない。

人の心は 動かそうとして動くものではない、

やっていることに最善を尽くす姿に 人は心を動かし感動するのかもしれない、

日々誠実であれば いつかは共感してくれる人もいるだろう。

結局、今やれることを 今全力でやるしかねぇんだ・・・

「やるなら今しかねぇ」と思えば、いい仕事が出来るはずだと思って

今やるしかねぇ・・・のかな?

何だか また わけ分かんなくなってきたぜ・・・

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男たちの大和

ひとこと言わせて

先月 長渕剛のCDを手に入れた。

久しぶりに ジ~ンとくる歌に出逢った。

            

「男たちの大和/YAMATO」の主題曲「Close your eyes

♪それでもこの国を たまらなく愛しているから

もう一度生まれ変わったら 私の名を呼んでください

寒さに震える夜も 流れる涙つむぐ夜も

もう一度生まれ変わったら あなたを決して離しはしない

私の胸の中へ帰っておいで 気高いあなたの勇気を抱きしめたい

ひそやかな海に咲いた白い花たちが 今私のからだに折り重なる

Close your eyes 瞳を閉じれば

希望へ駆け昇る あなたが永久(とわ)に生きている・・・

Yamatotrials_1

泣けるね・・・、これが「愛国心」だね。

オレは右翼ではないが(どちらかいうと右寄り思考かな?)

最近は「愛国心」という言葉がどうのこうのと議論の対象になっているが、

そんなことを議論するのは情けないね、

今の日本は“とうふ”や“くらげ”になってしまったのか。

自分の生まれ育った国、日本を愛さない日本人がいるのだろうか?

            

教育論の記事で同じようなことを書いたけど、

“君が代”や“日の丸”に反発し、戦争はしないから軍隊は要らない、

子供に「愛国心」を教えてはいけない・・・、

どこかの野党の女性党首みたいに 文句ばかり言う人がいる。

戦争反対は だれでも同じ考えだ、

でも 思想や言論がいくら自由であっても

「愛国心」まで気に入らない奴は みんな日本から出て行けばいい、

カンボジヤとかアフリカにでも行って“平和と福祉”のボランティアでもやればいい。  大人たちがそんなレベルの低い議論をするから 子供たちの成長が歪んでしまうのだ。

健全な子供は 放っておいても自分の育った郷土や国を愛する心を持つのだ。

         

「いじめ」が社会問題になっている。

学校でいじめに遭った子供たちに 自殺の連鎖反応まで起きている、

いじめる子供は悪いが(中には本当に悪いやつもいるけど)

大半は 自分が意識しないで相手を傷つけている、

子供の世界はそんなものだ。

子供というのは みんな自己中心で エゴの塊だ。

相手の心を気遣うことが出来ないから子供なのだ。

(大人にもそういう人はいるけど・・・)

              

相手の心を気遣うようでは子供らしくないということだ。

いつの時代にも いじめっ子はいるし いじめられる子もいる。

子供が集団になるところに いじめは絶対になくならない。

       

教育の目的は 勉強じゃねぇんだ。

勉強して 知識を身につければ 人を理解できるようになる、

勉強を通して 人の痛みが判るような大人に育てることだ。

いじめる子を無くすことを考えるよりも、

いじめられても死んだりしない子を育てることが先だ。

いじめる子はいけないが、それで死ぬ子もいけない・・・

いじめられたくらいで自殺するような「くらげ」になったらだめだ。

         

教育論はもうやめようと思っていたが、

最近の「いじめ」のニュースを見るたびに むかつくのだ。

子供の世界まで「くらげ」にしたのは 

愛国心がどうのこうのと問題にする「くらげ」のような大人たちの責任だ。

人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞむかしの香ににほひける (紀貫之)

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日本というふるさとはこんなに美しく、

日本人の心はこんなに優しいのに・・・

この歌を知らない、意味もわからない日本人が沢山いる、

美しき国、美しきふるさとを愛する心、 

ふるさとや愛する人を守ろうとする心が 

欠如してしまったのだろうか、

   

Close your eyes  を聴いても 

心が動かない大人が増えたのだろうか・・?

だからオラは ひとこと言いたくなるのだ、

“それでもこの国を たまらなく愛しているから”・・・・だ。

Sunset

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座右の銘

「人生は重き荷を背負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからす゛」

家康が座右の銘として この言葉を詠んだのは晩年のことである。

三方ヶ原の敗北が大きな教訓となっているのだ。

この言葉にはなかなか味がある、

確かに「失敗」するというのは ものごとを「急いで」「あわてて」いる時です。

天下を取った徳川家康だって失敗している、

失敗のない人なんていない、

誰にだって一度や二度の失敗や挫折が必ずあるのです。

大切なのは 失敗を素直に受け入れて反省し

自らの教訓として生かすことができるかどうか・・・だろうね、

「人生は糾える縄の如し・・・」

不運があれば ラッキーなこともある、

悪いこと悲しいことの数だけ 良いこと嬉しいことも必ずある、

ちゃんとバランスが取れるように 人間は生かされているのだ・・・

人生は50・50(フィフティ・フィフティ)、

そう信じて生きてゆければ 人は幸せだと思います。

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ホトトギス(ユリ科)の花

            

ところでオレには座右の銘がない、

あまり改まって考えたこともない、

ガッツ石松が“座右の銘”を問われたときに

右1.2 左1.5(左右の眼?)と答えた・・・・、

今までに聞いた 色々な座右の銘の中でこれが一番気に入ったね、

ガッツは偉い・・・、こんなに頭のいい男だとは知らなかった。

子供のころから苦労して やっと世界チャンプという頂点へ登りつめたのにひとつも偉そうな顔しないでボケまくっている・・・、

これこそスポーツマン、真のチャンピオンだ。

ボクサーは大体アホだ、体育会系の中では特にボクサーはアホが多い、

考える余裕の無いほど過酷なスポーツなのかもしれないが

ワジマもグシケンも トカチャンも ヤクシジも 浪速のジョーも、

そしてガッツも・・・、みんなアホだし天然ボケだ。

チャンピオンというのは基本的にアホでなければなれないのかもしれないが、

みんな苦労したね、

辛い挫折を何度も経験して喜びも悲しみも知っている純粋な男たちだ。

それに比べたら最近のチャンピオン・亀田兄弟はダメだね、

あれはオヤジのバカを強制的に引き継がされて 

ガキより知能指数の低い真のバカだ。

ボクシングしか教えられないバカな親が、

ボクシングしかやりたがらないバカな息子に 

好きなことをやらせてるだけのことで、一口で言えば極端な「過保護」だ。

強いだけの理由で ちやほやとスター扱いするマスコミやファンもいけないけど、

彼らのトレーニングは獣と同じで脳みそが空っぽだから鍛錬や努力ではない、犬が散歩へ行くと喜んで何時間でも遊び 走り回っても疲れないのと同じだ、

おすわり・お手・待て・・・、

その程度の躾(しつけ)も教わったことのない犬と一緒だ。

今のままでは 仮に勝っても世界チャンピオンの品格を汚し日本の恥を晒すだけだ、引退してもまともな社会人にはなれない、暴力団の用心棒くらいしか進む道がない。

ここまで「くそみそ」に云ったら可哀想だけど 

彼らはまだ若い、これからだ。

人を敬い 礼節をわきまえることの尊さを学んでもらいたいね、

親にばかり甘えていてはだめだ、どうせオヤジはそんなこと教えてくれない、

戦う相手から学ぶのだ・・・、

親の言うことばかり聞く子は 絶対に親を超えられない、

ガッツやグシケンたちのように 引退しても立派にやっていける世界に誇れる真のチャンピオンになってもらいたいからね。

昔、西鉄ライオンズに稲尾という鉄腕投手がいた。

後に落合(現中日監督)を育てた元ロッテの監督だ。

稲尾が二十歳のころ、

西鉄は巨人との日本シリーズで三連敗のあと彼の四連投で四連勝した。

神様・仏様・稲尾様と流行語になるほどファンやマスコミに騒がれた、

でも若い稲尾は謙虚だった、慢心することはなかった。

彼には父から教わった言葉があった、

稲尾という名前の「稲」という字は 米のなる稲穂だ、

稲の穂先は まだ若く小さい芽のときは真直ぐにピンと立っているが

稲の穂が大きく実る秋になると 充実した実の重さで茎が曲がり頭を低く垂れる、

人間も同じこと、未熟な人ほど頭を高く偉そうにしている、

力がつくほど頭を低く下げるのが立派な人間だ・・・、

「実るほど 頭を垂れる稲穂かな・・・」である。

父親が子供に教えることとは かく在りたいものである。

いつの間にか話が逸れてしまったけれど、

オレも座右の銘くらい持たなければいけない、

オレの一番好きな言葉は「青春」と「若さ」だ、

座右の銘は 自分の好きな言葉を並べればいいのかなと思う、

だから「青春 若さ 明るく 優しく」ということにしようかな・・・

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また脱線になるけど、オレが23歳のときだった、

営業の仕事で東北を担当して山形市の得意先を初めて訪問した時だった。先方の社長と商談するため応接室に通されて茶を飲みながら少しの間待たされた。

応接室の正面に松下幸之助の言葉が飾られていた。

「青春」

青春とは 心の若さである

信念と希望にあふれ勇気にみちて

日に新たな活動を続けるかぎり

青春は永遠にその人のものである

それを見て ウワー!・・・スッゲエー! と思った。

青春真只中の自分に ガツンとくる感動的な言葉だった。

青春て いいなー、なんて素晴らしい言葉だ と思った。

オレもガンバラナクッチャ・・・!

と思ったのを 今でも憶えている。

それ以来オレは 「青春」という言葉が大好きになったのです。

「青春」という言葉には、 明るさと 若さと 希望がある、

労働の厳しさや 人生の苦悩があっても、

それに立ち向かう勇気やパワーが漲っている、

そして、心の若さがあれば 青春は永遠だ・・・

あの頃 「明るいナショナル・・」が松下電器CMのキャッチフレーズだった、

「明るい」というのはナショナルの電気は他社よりも「明るい」ということを歌っているのかと思っていた、(ガッツ石松さんもそう思っていたはずだ)今になって あの「明るい」は「永遠の青春」を歌っているということが解ったのだ。

ナショナルの製品はどこの家にも一つや二つあるけれど、オレはナショナルの関係者ではないが さすがは松下幸之助さんだと思う。

松下幸之助さんの語録には まだいいのがあるよ

「道」

自分には 自分に与えられた道がある

広いときもある 狭いときもある

のぼりもあれば くだりもある

思案にあまる 時もあろう

しかし 心を定め 希望をもって歩むならば

必ず道はひらけてくる 

深い喜びも そこから生まれてくる

「素直」

素直な心とは 単に人に逆らわず

従順であるということではありません

何ものにもとらわれず 物事の真実と

何が正しいかを見きわめて これに従うことです

素直な心になりましょう

素直な心は あなたを強く正しく聡明にいたします

松下幸之助さんは“厳しさ”と“優しさ”と“心の若さ”を持った

いつも「前向き」な人だったのでしょう。

徳川家康は日光東照宮に「東照大権現」として祀られている、

後の徳川幕府は 家康を「神様」にしてしまったのです。

松下電器という会社からみれば 

創業者の幸之助さんは徳川家康のような存在なのであろう、

昭和初期、松下幸之助さんが二股ソケットを発明したという話を

子供のころに聞いたことがある。

売り上げが伸びなかった「味の素」の社員が 容器の穴の数を増やせばいいと提案して「味の素」が大手に躍進したという。

日常の単純なことから 素晴らしいアイディアが生まれるのも

「心の若さ」があるからだと思います。

          

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この街に来て もう八ヶ月になった、

プールの監視員や 常連のおばちゃんたちと 

ついに挨拶して会話するお友達になってしまった、

病院の看護婦さんや、薬剤師の姉ちゃんとも馴染みになった、

みんな明るくていい人だ。

なんか いかにもオレが年寄りみたいで マイッタナーだけど。

十月三十日、秋も深まったので そろそろ紅葉の写真でも撮れるかと朝から歩いてみたが、まだちょっと早すぎた。

紅葉前線は関東では まだ日光、奥多摩、箱根・・・あたりかな、

都心や横浜は11月中~下旬だ。

でも 気の早い楓(カエデ)はチョイ赤に色づいていたし、イチョウ並木もぼちぼち黄色くなっている。

その気になって観察すれば 都会でも秋を感じさせるものが見つかるものですね、

春は「桜前線」、秋は「紅葉前線」・・・、

忍び寄る季節の移り変わりを 桜や紅葉を使って表現するのは

日本人特有の感覚領域「ワビ・サビの心」なのだろう。

ワビ・サビが理解できるようではダメだよな・・・

ワビ・サビに萌えているようじゃ 完璧にオヤジになったということだからな、

木の葉が紅葉して やがて木枯らしの中で枯れ葉となって散ってゆく、

枯葉は人生の「最終章」にも似て・・・

若い人でもシャンソンの定番「枯葉Autumn Leaves」や

五輪真弓の「恋人よ」を聴いて切なくなるのは「ワビ・サビ」を理解する素質があるということになるけどね。

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♪恋人よ  枯葉散る夕暮れは 来る日の寒さをものがたり 

      雨に壊れたベンチには 愛をささやく歌もない   

      恋人よそばにいて 凍える私のそばにいてよ 

      そして一言この別れ話が 冗談だよと笑ってほしい

アー、なんか切なくなるね、やだねー、早く正月来ネエかな。

              

ところで、一般にみんなが「もみじ」というのは赤く紅葉するカエデのことですが

紅葉も黄葉もどちらも「こうよう又はもみじ」と読みます。秋になって葉が色づくことを昔(万葉集)は「もみずる」といったそうです。

だから カエデのもみじ(紅葉)イチョウのもみじ(黄葉)というのが正しい、色の変わる葉は 結局みんな「もみじ」なのです。

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思い出の曲(2)

The Five Pennies

そういえば オレはあの頃好きだった外国語の曲は 

みんなそらで口ずさむことができる。

歌詞の意味を問われても困るけどね、

ビングクロスビー、プレスリー、ポールアンカに ドリスデイに、

それからプラターズやサッチモおじさんのも・・・・、

カラオケのメニューにあれば 今でも唄ってみたいと思う。

たぶん、バイトばかりやっていて授業に出なかったのが良かったのだろう・・・?

社会人になってからは 好きな曲をゆっくり鑑賞するヒマもなくなってしまったが、ダニー・ケイの「五つの銅貨・The Five Pennies」の映画に感動してサントラ盤のレコードを手に入れた。

そのアルバムの中の「ラグタイムの子守唄・Lullaby in Ragtime」にしびれて、丸暗記で口ずさむほど 繰り返し聴いた。

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娘が三歳のころだった、

オレの膝の上で なんと英語でそのララバイを唄うのだ、

いつもオレが聴いている曲を そばにいた彼女が暗記してしまったのだ。

たどたどしく唄うその声が カワユクテ・カワユクテ・・・?!

映画の中でレッドと娘のドロシーが歌った あの設定とおんなじで、

しまいには 記念にとっておこうと二人でデュエットしてテープに録音した。

幸せだったね・・・、

いい曲というのは 幸せな思い出を作ってくれる、

そんなこというと 今は幸せじゃないみたいだけど、

今は今で まぁ それなりだけどね。

男親には 娘というのは特別の存在なのだ、

娘は 物心ついてから音楽に興味を持って、

中学から高校までは吹奏楽部でラッパを吹いて

ピアノは幼児のころから習い、大学はピアノ調律の専門学校へ進んだ。

ラッパもピアノもなかなかの腕前で・・・、親バカかな?

彼女が音楽を愛した原点は、

赤ちゃんのときに耳に入ったあのジャズの一曲、Lullaby in Ragtimeだったのかもしれない。

現在はもう 子育てに奮闘する二児の母だけどね。

Photo_29  彼女がLullaby in Ragtimeを憶えたのは

音を耳から脳へ ダイレクトに取り込む感性だ。

子供だから出来る能力なのだ。

オレも 子供のころに百人一首を全部暗記したことがあったが、

若いときは 聴覚も視覚も、五感の全ての機能が絶好調で、

脳細胞も それを処理する性能に優れていたのであろう。

それが今では 

かみさんと二人でテレビを見ていて タレントの名前が出てこない、

「この人 誰だっけ、ほら、あれに出てた人・・・」

「あれって何よ?」

「あれって、あれよ・・、この前も出てたじゃない・・・、

あ~! 思い出せないと気持ち悪い、あんた早く言いなさいよ・・・」

“キミマロさん”がいうように、

夫婦二人で中高年漫才をやるようになってしまった。

桂歌丸さんの落語CMにあったが

「お婆さん、頂き物は山形屋の海苔かい?」

「いいえお爺さん、頂いたのは 山形屋の海苔ですよ・・!」

「なあんだ、わしゃ 山形屋の海苔かと思ったよ・・・!」

あと十年もすると オレもかみさんも、こうなるのかしら?

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ところで「五つの銅貨」のはなしであった。

これはオレが観た映画の中で №1の素晴らしい映画だ。

レッド・ニコルスと彼のバンド「ファイブペニーズ」の伝記だが、

デキシーランドジャズという アメリカにはこんなにも素晴らしい文化がある、

明るさ、笑うことの大切さ、忍耐、家族の絆、友情、優しさ・・・、人の作った格言を全て集約したくらいに この映画はいろいろなことを教えてくれる。

全編を微笑みながら見ているくせに 涙が溢れるのである。

そして パパに見せるものがあるといって 小児麻痺の娘が車椅子から自力で立ち上がって歩きだす、その部屋にサッチモおじさんやバンドの仲間たちがラッパを吹きながらお祝いにやってくるラストシーンは もう涙が止まらない。

フィナーレは「リパプリック賛歌The Battle Hymn of the Republic

これこそフィナーレという曲だ。

日本人に唄わすと「オタマジャクシはカエルの子・・・」の曲だ。

ダニー・ケイとサッチモおじさん(ルイ・アームストロング)の掛け合いにこういうのがある。

「さっきと同じ風に吹けってか?」

「おまえさん、ウグイスにさっきと同じように鳴けっていうのかい?・・・」

トランペット奏者としてのアームストロングが 楽譜というマニュアルに頼らず、いかに感性豊かなアーティストであるかを物語る名言である。

ルイ・アームストロングLouis Armstrongは 二十世紀のアーティストのカリスマだ。

今 ロックが好きな日本の若者たちも、まだ聴いていない人がいたら、

彼の「聖者の行進」「この素晴らしき世界What a Wonderful World

「ハロードーリー」など、一度でいいから聴いてもらいたいよ、

そして、「五つの銅貨」の映画をみせてやりたいよ・・・

サッチモおじさんもレッドも、今やジャズミュージックの英霊や御神体のようなものだ。 神社へお参りするような気持ちで 謹んで拝聴するといい。

五十年も前の作品だからもう映画館で観る機会はないが、CD探せばいいべさ。

ちなみに 前記事で卒業式の夜に「エクストラ」で聴いた

On the sunny side of the street の演奏はトミー・ドーシー楽団で、

トミーはレッドの楽団「ファイブペニーズRed Nichols and his Five Pennies」でトロンボーンを吹いていた。 更に後で分かったことだが、トミーはオレが大好きになった「My way」を唄うシナトラの先生だったそうである。

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六十年前、日本はアメリカと戦争してコテンパンに負けた。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」

昭和天皇の玉音を 日本人はみな無念の涙で聴いた。

そして、進駐軍が日本に持ち込んできたのは、

「民主主義」という自由と、

「チョコレート」という甘いお菓子と、

「ジャズ」というエンターテインメントだった。

米軍の爆撃で東京は焼け野原になった、

東京だけじゃない、横浜も大阪も神戸も、そして広島、長崎も・・・

アメリカが憎い、悔しい、悲しい・・・

大人たちはみんな断腸の思いで焼け野原を見つめ、

残虐非道な敵国アメリカを怨んだ、

そして悲しく辛いなかで、誰の心にも やっと戦争が終わったという安堵感で満たされていたのだ。

やがて その焼け野原になった街に ジャズの音楽が流れた。

それを聞いて育った子供たちは(オレもその一人だが)、 

いつの間にか 憎いはずのアメリカが大好きになってしまった。

   

映画「瀬戸内少年野球団」のメインテーマは

“ブキウキだけが俺のララバイ いい夢見るぜ・・・” 

グレン・ミラーの「イン・ザ・ムードIn The Mood」だ。

In The Mood On the sunny side of the street も、

日本人に明るい笑顔を与えてくれた。

戦後の日本が驚異的な復興を果たし 世界トップクラスの豊かな国に発展したのは

悲しいことを良い方向に転化させる 柔軟性と民族の資質の高さがあったからだ。

これが戦後から現在に至る 日米の友好と同盟の構図である。

よくよく考えてみれば、直立不動で整列する部下を上官が殴り倒す日本軍は、ジャズを口ずさみ、葉巻をくわえた部下が上官と笑って会話している米軍に勝てるわけねぇんだよ・・・と、「コンバット」に出てくるサンダース軍曹たちを観ながら思ったのである。

日米を比較すると 伝統・文化は日本が上であっても、

「明るさ・笑顔」という国民性に於いてはアメリカのほうが何枚も上手だったのだ。

大リーグで活躍するイチローや松井が いいプレーをすれば観客はみな拍手で褒め称える、

スポーツばかりではない、芸能やその他の分野でもアメリカ人は 良いもの・優れたもの・素晴らしいものを素直に受け入れて、スタンディングオベーションだ。

外国人であろうがなかろうが関係ないのだ。

我ら日本人は そこのところがイマイチなのだ、

例えば 最近の大相撲は外人力士ばかりが強くて・・・、

それがなんか悔しくて 素直に賞賛できないのは自分だけだろうか?

根性が狭いのか 伝統に対するプライドが高すぎるのか、日本人が反省すべきところかも知れない。

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戦後 日本の音楽、芸能などを志す人たちは、

米英のアーティストに影響を受ける人が少なくない。

萩本欣ちゃんは無名の若いころ 敬愛する喜劇王チャップリンの家の前で 会ってくれるまで待っていたそうである。

「笑点」で林家木久ちゃんが“イヤンバカン・・・”と唄う曲は「セント・ルイス・ブルース」だ、昭和のストリップ劇場のメインテーマ曲になってしまったから、木久ちゃんもそれをネタに使っているが、

本来はルイ・アームストロングの名演で有名な不朽の名作だ。

ストリップショウにジャズの曲が使われるということは、

ジャズが庶民的で大衆に親しまれているという証拠だ、

ストリップ劇場にモーツアルトは場違いだということだ。

トロンボーン奏者の谷敬さんはダニー・ケイに憧れてつけた名前だし、

ボードビリアン益田キートンはバスター・キートンだし・・・、

芸名を調べればもっと面白いのが沢山あると思うけどね。

またまた余談であるが 後でわかったことだが、

オレが持っていた何枚かのレコードの中に「ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ」の西部劇の主題曲を集めたLPがあって、そのジャケットの写真に あの「いかりや長介さん」がベースを抱えて立っていた。 

クレージーキャッツもドリフターズも ジャズバンドであることは知っていたが、

長介さんは ドリフターズの前はここでやっていたのだ・・・!

ということが分かったのである。

(写真はレッド・ニコルス)

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The Five Pennies

   This little penny is to wish on and make your wishes come true.

This little penny is to dream on and dream of all you can do.

This little penny is dancing penny,

See how it glitters and it grows,

As bright as a whistle, light as a thistle,

Quick, quick as a wink, up on it` s twinkling toes.

Oh, this little penny is laugh on To see that tears never fall.

This little penny is the last little penny and most important of all.

For this penny is to love on, and where love is heaven is there,

So with just five pennies if they’re these five pennies

You’ll be a millionaire.

        これは願い事の銅貨 願いをかなえてくれる

        これは希望の銅貨 夢を見せてくれる

    これは踊る銅貨 キラキラ輝いている

    口笛のように軽く 花のように明るく

    まばたきのように ほんの一瞬だけ

                                   

    これは笑いの銅貨 涙から守ってくれる

    これは最後の銅貨 何より大切なもの

    愛を教えてくれる 天国のある場所を

    五つの銅貨があれば 君は百万長者さ

    

                                                                                                                                     

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思い出の曲(1)

Johnny Guitar

Play the guitar, play it again, my Johnny

Maybe you’re cold, but you’re so warm inside

I was always a fool for my Johnny

For the one they call Johnny Guitar

Play it again, Johnny Guitar.

What if you go, What if you stay, I love you.

What if you’re cruel, you can be kind, I know

There was never a man like my Johnny

Like the one they call, Johnny Guitar.

西部劇映画「大砂塵」の主題曲で 

ペギー・リーの歌う「ジャニーギター」

この曲を初めて聴いたのは高校生のころだった、

うら悲しいというか もの寂しいというのか・・・、

一句一句を噛み締めるように歌うペキー・リーの歌声とそのメロディーが 何だか分からないけど切なくて、聴きながら涙がでそうになる自分がそこにあった。

あの頃はなぜか 世の中や 学校や 家のことや・・・・、

自分を取り巻く何から何までが

やたらと腹が立ったり、悲しくなったり・・・、

どっちを向けばいいか、どうすればいいかも分からず、

今になって思えば、あれは何だったのだろう・・・?

ケイシーリンデンの唄う「悲しき16Heartaches At Sweet Sixteen」がヒットしていたころで、自分も同じ16か17歳の多感な時期だったから、

青春の入り口というか、思春期というのは ああいうものなのだろうか。

そして、好きなジャズ系のレコードを集め、部屋でひとり聴きながら 

ブルーな心を癒していたのだ。

音楽に対して感情が敏感に反応するのも思春期の特長なのかもしれない。

ギターを弾いてよ もう一度 私のジャニー、

冷たい人にみえるけど 本当はとても温かい

私はいつも あなたに夢中

ジャニーギターと呼ばれる男に・・・

もう一度弾いて・・・ジャニーギター

あなたが行こうと行くまいと 愛しているわ

冷たくされても 優しい人だと分かっているわ

私のジャニーみたいな男は ほかに誰もいない

ジャニーギターと呼ばれる あなたのような男は・・・

日本語に直してみれば なんてこたぁない、くっだらねえ内容の詩だ。

でも、詩の意味なんかどうでもよかった、

大人になってからは詩の内容に共感して好きな歌を選ぶようになったが、あのころは曲の流れというか、歌声やムードに酔っていたのかな?

要するに“音”を受け止める聴覚が 感性に直接影響を及ぼすのだ、

現代の若者がロックのリズムに反応するように、

とにかくあの頃は このジャニーギターにシビレていたのだ。

今になって考えると これはアメリカの演歌だ。

ペギー・リーは どこか松尾和子に似ている、

ジャニーギターの もの悲しさは  

“みんなは悪い人だというが あたしにゃいつもいい人だった”と唄う「再会」に どこか似ている。

八代亜紀の“お酒はぬるめの燗がいい・・”「舟唄」の雰囲気にも似ているのである。

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My funny Valentine

大学生になっても オレの音楽に対する嗜好は変わらなかった。

今度は「マイ ファニィ ヴァレンタインMy funny Valentine」とか

行ったこともないのに「想い出のサンフランシスコ」とか、岸洋子「夜明けのうた」、越路吹雪「愛の賛歌・・・」、

まだいろいろあったけど、傾向としては バラード調というのだろうか、

“大人の恋”を唄った曲にシビレていたのだ。

Mellowkiss01

渋谷に“エクストラ”というバーがあった。

地下への階段を下りると、フロアは広く 落ち着いた雰囲気のお洒落な店で、卒業間近のころには いつしか常連となっていた。 

カウンターで静かに流れるジャズを聴きながら、バーテンのブンちゃんと時々会話を交わしながら、ウィスキーのダブル一杯で 一時間も粘って、

一人で格好つけて・・・早く大人になりたかったのかな・・・?

My funny Valentine, sweet comic Valentine

You make me smile with my heart・・・・・”

うす暗い灯りの中で タバコの煙をゆっくりと くゆらせながら

「マイ ファニイ ヴァレンタイン」を静かに聴く・・・

この曲には 強い酒が似合っている、

ジンフィーズとかハイボールとか そんな軽い飲み物ではだめなのだ、

ビールじゃもっと似合わない。

自分なりに そういうこだわりを持って、

本当はヘネシーのブランデーあたりならカッコいいのだが、

高い酒は注文できないから いつもサントリーの角だったけど、

それはそれでまたカッコいいのだと思っていた。

千円もあれば 映画を観てから喫茶店にいける時代だったが、

アルバイトで金を稼いでは この店に通ったり、仲間と旅行したり、

LP盤のレコードを買ったりしていた。

阿川泰子のアルバムの中で この“My funny Valentine”を何度も繰り返し聴いて、 そらで唄えるようになるほど 憶えてしまった。

阿川さんの あの頼りないような歌声がとても魅力的で、

大人の女の色気を感じさせるようで・・・・、

あれ以来 オレは阿川泰子さんのファンになった。日本のジャズシンガーで あれほど英語を英語らしく唄えるのは彼女が一番だ。

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    On the sunny side of the street

この店で ある時カナダ人の留学生が隣に座った、青山学院?だという。

なんか分からんが、ややこしいカクテルを注文して、グラスに入ったマーブルチョコの小粒みたいなものをつまみにして、オレにも食えと勧めるのだ。

そして、達者な日本語で ああだこうだと話しかけてくる、

カナダという国は国土の面積の半分以上は湖だ・・・とか、

トロントでフィアンセが僕を待っている、

卒業して早く彼女に会いたい、愛しているから・・・とか、

そんなこと聞いてねえよ!!!

「君は我が運命You Are My Destiny」の曲が流れると、

ポールアンカはカナダの出身だ・・・とか、カナダのお国自慢を三十分ほど喋りまくって、一杯のカクテルを飲み終えると、バッグから参考書であろうか 分厚い本を出して、本のページの間に挿んであった千円札を出して ちゃんとおつりを貰い、530円(だったかな?そこまで憶えてないが)領収書を要求して、さっさと帰ってゆく、

「フィアンセによろしくネ!」

「アリガトウ、君もお元気で、バイバイ・・・」

頭の上で手を振り ご機嫌で出ていった。

それから、一分もしないうちにドタバタと足音を立てながら血相変えて戻ってきた。

本だけ持って、足元に置いたショルダーバッグを忘れたのである。

彼が再び消えたあと やっと静寂が戻った。

バーテンのブンちゃんと二人で顔を見合わせ、同時にふき出した。

「何じゃ あれ?・・・トンモロコシの毛みたいな頭して、騒々しい奴だな、あの領収書は何なの?理解できないな・・・、」

「酔ってるんですよ・・・」バーテンのブンちゃんがいう。

「口から先に生まれてきたみたい、あいつオチ研(落語研究会)じゃないの?大丈夫なのか、卒業できるのかな?」

残していったチョコの粒を つまみながら云ってみたが、

だがまてよ、他人事ではない、卒業の件はオレも不安でいっぱいだ、なにしろ授業は出てないし、入学した時以来、教科書を買ったこともないのだ。

「オレ、卒業できなかったら どうしよう・・・、」自身の深刻な話題に変わってしまった。

「大丈夫、何とかなりますよ・・・」ブンちゃんは明るい笑顔だ。

そして三月、単位ぎりぎりで、なんとかセーフで卒業式のあと、

仲間四人で祝杯を挙げに「エクストラ」へ行った、

ブンちゃんに卒業証書を見せたかったのだ。

お祝いだと云って みんなにジョッキ一杯の生ビールをご馳走してくれた。

「よかったね、エライ!スゴイネ・・・」

オレの卒業証書を広げてみながら ブンちゃんが大げさに褒める。

勉強もしてないのに、エラかないよ・・・というと、

普段勉強している人が卒業できるのは当たり前だ、

勉強しなかったのに卒業できたのだからあんたは偉い・・・とブンちゃんはいう。

オレの心に何時までも残った ブンちゃんの嬉しい名言である。

そして、「この曲 知ってるよね?」といいながら一枚のレコードを流してくれた。 ジャズのスタンダード、「明るい表通りでOn the sunny side of the street」だった。

“どこの街にも明るい陽が当たる表通りと、蔭の場所がある、

物事には 良いことも悪いこともあるさ、

俺たちはいつも笑顔で 良いことを見つけて歩いてゆこうよ・・・”

この曲にはそういう意味がある。

あれから四十年も過ぎた今、その意味が分かったのである。

ブンちゃんは これから社会へ出て行くオレたち若者にエールを送っていたのだ。 

彼とは長い付き合いだったのに、ジャズが大好きで、いつも笑顔で・・・、

彼のことはそれしか知らない、 自分のことを語ったことがないのだ。

いつもオレの話の聞き役だったし、バーテンダーとはそういう商売なのだ。

そして、オレが学生で金がないことも知っていたけど、 

ダブル一杯で一時間座っていても 嫌な顔ひとつしたこともない、

余談になるが、 一度だけブンちゃんがバーテンダーの心得を語ったことがある。

それは“お客様のプライドを気遣うこと” だそうである。

例えば 酒飲みはだれでも 俺は酒が飲めるというプライドがある、

バーテンが相手するようなところへ来る客は 特別プライドが高い、

この客はもう限界だと思っても水を出したら客のプライドを傷つけることになる、

客が水をくれといわない限り 決して水は出さない、

カクテルを作るにも 強い酒の割合を手加減する、

つまり アルコール度が高い酒の分量を少なくするのだ。

どの程度から手加減を始めるかは 客を見ていれば分かるのだそうである。

それでもメニュー通りの勘定はとるが、それがお客様に対する気遣いなのだという。

「へぇ~、そうなんだ・・・なるほどね」彼はみんなお見通しなのだ。

そして最後に「でも やっぱり笑顔が一番ですけどね・・・」

今になって思えば ブンちゃんの言葉はどんな商売にも通じる格言だ。

    大丈夫、何とかなる、勉強しないのに卒業できたのはエライ、

・・・これは自信を持てということだ。

    On the sunny side of the street・・・良いことを見ようよ、

    お客様のプライド・・・これは優しい心のことだ、

    そして やっぱり「笑顔が一番」なのだ。

あのころブンちゃんの年齢は三十くらいだろうか、まだ若くオレたちとたいして変らないのに、オレたちのような半端な大学生よりも 遙かに大人で教養人だと思うのである。

オレは学校で勉強しなかったかわりに この「エクストラ」という教室で楽しく勉強していたのかもしれない。

On the sunny side of the streetは 今でもこれを聴くと 足の先がいつの間にかリズムに乗ってくる、あの時ブンちゃんがこの曲を聴かせてくれたおかげだ。

「大丈夫、何とかなるよ、明るい笑顔で 陽の当たるところを見ようよ・・・」ブンちゃんの言葉が聞こえてくるようで、「エクストラ」と共にオレの青春の一番明るい想い出だ。

    サイドバーの「マイリスト」にこの曲をリンクした、無料で聴けるジャズのHPだ、Homeに戻れば他にも沢山聴ける、でも音量注意だ、仕事中は叱られても知らないよ・・・、弟のHP「エンジェルレコード」にもオリジナル曲が沢山あるよ、オレのブログはシロウトの暇つぶしだけど、マイリストのホームページはみなプロフェッショナルだ、寄り道して楽しんでね・・・

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    One rainy night in Tokyo

ちなみに 妻と初めてデートしたのも この「エクストラ」だった、

One rainy night in Tokyo. 濡れた舗道には 揺れる灯火がなぜか切なくて、なんにも要らない二人だけの夜 交わす瞳が 囁くI love you ”

ブレンダ・リーが日本語で歌う「ワン レィニィナイト イン トーキョー」これがチョーかっこいかったのだ。

若い恋人たちを その気にさせる歌なのだ。

東京でオリンピックがあった年、これがウチの夫婦の思い出の曲だが、

ここでは女房の話をしたいのではない、

聞かれてもいないのに 女房の話をするのは野暮というものだ、

あのころは 男が気障(キザ)でいられた時代だった。

恋した女の 一人ひとりに それぞれの“思い出の曲”があった、

恋人に そういう思い出を作ってやるのが男のスタイルであるかのように・・・

そんなことを云うと 自分は相当カッコいい軟派みたいだが、

現実は 常に誠実で必死で、そして かなりずっこけていた。

また聞かれてもないのに 何を今更弁明しているのか、

だから私はアホヤネン・・・なのである。

ある時 晴海の自動車ショーで一緒にバイトしていた女子大生と銀座でデートした、ヨーコちゃんという横須賀の良家の娘で、彼女はオレにとっての「港のヨーコ」だった。

ミートソースとナポリタンの違いを教えてくれたのは彼女だ。

築地のあたりで 映画館が二軒並んでいた、

左側は ギターのメロディーで有名な「禁じられた遊び」、

右の映画館は「世界残酷物語」というのをやっていた。 

彼女は「禁じられ・・」が観たかったようだが、

オレは「世界残酷・・・」が面白そうだといって右のほうへ入った。

ヤコペッティ監督、動物の生存競争のドキュメンタリーで、本当に残酷な場面がいろいろあった。  そして、中国の市場で食肉用の犬の死骸が並んでいるシーンを見ているうちに ついにオレは気持ち悪くなってトイレに駆け込みゲロを吐いた。

彼女はケロッとして 平然と最後まで映画を鑑賞していたのに。

その映画のラストシーン More than the greatest love the world has knownこの世が知っている最大の愛よりも大きな愛を・・・

「モアMore」というアンディ・ウィリアムスの曲が流れた、

映画の内容とは全然違う 美しい地球の景色と 素晴らしいメロディーだった。

ずっこけたデートだったが この曲は彼女との思い出だ。

彼女はたぶん 忘れているだろうけどな、

残酷シーンを見て気持ちわるくなったり、モアのメロディーが忘れられなかったり、これは一般論ではないが、基本的には女の子の方が度胸があって、現実的で、男の子のほうが 本当はずっと弱虫でロマンチックだ。

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何年か後に 沢田研二が「カサブランカダンディ」という曲を歌った。

“ボギー ボギー、あんたの時代は良かった、男がピカピカのキザでいられた”

今オレが云いたいことを あの時彼が唄っていたのだ。

これは阿久悠の作詞、阿久悠さんも キザな振る舞いで女を口説くことがダンディといわれた時代の男のこだわりや心情を伝えたかったのだろう。 ボキーとは映画「カサブランカ」の名優ハンフリー・ボガードのことである。

ホントにあの時代は良かったよ、

自分も思い切り青春したし、ウエストもスマートだった、

今じゃ 女どころかハエも寄りつかねえよ・・・

孫娘は遊んでくれるし

最近 プールで顔見知りになったバアサンと

お友達になっちゃいそうだけど、

六十歳以上十歳未満限定じゃ 話にもなんねぇ、

その中間層が希望なんだけどな、

最後に一句、オリジナルだ、

音楽には 心を癒す力がある

美しい曲は 遠い昔の恋の涙を 

温かい思い出に アレンジしてくれる

歩いた道が 優しい曲で溢れていれば

思い出の数だけ 心は豊かになれる

明るい笑顔と 人を肯定する心があれば

これからのマイウェイは 無敵だと信じたい

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さらばハイセイコー

「さらばハイセイコー」    寺山修二

 ふりむくと 一人の少年工が立っている

彼はハイセイコーが勝つたび 

うれしくてカレーライスを三杯も食べた

 ふりむくと 一人の失業者が立っている

彼はハイセイコーの馬券の配当で 

病気の妻に手鏡を買ってやった

 ふりむくと 一人の車椅子の少女がいる

彼女はテレビのハイセイコーを見て 

走ることの美しさを知った

 ふりむくと 一人の酒場の女が立っている

彼女は五月二十七日のダービーの日に 

男に捨てられた

 ふりむくと 一人の不幸な運転手が立っている

彼はハイセイコーの配当で 

おふくろをハワイへ連れて行ってやると言いながら

とうとう約束を果たすことができなかった

 ふりむくと 一人の人妻が立っている

彼女は夫にかくれて 

ハイセイコーの馬券を買ったことが

たった一度の不貞なのだった

 ふりむくと 一人のピアニストが立っている

彼はハイセイコーの生まれた三月六日に 

自動車事故にあって失明した

 ふりむくと 一人の出前持ちが立っている

彼は生まれて初めてもらった月給で

ハイセイコーの写真をとるために 

カメラを買った

     ふりむくと 大都会の師走の風の中に
 まだ一度も新聞に名前の出たことのない 

 百万人のファンが立っている
 人生の大レースに自分の出番を待っている

 彼らの一番うしろから せめて手を振って 

 別れのあいさつを送ってやろう
 ハイセイコーよ 

 お前のいなくなった広い師走の競馬場に
 希望だけが取り残されて 風に吹かれているのだ

 ⑩ ふりむくと 一人の馬手がたっている

 彼は馬小屋のワラを片付けながら 

 昔世話したハイセイコーのことを

 思い出している

 ⑪ ふりむくと 一人の非行少年が立っている

 彼は少年院の檻の中で ハイセイコーの強かった日のことを

 みんなに話してやっている

 ⑫ ふりむくと 一人の四回戦ボーイが立っている

 彼は一番強い馬はハイセイコーだと信じ

 サンドバックにその写真を貼って たたきつづけた

 ⑬ ふりむくと 一人のミス・トルコが立っている

 彼女はハイセイコーの馬券の配当金で 

 新しいハンドバッグを買って

 ハイセイコーとネームを入れた

 ⑭ ふりむくと 一人の老人が立っている

 彼はハイセイコーの馬券を買ってはずれ やけ酒を飲んで 

 終電車の中で眠ってしまった

 ⑮ ふりむくと 一人の受験生が立っている

 彼はハイセイコーから 挫折のない人生はないと 

 教えられた

 ⑯ ふりむくと 一人の騎手が立っている

 かつてハイセイコーとともにレースに出走し 

 敗れて暗い日曜日の夜を 

 家族と口もきかずに過ごした

 ふりむくと 一人の新聞売り子が立っている

彼の机の引き出しには ハイセイコーのはずれ馬券が 

今も入っている

 もう誰もふりむく者はないだろう

うしろには暗い馬小屋があるだけで

そこにハイセイコーは もういないのだから・・・

ふりむくな

ふりむくな

うしろには夢がない・・・

ハイセイコーがいなくなっても 

総てのレースが終わるわけじゃない

人生という名の競馬場には

次のレースを待ち構えている百万頭の 

名もないハイセイコーの群れが

朝焼けの中で 追い切りをしている地響きが聞こえてくる

 思い切ることにしよう

ハイセイコーは ただの数枚の馬券にすぎなかった

ハイセイコーは ただひとレースの思い出にすぎなかった

ハイセイコーは ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった

ハイセイコーは むなしかったある日々の

代償にすぎなかったのだと

 だが 忘れようとしても

眼を閉じると あの日のレースが見えてくる

耳をふさぐと あの日の喝采の音が

聞こえてくるのだ・・・・・

長い 長い詩です。

長いけど 嫌にならないのです。

次はどんな言葉が出てくるのか・・・期待しながら読めるのです。

競馬をやらない人でも この時代に生きてきた人なら 納得できる言葉です。

大都会の片隅に生きる様々な人間模様が ハイセイコーという一世を風靡した

サラブレッドの物語を通して見えてくるのです。 

1970年代は日本の高度成長期の真最中で、野球では王・長島の全盛期、ジャイアンツが日本シリーズ九連覇を達成し、巨人・大鵬・玉子焼き・・・といわれ、

巨人も大鵬も玉子焼きも・・・強くて人気がある「常勝・安定」の代名詞だった。

そんなときに 公営大井競馬場に怪物が現れた、

デビューしてから6連勝、それも全てのレースが追わずに10馬身もぶっちぎりで・・・、

ダートの公営競馬では無敗で中央へ転厩、弥生賞、スプリングS、NHK杯、

そして皐月賞まで・・・10連勝を達成した、

欲張りな大衆は 更なるヒーローの出現を求めていたから

競馬界では 幻の名馬「トキノミノル」の再来か・・・といわれ、

日本人なら王・長島・大鵬をみんな知っているように

競馬を知らない人でも「ハイセイコー」を知らない人はいないくらい

アイドルとなり 社会現象になった。 

玉子焼きは別格として、 “巨人・大鵬・ハイセイコー”とまでいわれた。

ちなみにダービーでの単勝支持率66.6%は、2005年ディープインパクトに抜かれるまで 三十年以上も破られなかった記録である。

誰が見ても ハイセイコーはダービーも勝つ・・・、と思った。

そして、何百万人が見つめる悲鳴と喚声の渦の中で 宿敵タケホープに敗れたのである。

このダービーのあと、ハイセイコーは菊花賞でもタケホープに負けた。

それでもハイセイコーの人気は落ちない、

タケホープのほうが強いのに 悪者扱いされるような雰囲気だった。

三冠馬でもない、歴史的にみれば ただの皐月賞馬なのに、

こんなに大衆に愛された馬は ハイセイコーが最初で最後なのかもしれない。

ハイセイコーの魅力は「負ける」ところにあったのかもしれない。

勝つときの鮮やかさ、負けるときの悲壮な姿・・・・

栄光と敗北を大衆の前にさらけ出す・・・人生のドラマのように。

公営競馬出身という エリートとはいえない彼の生い立ちも 庶民に親しみ愛される要因なのだろう。

でも 当時のオレは冷静だった。

ハイセイコーの馬券を 買ったことは一度もない。

ていうか、貧乏人だから 穴ばかり狙っていたのである。

自称競馬評論家の専門的見地からすれば、

ハイセイコーはチャイナロック、タケホープはインディアナという血統だが、

血統的には互角としても、500kgを越える巨漢のハイセイコーのパワーよりも、

スリムで 筋肉がしなやかで 皮膚が薄く柔らかそうなタケホープのほうが、

スタミナが要求される長距離のクラシックレースには向いている、

少し前の世代に、アローエクスプレスがタニノムーテイエに敗れたことを考えていた。

アローエクスプレスもハイセイコーも 人気ばかりが先行している、

みんなにチヤホヤと愛されすぎている。

馬だって 苦労しないとだめだ、挫折の経験がなければだめだ。

強いものを倒そうとする「反骨心」がなければだめだ。

ハイセイコーは まだ負けたことがないから そういうことを知らない、

そこに負ける要素がある・・・

オレは敢えて彼の評価を下げていた、

というよりも大穴馬券を求めるあまりの 希望的観測だったのだが。

かつて菊花賞馬アカネテンリュウが 強敵メジロアサマ(メジロマックィーンの祖父)

中山の直線で並ばれたとき、オレより先に走るなと噛み付きにいったことがある。

馬にだって、あいつにだけは負けられないという「闘争心やプライド」もある。

2001年のダービーで 直線一気の強襲で勝ったジャングルポケットが

ゴールを過ぎてから 天に向かって吠えたのを 観衆はみな目撃した。

どんなもんだい、俺はやったぞ・・・というガッポーズなのだ。

そのとき 惜しくも二着に敗れたダンツフレームが 

悔しそうに肩を落としていたのを見た観衆は何人いただろうか・・・・。

うそみたいなはなしだけど、競走馬とはそういう賢い動物なのだ。

勝てば嬉しそうに喜びを表し、負ければ落胆して 泣く馬もいる。

バカと思われても仕方がないが 自分にはそう見えるのだ。

タケホープに乗った嶋田功騎手が「ハイセイコーが四つ足なら こっちも四つ足だ」

という名言があるが、ひよどり越えの断崖の上から「鹿も四つ足 馬も四つ足、」と叫び 

急斜面を馬で駆け下り平家を破った義経のような気概と反骨心で、 

タケホープと嶋田のコンビは 無敵のハイセイコーに立ち向かったのであろう。

競馬のはなしになると 熱が入って また脱線してしまった。

ここでは 寺山さんの詩のはなしであった。

「さらばハイセイコー」の ①~⑳までの詩のなかのどれかに 自分が当てはまっているようで、

大都会の雑踏にまぎれながら、人はみな それぞれの人生を背負い生きている・・、

自分は どのタイプの人間なのかを問われているようでもある。

この詩で 一番いいところは

ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない・・・

寺山さんは そういって自らを励ましているが、

だが 忘れようとしても 

眼を閉じると あの日のレースが見えてくる

耳をふさぐと あの日の喝采の音が 聞こえてくるのだ・・・・

と締めくくる。

春は必ずまた来るけれども 愛したものとの別れも 

巡る季節と同じように 必ずやってくる。

自分が愛したものへの せめてものはなむけに 

百万人のファンの一番うしろから 

せめて手を振って 別れのあいさつを送ってやろう・・・・

それが 優しさの証明なのだ。

それが ハイセイコーに対する“ありがとう”の印なのだ。

寺山さん自身が 「さよならだけが人生・・・」を 

かみ締めていたのだ。

競馬には 負けても満足できる馬券がある。

たとえば 

◎ 情報に迷わず 配当に惑わされず

   納得いくまで考えて 自分を偽らなかったとき

 ◎ テンポイントが 最後の決戦有馬記念で 

   ついにトウショウボーイを破ったとき

 ◎ トウカイテイオーが 引退を決意した有馬記念で

  ビワハヤヒデに競り勝ったとき

 ◎ サクラチトセオーが中山京王杯で1分32秒1

   マイルのレコード33秒台をはじめて切ったとき

 ◎ マヤノトップガンが阪神大賞典で

   ナリタブライアンと長い直線で一騎打ちになったとき

 ◎ ツインターボが20馬身も離して逃げるとき

 ◎ エアグルーブの子供がデビューしたとき

 ◎ アルバムに貼って残したい馬の単勝馬券を買ったとき・・・

こういうときは 馬券が外れても

自分は良いことをしたような 

幸運に恵まれたような気持ちになります。

たとえば

    ライスシャワーが宝塚記念で転倒し 予後不良になったとき

    サイレンススズカが天皇賞でも大逃げして 骨折したとき

● あんなにがんばったサンエイサンキューが力尽きたとき・・・

こんなときは 馬券が的中しても 

自分が悪いことをしてしまったような 

切なくてやりきれない気持ちになります。

(これは寺山さんじゃないよ、オレのオリジナルだ)

この意味が分かる人は 競馬をロマンだと思う人だ。

いつだったか 漫才の芸人が、「競馬はロマン?・・・アホぬかせ、

なにがロマンじゃ・・・、騎手が馬を担いで走るなら そりゃ偉いけど、

金賭けて、鞭で叩いて走らせて、あれは虐待じゃ・・・」といって笑わせた。

確かにそうかもしれない、

競馬がロマンだなんて ギャンブルに負けた者の「自分への慰めと言いわけ」だ、

自分としては どんな形であれ馬券が的中すれば こんな嬉しいことはないし、

負ければ こんな悔しいことはない。

ギャンブルとは 基本的に勝てばいいのだ、

しかし ギャンブルで最終的に勝った人のはなしを聞いたことがない。 

ギャンブルとは「負ける遊び」なのだ。

でも、例えば、同じ負けるのでも パチンコで負けたときの

“青春を無駄に浪費したような 惨めさと、情けなさ、自己嫌悪・・・”

「軍艦マーチ」で高揚した心が 帰り道では「昭和枯れすすき」になるような

あの後悔に比べたら、

競馬で負けたときの 悔しいけれど何とも表現のできない

“青春を燃焼させたような ある種のあの爽やかさ”は何だろう。

パチンコを題材にした詩や歌に 出会ったことはないが、

競馬には ハイセイコーのような 感動的な詩や歌もできる。

自分が選んだ馬に託したその夢が、そのときの思いが、

いつまでたっても忘れずに 人生のアルバムの一頁として

心に残しておきたいという気持ちは何だろう、

ファンファーレを聞き、ゲートインをするときの

少年のような あの胸のときめきは何だろう、

去ってゆく馬に“ありがとう”の言葉を贈りたい気持ちは何だろう

やっぱりこれは ロマンなのだ。

こんなことを力説するオレは やっぱりバカなのじゃ・・・

◆好きな馬・お世話になった馬

タマモクロス・ライスシャワー・ブラックホーク

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Photo_25 ハイセイコー号 (牡・鹿毛)

1970年3月6日北海道新冠生まれ

父 チャイナロック、母 ハイユウ、  

鈴木勝厩舎、 騎手増沢末男

22戦13勝、主な勝ち鞍(皐月賞・宝塚記念・高松宮杯など)

主な産駒= カツラノハイセイコ(ダービー・天皇賞)

ハクタイセイ(皐月賞)、サンドピアリス(エリザベス女王杯)

2005年5月4日没享年31歳

◆OB会の写真です、画像が暗いから みな若くみえる。Dscf5326

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さよならだけが人生

この盃をうけてくれ

どうぞなみなみつがせておくれ

花に嵐のたとえもあるぞ

さよならだけが人生だ

この詩は直木賞作家の井伏鱒二さんが 漢詩を日本語に訳したものです。

親しい友人と酒を酌み交わし、しんみりと人生をふりかえる・・・

そんな情景を連想させる 大好きな詩のひとつです。

「勧酒 」干武陵

勧君金屈巵(君に勧む金屈の巵)
満酌不須辞(満酌辞するを須いざれ)
花発多風雨(花発いて風雨多し)
人生足別離(人生別離足る)

これが原文です。

井伏鱒二さんは 上品で温かみのある言葉でこれを翻訳し、中国人の詩の中に

日本の「一期一会」に通じるものがあることを表現しています。

酒を酌み交わすこの二人が だいぶ出来上がってきて、

更にボルテージが上がった状況でこの詩を書き換えると

“花は咲いても 嵐がきたらおしまいだ

人生あしたはどうなるか分からない

ガタガタしたってしょうがねえだろ、 

さあ飲もうぜ・・・  

俺の酒が飲めねぇのか・・・コノヤロ ”   (自分訳)

まあ・自分たちのレベルだと このような意味になります。

むかし読んだ「三国志」の中に、詳細は忘れたが、主人公の劉備玄徳が魏の曹操に

「美味しい梅が手に入ったから 二人だけで梅を肴に酒を飲みませんか・・・」

と誘われる場面がある。

関羽と趙飛の二人の忠臣は「策略に決まっている、行ってはなりませぬ」と止めるが

「私は彼を信じる・・・」劉備は単身 宿敵曹操に逢いにゆくのである。

覇権を争って互いに憎しみ合い、戦い続けてきた永遠のライバルが かけひきも何もなしに 現実を離れて僅かな時間心解け合わせ、互いの力を認め合い、

「一期一会」の時を共有したのである。

水の畔の静かな佇まいの庵の中で、梅の実をさかなに酒を酌み交わす・・・・

たぶん原作者干武陵も 水墨画のような幽玄の世界をイメージしたのだろう。

これが現代のオレたちのスタイルになると、 

回りの客の声がガヤガヤうるさくて、

自然と自分たちの会話の声もでかくなる居酒屋で、

枝豆とヤキトリをさかなに酒を飲む・・・、

たいして変わりはないよな、梅よりはヤキトリのほうがうまいと思うけどね。

* 七月七日、久々に東京へ行き、会社の古い仲間と現役の若手も集まって

現役時代に世話になった上司の八十七歳の誕生日を祝い 酒を飲んだ。

高齢で病気療養中であるが 何とかいつまでもお元気でいてほしい・・・

みんな同じ気持ちで・・・、

自分的には(みんなもそうだと思うが) 仕事の先生であり 人生の師匠でもある上司に

親孝行のまね事ができたこと、そういう環境で育ってきたことが何より嬉しく、

幸せなひと時であった。

OBはみんな還暦や古希を過ぎた爺さんばかりで、

筋肉隆々でスマートだった肉体も 今は中年太りの腹となり、頭髪は白くなり、

白でもまだ有れば工夫もできるが、略全滅で もはや手遅れの人もいるけれど・・・、

そのかわり口だけはみな達者になって、活躍した現役時代をふりかえる、

「有朋自遠方来、不亦楽乎」

(とも)有り遠方より来る、また楽しからずや・・・ 

この詩がぴったりの楽しい宴なのだ。

朋とは同じ目的のために学ぶ友のこと、

昔のチームメイトが久々に会うことは楽しいことであるという意味だ、

「興志一来 可狂起耳 侠情一往 可乱酔耳」

興志(こうし)ひとたび来たらば 狂起すべきのみ 

侠情ひとたび往()かば 乱酔すべきのみ

目的ができたら狂ったようにやれ、そしてそれが終ったら乱れるほど酔えばいい・・・

侠情が往くとは“おとこ心がふれあう”という意味だ。

得難きは時、会い難きは友・・・というのもある、

何れも同じようなシチュエーションの名句である。

そして、毎年先輩たちがひとり またひとりと欠けていく現実を知りながら、

“みんなに逢えるのも これが最後になるかもしれない・・・”

心のどこかに そういう自分自身に対する心構えというか 

覚悟のような感情がちらついたのは 大病を抱えた経験のある自分だけだろうか?

ナンチャッテ・・・、

「侠情と乱酔」の言葉を忠実に実行し、飲みたい放題飲んで、散々大騒ぎしたあとで、

一人になると ヘロヘロに疲れ果て、息も絶え絶えでタクシー乗り場にたどり着く

己の体力の衰えを痛感したからだろうか。

翌日は「あ゛~ぎもち悪り~・・・、あっだま痛ぇ~・・・」と嘆く、あの懐かしい症状を久しぶりに満喫?していたが、

ともあれ 東京さ行って無事に戻ってこれたのである。

人生は 結局別離の連続なのだ。

出会いの数だけ 必ず別れがある。

だからこれからは、一日一日を 楽しく大切に生きてゆこう・・・

みんながんばれよ、元気でまた会おうぜ、オレもがんばるから・・・

ということだ。

そのときに ふと思い出したのが「さよならだけが人生・・・」の詩だった。

この詩の意味が 分かるような歳になったということだね。

 

この詩に反論するかのように こういうのもある。

さよならだけが人生ならば  

    また来る春は何だろう

はるかなる地の果てに咲いている 

    野の百合は何だろう

さよならだけが人生ならば  

    めぐり会う日は何だろう

やさしい やさしい夕焼けと  

    ふたりの愛は何だろう

さよならだけが人生ならば 

    建てた我が家 なんだろう

さみしい さみしい平原に  

    ともす灯りは何だろう

さよならだけが人生ならば 

    人生なんか いりません

劇作家で 演出家で 詩人で 競馬評論家の寺山修二の詩です。 

寺山さんは 本当は「勧酒」の詩が大好きなのである。

酒飲みで「俺はいつか肝硬変で死ぬ・・・」そんなことを冗談まじりに言いながら

さよならだけが人生なんて思うのは十年早いよ・・・

前向きに生きようとする 自分への応援歌のように 

「さよならだけが人生」の意味が分かっているくせに、敢えてそれを否定する。

1970年代、オレは毎週末になると競馬場通いをしていた、

スポーツ誌や競馬新聞で 寺山さんのコラムやあまり当たらない予想欄はよく読んだが、

彼がこんなに味のある詩人だったというのを知ったのは

怪物ハイセイコーが引退した頃だった。

そして、サラブレッドの走る姿を人生に例え、競馬はロマンだ・・・と、

頑なまでに主張する彼の考え方に共感を覚えたのも 

ハイセイコーをこよなく愛した彼の晩年の詩「さらばハイセイコー」

出逢ったからである。

「さよならだけが人生」は、人生をふりかえるうただ。

“ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない・・・”

そう訴えつづけた彼が 最後には人生をふりかえる詩を 延々と書いたのである。

増沢騎手のヒット曲じゃないよ、長いけど 素敵な詩を次に紹介します。

  

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