カテゴリー「オレ流少年野球」の10件の記事

熱闘甲子園

◆私はガキの頃から野球ファンである。 やるのも観るのも好きだった。 近所の遊び仲間九人集まると隣町の子供同士で試合する、グローブのない子もいた、布製の手作りグローブの子もいた。 そういう子に限って天才的に上手かった。  グローブもバットも、道具が高価な時代だった。 小学生の時はライト、どうでもいいポジションだった。  中学生になったころ急に身体が大きくなり いつのまにか主戦投手だった。 上手でもないし球際に弱いから守るところがない、楽しみはバットでボール叩いてぶっ飛ばすことだった。 ボールになる速い球で大人から三振とるのが気持ち良かった。  投げるだけしか能のないガキの頃の話である。

高校入学と同時に先生(監督)に目をつけられて 死ぬほど辛い練習をやらされ、一週間で下手なスライディングして膝を骨折、泣く泣く夢を諦めることになったことにしておいたが 自分としては幸運な事故、プライド傷つけず辞められて本当に良かったと喜んでいた。 坊主頭が嫌でしょうがなかったのである。  

己の経歴公開してもろくなことない 野球に関してはこんな程度である。   野球よりも女の子に興味ある世代である、  髪の毛を伸ばして その後卒業までリーゼント、ヤンチャ仲間と自由な青春を謳歌した。 皆同じである。       社会人になっても しばらくはロングやパンチパーマだった。

 「ストライクは三度に一度入ればいい、速い球投げればバッターはボールでも振ってくれるから・・・・」 先生のこんな教え方が大好きだった、先生の野球哲学を 私はそのまま 後の少年野球指導に応用していた。  この先生は日本の野球指導者業界では知る人ぞ知る超達人である、 野球に関しては我が人生最も尊敬する恩師で 現在はプロ野球殿堂入りしている一流人である。(最近知ったことであるが)      

自分の現役時代は自慢になることはなにもない、怪我して痛い思い出しかない、なにも偉そうなことは云えないが スポーツ競技で能書きたれられるのは野球くらいなものである。  

少年野球の頂点、野球少年が目指すところは甲子園の全国大会、団体競技としての野球のレベルは高校野球が頂点である。 プロになると 観客はショウ的要素、パフォーマンスを楽しむようになる。  観てもやっても 一番楽しいのは草野球、汗かいたあとの宴のため、社会的貢献も何もない、無責任に楽しめるからである。  どんなスポーツ競技も 技術の低いほど面白い。  芸とは上達するほど辛くなる、勝つほどに相手も強くなる、頂点の戦いは命がけである。  そんなことに命賭けなくたっていいのだけどね。    

 オレは高校野球が嫌い、巨人と同じくらい嫌いだ・ということを現役時代から学んできたのだ。  「僕は野球が好きではない、仕事だから仕方なくやっている」 昔プロ野球ヤクルトのエースがこんなことを言っていた、優秀な左腕であった。 

今年も八月になるとクーラーのきいた部屋で たまには昼間から冷たいビール飲みながら甲子園大会のテレビ中継観て、オラなんだかんだと文句ばかり云っている。   

情けなくて見てらんねえよ。  選手は皆 高校生にもなって丸坊主、開会式の入場行進、手を振り足をあげて、どこかの軍事パレードみたいだよ。  女に興味持ち始めた少年期、あの坊主頭では女の子が振り向いてもくれないよ、ガールフレンド欲しければ野球やめてヘアスタイル直さなければ。

 監督はベンチから身振り手振りで打撃指導している、甲子園まで行ったチームが 今更試合中に打ち方を指導するのがおかしい。  オレだったらベンチの裏でたばこ吸ってるか缶ビールでも飲んでるよ。  走者がでれば必ずバントする、ピッチャーゴロでアウトになるとわかっていても一塁にヘッドスライディングする、いつでも全力疾走で汗と泥にまみれて必死に戦う。

その姿が感動的だ、あれが青春だ、若さだ・・・と、大人たちは皆やさしく評価する。

負けたチームは号泣しながらグランドの砂を袋に入れてお土産に持ち帰る。  不憫で見てられねえ、あのクソ熱い中であれだけ頑張って 一円の報酬もない、何のために勝ち上がってきたのか・・である。   甲子園の入場料もかなりな売り上げになるなら 選手に一日一万円くらい分配してやれ、無報酬で働かせて あんな理不尽なことはない。

高校生にもなって丸坊主で皆大人の云うこと聞いて、地区の代表として日本中を熱狂させて、経済効果もかなりなはずである。  

優勝したらご褒美として芦屋のキャバレーでも借り切ってシャンパンファイトやらせてやれ、女子高生のきれいどころを選抜して おっぱいくらい揉ませてやれ。  主将には先っぽ少しだけでも入れさせてやれ・・・これが本当のセンバツ高校野球・・? なら 彼らの青春は永遠に素晴らしい思い出に残るでしょ。  

この話すると誰もが反論する、女房殿は 口尖らせて「あれが青春なんだから・・、お金の問題じゃないから、名誉のため 夢のために戦う、美しい姿、若さだから・・」と猛烈に反論する。 「自分もやってたくせに、なんでこんな根性悪のおやじになったのか・」・・

オレの弟子に甲子園行った子はいない、強い学校へ入学できないから、勉強の問題だ。  野球も勉強も素質の問題、甲子園を目標にする前に 先ず入学試験でしょ。

なにも経験しないうちから夢は必要ない、長い人生 いろいろあるから夢や希望を見つけたりする、・・・・少年よ大志を抱け・・なんてこと教えて迷わせるな、夫々が行き当たりばったりで自分の夢を探せばいい、大人に強制されるものではない。   夢とはお年寄になってからだ、オラの場合 明日朝起きたら生きてるかどうかだ、・・・こんな根性曲りだから今バチ当たってんだよ・・・と、家庭争議に発展するほどである。

あんなに沢山観客もいて、視聴者がいて 日本の夏のお祭りのように盛り上がっているのにギャンブル性ないからつまらん。  

高校生は たばこダメ。酒もダメ、喧嘩もダメ・・ギャンブルもダメと 規制だらけだ。 

男の人生で一番の成長期、肉体も生理的にも(精神はあとからついてくる)パワフルな時代にダメなことが多過ぎるから 可哀そうだよ、これだから日本の若者がへなちょこになるんだよ。 成人式になると酒飲んで騒ぎを起こす子がいるのは 飲んだことがないからだよ、初めて酒飲むからあんなことになる。  酒やたばこは小中学生の頃に卒業させないから。 二十歳で成人式なんて 日本くらいなものだ。 NYの裏通りでは ガキがたばこくわえて道端で博打している。 そういうことのない日本は素晴らしいと褒められるが 大人より優秀な少年はいくらでもいる  心配なのは大人のほうだ。

◆余計なこと   ギャンブルを反社会的イメージにするのが日本人の情けないところだ。  

国が主催して競馬のように枠順作って優勝校の単勝馬券を全国のコンビニで発売する。政府が二割ピンハネして税収にする、消費税で揉めるより 国も地域も一丸となって更に盛り上がると思うけどな、 増税だのカジノ法案だのと政治家が揉めているが そういうところが我が国の情けないところである。     日本の警官は拳銃を使えない、アメリカFBIはとどめ刺すまで拳銃撃ち続ける。  自衛隊航空機は中国に喧嘩売られても買えないとは情けない、  30mに接近した中国戦闘機、あんなの鉄砲で撃墜できるよ。  国会では「集団的自衛権」の説明ばかりやってる。  集団的自衛権、喧嘩するなら強い助っ人いた方が有利だろ、簡単なことだ。  後ろに世界最強のアメリカという兄貴がいるなら 助っ人なしで単独で戦えばよい、   これだから日本はクラゲなのだ。 オレ右翼じゃないが どっちかいうと右寄りかも?

 従軍慰安婦問題を発言した政治家が総攻撃をくらう、オレが補足すれば 金払ってやれば今になってまで追及されることではない、タダでやるから戦勝国の暴挙と誤解される、金銭で解決すれば 立派な売買契約、日韓友好的交易の発展に貢献するじゃないか。  現在だって 韓国や東南アジアなら安くできる・・というツアー(JAL=YALIパック)?気分のおやじがいるじゃないか。その商品があの行為になるからいけないと非難の的になるのだ。 それを云ったらまた総選挙・・・ 

カラスがゴミを散らかして東京でも横浜でも困っている、ならば駆除すればいい、カラスは声聞いただけでむかつく、自衛隊から散弾銃でも市民に配布して、絶滅作戦やればいいじゃない。 そうすると動物保護団体から問題にされる、

戦争で人殺すよりは ずっとよいことなのにね。 これだからデンジャラス爺さん? 戦争はいけないけれど 憲法九条という単語は大嫌いだ。  オレこのごろ機嫌悪いのじゃ、病気もまだやってるけど 大丈夫、カラス相手なら加減しないで コテンパンにしてやるぜ。(具合悪いとごろをまく、病気は辛いことです、健康も紳士の条件であります・・・) 時々死にそうな日もありますが 基本的に生きてるから ご遠慮なく心配してくださいね。

◆更に余計なこと   この頃の日本の議会制民主主義は毎年選挙のあるめんどくさくて困ったものである。 そういう私たちも困ったことに日本人である。 

民主主義の基本理念は多数決?それがやさしい人間性だと勘違いしている。 異端者を罵るのは大衆の愚劣、少数意見が正解のこともある。  ならば独裁のほうがよいのか?

徳川時代三百年も外国との戦争がない平和が続いたのは 家康、本田、井伊、柳生・・ある意味閣議だけで行政が進む時代だったから? 独裁者が正義と優しさ、英智に優れていればよい。 オレが先生ならそこらへんを講義してやる。 熱くなって長くなるとまたシモネタになりそう、これだから私は評判悪くなる、 このへんでやめておく。  

オレ今年から「寡黙、無口」になろう、口数減らすことを目標にする。 初詣の神社で祈願してきた。百五十の円お賽銭だからご利益なくてもいい。 脳出血で倒れた年の元旦も百五十円だった、意外とゲン担ぎしたのかもしれない。

このブログの読者層は中高年が主力だと思う、少年が読んでいるとしたら嬉しいことである、うんこネタが多いから小学生にはウケるかもしれないが賢明な高校生には相手にされないかもしれない、しかし もしも野球少年が このブログにたどりついたら 大人になってから著者のような根性曲りなおじさんにならないように・・。

甲子園は遠くない、夢は眠っているとき見るから夢なのだ、とりあえず今できそうなことを目標にクリアしていけ、目の前にある試合にベストを尽くせばいい、明日試験なら今夜寝ないで勉強しろ、試験の翌日は一日寝てろ。    勝っても負けても心配すんな、

遠い先を考えない、そのうちなんとかなるさ。 みんな初めての人生で初めての経験しているのだ、昨日より今日、本日只今という瞬間が人生で一番若く力に満ちている、・・・明日になれば今日より一日老化する・・今日は昨日より一日大人になってるでしょ、だからなにかやるなら「今でしょ」・・  しかし 理想は追及しろ、優勝して女子高生とパーティやるのを目標に・・・・

 ◆夢とは未来を勝ち取ろうと設計する ある意味スケベ根性だ、 またまた余談であるが昭和には巨人の監督になることが夢の天才投手もいた、己の将来を己の力で実現させようとする見事な男だ(巨人ファンに言わせれば)が、高校生から老後を考える変わった子だ(オレにいわせりゃ)、アンチ巨人を増やしたある意味功労者? 彼も広島小早川にさよなら本塁打打たれて泣かされた。  あの頃から巨人の人気は徐々に衰退、巨人の伝統的アンフェア補強作戦が日本人気質に合わないからだ。  常勝だったはずの巨人軍も 今年はマー君にやっつけられた。  人生いろいろ、世の中色々である。 

男なら夢を見ろ、夢見るくらいでないと睡眠不足になるよ。 叶わぬ夢なら別のコースはなんぼでもある、頑張れ高校球児。  

オレ なに云ってるんだか・・? 口数多いと話も長くなってすみませんね。  激励のつもりが 結局何も解決できそうもないね。 

年末のお忙しい時期に 過激な発言で、また長いの読ませてごめんなさいね、 読者様も私も 皆平等に年を取りますが 内容はともかく見た目だけは若くきれいでありたいですね・・・・懲りずにまた遊びに来てくださいね。  風邪ひかないように、夏は熱中症気ぃつけて、長いブログ読める体力つけてね。 

良い御年をお迎えください。 (本記事は一月十四日編集・今年も余談が多くなりそう、)

寒い日が続いています、桜咲く春になれば またおいらも少しは元気になって更新励みます。 

★読者から古い記事にシモネタ多いと指摘されたので 表現の修正等 改築工事中です。  しばらくお休みしていますが 次回は欲望に対してスローモーに 上品な表現で更新できるように精進いたします。  (今年八月 再度改修分 また表現が乱暴になり失礼いたしました)   

◆この記事は一部プロバイダでは閲覧できない、ファイル開けない不具合が生じています、多分編集の操作ミスかも?  過激な表現が教育的配慮に欠けているため インターネットの世界にも お目付け役がいるのでしょうか、そのうち出版禁止になると情けないので これを機会に衷心より反省し 今後は健全なブログ路線に衣替え致します、要するに若者に勉強になるような内容でやってくから・・・

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オレ流少年野球・珍プレー集

(1)コーチ会議

レッドイーグルス初期の頃の話である。

走者が二・三塁間で挟まれて接戦に負けたあと 子供たちとベンチでミーティング、 挟まれたらどーするか? アウトになるまで長く時間を稼ぐのは良いが塁間でウロチョロして どっちいこうか判らなくなったら アウトになってもいいから三塁でアウトになろう、三塁へ(前に進んで)行くことに決めておこう・・・と、試合中のマニュアルにしよう、常に次の塁を目指す走塁を・・・・と走塁の心得、子供は「指示」さえあれば 忠実に大胆に動くのである。 

牽制球に逆つかれて 元の塁へ戻るよりも 前進する積極性を求めたつもりのミーティングであった。  そこで応援団のお母さん(キャプテンのお母さん)からユニークな発言、

「そうだよ・いつも、どこのチームもだけど、バッターはどうして皆一塁へばっかり走ろうとするのかしらねぇ、打ったら三塁へ行ったほうが近いと思うけどねえ? 監督に言われる前に 皆自分で少しは考えないとね・・・」「・・・?????」 あのなぁ・・おまえなぁ・(一同絶句)・・応援団の大人に理解させるのが大仕事、大人社会は難しい。

子供たちの成長と共に監督も小さなことを積み上げて成長していくのである。 試合後に反省会しているようではまだ弱小チームなのである。 その日の夜、集会場で酒を呑みながら大人だけの反省会、どうすれば強くなるかがテーマであるが 野球の議論よりも 先ず幹事長、会計係、会費、定例会の日程等の打ち合わせから始まった。   コーチ会議が発足したのはその日の夜であった。 10人夫々に職種は様々であるが 野球という専門分野の同じ話題で熱く語り合う。  選手の評価から指導法、叱り方、褒め方、打撃理論からノックのテクニック・・etc..まで、皆純粋な熱血漢が忌憚なく語り合える良い会議であった、指導法や理念が一致して 結束力の堅い 素晴らしき仲間たちである。 結局は皆 日曜日家でごろごろしていると粗大ゴミ扱いされる寂しい親父の吹き溜まり?であるが 皆野球のあとの この会議が楽しみな良き仲間たちである。 

夫々の野球哲学を語り合うが  時間と共に話題も変る、      ○○のお母ちゃんは あれ・ケバくない?化粧濃いよな、どこかのキャバレーで出てきたりして、化け物じゃねぇの? 

オレ・今夜は勝負の日だから酒控えめにしとく・・・・という若手コーチに オレんちは もうないな、五年くらいご無沙汰してる・・長老コーチがノッてくる。

30男が10人も集まると こんなものである。 

野球は弱い頃が面白く楽しいのです。 強くなってくると辛くなる、相手も強い、勝って普通の試合はプレッシャーも大きくなる。

10年後病気で倒れた後も コーチ会議はまだ続いていた。 

上手な子は放っといても進歩する、下手くそが練習して上手になるならこんな簡単なことはない、「結局勝つときは ラッキーが重なるとき、負けるときは たまたま相手が強いからだよ・・要は素材の問題、大きくて強い子を選べばいい、」 総監督の哲学は 身もフタもないものに変っていった。 いい加減でいいのです、勝つことのために 指導者が苦労するこたねぇ、事故が起こらないように子供たちを管理すれば良い、・・・オレ元々野球はあまり好きじゃなかった、上手でもないし 練習が一番嫌いだったもん・・・」  なあんだ、だからバントしなかった、結局監督が一番いい加減だったの?  そーです、だから強くなれたのです。 

教訓1.皆が同じ目的意識、同じ方向を見ている組織は強くなる

名監督必ずしも名人にあらず・・・なんちゃってね。

強くなって地区の名門になり他から目標にされ憎まれるようになれば成功である。  勝負事は憎まれるくらいになれば一流である。

勝ち進むほどに 悔しい思い出ばかり残るのであるが 弱い時は練習中でも 面白いこといっぱいあったよ。  野球なら やっても観ても草野球が一番楽しい、汗かいた後の冷たいビールが一番美味しい。  プロになると面白くもない試合が沢山ある、今年のWBC観て熱くならなかったのは 最高レベルの野球だからかも・・・。

教訓2.芸術でも仕事でも 人のすることは なにごとも同じです、レベルの低いほうが楽しい、上達して名人の域に達した時が辛いのです。 今になってからいえることであるが。

オレにも成功したことあった、 組織作りと子供たちを楽しませる教え方,  エラそうに語れることはこれくらいしかないけどね、

教訓3「誰にでも 一つくらいは誇れるものがある、これだけは自信があるというものがある、家族、恋人、身近にある優しさ、勉強がだめなら運動でもいい 運動だめなら 音楽・絵画、それがダメでも なんかあるだろ、魚釣り、トンボ採り、歯磨き、芋ほりでも鼻くそほじりでも、じゃんけんでも・・どんなことでもいい,これだけは誰にも負けない、自分が第一人者である、人生の宝物であると人に自慢できる・・・、そういう宝物を持ちなさい、」    野球に関しては思い出がなんぼでもある,語り伝えたい、やんちゃなオヤジのコーチ会議と子供たち、これらの数え切れない思い出がおいらの自慢、青春の宝物だ。 三塁へ走れ・・の件はまだ解決してないけどね。

また長くなるから この度はこの辺で。 「珍プレー集」はまだ続きがある、沢山あるので 何度かに分けて不定期にネタにするからね

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三月26日 菜の花畑、桜も満開になりました。  

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キリマンジャロの雪

キリマンジャロ

「キリマンジャロは 雪を頂く峰にして 標高5895m、アフリカ大陸随一の高山と称せられる。  西方にあたる頂きを マサイ族にて「ガイエ・ガイ」即ち「神の館」と呼ばれている。この西方の頂上近くに一頭の豹の凍結した死体が横たわっている。 かかる高所に 豹が何を求めて至りしや、解き明かしたる者いまだなし・・・・」

アーネスト・ヘミングウェイの名作「キリマンジャロの雪」冒頭の一節である。        いつまで経っても心に残る名文である。  「子諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず若草のしくによしなし・・」中学生の頃に読んだ藤村の一節を 還暦過ぎて まだ憶えている子もいる。 名作の感動は 人生の指標のような形で あるとき突然視界に出現してくることがある。  だからどうした?と問われても オラ何にも云えないけどな。

雪の積った山の頂上まで この豹は なにを求めて登っていったのだろうか。  獲物がいるはずはないところへ 何故行くのだろうか?  何かがある、何もないかもしれない、豹は何も無いことを知っていたのかもしれない、それでも力尽きて氷の屍になったとしても そこへ行かずにいられない・・・。  人生とは この豹のようなものなのだろうか・・・?  豹は 損得勘定や目的意識があって登ったのではない、 豹特有の臭覚、彼にしか判らない魅力的な匂いに誘われて 唯ひたすら頂上を目指したのだ、彼は幸せだったのだ。(オレ流に解明すれば)  

主人公小説家のハリー・ストリート(G.ペック)は キリマンジャロの麓で狩猟をして 重病を患い瀕死の状態であった。  自棄酒を飲みながら 過去に恋した女たちを回想する 冒険とロマンスの短編小説である。  彼はこの山の頂上で力尽きた豹に 己の人生の答えを求めていた。

人生はどうあるべきか、生きる目的とは・・?  その謎が 人間に与えられた永遠の課題のようで、・・・・、ヘミングウェイは どこから こんな物語を考え付いたのだろうか?        凍結した豹に 聞くしかないのでしょうか。

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◆ About  me  いつまで経ってもこれだから

  (1)  川崎時代 野球に明け暮れ 重症の肝臓病から復活して 近所の山(生田緑地)へ妻と二人でハイキング、ゴルフ場が見える高台で お弁当食いながら 妻が熱く語っていたのが 映画「キリマンジャロの雪」の物語だった。 グリゴリーペック、エヴァ・ガードナー、スーザン・ヘイワード、配役もカッコイイし、女にはウケる恋愛モノだから 感動の余韻が残っていたのだ。  20年も昔だから 妻も若かったし 生物学的にはまだ「女」のはしくれだからな(これいうから叱られるけれど)。   自分的には 危険な病のおかげで 野球から開放されて 穏やかな日々を過ごしていた。

(2) 先月は横浜の港が見える高台にある三殿台遺跡を見学した。  標高55mにある弥生人の住居跡、貝塚も見てきた。   そういえば 我が家の近くにも「貝塚」や縄文時代の住居遺跡がある。  自分的には歴史の勉強は好きであるが 古代までは あまり興味ないな、史実を保存してあるのなら 新撰組が斬り込んだ「池田屋」とか、巌流島決闘跡 なんかがあれば見てみたい。 吉原遊郭も。  この辺は標高55mより高いはずである。 ヘミングウェイ流に考えれば 日本の古代人が こんな山の上まで食い残した貝殻を運ぶ意味がどこにあるのだろうか?  縄文時代より もっと昔は 横浜も東京も海の中だったのだ、 日本列島誕生のロマン・・? ナーンチャッテね。 

(3)川崎生田の山道を散歩して 弁当食ってた頃に比べたら オラ横浜へ なにしに来たのだろうか・・・・、個人情報丸出しにして 自慢にもならないことで愚痴こぼしても始まらないが、 脳出血、目の手術、腰痛に生理痛(痔出血)・・・痛くて辛い病気を体験しに来たのだろうか?       今は 窓を開けるとキリマンジャロと同じ形をした富士山が見える、キリマンジャロが富士山の形に似ているのだ。  

アレ(08年の大病)からは 歩いて歩いて、歩きまくった、最初の夏は 雨の日も歩いた、

外へ出ようとすると「行かないで・・・」妻が泣きべそになって制止する日もあった。  「行かないで」と、玄関で叫ぶ妻の声が「死なないで・・」と聞こえるような気がして、ご近所にみっともない、大丈夫・行かないよ・・・と、戻ったふりして また隙をみて一回り歩きに出かけたのである。  

オラ 氷った豹になってもいい、明日のために今日も歩く、こんなことで死んだら 自分の人生なんだったのか? 冗談じゃねぇ、オラなんのために いのちを削り 夢まで削ってきたのか?  削れないウェストサイズと 気力体力抜けても 抜けない疲れだけを抱えたまま 日々誠実に生きてきたのだ、ふざけんなバカヤロ(怒)、

これからは自分のために生きてやる、 このいのち納得して高山の雪に埋もれてやる。   ハリーと同じように自棄酒を飲みたい日もあった。  こんなこと云うから淋しくなるけどね、甘えんじゃねぇ・腹周り削ってから云えってか?  

(4)引越から一年が経った、あっという間だった。  アレから四度目の夏を迎えることになった、まだ能書きたれながら生きている。   オラには ずう~っと一緒に歩き続けた相棒がいる。靴底の厚い運動靴である。  そろそろくたびれてボロ靴になりそうだが 今ではオラの足に馴染んでいる。  退院の後に 子供たちのプレゼントだったけど 今では体の一部分である。  靴のほうがオラの足に合わせてくれている。  相変わらず毎日歩いている、ドヂもやっている。

ブロンズの風の中 

去年の夏から気になる音が聞こえる。 東側の山の隣に広いグランドがある、毎日少年野球チームが練習している。   日曜日には近隣の実業団チームが試合している。  気になるので見に行った、 草野球や少年野球を見ると 自分の弟子たちと比較して評論家目線になるのは オラの傲慢だろうか。

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どちらもいいチームだ、プロ並だ。  内野ゴロも外野フライも ちゃんとアウトになる。  打球が速い、投手の球が速い・・・、いい試合を見ていると なぜか思い出をかき集めてしまう、  昨日の晩ごはん 何を食ったか忘れてるくせに・・・・? 

ブロンズの風の中 きらめくメモリー・・・・♪ しあわせを手放した ひとはまよい子・・♪   なにげなく見送った後姿が ただ一度だけの愛と気づいたあの日 ♪

ブロンズの風の中 見つけたメモリー  悩みなき遠い日の私になって

あの人の胸の中 駆けていきたい  あの日のまま  ♪

サンセットメモリー・・・だったかな?  しあわせ過ぎたのに気づかない、美しい夕焼けを浴びていた清純な愛の日々、誰にでもある若き日のララバイ・・・ いい歌だったなと あの頃の曲まで思い出す。     若き日の浜辺で描いた水彩画のような きれいな詩です。 作詞した 竜真知子さん・・こんなに素敵な恋をした真知子さんは身も心も美しい人なのだろうと 会ったこともないのに惚れてしまいそう・・・? 内面的には理想の女性であるが 実際に会ったとすれば外観優先になりますけど(おいらの場合)、 やはり「見た目」が大事です。

人生のある時期に ある痛い偶然に出逢ったあの日から ずうっとオラは野球に恋をしていた、それも命懸けで・・?バカヤロが 恋は女とするものだろが、野球に恋してなにが嬉しい?  人生のカテゴリを野球のことだけに限定しても、なにからなにまで みんな記憶にあるけれど 「あの一瞬」「あの一球」・「あの憎いチームのあの監督」  グランドを吹き抜ける風と・土と・草の匂いの中にいると 忘れたくても一生忘れられない思い出が 次々と甦ってくる、  あのヤロウ生きてたら?云ってやりたい、「オレは生きている、いま しあわせだ、おいらの勝ちだ・・」

何気なく見送れば・・・今日の自分はないかもしれないが?  オラ野球でメシを食ってたわけでもないのに、 バカだねぇ・・と、判っちゃいるが。

川崎時代は 地域ではお山の大将だった、東京のチームには負けないが 横浜は強いと思っていた。  青葉区のチームと毎年交流戦をやって五連敗した。  少年野球にも地域的な格差がある。 身もフタもないこと言えば 空き地(グランド)が多い地域か否か、子供の人口、指導者の質(バカな大人がいるか否か)・・など、練習環境の差、強くなるには なんといっても選手個人の素質だけどね。   生田緑地をお散歩していた頃は 自分の将来は野球に関係した仕事をしながら 人生を全うするような気がしていた。  野球連盟の事務局とか スカウトとか・・・リトルリーグ指導者の講習会等 漠然とした夢のようなものを描いていた。  だからといって 他所の草野球を評価するのは僭越であるけれど

素人野球で 強いチームの見分け方、 ★ ピッチャーのワインドアップモーション・踏み出す脚が高く上がる。 腰を使うから速いボールが投げられる。  素人は手投げになるから山なりのボールになる。 ★ 指導者がノックバットを右手で握るのはシロウト、(軟式の場合)ちなみにオラは左手、トスバッティングとノックだけなら 多分日本で二番目くらいに上手いよ、グローブの代わりにバットでキャッチボールできるよ、相手がイチローなら。 (他に自慢できることないから) 要するに指導者にも技量と見識がなければ 教える資格はない 生徒にも信頼されない。  経歴が長くなると 口だけの指導に変っていくけどね、おいらの場合。 

早い話が 右投手の左足が高く上がっていたら レベルの高い野球をやっている・・ということである。

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そんなことよりも本日の最優先課題は グランドへ入る前に犬のウンコを踏んでしまったのである。  硬めでとぐろ巻いた しっかりした形の良いウンコだった、ウンコにも良いのと悪いのがあるのである。  靴底が厚いのも幸運であった、 ウンコした犬は気持ちいいが 踏んだ私はどうなるの?  ここまでのパターンでいくと 愚痴っぽくなるのが この頃はそれがない、気分悪くならないのは 相棒の靴のおかげである。 靴も自分も ちっとは進化したのだろうか、 ボヤクどころか良いウンコを踏んだから幸運(ラッキーウンコ)であるとプラス思考に持っていける。

昨夜の雨に濡れた芝生で靴の底を掃除しながら いい試合を観戦して能書きたれながら うるうるしている場合か、 キリマンジャロを思い出して 涙しながら ウンコを掃除している場合か?  結局シモネタやってるではないか・・・?  進化するのは難しい、現状維持で上出来であると自己満足。  毎度のことながら勝手なことを書き並べていますが、 また長編になってしまった。  このクソ暑いのに ここまで読んでくれてありがとう。  集中力の持続は若さの証明だ、 若者はパソコンよりも本で読んだらいいね、文学全集までいかなくても ヘミングウェイを一冊読むのがいいね。  自分の過去が貴重になる、明日という日が楽しみになってくる、人生の方向性が見えるような気がして勇気が湧いてくる。    ヘミングウェイ先生も喜ぶよ、百曲がり坂でシモネタ楽しんでくれる読者も オラには有難いけどね。  ひと夫々、十人十色、人生色々・・ですから。  

今年も猛暑の夏になりそうです。  ビールが美味しい季節になりました。  キリマンジャロの雪が溶けて 氷った豹が生き返るかもしれない、おいらもこの調子なら大丈夫、元気に過ごせそうですね、みんなも夏バテしないように ご自愛ください。

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ありがとう PART.2

お日様は夕方になると 自分のお家に帰るので 

そのときに きれいなオレンジ色の 手紙をみんなにくばるのです

だから ゆうやけができたのです

その手紙には 「またあした 元気に会おうね」 と書いてあります

だから みんなは お日様が大好きです 

 これは 図書館で読んだこどもたちの詩集にあった 三年生の詩です。

 オラが選んだ大賞(グランプリ)です。  

ある画家

山の写生を おえると その画家は 山に ていねいに おじぎした

湖のむこうの山に きちんと ぼうしをとって

わたしは 生まれてから 人々のあいだにいて 気づかないまま

なんかいの ありがとうを いわずに きてしまっただろう

こどもの詩に教えられるような気がした。

釣りにいって帰るとき 川にむかって 帽子をとっておじぎしたこともあった。オラずうっと前から これをやっていたから ノープロブレム! OK牧場だな。

50代の後半、町田のスポーツクラブへ通って、プールで泳いだあと水中歩行教室、トレーニングのあとは サウナ、サロンでおにぎりと缶ビール、それが楽しみで 同じ年頃のビール腹のおじさんと仲良しになった、 オラも彼も インストラクターのネエちゃんと一緒にジャグジーのお風呂入るのが楽しみな 不良おやじだった。 「運動しても これじゃ 腹凹まないよなー」と笑いあっていた。  町田から横浜へ引越す前、最後の土曜日、プールに向かって帽子をとって おじぎをしてきた。 楽しいことをさせてもらって「ありがとう」、淋しさと感謝の気持ちで その日は いつもより余計にビールをのんだ。   

これなら 画家の詩を書いた子に ほめられるかもしれない。

野球の試合もはじまりと終りのときに 両チームが整列して 帽子とって挨拶する、勝たせてくれてありがとう、負かせてくれてありがとう、

本当は負けたときのほうが勉強になるんだよ、自分たちの悪いところを教えてくれるから・・・だから今度は そこを治そうと思って努力するから 強くなれるんだよ。  負けた試合のあと 悔し紛れに 子供たちに そんなこと云って慰めて 翌日からまた狂ったように練習した。

強力なライバルチームのバッテリーとうちのバッテリーが 親友になって よく遊んでいた。  互いに相手の力を認めあうから 友達になれるのです。

Photo

夕陽にむかって「ありがとう」するのも良いことだと思った。 紅白見てから「初日の出」拝みに高いところへ登ったり 海へ行って 寒い寒いと震えるより ずっと意味が深いよ。 早起きしたことない人に限って初日の出を見たがる、お日様は一個しかない、毎日出るのにな。  

今日も一日 元気で過ごせた、今年も一年 お日様は みんなを照らしてくれた。

今年も元気で 年の暮れを迎えることができる、大晦日に夕焼けが見えたら「ありがとう」を云ってみようと思います。

読者様へ ブログまだ続いている、更新記事数は217件になったよ。 大きな病気をしてから 涙のテーマになったり シモネタで脱線したり 今年も色々あってお騒がせしましたが ノープロブレム アイムファイン❤だから(^.^) 来年もまた懲りずに不良オヤジのブログ遊びにきてください、今年も一年間お疲れ様でした、本当にありがとう。 お正月は美味しいもの食べて ゆっくり充電しましょう。  不景気に負けず みんな頑張ったから 来年もきっと いいことあるよ、どうぞ良い年をお迎え下さい。  風邪ひかないように 健康で幸せな年になりますように。   MYWAYブログも同じスタイルで 脱線しながらいくからね。 ]

      No problem, I am myway oyaji

And more much more than this, I did it My Way      

          

 

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 ありがとう(1) 

子供たちの作文集

 野球部に入ってボクが一番印象に残っていることは 三年で初めての練習のときに監督がボールは紙ヒコーキを飛ばすところ、耳の横より少し上から投げなさいといわれたことと グローブは手と同じだから網で捕ろうとしてはいけない、手のひらで捕るようにグローブの真ん中でボールを捕る、ということでした。 六年になったらグローブなしでもボールが捕れるようになりました。 ・・・云々

少年野球をやっていた頃の子供たちの卒業文集をめくっていたら こんなのがあった。

報われたような気分になった。  殆どが どこどこに勝ったとか ホームランの思い出とか 戦いの記憶ばかりの作文だったが レギュラーになれなかった子でも 自分なりに成長を感じている子もいる。  代償を求めたことはない、子供はエゴの塊り、義理も人情もない、中には打算的で大人の言葉の裏を探るような 気に食わねぇ 子供らしくないのもいた。 そういう奴は こっちが感情的になって何度かぶっ飛ばした。 

オラの少年野球とはクールな子供とホットな大人の対決であった。 

卒業生たちの作文に共通しているのは どれも皆 文末に「ありがとう」の言葉があったこと。 かけひきも何もなく「ありがとう」を表現していた。  指導者に対してではない、 卒業までの三年間、練習に試合に、泣いたり笑ったりしながらやってきた時間に対して感謝しているのだ。  「思い出」を形にした「記念文集」、子供たちにとっても宝物になる、野球と関係ないことまで強制させてしまったが これで良かった、人生には忘れ得ぬ大事な時期がある、三年間でも彼等には貴重な時間だったはずだ、それを思い出す時期も必ず来るのだ。 それが良き思い出に残れば幸せなことだ。「ことば」は人を幸せにする・・と思った。  「ありがとう」は幸せな言葉だ。 お前らばかりじゃないよ、 感謝したいのはこっちのほうだ。

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    今日 試合の帰りに 隣のお姉ちゃんに会った、負けたから元気なかったのかな、ボクはお姉ちゃんの顔見なかった、ボクもお姉ちゃんも何も言わなかった、笑えばよかったなと思った。  

そっかー、気まずい思いしたんだね、悪かったね、勝ってたら「こんにちわ」て、元気に挨拶できたのにね、 お姉ちゃんて どこの姉ちゃんだよ、大人の姉ちゃんかよ、美人なら紹介してくれよ・・と、こっちが訊きたいくらいだった。  

     ありがとう

私の足もとに ボールが転がってきた

女の子が、私のさし出すボールに「ありがとう」と笑顔で言った。

この女の子はこれから

何回「ありがとう」を言うのだろう

今の「ありがとう」は私のものだね

女の子のほほが

もも色にそまっていた。

これは文学的、昨日 図書館で読んだこどもの詩である。

師走のこのクソ忙しい時期に 図書館で読書なんかしているとは? 優雅ではないよ、この冬は寒いから建物に避難しているだけだよ、 ご隠居さんになってしまったが ここまで生きてこれたのだからラッキーで嬉しいことだ。  時の流れを温かく受け止めるような気分になった。  去年の2月大病に倒れてから一年10ヶ月、今年も年末になった。 いのちを見つめながら 泣いたり笑ったり ここまで歩んできた自分の日々と色々な出来事に 「ありがとう」を云いたくなった。   

病気は悪いことばかりじゃない、「ありがとう」が素直にいえるようになった、苦悩で眠れない夜に そばにいた若きナースが手でも握ってくれたら どんなに癒されたかと思う考え方も変ってない。 やっぱりネエちゃんは好きだから。

何かに熱中するときも ぼーっとしてても 時はちゃーんと流れる、陽はまた昇る、時間の経つことが有難いことだと思うようになった。  お正月が来ると年をとるからヤダネといわないで 年をとるのは嬉しいねと思える人になりたい。  来年もまた バカ云いながら更新していきます。  今年もお世話になりました、ありがとうございました。  来年も「ありがとう」が沢山いえる良い年をとりましょう。

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オレ流少年野球(5)幸せの時(PART.3)

オレ流少年野球指導法

春休みだった、関東大会の開会式、所沢西武球場へ百人の子供たちと大遠征だった。

人工芝は予想したより安っぽいのが印象的だった、ベニヤ板の上をペコン・ペコンと歩いているようで・・・。

地元へ戻ってから練習、日曜日の一日仕事になった。  前夜は校長室で校長先生とサッカークラブの若い先生と三人で酒を呑み、近所のスナックを二軒はしご、深夜二時頃の帰宅になった。 校長先生は五木ひろしが好き、野球とサッカー部がグランド使用の調整をするための会議が いつのまにかカラオケ大会になっていた。

地元へ戻ってからいつも通りの練習、ノックバットが重い、体が重い・・・何かおかしい?

劇症肝炎で緊急入院したのは その日の夜だった。

皆に世話を焼かせ 心配かけているのは監督だった。  見舞いのお母さんたちに「体壊すまで 何故そんなに戦うの? 無理しないで・・」異口同音に心配してくれる。 私は弱いですから、負けるのが怖い、戦うのがとても怖い、ベンチから逃げ出して帰りたくなる日もある。 ベンチででーんと座って、そんな風に見えないといわれるが 本当は腰が抜けてるからでーんと構えてるように見せてるだけだ。  

子供たちが見舞いに来るときが一番辛い、「監督 いつ戻ってくるの? 早く元気になってよ・・・」肩を揉みながら いつもの悪ガキがションボリしている、表現に乏しい彼等が精一杯に不安を伝えようとしている。   練習通りにやれば大丈夫、決勝までに戻るからがんばれ・・・ハッタリかまして安心させようとする自分が情けない、死んでしまったら・・・こいつら泣いてくれるだろうか? 彼等のために疲れ果て それが原因で死ぬのなら本望だ・・そこまで思う自分が哀しい。 皆に慕われて、心配されて、一番幸せなときなのに 子供たちが帰ると何故かひとりで泣けてしょうがない。  

病気は哀しいことだ、寝てる場合じゃねぇ、オレは焦った、一刻も早く復帰したいと神に祈った。 人生はシーソーゲームだ、良いことのあとに必ずピンチがやってくる。 

野球と同じだ。 

野球は過酷な競技だ。 精神的に過酷、団体競技は個人の失敗が勝敗に影響することがある。 野球はミスのゲーム、失敗はつきものなんだけど、そのミスが誰にでも分かる、責任の所在が明確だからである。  思春期の少年には特別な衝撃になる、サヨナラヒットを打たれた投手が マウンドの土をズボンのポケットに一握り入れた、ずっと昔 甲子園で実際にあった光景が後の人々に感動を呼び 負けたチームの選手が袋に砂をかき集めるようになった。

この砂は 現代ではダンプが運んできてベンチ前にまいて準備する。 砂の袋まで準備しているとか。 大人がそんなことするのはイヤな世の中だ。 少年たちの夢や 思い出に一握り持って帰ろう・・という人間性、成長した彼等の心に委ねればよいのに、大人がお膳立てするとは・・大きなお世話だ。

バッターボックスで選手は皆サインを見ようとする、

私の理想はサインが出るか否か、状況が分かる子を育てようとしていた。  二死満塁 フルカウント、監督ばかり見るな、いい球を打つしかないだろ。 こんなときにサイン出すオレのほうがビビルよ、マカセナサーイ、ヒット打ってくるね・・・そういう子になってもらいたいよ。 そこまで要求するのは酷かもしれない、未完成な子供たちだ。  甘やかさないといえば聞こえがいいが、オレが彼等に優しくなかったのかもしれない。  彼等の不安をオレが払拭してやればよかったと 後で反省し苦しむのはそこらへんだ。

自分のことばかりでスマンが(自分のブログだから)少年野球の指導者がこのブログに辿りついても 何の役にも立たないではつまらん、何かのヒントになれば嬉しいから オレ流練習法をいくつか紹介する。

監督・コーチは 子供たちにフォームとルールを教えます。 それしか教えられない。

打ったボールが外野の頭を越えるか 捕られてアウトになるかどうかは本人次第、スピード、パワーは本人の努力でしか向上しないのです。  スタンス、構え、グリップの位置、タイミング、ミート・・etc.脇を締めてとか・・・子供に専門的な技術論を教えてもなかなかマスターしない。

専門的な理論が必要ならプロのコーチに頼むしかない。

子供は 先ずバットを振れるようにすることからです。  うなるようなフルスイングが出来る子だけが 栄光のレギュラーに選ばれる。

子供たちには何度も言った。  引退後 講演会の時に親たちにも云った。

フルスイングするにはどーすればいいの? バット振る練習しかない、一日千本毎晩やる。 勉強もしなさい・・・、どーせこいつらするはずないが・・親の手前、勉強はいいから・・なんて云えないから。

沢山振るほど力が付く。

力つけるには・・・? お肉食べて、何でも残さずごはん食べて 大きくなればいい。 阪神タイガースの応援は六甲おろし、ヤクルトはなんで東京音頭なの?と聞かれても そこまでオレには判らないよ。 野球のことなら どんなことでも監督さんに聞けばよいと思った、ちょっときれいなお母さんの質問。 

水泳上手になりたい子はお魚食べるといいでしょ、子供的に単純な発想がいいのです。

余談  去年の入院中は担当のナース二人に あなたは牛乳のみなさい、どーして? おっぱい大きくなるでしょ・・・、タマゴも毎日食べなさい、どーして? 赤ちゃん沢山産めるでしょ・・・。 そんなこと発言するから婦長さんに叱られるが 二人とも本当に毎日牛乳飲んでいた、悪いこと教えていたのではない、健康的で楽しいことです。

かけっこ早くなりたい・・・馬の肉食え、空飛びたい・・・鳥の肉食え、ストレートに考えれば良い。 ダメな子のレベルアップより 優れた子を伸ばす、平均に平等に・・ではない、子供は自分と他の力量を認めている。

練習は主に打撃練習、紅白戦に時間を使った。 野球は「打つ」のが面白いゲームだから。 

私は右手のほうが左より長い、左右の肩の寸法が違う、その昔、結婚祝いに上司からイタリア製の高級背広生地を貰った、洋服屋が難しいと嘆いた、仕立て代のほうが高かった。  

ガキの頃から野球に関ることしかしていないので 成長期の骨格が変形するほど練習したからである、現役ではモノにならなかったが、 体型が変わるほど鍛えた子は 意外性がある、いつか必ずジャストミートすれば どこまでも飛んでゆく。

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キャッチボール、本場では「プレイキャッチ」という、捕球の練習はつまらない、捕球は打撃練習の守備で充分。 投げる練習としてキャッチボールをさせる。 

大人の知恵とアイディアで 子供の遊び感覚を刺激する。 非力な低学年から20mの距離で投げ合う、基本は低い球を力いっぱい投げる、届かなければワンバウンドがいい、届かせようと高い角度で投げる、手前でバウンドするからアタマの上越えて それを拾いに行くようでは練習にならない。 速く低い球を投げるうちに肩も強くなる。  キャッチボールは捕球練習ではない、送球の練習、打撃練習と同じ、グラブでボール取る感覚がバットコントロールを磨く、上手になればバットでキャッチボールできるようになる。

トスバッティング、バットだけで出来るよ、相手がイチローなら。

捕手②、一塁③、二塁④、三塁⑤、遊撃⑥、内野手 だけで送球練習、★の形に投げ合う、

②・・・④・・・⑤・・・③・・・⑥・・・② 、②・・・⑥・・・③・・・⑤・・④、

これでワンセット、何秒で出来るか記録に挑戦させる、子供はこういうのが好き、嬉々としてやる。 送球相手に必ず声をかける、周りも指示する。

四人、五人ずつ 二組にグループ分けして 直線に並び ひとカゴ五十個くらいのボールをリレーで送球する競争。 勝った組がフリーバッティング、負け組みが守る、そんなルールにすると彼等は必死にやる。 単調でつまらないキャッチボールをゲーム感覚で競争させるのです。 大人の工夫で 練習を前向きに・・・(^.^)楽しいから夢中になる、へとへとになるまでやるようになる。

投手は・・? 速い球を投げる子、ストライクは三度に一度でよい、スピードは個性、コントロールは練習で上達する。

“ 鍛錬は千日の行、勝負は一瞬の行 ”

甲子園で優勝した 池田高校 蔦監督の言葉である。

私は この言葉が大好きである。

蔦監督のような野球を目指していたのである。

勝負事はなんでもそうだ、勝敗は 一瞬で決まる・・・、それは“ 運 ”を伴う。

“運”は“偶然”だ・・・、勝つのは 偶然がもたらす結果だ。

運という 人の力ではどうにもならないものを克服して、一瞬の戦いに勝つためには、

偶然を必然にするには、 千日もの鍛錬を 繰り返さなければならないのだ。

相手より1枚上では だめだ。

3枚も4枚も実力差がなければ、運など関係なしに、勝つことが出来ない。

横綱だって 大関や関脇と戦ったら、どっちが勝つか分からない、

相手が十両くらいだったら、初めて戦う前から 勝利を確信できる。

野球の現場を離れて約20年経った今、私には不思議な能力が備わっている。

豊富な経験が そうさせるのだろうか、

プロ野球でも高校野球でも、テレビを観戦している時に、

このバッターは ヒットを打つ とか、こいつはダメだ とか・・、

この投手は ここで抑えられる だとか、打たれる だとか、

選手の顔や 構えや、仕草など 見ただけで、

結果が予想できるのである。

解説者よりも、はるかに高い確率で、それが 的中するのである。

卒業した子供たちは野球の道へ進む子もいたが 夫々の道を歩んでいる。  

数年前に結婚式に招待された、レギュラー仲間が揃って 楽しい再会であった。

競馬の話題になった。 みんな大人になっている、嬉しいことだった。 あの頃は監督が怖かった、今は女房がコワイ、・・エライ!・・オレの弟子だ、そこまで真似するな。

彼等も夫々の青春を語った。 監督・長生きしてね・・・??コノヤロ年寄り扱いしやがって・・・でも もう殴れない、彼等のほうが強い。

私は幸運だ、良き弟子、良き仲間に恵まれて 燃えることが出来た。  みんな幸せそうで 私も幸せだ。   子供たちは「勝った」ことが思い出に残る、監督は「負けた」試合が記憶に残る、大人と子供の根本的に違うところだ。 それならば勝たせてやればよかった、オレの信念など なんぼのものでもない・・オレ流少年野球は チューハイにカルピス混ぜたような 甘くほろ苦い初恋の味もする??? 

もう一度云います、少年野球 強いチーム作るには

 部員の数を多くする、人数の多いところには良い素材がある。 体格のよい子を揃える。

 コーチの意見・方針を一つにする。指導者全員が同じ方向性で指導する。

 練習量の勝負、練習したほうが勝ち。

 バントの練習しない、1点取るのに監督が工夫するようではダメ、監督は伸びるが子供は伸びない。

 監督・コーチは 酒の練習もしないとダメだよ。

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オレ流少年野球(4)幸せの時part・2

夏の地区大会、準決勝、5対7でリードされていた、7回裏2死 走者1・2塁、バッターは四番キャプテンのカッチャン、2ストライクからの三球目、 振れ・・・思い切り振れ・・・!

念じることはそれだけだった。  コキーン・・・と打った、左中間の森の上までボールが飛んでいった・・・・。 逆転サヨナラ3ラン、ドラマみたいなホームランだった。

ベンチは大騒ぎ、子供たちは飛び上がり狂喜乱舞、オラは応援のお母さん数人と抱き合って喜んだ。  

お母さんといっても小学生のお母さんだ、三十代の女盛り? このハグは公認である、誰も咎めたりしない、ウレシー、良かったねー・・・!女の芳しい匂いに酔いしれて心地よいハグである、♂と♀だから その感情は自然である。 野球の醍醐味、監督冥利に尽きるとはこういうことだ。  ホームランだからこれができる、決勝スクイズだったら こうはいかない、唯のセクハラオヤジになる。  カッチャンはヒーローだ、みんなにもみくちゃで、監督は若いお母さんを真昼間から抱っこ・・・・?! こんな幸せはめったにない。 天高く純白の球舞い上がる・・・、当時は清純だった、嗚呼青春よ何時までも・・・の気持ちで歓喜の輪の中に居た。 団塊世代以降になると女をハグるには夜の街で高い金がかかるようになる?から ホームランの有難みが分かる。

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子供は不思議です、いくら教えてもまるで分からない、もー知らね・勝手にやれ・・、と放り投げても あるとき素晴らしい感動を伴って戻ってくる。 離れたかと思うと いつのまにかちゃんとくっ付いている、さよならの一言だけで去ってゆく、彼等は大人の理想や都合に関係なく 容赦なく通り過ぎてゆく、彼等は季節だ、 それに気が付いたときが 幸せな時だ。 あれから25年、卒業した弟子たちは皆 女房もらって子供もできて、人並みに暮らしにまみれているらしい、頭髪の悩み、育毛剤を使う中年に成長している。少年野球の指導をしている子もいると風の便り、「バントをしない」私と同じ理念を実践している。 彼等が今幸せならオレも幸せだ。 卒業生を送り出す校長先生の気持ちが理解できるようになった。 「仰げば尊し わが師の恩・・」オレは尊いことなんか何も教えてないよ。 子供たちには こっちが御礼をいいたいよ。

思い出に残るいい試合が いくつもあった、しかも無料で女を抱きしめていた。 いつまでもこんなこと言ってるから信用されない?が バントをしない野球には こんないいこともあるのです。 アダルト目線ですけど。

 監督がこんな価値観だから 栄光には無縁だった。 全国制覇とか 県の大会優勝とかはないズッコケチームなのである。 精々リーグ戦のブロック優勝くらいなものだった。

決勝トーナメントで 肝心なところでバントしないから負けた思い出しか残らない。 バントはむかつく、バントで勝利しても価値がない。    

それでいいのだ。 信念とは頑固なものだ、 損でアホだと分かっていても そうせずにはいられない、頑なに貫き通す一筋の道だ、自分に正直になれるから 幸せなとき。

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バント・・・アウトになる練習して何になる、かっこよく勝ちたい、楽しもう、コーチも監督も子供たちも チーム全体がフルスイングに拘った。 少年野球の指導者が このブログみても あまり参考にならないね。 ホームランは偶然ですから、教科書通り練習したから打てるってもんじゃないですから・・・。ヒットエンドランは好き、バントでみみっちい1点よりも三塁ランナーがいればエンドランすることもあった。 バントは少年野球の基本・・? 相手チームの監督は オラを「強気な監督」と言う、違うんだな、バントさせる勇気がないだけだ。 失敗してミジメになるのがイヤなだけだ。 バントの失敗はサンメンマチでリーチしてドラのタンキマチへ一発で振り込んだほどミジメだ。 デ~ンと座ってドタバタしないのは格好つけていただけだ。 子供たちの技量に任せていただけ。

バントほど つまらないことはない、打撃練習は打つ練習、バントを上手になるために野球を志す子はいない。

バントは野球場でウンコ踏んだくらい不快なことだ。 それが私の野球理念、

バントは嫌い、送りバントを一度もしたことがない。サインは一応あった、耳クソ掘ったらバント、ハナクソほじくったらスクイズ・・・かなりベテランのころである 試合中に自然にハナクソほじった。 バッターはランナーいないのにバントの構え・・・アホかオマエは?・・・監督も選手も この程度でありました。

バントを戦術に使えないから野球を語る資格はない? 少年野球指導の関係者には信用されなくてもいい、

バントを語るのもイヤだ、だからもう云わない。 バントの練習しなかったからソコソコの強いチームにはなる・・・これも指導法の一つである。

 野球は「失敗」のゲーム、失敗を競うゲームである。 失敗だらけだった、失敗は皆顔だけで充分なのにね(きみまろネタ)

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少年たちを怒鳴り・ぶん殴り、力ずくで同じ方向を向かせていた、大病に倒れ野球を引退してからは花を愛する優しいおじさんになっていた。  

町田で暮らしていた頃は 出窓と広いバルコニーがあった。 出窓には胡蝶蘭、シンビジューム、デンドロビウム、オンシジウム・・・洋ランの鉢植えを育てた。バルコニーには クレマチス、ポットマム(鉢植えの菊)、ミニバラ、ドラセナ・・、洗濯物乾す場所がなくなるとカーチャンに小言云われながら 沢山の鉢植えを育てた。  胡蝶蘭は毎年大きな花をつける、春に花芽が出たのを見つけると心温まる幸せを感じた、夏には庭に百日紅の赤い花が咲く、季節はずれのウグイスが啼く、男の子は荒っぽく鍛えていたが、花は女の子だ、優しく見守って世話してやれば 毎年きれいな花を咲かせる。  花は嘘をつかない、愛を捧げることができる。 園芸は恋愛に似ている。  人の幸せとは 胡蝶蘭のつぼみを見つけたときのようなものなのだ。  戦わなくても幸せを味わうことが出来るようになってきた。 

お散歩コースにノアザミの花を見つけた、朝顔にヒマワリ、紫陽花の葉に蝉の抜け殻を見つけた、散歩しながら この程度のことで季節の巡りを感じる、青春は戦って燃えた、勝つことに幸せを求めていた。 去年の大病から もう一年半が経った、バカ云ってるうちに また夏が来た。 逆転サヨナラホームランのように幸運に恵まれた一年間だった。 今は 巡る季節の中で 時の流れを味わうのが この上なく有難く喜ばしいことに思えて 幸せだ。 

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オレ流少年野球(3)幸せの時PART1

運動会

学校の運動会には招待状が来る、グランドを借りる立場だから学校とはうまくやっていく必要がある。 毎年ご祝儀を一本持って来賓席へ案内されるのである。

少年野球の監督は野球の指導と地域との交流、営業的な要素も必要なのである。

早い話が 練習量が多ければ強くなる、練習にはグランドが必要、校長先生と仲良くなるのも強いチームを作る秘訣である。

運動会、午前の部、昼時少し前に 来賓は教室で昼食の時間が始まる、私はPTAではないが特別待遇、校長先生、教頭先生、その他教務主任とか・・・幹部クラスの先生と共にビールを飲みながら懇親会である。 本当は若い女性教師のそばへ行きたいが 状況が許さない、

校長先生も興味津々で酒を勧め、教育的論議を交わすのである。 モノになりそうな子はいますか・・・? 将来野球選手になれそうな素材は運動会見ていれば大体分かる、私は勧誘したことはなかった、部員が多すぎてコーチ・スタッフのやりくりが大変な時期、

どーしようもない子をリストラしたいくらいだった。 野球指導の理念とか方針とか・・・強くなる秘訣は・・?・無法者ばかり集まれば強くなる、 野球部の子は素直な良い子が多いのは・?・・オレにぶん殴られるから 良い子のふりしてるだけ、優等生ばかりではなんぼ練習しても強くならない、 体力、運動能力のある子を揃えれば 放っておいても強くなる。 あんたは幸せ、教え子をぶん殴れるのはいい、教師にはそれが出来ないから。 

校長先生は定年を控えていた、卒業した教え子が 大手企業の役員とか偉い人になると心配、普通の社会人になってくれたほうが安心する、思い出に残る教え子は 皆ヤンチャで問題児だった、それがどんな大人になっているか、妻と子供と 普通の会社員で普通に暮らしていることを知ると幸せに思う、教え子が幸せだと自分も幸せ・・・、これが親心である。だんだん話が盛り上がった頃、午後の部がそろそろ始まるという知らせに「運動会は もーいいですから・・・閉会式に間に合えばいいですから・・・」と皆に演説する。 酩酊しながら サスガ校長先生だ、おれ校長先生好きだなー・・・と思った。

ヤンチャな無法者を指導するのだ、指導する側も彼等以上のヤンチャが要求される。  暴力団より警察官のほうがコワイ人になるのと同じだ。

校長先生とは その後何度か川崎の夜の街へ同行した、教育者、僧侶、病院の先生や看護師さん、聖職に従事する人たちは 酒を呑む席では水を得た魚のようになる、オラは会社員で幸せだった。  毎晩が水の中の魚だったから。

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    近況 

7月下旬、去年の今頃も暑い暑い真夏を意地と根性で歩きまくった。  汗を拭きながら思い出し笑い?! それが涙に代わる、思い出し笑い?例えば入院中のリハビリ室で、粘土で何か作ってください、てことで、幼稚園レベルじゃねぇかよ・・・と、反抗期の不良オヤジは「うんちくん」を造った、担当のナースちゃん①②が「出来た?見せて・・・」「ハイ・どうぞ」とうんちくん持たせる、「ウッヒャー?!・・・なにこれ?・・ヤッダー、センパーイ、この人ウンチ造ってる」先輩と先生がすっ飛んでくる、「ダメです、真面目に ちゃんとしたもの作って下さい」「????何で???、これ ちゃんとしたウンチくんですよ、ちゃんとしてるでしょ」ちゃんとトグロ巻いて、立派な形、ここでは優秀作品だと思うけどなー?・・・確かに上手にできてる・・・先生はオラの味方だ、感心してくれた、男同士だ。   ああ云えばこう云う、悪戯ばっかりで皆がヘトヘト。  オレは余程悪い奴だったのか? シモネタばかりやってたから今バチが当っているのか?  良いこともあった、青春の思い出が次々と駆け巡る、今は人生を堪能している。 過去も現在も 濃厚な日々を生きている、今は幸せだ・・・(^.^)  

    

この頃は たまに読書する、やっと・やっと・・穏やかな時間ができた、 きみまろさんの文庫本を読み 一人で笑っている。 巻頭の一節から笑っちゃう、ちょっと拝借、 「愛だけあれば生きていけた最初の三ヶ月、思い出して。 ご主人が帰ってくる。 玄関で待ったじゃない。ドキドキしたじゃない。 口紅引いて待ったじゃない。 あれから四十年、今では カーテン引いて待っています。」「若い頃はよくハメをはずしました。あれから四十年、いま、はずせるのは 入れ歯だけです」 一人で笑ってる・・・バカダネー、オレもバカだけど・・・ 笑うことが多いから 今が幸せの時・・・

少年野球に燃えていた頃 劇症肝炎で死に損なった、あの時死んでいたら 葬式は弔問客で大騒ぎだったろうな、若いときほど葬式は盛大だ、死ぬならばあのときがチャンスだった・・・とか、しょーもないことまで想いが駆け巡る。  オレは勝負師になりたかった。 勝負師とは負けても平気でいられる人 オレはそれに向いていない、負けることが嫌いな人は勝負事に向いていない、勝ち負けという結果にだけこだわって悔しくて眠れぬ夜もあった、それが酒の腕を磨いていた。 相手を評価しなければ自らも向上しない。 それに気が付くのに三十年もかかっている、

肝臓病で入院中は花に囲まれていた、花に埋まって葬式の棺のようだった。 毎日花の世話をした、それがきっかけで園芸の趣味が始まった。 花は見てやらないと枯れてしまう、花は女の子だ、守ってやらなければ・・・と思う。 先生は花のジャングルを掻き分けて回診に来る。 卒業した子供たちまでグループ別に見舞いに来る、五六人で肩や腰を揉んでくれる、オレもうダメだから・・・そういう人は大丈夫だよ、監督がいないと皆が寂しいよ 早く元気になってよ・・・中学生に慰められる、監督は鉄腕アトムかと思っていたけど 人間だったのですね・・と、お母さんのグループ、そーですよ、私は弱いですから、勝負に負ければ眠れない、女に振られたら泣きますよ・・・次の見舞い客が待合室で順番待っている。  ベッドに戻るとバーのママさんからの花束がベッドに乗っている、唯の酒呑みだから・・・。 ライバルチームの監督まで見舞いに来る、・・・・メロン、すいか、巨峰、マンゴー、・・・普段食わない果物が食い放題、サスガに酒はなかった。クレープとかいう大人には馴染みのない食い物、マックかロッテリアか? 子供たちが百円ずつお金出し合って・・・これが子供のかわいいところ。 謹んでご馳走になりました。

みんなに心配かけていた、美味いもの食って・寝て、甘えて、幸せが身に沁みた。 幸せの絶頂期だった、青春は失敗ばかりだった、失敗は顔だけで充分なのに少年野球だけはまずまずだった、上手く行った・・が、一つくらいあってもいいでしょ。

人に迷惑かけないこととは健康でいることだ。 

そして去年の入院は 若いナースちゃんたちにチヤホヤされて、オレがそんなにモテるわけないよと分かっちゃいるけどヤメラレネェ、楽しい経験をさせてもらいながら 不良オヤジはご機嫌で周囲に迷惑かけていたそうであるが  動くことと食うことでは 人に迷惑かけていない(つもり)、隣の人はごはん食べさせてもらってる・・・いいなー・いいなー、オレも食べさせてくれないかなー、サービス悪いぞ、ホステスが消えた席で一人寂しく呑んでいる客みたいだよ・・・一人で食えるから幸運だとおだてられるが、二食も抜いたらオラ多分死んでいる?! 便秘の苦労だけだったから・・。 

二度の大ピンチにもしぶとく生き残り 今年もまた歩いている。  本当の勝負師とは ここぞという時に勝つ人のことだ。

最近は目が良く見える、読書が楽しくなった。 死ぬか生きるか、二度も体験した大病が「ここぞという時」かどうか知らぬが命を賭けたのだから大勝負だったのかも? 結果的に生き残っている。ラッキー&ハッピーがやっと実感できるようになってきた。  ウソみたいな幸運、こんなに幸運でいいのだろうか? 今日も歩いたが去年のスピードはない、歩けることは有難いことです。 きみまろネタ もうひとつ拝借「外見が年とともにヨレヨレになっていくのは自然の摂理です。昔ピチピチ、いまクシャクシャ、昔フサフサ いまツルツル、足はガクガク目はショボショボ、おしっこチョロチョロ・・」お散歩コースの向こうには中高年世代が待っている、今年は散歩途中で神社仏閣を見つけたら感謝を込めて合掌しましょう、心はいつまでも青春でいられるように。   

Photo_3ゆうばえの道

    7月20日、テレビで「初めてのおつかい」観た。 オラのお散歩コース ゆうばえの道を舞台に三才~四歳の女の子アリサちゃんが お誕生日パーティのケーキを買いにゆく、スーパーへ寄りケーキ屋さんへ行って・・・だんだん暗くなるし 荷物は重たいし、時間が間に合わないとどうしよう・・・、走るとケーキがグチャグチャになる、お友達はみんな待ってるかなー? 間に合うかなー? 早く食べたい、早く帰りたい、・・・沢山悩みを抱えながら えーん・えーん・・と、泣き泣きゆうばえの道を帰る。 これはいつみても泣けてくる、笑いながらだんだん涙になってしまう。  カメラマンも通行人も 周りの人たちは皆スタッフで 皆に守られながら 必死になって歩く、社会全体がやさしさに溢れているようで・・・アリサちゃんが幸せだから 愛おしくて皆泣けてくるのだ。 幸せな子供を見ると大人も幸せを感じるからだね。

 この道をオラは去年から何度も歩いた、泣いたり笑ったりしながら・・・基本的にお笑い系ですから面白いことを思い出しては笑いが出る、でも他人からみたら気色悪いよ、サングラスが手放せないが笑顔が大半ならば アリサちゃんほどではないが幸せだと思いたい。 孫娘ひーちゃんが三歳の時、皆で買い物に行った、本人はお手伝いモード全開で何か持たせろという、軽いものが良いとティッシュの箱を持って歩く、自分の背丈と同じくらいあるから肩に担いだり 大汗かいて顔を真っ赤にしてがんばった、「あー・・・お買い物はキビシィー・・・」ひーちゃんの名言である。孫が幸せだと 爺ちゃんも幸せだね。  7月28日、テーブルにお寿司とお稲荷さんがあったので一個つまみ食いした、「ダメよ、手で食べちゃ・・・」「手で食べてないよ、ちゃんと口で食ってるよ・・・」飲み食いと動きに関しては家の中でも絶好調です。

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オレ流少年野球(2)

◆おんなおとこ    

子供は余計なことを考えない、ことばも行動も目的に向かって一直線なところがユニーク、子供の良さである。  例えば 試合が終って解散の時、まっすぐ帰れよ・・・、まっすぐ帰るとぶつかる・・・?、 髪の毛伸びた、頭切ってこい・・・、切ったら血が出る。  ひょうきんなのもいる、ああいえばこう言うやつもいる。  リーグ戦の最中、N小学校からT小学校へ移動するとき、次の試合まで一時間しか時間が無い、 大丈夫、近道知ってる・・・、子供たちに付いてゆくと直線の最短距離を進むのである。 よその家の塀を乗り越え、庭を通り、小川を渡る、迂回して 橋を渡るなんてことは眼中にない。

家主に咎められたらどうしよう? 確かに最短距離は時間が短縮されることを学んだ。

女の子が三人いた、活発である。 とこ・ちこ・ひな、トコとチコはマネージャー、得意なレパートリーはペッパー警部、大人から見るとかわいいアイドル三人娘だ。  男の子にも芸達者がいる、キャンプファイヤーで「北酒場」、「渚のシンドバット」、子供たちはノリノリで手拍子の大合唱になる・・・、オレはこれが理想だった、こんなチームにしたかった。 引越しで静岡へ転校する子のお別れ会、あっちへ行っても野球やります、みんなありがとう・・・五年生のレギュラーで 次期主将候補、なかなかいい選手だった、挨拶中に涙がポロリ、 それを見て こっちまでジーンとくる。 お別れの歌「また会う日まで」をやるという、♪今日の日はさようなら また会う日まで・・・キャンプファイヤー、子ども会的には これをやるかと予想したが 子供たちが唄ったのは ♪また会う日まで・会える時まで 別れのその訳は話たくない、・・・・・オレの弟子たちだ、これでいいのだ。   何処で覚えたか知らないが 泣かせることをしやがる、監督もコーチも 涙もろいのは大人のほうだった。  

ヒナは時々実戦に出ていた、小学生は女子のほうが体力的に男子に優ることもある、 豪快なバッティングをする。  三人ともかわいいから・・?!・、「えこひいき」、「えんがっちょ」・・・子供たちに冷やかされても関係ない、少女趣味ではないが 女の子を大事にするのは男の本能である。 

昭和の子供、小・中学生くらいまでは男子と女子が仲良くない、男女は一線を隔てていた。男子と女子が手をつないで歩くと「えんがっちょ」なのである、ベルリンの壁があった。  高校生より大きくなると異性に興味を持つ、経験的には18歳過ぎると女が愛おしくてしょうがない、ガールフレンドがいないと落ち着かない、常に恋人募集中であった。 

子供の野球に男女は関係ない、九人いれば女の子だけで試合やらせたいくらいだった。

あるとき三人が私に悩みを打ち明けた、おとこおんな・・・と皆に言われているが「おんなおとこ、おかま」といわれて納得できないよ・・・、確かに国語的には おとこおんなは♀、おんなおとこになると♂という意味である。  彼女たちにも「女」の誇りがあったのだ、女の子の片鱗を少し見せた。  練習試合、彼女たちがスタメンで出たあと 残りのレギュラーたちに冷やかされて「おんなのくせに野球する、おんなおとこ」と罵られた・・・。

何故かオラはアタマにきた、試合に出られなかった「男たち」を並べて 怒鳴りちらした。皆引っ叩かれると思ってビビッていたが、いつもは口より先にげんこつが出る、感情的になるのはこっちのほうだった。 「お前ら 女に負けて悔しくねぇのかよ、おんなおとことか おかまとか? 女の子を口で苛めて スタメンとられて・・お前らのほうが「おんなおとこ」じゃねぇかよ、お前らそれでいいのかよ、バカヤロ、」・・「??????・・」殴られる?皆緊張していたが 何もしないで歩き出したから唖然としている。 「叩かないよ、女より弱いおんなおとこは 叩かないよ、 叩けないからオレが悔しいよ・・・」   

帰り道に応援団のお母さん 「監督さんはいつもニコニコ優しいのに あんなに顔色変えて怒ったの初めて見た、あんな怖いとこ初めて見た、いつもなら叩くのに 何故叱るだけで終ったの?」オカマ・・と云った子のお母さんだった。 今あいつら叩いたらオレが泣きそうだから・・・家に帰ってから親がぶん殴ってやってほしい、仲間同士で揉めるのが一番嫌だから、子供たちが整列しないのはオレがダメだから・・・そんな内容の話にお母さんのほうが感動してしまった。 偶然かどうか知らないが いいとこ見せる結果になった。 夜電話が来た、監督が皆をどれだけ心配してるかを子供に伝えた、監督に殴られるのは慣れているが お父さんにやられて相当身にしみたようです・・・ありがとうございました。  一列に並べて横面を引っ叩く・・・、まるで軍国主義のようで、父母のいないところでしか出来ないことだ。 わが子の叩かれるのを見て 親はいい気持ちしないよ、こっちが遠慮しただけだ、叩かないのではない、叩ける状況でなかっただけだ。  そこまで計算しない、成り行きで啖呵きってみただけで支持率急上昇、次の試合からは父母の応援団が激増した。

少年野球とは ホットな大人とクールな子供の戦いだったのだ。   私は幸運だった、野球哲学はあったが 実践してくれるのはコーチたちだった、良き仲間に恵まれていた。

チーム全体が同じ方向を見ていた。  感情的になりぶん殴ったり 喜びのあまり抱きしめたりして、その理由を子供に伝えるのはコーチだった。  オラ何もやってない、おいしいとこだけ廻ってくる、 人生には「花」の時期がある、努力しなくても良い方向へ事態が動く、幸運が付いて廻る時期があったのだ。  「勝つ」ことが幸運ならば、もっと勝ちたかった、オレは勝負師でない、肝心なところでイマイチ止めが刺せない、それが悔しい、方向違いのところではいつも幸運だったから 何となくトータルすれば幸運だったのかな。    

◆我がレッドイーグルス、全盛期には部員が百人を越えた。 少年野球で強いチームの条件は 体格の大きい子を揃えること、人数が多ければ 素材も沢山いる。  毎年春先新学期には新人が入部してくる。  入試が許されるなら体格や運動能力のテストをしたいくらいだったが 諸事情で断ることは出来ない、全部合格だとスタッフが大変、募集の締め切りを短くして制限する、贅沢な悩みであった。

様々なタイプの子がやってくる。 自分も含めて基本的に皆親ばかである。 

色々あった、我が家へ直接訪問してくる親子もいた。  うちの子は左投げですから投手が向いていると思います・・・父親はポジションまで希望する、将来は甲子園からプロ野球・・・未来を想定して来られると辛い、ポジションはこちらで決めますから・・・丁重に 納得させるのに一苦労である。 (うちは左投手に不自由してない、左がどうのこうのじゃねんだよ、大吟醸の一本でも携えてくればオレはどっちにでも転ぶ、そんな程度の監督だから、主戦投手で四番でもいいんだよ・・・)現在のオレなら これが言えたかもしれない。

体の小さい虚弱そうな子のお母さん、一年間鍛えてください、体力つけて強い子になってから勉強に集中します、・・入団と同時にFA宣言である、目標は受験勉強、目指すは東大、野球で体鍛えてから勉強する・・・!??中・高・大学までのビジョンができているのだ、背筋のしゃんとしたお母さんだった。 子供と大人の区切りをつけるような感覚、徴兵制度のように ある時期体を鍛え人間を磨く、それを乗り越えて大人への道を歩む・・・?? 

恐れいりました・・・である、オレにはそこまで考えつかないよ。  5年生になったとき そのお母さんは大きな袋に高級な酒の肴を手土産にやってきた。 お蔭様で体力つきました、精神面も強い子になりました、これから勉強に没頭します。 潔く退部の挨拶にきた。 厳格な母の姿、サムライの母、武士道のようなものを感じた。 立派なお母さんだ、でも勉強しなければならないあの子は可哀想、・・・勉強より野球のほうが面白いでしょ・・・(^.^)

Photo_2  かわせみ

★ 読者様へ 素敵なブログを紹介します。

サイドバーのマイリストに「フラワー大好きさんのブログ」をリンクしました、信州美ヶ原の中腹 ススキ川の渓流釣りの時にお昼をご馳走になった「かけす食堂」です。 きのこうどん、旨いよ・・・山の四季、花の写真がきれいに編集されています。 心癒される美しい写真が満載です、ブログのお手本だ。 オラのはなかなかうまくいかんけど・・・

日本の自然を感じます。オリジナルの珍しい料理の写真も・・・・、是非お立ち寄りください。

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オレ流少年野球 (1)

オレ流少年野球指導法

     スピード スピードに拘った、野球の基本キャッチボールは山なりのボール投げたらダメ、地面と平行に速いボールを投げる、肩を強くするには全力で投げる。 下手くそチームのキャッチボールを見ると 山なりのボールが手前でバウンドして頭を超える、ワンバウンドで良い、速く低いボールを投げあう。 キャッチボールのスピードで強いか否かが分かる。 レーザービームはワンバウンドで練習する。

やがて肩が強くなればストライクのバックホームができるようになる。

     フルスイング 思いっきりバットを振る、いつもホームランを狙う、バットを速く振れるチームは強い。 バットの振りが速ければ 相手はビビル。

     バント バントしたことない、同じアウトなら空振りで三振してこい。 

オレ流少年野球理想理論、こればっかりだった。  監督の戦略やサインで1点とる、そういうことは上手でない、「打て・打て・・・」ヒットで大量点取るしか出来ない、サインに従ってバントでは 選手も面白くない、ヒット打ってヒーローになれ・・・そのほうが こっちも楽しい。 いい加減でも勝つときは勝てる。

Photo  

三十代、酒の腕を磨き少年野球に燃えていた時期が我が人生のピーク、少年野球の話になると自慢話になってスマンが これくらいしかオラにはないのだ。 うまくいった、やりたいように出来た、子供たちにはユニークなキャラが沢山いた。 

夢に向かって走れ・・?的な純粋スポ根青春ストーリーだが、不良オヤジの回顧録にはオレ流裏話が沢山ある。

健康で自信に満ち溢れ思い出いっぱいの時期であった。  子供はエゴだが 自分はもっとエゴだということが分かった。 悔しい思い出ばかりなのは 自分のエゴを子供に押し付けていたから、準決勝、決勝の常連、名門チームに成長したのに 負けた思い出しか残らない、子供たちの涙を何度も見て後悔し反省するのは いつも監督のほうだった。 

 百戦百勝は出来なかった、子供たちに悪いことをした、すまなかった・・・今彼等に再会したら 伝えたいのは そればかりだ。

何十年経っても 野球のアルバムを開くと涙になる弱い監督だ。  ヤンチャたちの世話を焼いていたつもりが よく考えれば自分が一番問題児のガキ大将だった。  

子供たちには 教わることのほうが多かった、

十年間 子供たちと共に戦って得たものは 「やさしい男になろう」自分の信条を見つけたことくらいだろうか。 

里中ちゃんアンダースローの超スローボールチビ投手、漫画のキャラ・さとなかちゃん)

あるとき 春の大会、コテンパンに優勢な試合、四回途中まで10対0でリードしていた。

ピッチャー里中、捕手ドカベン、一塁イッキュウ、二塁チュウタ、三塁ササ・・・ベストメンバーではない、ヤンチャな悪ガキばかりでやってみた。 私は子供を苗字で呼ぶことは少ない、名前、ニックネームで呼ぶ、子供の目線に合わせるのではない、ニックネームのほうが彼等の世界に入り易いからである。  声が良く出る、野球の技術はイマイチでもいい、賑やかにやれるチームは強いことを六年生のレギュラーに見せたかった。  

「ピッチャータマ遅い・・・蚊がとまる、ピッチャー 顔悪い、ドラキュラだー・・・」相手ベンチから野次が飛ぶ、里中はセットポジションのまま 相手ベンチに文句つけている、「ウルセー、バーカ、明日学校行ったら 泣かすからな、・・」三塁ササが これまたスゴイ「オラオラ・・・バッター 打てねぇのかよ、ナンダテメー・コノヤロー・・」そんなこと教えてないけど、この個性が好きだからスタメンなのである。

里中がなかなか投げないで やりあっているから審判に注意される。  「投げなさい、ボークになるよ・・・」 里中はまだ相手ベンチに向かって「コノヤロー、ぶつけるぞ・・・」

まるで喧嘩状態になった。 審判もついにキレた、監督が呼ばれて厳しい口調で注意された。 「礼儀を指導してください、乱暴なことを言わないように・・教育的にお願いしますよ・・・」オラ謝るしかない、分かりましたすみません、相手のベンチ前まで進んで まだ文句言っている里中のアタマにガツンと一発くらわした。 「オマエのおかげで怒られただろが、明日負けるなよ、絶対やっつけろよ 」明日の決戦の激励をした、野球は楽勝だ、喧嘩に負けたらダメだ。

結果は五回コールド勝ち、47対0、記録的大差であった。 子供の野球ですから 加減して手を抜いてやってもいいのに・・・、大人げない・・・、子供の気持ちを 少しは理解して・・・審判も相手ベンチの大人たちからも非難の声が聞こえる。  意気揚々と引き上げたが コーチや年長スタッフにまで窘(たしな)められた。  でも オレはこういうスタイルでやりたかった、里中ちゃん、かわいい子にドラキュラなんて ヒドイよと・・自軍応援団には支持されたが・・・。 自治会、子ども会、PTA・・このての教育福祉的組織がオレはキライだった、生理的に嫌い、逆らいたくなる。 その昔このての大人たちが売春禁止法に賛成した??。 子ども会主催の行事に野球部さんは協力的でない・・といつも叱られるが「クリスマス会」「芋煮会」・プレゼント?・・・別に嬉しくもないよ、芋も食いたくないよ・・、芋食わすために子供を動員しているのではない、野球の練習したいよ・・・であった。 子供を大人が遊ばせてるつもり?・・違う・大人が遊んでもらっているのだ。 うちは練習した、努力したから強い、仲良しクラブじゃねんだよ、手抜きしたら子供に失礼だよ・・・。  ボランティアの大人が子供の遊びにまで介入するから 子供は甘やかされたまま大人になる、子供のままで大人になってしまう・・・そんな考え方だった。 こっちは毎日子供と練習してる、二日酔いでも朝練してる、たまに見に来て 偉そうにいうんじゃねーよ。

オラもアタマきた、すみませんでしたね、今日は二軍、次は一軍のベストメンバーでやります、百点目標に頑張ります。「ハイ、バッターさん、打ってくださいねー」と、お上品に声掛けるように指導いたします、青少年を健全に育成いたします・・・。 

ムッカツク審判団に捨て台詞・・・? 何が子供の気持ちだ? 解ってないのはそっちじゃねぇか、ドしろうとの審判が偉そうにしやがって???、良い子のみなさん、グランドのお掃除でもしてから帰りましょうかー!

監督がイジケてる!子供たちには冷やかされ、あんたが熱くなったらいけないよ、あんなあてつけがましいこと云って 審判に喧嘩売っては不利になる、年長のコーチに夜の酒席でまた叱られる。 オレも親ばかだ、熱くなるよ、かわいい顔したサトナカちゃんはオレの息子だ・・・不良軍団をコントロールしているのだ、彼等以上の悪ガキにならなければ やってらんねぇ、文句あっか?・・・このチームは命名からユニフォームのデザインまでオレの作品だ、好きなようにやる・・・

自信の塊りだった。 怖いものが何もなかった。 子供たちはオレの宝物、彼等のためなら喧嘩もできる。

強くなるほど人数が増える、所帯が大きくなると風当たりも強い、いつも誰かと喧嘩していた・・・、それが心地よい、

好きなようにやっていたから 楽しかった、青春真っ只中だ、・・・だから思い出に残るんだよね。 

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